入学式典
「入学式典が行われるホールはこちらです、セリーヌ様」
「ありがとうございます」
セリーヌ様がギルバート様と婚約して数カ月。いよいよ王立学校への入学の日が訪れた。
目の前で、王立学校指定の制服に身を包んだセリーヌ様が正装の紳士に案内されつつ歩いていく。
ボクはそのすぐ後ろを、いつものメイド服を着たまま眠い目を擦りながら歩いていた。
「うぅ~……眠いぃ……」
「セシル、しゃんとしなさい。皆が座っているホールに出るのよ。メイドの貴女がそんなに眠そうな顔をしていたら示しがつかないでしょう」
「はぁい……」
欠伸を必死に噛み殺し、痛む頭をぶんぶんと振るって気合を入れ直す。
くそぅ、良いよねセリーヌ様はさぁ。制服に着替えて馬車に乗ってここに来ただけだもの。
ボクはと言えば、数日をかけてセリーヌ様の荷物を纏めて寮に搬入し、部屋をセリーヌ様の好みになるようにメイキングした後に避難経路と寮の間取りの確認するという激務を熟した後だ。
弱音を吐いて欠伸の一つするくらいは許して欲しいよ。
でもまぁ、セリーヌ様の言うことは一切間違いがないので、ボクは手の甲を自分で抓って無理矢理意識を覚醒させる。
使用人の苦労なんて今日入学する生徒たちには関係の無いことだ。ボクがだらしのない様子を見せていれば、フィッツロイ家の教育が不十分だってことになっちゃうからね。
「……セシル」
「ふぁい。なんですか?」
「眠そうね?」
「だいじょうぶです。もう欠伸もしませんよ」
小声で心配そうにセリーヌ様が話しかけてくる。
ボクはセリーヌ様に心配を掛けないよう、背筋を伸ばす。
すると、セリーヌ様は前を歩く案内係に気付かれないようにしながらボクの手を軽く握った。
「……学校でも支えて頂戴」
「仕方ないですね。任せてください」
気遣ってくれてるらしい。その気持ちだけで嬉しくなってしまうボクは単純なのかなぁ。
そう思っていることに気付かれるのは恥ずかしいので、ボクはいつものように返しながら手を握り返した。
セリーヌ様は「全く、困ったメイドなんだから」と苦笑する。
手を離した所で、入学式典が行われるホールに続く扉に到着した。
中に入ってまず目に入るのは、このホールの灯りを一灯だけで担う巨大なシャンデリアだ。
このホールはヘスペリス王国の中でも最大級の建物で、楽団によるオーケストラ演奏にも使われることがあるくらいなんだよね。ボクも何度も訪れたっけ。前世のことだけど。
それを王立学校の建物として扱っているあたり、この学校の運営に力を入れられているかが分かるだろう。
規則正しく取り付けられた座椅子には、生徒たちが並んで座っていた。
案内人はその後ろを通り、一番奥へと移動していく。
そこには、制服に身を包むギルバート皇子と、普段通り騎士の格好をしたギュリヴェールが座っていた。
「ギルバート様、おはようございますわ」
「おはようございます、ギルバート様」
ボクたちに気が付いたギルバート様は微笑みを浮かべる。
それを見て、セリーヌ様の頬が赤く染まった。
最初のうちは殆ど表情が変わらない印象があったギルバート様だけど、この数カ月間、何度もフィッツロイ家に訪れるうちにずいぶん感情が豊富になったなぁ。
今ではこうして笑顔を見せてくれることも多くなった。その笑顔を見ると問答無用で顔が赤くなりそうになるから、それはちょっと困るんだけどね。
「セシルも、おはよう」
「はい、おはようございます、ギルバート様」
「二人とも、座ると良い」
「あ、はい」
皇子に促され、ボク、セリーヌ様、皇子の順で座る。
空いている皇子のもう一方の隣にはギュリヴェールが着席した。
よし、皇子の隣がギュリヴェールなら安心だ。
この間の赤面事件がトラウマになっているボクはほっと息を吐き出した。
「それにしても、ギルバート様がこの席にいらっしゃるのは意外ですわね」
「うん? そうだろうか?」
「はい。てっきり、入学生の代表で挨拶をするものだとばかり思っていましたわ」
「ああ、そのことか。セリーヌの言う通り最初はその方向で話が進んでいたんだけど、今回は別の人に譲ることになったんだ」
「……? どうしてですの?」
「セリーヌは、入学テストを行っただろうか?」
「勿論ですわ」
「うん。そのテストで全問正解の人がいてね。その人が挨拶をすることになったんだ」
セリーヌ様は信じられないものを見たかのような表情をしている。
昔から公爵令嬢に相応しくあれと家庭教師をつけられ、マナーから魔法に至るまでしっかりと叩き込まれてきたセリーヌ様がそんな顔をしているということは、よほどテストの問題は難しかったんだろう。それこそ、全問正解する人がいるだなんて信じられないくらいに。
「凄い……としか言いようがありませんわね」
「そうだね。それも、市井の生まれだというのだから驚きだよ」
「市井のって、その方、貴族ではありませんの!?」
「うん。王宮は上や下への大騒ぎでね。今まで誰にも使われたことのなかった奨学金制度を適用して、首席で入学することになったという訳なんだ。だから、挨拶は彼女がすることになったんだよ」
彼女、ということは女の子なんだ。
凄いなぁ。ボクは勉強はあまり得意ではなかったし、素直に感心するしかない。
「とても驚きましたわ……それにしても、ヘスペリスに奨学金制度なんてあったのですね」
「知らない人の方が殆どだろうね。実際、会議に参加していた宰相が気付かなければ、彼女は入学出来なかったと思うよ」
ギルバート様が苦笑する。
王立学校には貴族や王族以外の入学も可能だけど、入学費を払える裕福な者が殆どだ。
一般的な市民が入学したことなんて前例がないんだろうなぁ。
「わぁ。それなのにいきなり挨拶ですか……ボクなら緊張で倒れちゃいそうですね。その子も大丈夫だと良いですけど」
「嘘おっしゃい。セシルは緊張とは無縁でしょう。わたくしはともかく、お父様やギルバート様の前でも物怖じ一つしないくせに」
「嘘じゃないですよ。流石に初めての挨拶の時くらいは緊張します。セリーヌ様のお父上のエルネスト様とはもう十年以上顔を合わせてますし、ギルバート様はセリーヌ様の婚約者じゃないですか。いつまでも緊張しっぱなしじゃいけないなと思って、普段通りを心掛けているだけですよ」
「本当かしら?」
じとーっとボクを疑いの眼差しで見るセリーヌ様の横で、ギルバート様が楽しそうにくすくすと口元に手を当てて笑っている。
「ふふ。安心していいよセシル。僕の妹が補佐に就くことになっているから、問題はないと思う」
「ギルバート様の妹ですか?」
「リュディヴィーヌ・ヘスペリス。出来の良い双子の妹だよ」
皇子が言うと同時に、檀上に一人の少女が姿を現した。
ざわついていたホールが、一瞬で沈黙に包まれる。
新入学生の視線を一身に浴びる少女は、セリーヌ様と同じ制服を身にまとっていた。
彼女こそギルバート皇子の妹であり、ヘスペリス女王の娘――リュディヴィーヌ様だ。
青色のリボンでワンサイドアップに纏められている兄と同じプラチナブロンドの髪が、ステンドグラスから射す日の光でキラキラと光っている。
そのせいか、威風堂々と立つ姿は神々しさすら感じるほどに美しかった。
「皆さん、本日は挨拶の機会を与えていただき、ありがとうございます」
ギルバート様と瓜二つのサファイアのような青い瞳で周囲を見回し、人懐っこい笑みを浮かべて挨拶をしたリュディヴィーヌ様の姿は、何故かボクを懐かしい気持ちにさせた。
どうして懐かしく思ったんだろう? 彼女の姿を見るのは殆ど初めてのはずなのに。
そう思った所で、ボクは気が付いた。
そっか。リュディヴィーヌ様はそっくりなんだ。声も髪型も、僕が護衛していたかつての皇女……現在のヘスペリス女王に。
娘なんだから似ていてもおかしくはないんだけど、それにしてもそっくりだ。
彼女の姿を見ていると、思い出が頭を過った。
そういえば、前世で護衛していた皇女殿下が入学する時、お祝いにリュディヴィーヌ様が付けているみたいなリボンをプレゼントしたっけ。
そうだ、セリーヌ様にも何か用意してあげようかな。今のボクにとっての主はセリーヌ様だし。
と、そんなことを考えている間にリュディヴィーヌ様が挨拶を終えて、万雷の拍手が会場を包み込んだ。
そして、彼女に促されるようにして一人の少女が舞台の中央に立つ。
「あのっ……こんにちはっ」
緊張した面持ちの少女が、透き通るような声で挨拶をする。
先ほどとは打って変わった、まばらな拍手がホール内に響き渡る。
周囲を見回すと、見覚えのない少女が代表として挨拶をしているからか怪訝そうな顔をしている人たちが目に入った。
「新入学生代表の挨拶をすることになりました、コレット・パーシヴァルです。入学生を代表し、学ぶ機会を与えて下さったヘスペリス王族の方々にお礼を申し上げます。私達新入生は、偉大な先輩達に少しでも追いつけるよう、頑張ります」
コレットと名乗った少女は、青みがかった黒髪が印象的な可愛い子だ。
たどたどしくも無難に挨拶を熟したコレット様はぺこりとお辞儀すると、慌ててリュディヴィーヌ様の方へと小走りに移動する。
「……どんな神童かと思っていましたら、普通の子でしたわね」
「そうだね。僕も驚いたよ。あの子が本当にあの難問を解いたのか、とね」
「難問って。テストの問題、そんなに難しかったんですか?」
「殆どの問題はきちんと勉強していれば解ける程度の難易度だったのだけれど……解ける人がいないと思うような、見たこともない問題がいくつかあったのよ」
「それこそ、その道の専門でしか解けないような問題でね。校長が王立学校のレベルの高さを誇示するために仕込んだ難問だったらしいのだが、コレットはそれを解いてしまった。カンニングを疑っても正解者は彼女しかいないし、怪しい魔法具や持ち物も一切見つからず、家や家族を調べても怪しい所は無かったそうだ」
つまりはコレット様は正真正銘、自分の力で問題を解いたということだ。
セリーヌ様の言うように普通の女の子に見えるのに……凄いや。
ギルバート皇子も興味をそそられているのだろう、コレット様の方を見つめている。
ヘスペリスの中で最も優秀と言われるこの学校で首席合格なんて、彼女はどうやってそんな学力を身に着けたんだろう?
その方法、教えてくれないかなぁ。勉強、あんまり得意じゃないんだよね。
そんなことを考えているうちに、入学式典はいよいよ最後のプログラムである校長の挨拶に入った。
「ヘスペリス王立学校の学校ジヌディーヌ・テュルゴーです」
恰幅のいい立派な白いあごひげの髪の毛の薄い老人が舞台の中央に立ち、スピーチを開始した。
その退屈さに、先ほど振り払ったはずの眠気が鎌首をもたげ、ボクの意識を刈り取ろうとし始める。
苦手なんだよねぇ、先生のスピーチって。騎士学校の時もそうだったんだけど、眠くなっちゃうのはなんでなんだろう。本当に不思議だ。
特に最近は仕事が忙しかったし、昨日は寝不足だったし、ボクはその眠気と戦うのに必死で校長先生の話なんて一言も頭に入ってこなかった。
ちらりと横に目をやると、ギュリヴェールが腕を組んで目を瞑ったまま真剣な表情を浮かべて眠っていた。
相変わらず誤魔化すのが上手いやつ……ほかの人からは神経を集中しているようにしか見えないだろうなぁ、あの寝顔。
その隣のギルバート皇子もボクの隣のセリーヌ様も真剣な顔をして話を聞いているので、ボクも眠る訳にはいかない。
ボクは自分の手の甲をぎゅーっと抓った。
その痛みのお陰で少し意識が覚醒してくる。
それと同時に、校長先生が胸を張ってにっこりと笑顔を浮かべた。
「いやぁ、それにしても本年の新入生たちは本当に運がいい。期間限定で、特別な教師が教鞭をとって下さるのですから」
特別な教師? と話を聞いていた生徒たちが首を傾げ、ざわつく。
「我が国の誇る最強最高の騎士隊――輝剣騎士隊。あの英雄たちが、君たちのために教壇に立ってくださいます」
一拍おいて、わぁっという歓声にも似た声と共に拍手が巻き起こった。
それを聞いて、校長が満足そうに笑顔を浮かべる。
「……輝剣騎士隊が教師に? 有事の際以外は王族の護衛を担当しているはずじゃ……?」
「ギルバート皇子とリュディヴィーヌ皇女が入学する年だから、学校内にいる方が護衛しやすいっていう、シャルからの意見でな」
眠気が一気に醒めたボクが思わず声を漏らすと、いつの間にか起きていたギュリヴェールが肩をすくめながら答える。
今わざわざ、シャルからの意見だってことを強調した?
そこで、ボクはハッとする。
数日前に聞いた輝剣騎士隊の面々の内、シャルを代表とする半数がリシャール様一派になったというギュリヴェールの話を思い出したからだ。
つまり、シャルたちがこの学校にやってきたのはリシャール様からの命令だ……ってことか。
「今ここにはいないが、改めて授業の前に名乗って下さるでしょう。その時を楽しみに」
「ギュリヴェールも?」
「いや。俺は皇子にべったり張り付いての護衛だ」
「セシル? ギュリヴェールさんとずいぶん仲良くなったのね?」
「ふぇ?」
「まさかとは思うけれど……恋人になった訳じゃないでしょうね?」
セリーヌ様が冷たい声色で呟いた瞬間、その隣にいる皇子から殺気が放たれた。
流石皇子、自分の護衛に女遊びは許さないんだね。ギュリヴェールにとっては厳しい上司ということになるのかな。ざまぁみろ。
これを機に、ギュリヴェールにはしっかりして貰いたい。特に女性を壁に追い詰めて顎を持ち上げる動作は未来永劫封印しろ。
「違う、違います。違いますからお願いします例の罰はお辞めください……!」
「セシル、どうなのだろうか?」
「ち、違いますよ。ギュリヴェールも輝剣騎士隊の一員……というか副隊長なんでしょう? だから、どうなのかなってふと思っただけです」
「しかし、やけに親しげに呼び捨てにしているが」
「それは、えと……そう、彼がそう呼んでくれって言ったので」
良い言い訳が思い浮かばなかったので丸投げすると、ギュリヴェールがボクのことを横目できっと睨んできた。
ごめん、ギュリヴェール。ボクはそういう言い訳は得意じゃないんだ。
ここは女性に言い訳をし続けて二十年とちょっとという熟練の技で、何とかこの場を切り抜けて欲しい。
「呼び捨てを頼んだ、と。ふむ。その真意を聞いても良いだろうか」
「や。皇子のフィアンセのメイドじゃないですか。いざという時にセリーヌ様も守らなきゃいけない可能性があるので、セリーヌ様のメイドであるセシルとは親しくなっておくべきかな、と」
「親しく?」
「決してッ。下世話な意味ではなく、連携を取りやすくすると言った意味合いで!」
「……それならいいが」
必死なギュリヴェールの言葉に一応納得したのか、ギルバート様は追及を辞めてため息を吐く。
流石だなぁ。完璧な言い訳じゃないか。
ボクが感心していると、ギュリヴェールが『覚えてろよ』と言いたげな顔でボクを見ていた。ごめんて。
それにしても、凄い騒ぎだなぁ。
入学式典は校長からのサプライズで、もはやお祭り騒ぎだ。
輝剣騎士隊と言えば、この国の危機を救ってきた憧れの対象だもんね。いわば物語で語られるヒーローのようなものだ。その人たちが自分たちの先生になってくれるというのだから、興奮してしまってもしょうがないのかもしれない。ボクにとっては複雑だけど。
騒ぎを納めることが不可能だと悟ったのか、ジヌディーヌ校長は挨拶を切り上げ、「解散とする、各自教室に向かうように!」と告げて檀上を降りてしまった。
それを皮切りに、生徒たちはまばらにホールを後にして教室に向かい始める。
「僕たちも向かうこととしようか。ギュリヴェール、案内を頼むよ」
「分かりました」
ギルバート皇子に促され、ボクとセリーヌ様も椅子から立ち上がって入口に向かった。