花の咲き乱れる場所
繚乱会への扉の前で、コレットは立ち止まる。
その肩は、わずかに震えていた。
怖いのは当然だ。それだけのことを彼女はしたのだから。
一人で敵意の中に飛び込んでいくのは、誰だって怖い。
やっぱり、年相応の部分もあるんだ。人の心を操った彼女でも、自分の心までは自在に制御は出来ない。
「安心していいよ」
「……何が」
「この中に居る人達は、とても優しいから」
「あのね。限度があるでしょ」
「自分の正義が、人を傷つけることなんて良くあることだ。これから手を取り合って、共に歩く仲間なんだから――謝ればそれで許してくれるよ。君の立場も理解してると思う」
「……」
つい、とコレットが扉に目を向ける。
きっと、彼女にとってそれは何よりも重厚で厳めしいものに見えているだろう。
それでも、コレットはドアノブへと手を伸ばした。
強いなぁ、と思う。
誰しもが逃げたいと思うことでも、僅かに戸惑うだけで選ぶことが出来るその精神力を、ボクは心の底から尊敬する。
まだ成人前の少女が、単身ヘスペリスに潜り込んで工作しろと言われてそれを見事に熟していたんだ。
「コレットは、凄いね」
「何、急に」
「ううん。味方になってくれて心強いなと思って」
「……ふん」
プイッと視線を逸らすコレットだけど、ボクの言葉を否定はしなかった。
ガラリと扉を開けて、コレットは部屋の中へと足を踏み入れる。そこに、戸惑いは一つもなかった。
「やっぱりコレットを呼びに行っていたのね、やっぱりわたくしもついて行けば良かったわ」
「……やっぱりって、気付いてたの?」
「皆で話してたんだよ~。セシルったら、今日、ずっとコレットを気にしてたもん♪」
「ああ。繚乱会の話をした時からコレットの方を見ていた。僕達も行った方が良かっただろうかと相談していたんだ」
「ま、お前らしいよな。俺でも分かるくらいなんだ、全員気付いてただろ」
どうやら皆にはバレバレだったらしい。ボクってそんなに分かりやすいのかなぁ。
「さて、早速だが中庭の話をしても良いだろうか」
「うん! ほらコレットもセシルも座って!」
「あ、でもお茶を淹れないと」
「私が淹れるわよ?」
「ううん。セリーヌちゃんと約束したから。すぐ済むしね」
奥へと向かい、お茶の準備をする。
ボクが朝に作っておいたお菓子も用意されている。さすがエリザだ、部屋から持ってきてくれたんだね。
リリィさんに習っておいたから、紅茶も美味しく淹れられるはず……。
習った通りに紅茶を用意して、みんなの元に戻る。
「あ、セシル! 早く早く!」
「待ちくたびれたわ。いい匂いがするんだもの。これが紅茶の香りなのね」
「はい。美味しいですよ」
ボクがテーブルにティーセットを置くと同時に、扉がバタンと開く。
入ってきたのは、シャルとウィルフレッド皇子だ。
「お、間に合ったようだな。本を探していたら遅れかけた。シャルロッテ殿に助けて貰って良かったよ」
「一人で不用心に歩いてるウィルフレッド皇子を見つけたんだ。繚乱会のために本を探してるっていうから慌てたよ。危うく参加し損ねるところだった」
「大丈夫だよ。おかわりはたっぷりあるから」
「座る場所はある?」
「予備の椅子も用意してある。自由に使ってくれて構わないよ」
「気が利くなギルバート皇子。ではセシルの隣を頂こうか」
「セシルの隣はわたくしに決まっているでしょう」
「もう片方は私のだもんっ」
「今日は給仕する予定だからあんまり座らないかなぁ」
「じゃあどこでも良いか。シャルロッテ殿、すまないが俺の分の椅子もとってくれ」
「分かりました」
おっと、二人分のカップを用意しなきゃ。
一度奥に行って戻ってくると、そこには、
真剣な表情で何やらギュリヴェールと相談するギルバート様が、
シリアと共に笑っているロシーユ様が、
こちらを気にしているエリザとシャルが、
クッキーを見てそわそわしているリュディヴィーヌ様とセリーヌちゃんが、
本を開くコレットとウィルフレッド様が、
一つのテーブルを囲んで座っていた。
それを見て、気付く。
ボクが見たかったのは――この光景だった。
皆で楽しく過ごせるこの繚乱会こそが、ボクの居場所だ。
「お待たせしました」
「ああ。ありがとう、セシル。それじゃあ、繚乱会の活動について、説明させて貰っても良いだろうか」
ギルバート様が良く通る声で声を上げる。
ボクはその声を聴きながら、その光景を目に焼き付けていた。
☆
夕焼けがオレンジ色に染める部屋の中で、ボクはカップを片付け終えた。
繚乱会が終わって、皆は帰って行った。
最初はエリザとシリアが後片付けをするって言ってたけど、これが最後にするからと無理を言って、ボク一人で片付けさせて貰ったのだ。
そのまま窓際に立つ。
繚乱会の部屋からは、中庭を彩る花達が広がっているのが良く見えた。
その光景をとても綺麗に思うと同時に、なんだか寂しく思える。
ぼうっと見つめていると、後ろの方で扉が開く音が聞こえた。
入ってきたのはセリーヌちゃんだった。
セリーヌちゃんはそのままボクの隣に移動すると、ボクの顔を覗き込む。
「片づけは終わったの?」
「あ、うん。そういうセリーヌちゃんは帰ったんじゃなかったの?」
「一緒に帰ろうと思って待ってたのよ」
「帰る場所は一緒でしょ?」
「ええ。でも、一人で帰るのはきっと寂しいわ」
「……そう、だね。うん、そう思う。きっと、寂しかったかな」
「そうよ。寂しい気持ちなんて、大切な人の傍に居れば忘れられるわ」
「うん、そうだよね」
「だから、わたくしはセシルの傍に居るの。ずっとね」
言いながら、セリーヌちゃんはボクの手をぎゅっと握った。
「なんだか、優しいね」
「そうねぇ。いつもわたくしは優しいけれど、今日はいつもの三倍増しね」
「いつもそれくらいで居てよ」
ボクがいつも通りの調子で返すと、セリーヌちゃんはボクの目をじっと見つめてきた。
……バレバレ、かな。
ボクはセリーヌちゃんから視線を外して、もう一度正面を見た。
そうしないと、塞き止めていたものが溢れ出そうだったから。
「……、覚悟は、出来てたんだよ。ロランの遺体が帰って来てから……目に見えて気力がなくなってたし」
ぽつぽつと語りだす。
ボクがロランの生まれ変わりだと知らないセリーヌちゃんは、ボクと彼の関係を深くは知らないはずだ。
それでも、誰よりも長い間傍にいてくれた彼女は……ボクの気持ちを一番良く理解してくれているんだろう。
「お母さんが死んじゃった時はさ、色々あってそれどころじゃなかったし、小さかったからか、考えることもなかったんだけど……大切な人が居なくなるってこんなに悲しいことなんだな、って……」
「……うん、そうね。とても苦しくて……悲しいわよね」
ぎゅっとセリーヌちゃんがボクの手を握る。
ボクは、その柔らかい手を握り返した。
「わたくしも、お母さまが死んでしまった時にね。凄く悲しかった」
「あ……ご、ごめん」
そうだった。セリーヌちゃんも、お母さんを亡くしてたんだった。
ボクが慌てて謝ると、セリーヌちゃんは微笑んだ。
「でもね、すぐに元気になれたの。なんでだと思う?」
「うーん……その分お父さんがいっぱい可愛がってくれたから、とか」
「ハズレ。正解はね、どこかのメイドさんがずっとわたくしの傍に居てくれたからよ。悲しんでるときも隣に居て、手を繋いで、支えてくれた。……そんな、大好きな人が傍に居てくれたから悲しみを乗り越えられたの」
大好きな人って……。
思わずセリーヌちゃんの方を見る。
セリーヌちゃんの表情は驚くほどに優しく、思わず見惚れる程に綺麗だった。
「だから、わたくしはこれから先もずっとセシルの傍に居るわ」
「……っ」
「セシルが大切な人を亡くして悲しんでいるなら、一番傍に居るのはわたくしでありたい。だって、セシルはわたくしが大好きだものね」
ずるいよ。その通り、なんだから。
きっと、セリーヌちゃんが傍に居てくれたら、悲しみも、辛いことも……どんなことでも、乗り越えられる。そんな気がする。
ああ、どうしよう。セリーヌちゃんの綺麗な顔をずっと見ていたいくらいなのに。
景色が滲んで、何も見えないよ。
セリーヌちゃんは、ボクの頬を伝う雫を指で掬う。
「……でもね、わたくしの勝ちよ。セシル」
「な、なにが……?」
「だって、わたくしの方がセシルを愛してるもの」
そして、そのまま。
セリーヌちゃんは顔を近づけて唇を重ねてきた。
どれくらい時間が経ったのか。
少し水っぽい音と共に、セリーヌちゃんが離れていく。
驚きや色々な感情に支配されて、気付けば涙は止まっていた。
「大好きよ、セシル。ギルバート様よりもウィルフレッド様よりもリュディヴィーヌ様よりも、わたくしがあなたを一番好き」
「セリーヌちゃ――」
「花嫁を奪った責任は、きちんと取ってね」
ボクの涙を拭った後、有無を言わせず、セリーヌちゃんはもう一度ボクの唇を奪った。
その勢いに、ボクは思わず床に倒れ込む。
それでも彼女は離れない。
伸し掛かられながら、ボクは温かく柔らかい唇の感覚とちゅっちゅっという吸い付く音を聞いた。
これじゃ、奪われたのはボクの方だと思うんだけど、なぁ。
本当に自信満々で、負けず嫌いで、自分勝手で。
――ボクの大好きなひとだ。
☆
一時間ほど経って、ボクは寮の自室へと戻った。
入るなり、エリザが奥から歩いてきて出迎えてくれた。大分遅くなったから心配させてしまったんだろう。
「おかえり、セシル。遅かったわね?」
「あ、う、うん。ただいま。ごめんね、遅くなって」
「それは構わないけれど……夕食はどうするの?」
「すぐ食べるよ。エリザは食べたの?」
「まだよ。準備するから、一緒に食べましょう」
「うん。ありがとう」
「ん……? セシル、首筋が赤くなってるわよ? 虫にでも刺された?」
「ふぇっ!? あ、ああうん! あの後花を見ていたというか、触れていたというかっ、その時に刺されたのかも!」
「それなら薬も用意しないといけないわね。とにかく、着替えたら?」
「そうします!」
「……? 変なセシル」
台所に向かうエリザの背中を見つめながら、ボクは首筋に手を触れる。
「……だから見える場所にはダメって言ったのに……っ」
「何か言った?」
「な、なんでもないよ!」
慌ててボクはクローゼットを開ける。
そして、首元に付いた跡を隠すような服を選んで、着替え始めたのだった。