終幕と開演
――揺れる小さな花の中で、ボクはじっと並んだ二つ墓を見つめていた。
片方には一か月ほど前に帰ってきた救国の英雄の名が刻まれている。
ボクはその隣に並ぶ墓のプレートに触れた。
アスランベク・グリアゼフ、ここに眠る。
その名前を見るたびに、じくりと胸が痛んだ。
これが人を喪う痛みなのだと、ボクは教わった。
アスランベクには色んなことを教わってばかりだったな。
剣の振り方から、人との接し方……マナーまで、全部教えて貰ったっけ。
その恩を、ボクは少しでも返せただろうか。
「お休み、アスランベク……息子の隣で、安らかに」
両手を合わせた後、ボクは踵を返す。
『ああ頑張れよ』。そんな言葉を聞いたような気がして、ボクは目頭を制服の袖で拭った後、王立学校の教室に向かった。
教室に入ると、ギルバート様、リュディヴィーヌ様、セリーヌちゃん、エリザ、ロシーユ様にシリアまで、集まって何か話をしているのが目に入る。
ボクはそーっとその集団に後ろから近付いた。
「……アスランベクが亡くなってから、元気がないわ。自宅でも物思いに耽ってる時が多いの」
「可愛がられていたからな……やはりショックなのだろうか」
「ここは繚乱会でお菓子パーティでも開くべきだよっ、セシル、お菓子好きだしっ」
「それは作る方じゃないのですの? わたくしがお願いしたら元気を出してくれるかしら」
「ここは私が告白を……!」
「落ち着いてくださいロシーユ様。何度も言いますが、セシル……様は、女性ですから……」
どうやら、ボクのことを気遣ってくれているらしい。
なんだかおかしくなって、ボクは笑いをこらえながら後ろから皆に話しかけた。
「ボクなら大丈夫だよ?」
それぞれが驚いた声をあげながら、ばばっと離れつつボクを見る。
「おはよ、みんな」
「びっくりしたぁ。こっそり近づくなんてひどいよセシルっ」
「なんだか話してるみたいだったから、聞いちゃいけない話ならそっと離れようかなって思ったんですよ。サプライズパーティとかなら聞かない方が良いですし」
「そ、それは確かにそうだけど……心臓が止まるかと思ったわよ。もう」
「ごめんね。はい、セリーヌちゃん。クッキー焼いてきたよ」
「……ありがと」
顔を赤くしながらセリーヌちゃんがクッキーを受け取ってくれる。
ふふん、そろそろ恋しい頃かなと思って作って正解だったね。伊達に幼い頃から一緒に居たわけじゃないんだよ。
「お茶も淹れようか?」
「あとで繚乱会の部屋で食べるから、その時にお願いするわ。お茶も用意してあるの?」
「うん。一度寮に戻らなきゃいけないけど」
「そう。それなら良いわ」
素っ気なくそんなことを言いながら、セリーヌちゃんがボクの手をきゅっと握ってきた。
可愛いなぁ、もう。
「繚乱会? なんだそれは」
ボクがセリーヌちゃんの手をにぎにぎしていると、ウィルフレッド皇子がとことこと近づいてきた。
女の子とお喋りするよりも繚乱会のことが気になったらしい。
「学校に大きな花畑があるだろう? あれはお母さま……女王陛下が作ったものでな。それを管理しようという集まりだ。僕が結成したもので、セリーヌやリュディヴィーヌ達と一緒に活動している」
「ほう! 面白そうだな。授業後だったか、俺も参加しても良いか?」
「……断る理由がないが……花の世話の仕方は分かるのかい?」
「放課後までに学んでおく。そうと決まれば本を読まねばな」
いそいそとフィルフレッド皇子が教室から出ていく。相変わらず忙しない人だなぁ。
「ねえねえセシル。私の分のお菓子はー?」
「リュディヴィーヌ様にはワッフルを作ってみました」
「わーい! セシル大好きっ」
セリーヌちゃんと反対側に座ると、リュディヴィーヌ様はボクの首に腕を巻き付けて密着してきた。ぐええ苦しい。
「セシルは相変わらずモテモテよね」
「留学してきた貴族とは思えない打ち解け方だな。元からセリーヌのメイドとして働いていたのも大きいだろうか」
「セシル様は仮面の騎士ですからね!」
「……ロシーユ様はそれに捉われすぎかとも思いますが……」
そんな声を聴きながら、ふと、その向こう側に座る一人の少女が目に入った。
コレットだ。
彼女はつまらなそうに頬杖を突きながら、窓の外から遠くを見つめている。
あの事件の以来、コレットは学園のアイドルのような振る舞いを辞めた。
そのギャップからだろうか、囲んでいた人達も一人、また一人と離れていき、最近ではああして一人で座っているのをよく見かけるようになった。
国のため、父のために異国の地に入って暗躍し続けた彼女の気持ちが、ボクには分かるような気がする。
ボクだって――最初はアスランベクに褒められたくて頑張ってたから。
「……、……ちっ」
視線を感じたのか、ボクの方を一瞬見たコレットは、露骨に嫌そうな表情を浮かべて椅子から立ち上がり教室から出て行った。
「セシル? 聞いてる?」
「あ、ごめん。なぁに?」
「今日の授業後、久しぶりに繚乱会に行くことになったけれど大丈夫かしら。貴女も落ち着いてきたでしょう?」
「うん、大丈夫だよ。じゃあ、授業が終わったら一度帰って茶葉を取ってくるよ。ほら、前に話したでしょ? プレイアスの紅茶のこと」
「ええ。用意してくれたの?」
「うん、お父さんに手紙を送ったら、送ってもらえたんだよ」
「『少しで良い』って書かなかったのは失敗だったわよね……しばらく飲み物は紅茶だけになりそうよ」
エリザが苦笑する。うん、お父さんに甘える時は気を付けようと思ったよ。まさか大量に送ってくるとは思わなかった。
どうやらお父さんはボクを想いすぎてやりすぎてしまうらしい。嬉しいんだけど、少し自重してもらうように気を付けないとね。
「では、紅茶は繚乱会でも飲むことにしよう。僕も楽しみにしているよ。……ちなみに、僕の分のお菓子はあるんだろうか?」
「ギルバート様にもクッキーを作ってきましたよ。好きっていってくださってたので」
「ありがとう……! 久しぶりに食べられるね。放課後が楽しみだ」
ギルバート様がにっこり微笑む。
相変わらずの破壊力なので、ボクは赤面しないようにまだ自分に抱き着いたままのリュディヴィーヌ様の柔らかい双丘の感覚に意識を集中した。
憎しみがふつふつと湧いてくるのが難点だけど、大体の感情はこれで制御出来るということを知ったのは大きい。まあ、この技が使えるのはボクの胸が大きくなるまでだから、残り数年ってところだろうけどね。
「セシルの胸はもう成長の限界よ?」
「人の心を読まないでくれるかなぁ……?」
「目の光が消えるから分かりやすいのよ。それに何年の付き合いだと思っているの? セシルの考えていることなんてお見通しよ」
「ぐぬ……ここから! ここからだから!」
憤慨するボクを見てセリーヌちゃんとリュディヴィーヌ様が楽しそうに笑い、ギルバート様とエリザ、ロシーユ様は苦笑していた。
……それにしても、繚乱会か。
セリーヌちゃんにギルバート様やリュディヴィーヌ様、ロシーユ様……そして、コレットが居て――楽しかったな。
気付けば、ボクはコレットが出て行った扉を見つめていた。
☆
「コレット」
「……何か用?」
授業が終わって、繚乱会の部屋に向かう皆に断ってボクはコレットを追いかけ、その背中に話しかけた。
ボクの声を聴いて、コレットは露骨に嫌そうな表情を浮かべる。ちょっと傷つくなあ。
「行こうよ、繚乱会」
単刀直入に用件を伝えると、コレットはその言葉を鼻で笑った。
「あそこにいる人達は、あたしの本性を知ってるって忘れてるわけ?」
「忘れてないよ。ただ、もう敵対はしてないから」
「セシルが教会で言ってたでしょ。ここはあたしの居場所じゃないって」
コレットがボクを睨む。
何か彼女は勘違いしているらしい。
ボクはその間違いを指摘する。
「まだ、が抜けているよ、コレット」
「え?」
「ボクはまだキミの居場所じゃないって言ったんだ」
「……それが?」
「ヘスペリスとプレイアスの同盟は成立した。コレットは……もうここにいて良いんだよ」
ボクの言葉を嫌味だと思ったのか、コレットが怒りをあらわにしながら近づいてきて、ボクの胸倉を掴んだ。
「こんな場所に居たいだなんて、あたしが望んでいるとでも思ってるわけ?」
「え、うん。普通に思ってるよ」
「はぁ? ふざけたこと言ってると、その首、へし折るよ?」
「無理だよ。ボクの方が強いから」
そう言った瞬間、コレットの手刀がボクの首に向かって飛んできた。
ボクはそれを手で受け止めながら、じっとコレットを見つめる。
「キミが今、その気じゃなくても、プレイアスとヘスペリスは手を取り合う未来を選んだ。君のお父さんも、渋々かもしれないけれどその方針に従ってるよ」
「くっ……! だから、なんだっていうの……!」
「コレットも意地を張ってないで、前みたいに一緒に花のお世話をしようよ。きっと楽しいよ。……繚乱会は、嫌いじゃなかったんでしょ?」
「っ……」
これはボクの想像だけど――コレットも花のことが好きなんじゃないかな。
ギルバート様たちに近づくために花の勉強をしたとも考えられるけど……ギルバート様が花の世話をしたいと繚乱会を立ち上げてから、時間もなかったのに、コレットは他の人に教えられる程度には花のことに詳しかったみたいだし。
その証拠に、あんなにボクに対して言い返してきてた彼女は黙り込んでいる。
ボクは首を狙ってきた手をそのまま握って、引っ張りながら歩き出した。
「ちょっ……」
「ほら、行こうよ」
「強引すぎでしょ! あのね、セシルが良いと思っていても、他の人がどう思うか考えないの?」
「最初は皆、警戒すると思うよ。でも、これから先ずっと避けて生きていく訳にも行かないでしょ? コレットは貴族なんだから」
「む……」
貴族は横の繋がりを大切するし、王族とも接することになる。同盟国である以上、ヘスペリスの貴族とも関わる機会はあるだろう。
コレットがパーシヴァル家の息女である以上、過去にひと悶着あったからってそこから逃げることは出来ない。彼女が家族を大切に想っているのなら、尚更だ。
それに気が付いたコレットは抵抗を辞めた。
「行こうよ」
「……はぁ。行きたくて行くわけじゃないから」
「うん。じゃあ、同じプレイアスの貴族が少なくて心細がってるセシル・ランスロットを助けると思って、とかどうかな?」
「ムカつく」
「なんでよ」
ぎろりとコレットがボクを睨みつける。でも、手は振りほどかれなかった。
ボクは苦笑しながら、コレットの手を引いて繚乱会の部屋へと向かった。