『エンゲージメント』④
「――先日発表されたプレイアスとの同盟に伴い、お互いの文化の交流を深めるために、わが校に留学生をお呼びすることに致しました。といっても、知っている方もいらっしゃるかもしれません。セシル・ランスロットさん。そして、プレイアスの皇子、ウィルフレッド様です」
「よ、よろしくお願いしましゅ」
「ふっ……ごほん。ウィルフレッドだ。学友としてよろしく頼む」
声が上ずった上に、盛大に噛んだ。
でも、それも仕方ないと思う。
だってボクが今いるのは王立学校の大ホール――入学式典が行われた会場の、檀上。緊張して当たり前だ。
慌てて頭を下げると、パチパチパチと拍手が巻き起こる。
ダンスパーティでギルバート様にナイフを向けたから怖がられてないかと心配してたけど、大丈夫だったみたいで、ボクはほっと安堵のため息を吐きだした。
寧ろ悲鳴どころか、わーわーと歓声が巻き起こっている。
「仮面の騎士様~! おかえりなさーい!」
「セリーヌ様は無事ですよー!」
ん……? あれ? なんか仮面の騎士とか呼ばれてない? ていうか何か歓迎されてる?
動揺して思わず硬直するボクに、ジヌディーヌ校長は柔和な笑みを浮かべた。
「さあ、あちらへ。皆さんがお揃いですよ」
「は、はい」
いわれるままに、ボク達はとことこと階段を下りてセリーヌちゃんたちの待つ方へと移動する。
「セシル、可愛かったよ! あんな短い挨拶を噛んじゃって~」
「だ、だって緊張したんですもん。人前で挨拶するなんて久しぶりですし……」
「お陰で笑ってしまったぞ」
「花嫁を攫いに来た時はもっと堂々としていましたわよね?」
「あれは必死でしたし……」
「まあ、二人とも無事挨拶が済んで良かったじゃないか」
「そうですね……それにしても、留学生かぁ」
ボクは改めて自分の身体に目を落とした。
セリーヌちゃんの着替えを手伝ったことはあったけど、まさか自分がこの制服を着ることになるとは思っていなかった。
「何か気になりますの?」
「そうですね。敵に防御面の薄さがちょっと気にかかるかもしれないです。剣で斬りかかられたりしたら大変ですね。冗談ですけど」
「学校生活でそんな事件に巻き込まれるようなことは――……あるかもしれないね」
ボクの冗談にギルバート様が苦笑する。
少なくともボクはこの学校で二回ほど戦いを経験したので否定できないと思ったのかもしれない。うん、ボクも言ってから思い出したよ。
「防護面を強化することを検討した方が良いだろうか」
「あら、陛下。この制服にご不満がありますの?」
「そうだよ~!」
くすっとセリーヌちゃんとリュディヴィーヌ様が笑いながらボクに抱き着いてくる。
再会してからなんだかスキンシップが多めだ。ふにゅふにゅと柔らかいものが当たること以外は別に良いんだけどね。当たること以外はね。
脂肪の大小にボクが憤慨していると、セリーヌちゃんとリュディヴィーヌ様がボクの腕を引っ張って、くるんとその場で回転させてきた。あわわ危ない。
すると、ギルバート様とウィルフレッド様が何やらボクから目を逸らした。
「……そうだね、可愛いと思う」
「……ああ、可愛いな。うん」
? 良く分からないリアクションだなぁ。
「いつも着る服ですもの。デザインの方が大事ですわよ」
「うん! セリーヌの言う通りだよっ。それに危ないことが有ったら輝剣騎士隊が守ってくれるし!」
あ、そうだ。それで思い出した。
「あの、なんだかボク、生徒のみんなに『仮面の騎士』って呼ばれて、歓迎されてるっぽいんですけど……どうしてなんですか?」
ボクが尋ねると、リュディヴィーヌ様が苦笑しつつセリーヌ様と顔を見合わした。
「……セシル、追放される直前のことを覚えてる?」
「あ、はい。勿論です。仮面の騎士の恰好をして、みんなの前で仮面を外されましたよね。だから仮面の騎士って呼ばれるのはまあ分かるんですけど、なんであんな歓声が起こるのかなぁって」
ボクはダンスパーティの場で、ギルバート様にナイフを向けた。
そんな相手が留学生としてやってきたんだ。批判はあれど、あんな歓声が起こるなんておかしいだろう。
ボクが疑問を尋ねると、セリーヌちゃんとリュディヴィーヌ様はゆっくりと説明してくれた。
「その一件はね、セシルがリシャール皇子に脅されていたことになっているの。『ギルバート皇子を害さなければ主人であるわたくしを殺す』って」
「そ、そうなんですか?」
都合の悪いことは全部リシャール皇子のせいになったのか。
彼がしたことは許せないけど、なんだか少し可哀想だ。
「お兄様も、セリーヌを危険から遠ざけようとした……ってことになってるんだよ!」
「セリーヌはセシルが追放されてからも新しいメイドを探さずに、信じ続けているという態度を取り続けていた。それどころか、取り戻すためにリシャール皇子と結婚までしようとした」
「その結婚式に、仮面の騎士だったセシルが乗り込んできて、セリーヌを攫ったんだよ~?」
「『仮面の騎士と輝きの剣』のお話の中にありそうな話でしょう?」
「しかもセシルの正体はプレイアスの貴族令嬢だった。ヘスペリスとプレイアスの貴族令嬢二人の、美しき友情物語が完成するという訳だ」
確かに、かなりドラマティックかも。
あまりにも出来すぎた話で信じられなさそうだけど、実際にセリーヌちゃんの結婚式に出席していた貴族達もいるはずだ。その人たちは、ボクがセリーヌちゃんを攫って行くシーンを実際に見ていたわけで……それが噂話として伝わってあの歓声に繋がったのかな。
「友情っていうか、中にはセリーヌとセシルが『ただならぬ関係だ』って噂も流れているみたいだけどね。それがまた熱気に拍車をかけているようだよ」
とことこと歩いてきたシャルの言葉に、セリーヌちゃんとボクは顔を真っ赤にした。
た、た、ただならぬって……!
「主従と性別を超えた愛情か。それは確かに、娯楽の薄い貴族方には受けが良いだろうな」
他人事みたいに言うウィルフレッド皇子とは違って、ボクは恥ずかしくなってセリーヌちゃんの方を見れなくなってしまった。
い、いけない、落ち着け。すーはーすーはー。
「こ、こほん、とにかく、セリーヌちゃんもボクも悪くは思われてないんですよね? それなら良かったです」
「うん。本当にね」
「ところでシャル。キミはどうしてここに来たんだろうか。何かあったのか?」
「エリザはセシルの荷物を寮に運ぶのに忙しいので邪魔も出来ないですし、今日の方が都合が良いかなと思いまして、休みをいただいたんです。約束、今日で良いかな?」
シャルがボクをじっと見つめる。
それって、もしかして――。
「デート、行こうか。セシル」
☆
一時間後、ボクは私服に着替えて英雄像の前に立っていた。
何故着替えるのか聞いたエリザに散々恨み言を言われたけれど、約束の時間には間に合ったみたいだ。
「セシル」
「あ、シャル」
手を上げて歩いてきたシャルの方にボクは駆け寄る。
「お待たせ。行こうか」
「うん。えーと、ボク、デートしたことないんだけど……」
「大丈夫、考えてあるから。行こう」
きゅっとシャルの手がボクの手を掴む。
引っ張られるようにボクは歩き出した。
どうやらシャルはどこに行くか決めているみたいだ。なら、ボクはそれに任せてついて行こう。
「ね。セシルはどういう食べ物が好きなの?」
「ピクルスが好きだよ」
「味覚はロランとはやっぱり違うんだね?」
「うん。大分変わったよ」
なんて、他愛のない話を手を繋いだまま、町の中を歩きまわる。
その途中で、ボクは目的地は無いんだろうということに気が付いた。
そして、理解する。シャルは、ボクとこうして歩いてるだけでも幸せだと、思ってくれてるんだ。
「? どうしたのセシル、ぼくの顔をじっと見て」
「ううん。シャルは美人だなーって思って」
「……もう、恥ずかしいよ」
言いながら、シャルがはにかむ。
「……こっち。来て、セシル」
「わ、わ、引っ張らなくてもいくから……!」
ぐいっと手を引っ張られながら連れて来られたのは、ヘスペリス城の中庭だった。
咲き乱れるサザンクロスの花達。
その中に、異質な――大きな墓が建てられていた。
プレートには、ボクの前世の名前が刻まれている。
シャルは、ボクの手を離すとその前に跪いて、手を組んで祈りのポーズを取る。
「……デートもしたかったけど、それ以上に、話したいことがあったんだ」
「……うん」
「エリザは、騎士の立場を捨ててでも――キミの傍に居ることを選んだ。そうだよね」
「そう、だね」
「そうやって、キミに躊躇いなく全てを捧げられるエリザが、ぼくはとても羨ましい。……昔からそうだった。同じ人を好きになってから、ぼくはエリザを羨んでばかりだ」
目をつむったまま、シャルがゆっくりと語りだす。
「ロランの一番傍にいたのは、いつでもエリザだった。副隊長と言われて、常に同行して……そんなエリザに負けたくなくて、ぼくは――ロランが死んだあとも、彼を一番に想っているのは自分だと証明したくて、残された言葉を誰よりも貫けるのは自分でありたいって思った」
「そう、だったんだ」
「うん。だから、敵対してでもエリザのことは認められなかったし、女王様の選んだ選択を、赦せなかった。……ロランはそんなつもりで、あの言葉を遺したんじゃないって分かっているのにね」
ロランは、シャルに別れの言葉を遺せなかった。
だからシャルは――せめて愚直に守ろうとしたのだろう。
『ヘスペリスの民の笑顔が守られれば、それでいい』。
自己を犠牲を正当化する、残される人のことを一切考えていない――バカな言葉を。
今のボクなら、分かる。
この言葉を遺される人達の――痛みが。
ロランがやるべきことは皆を護るために命を散らすことなんかじゃなくて……みんなを信頼して、一緒に生き延びることだった。
セリーヌちゃん、リュディヴィーヌ様、エリザ、シャル、ギュリヴェール、アスランベク、ギルバート様、ウィルフレッド皇子、お父さん、ロシーユ様、シリア……ほかにもいろんな人達がいて、ボクは今幸せなんだ。もしもこの中の一人でも欠けたら、きっとボクは悲しくて泣いてしまうだろう。
ロランはそんな単純なことに最期まで気付かずに……色んな人の心に、傷を残してしまった。
「……分かって、いるのにな。ぼくの根っこは今でも変わらない。ロランと共に歩んで、ロランの姿や、ロランの声が全てだったあの頃から、変われない……。セシルがロランだって分かっているのに、ロランの遺志を、ぼくが一番貫いていたい、そう思っちゃうんだ。それを、許してほしい」
シャルが笑いながらボクを見た。
なんでだろう。シャルは笑っているのに、どこか泣きそうに、辛そうに見えて――ボクはそんな顔を見たくないと、そう思った。
「エリザが、羨ましい。騎士を投げうってでもセシルの傍に居ることを選べるエリザが。ぼくには、出来ないよ……。騎士を捨てるなんて、ロランが居た場所を捨てることなんて……」
泣きそうな声でそういって、シャルはもう一度視線を落とした。
言葉が出なかった。
ただ、一つだけ分かること。
シャルはきっと、ロランのことを想っていたいんだ。これから先も、ずっと。
エリザは考え方がシンプルだ。好きな人の傍に居たいから居るし、そうすることで愛情を表せると思っている。
でも、シャルは違う。好きな人の意志や願いを汲んで、想い続けることが愛することだと思っている。
だからこそ、ロランが遺した言葉や場所を蔑ろに出来ない。
だったら、どうすればシャルの苦しみやエリザに対するコンプレックスを、少しでも和らげてあげられるんだろう?
言葉を口にするのは簡単だ。でも、それだけじゃ足りないような気がする。
シャルがロランを想い続けてくれたことに報いるためには……。
「……少し、待ってて。すぐ戻るから」
「セシル……?」
シャルにそういって、ボクは走り出した。
肺がつぶれそうな程全力疾走を続けて、自分の部屋に戻り、それを引っ掴む。
「セシル? どうかしたの?」
「はぁ、はぁ、ごめん、エリザ、もう一度出かけるから……」
「そう。分かった、いってらっしゃい。晩御飯はどうする?」
「……三人分、お願い出来る?」
「ええ、勿論」
優しい笑みを浮かべて、エリザがボクを見送ってくれた。
来た道をもう一度戻る。
走り過ぎてズキズキと胸が痛んだ。シャルがロランを喪った時の痛みに比べればきっと、どうってことない痛みだった。
もう一度サザンクロスの花畑に戻った頃には、すでに日が傾いて周囲はオレンジ色に染まっていた。
そんな光景の中で、シャルは心配そうにボクを見つめる。
「お、お帰り……大丈夫?」
「う、うん。大丈夫。はぁ、ふぅ、す、少し待って。息が、整うまで……」
「それは勿論。でも、それは……?」
シャルの視線が、ボクの握っている剣――ジュワユーズに向けられた。
呼吸が落ち着いてきたボクは、真っすぐにシャルを見つめる。
「――これは僕の剣。そして“輝剣騎士隊”のシンボルで……僕の全てだ」
「……うん」
ボクはその剣を、両手でシャルへと差し出した。
シャルがボクと剣を交互に見る。
「ま、待って。一体、どういう……」
「キミに、受け取って欲しいんだ。シャル」
「ぇ……でも、これ……っ」
「ありがとう、シャル。これまで僕のことを、想っていてくれて」
たぶん、これはボクにだけが出来ること。
死んだ時点から動かないはずのロランの意志を、伝えることが出来る。
「……そしてこれからも、想っていて欲しい」
「ぁ……っ」
ぽろ、とシャルの目から涙が零れた。
「キミに、僕の意志を託す。それと――今だけは特別に、ロランとして伝えるから」
ボクはこの時だけ、セシルを辞めてロランに戻る。
「キミを愛してるよ、シャル。僕の全てを受け取って欲しい」
セシルじゃないから、歯の浮くようなセリフを言っても恥ずかしくない。
そう自分に言い聞かせて、まっすぐにシャルを見つめてそう言った。
「ロラ、ン……っ」
「過去に選ばれることが、どれだけキミを喜ばせるかは分からないけれど、その剣がその証だ。婚姻の証にしては無骨だし、遅すぎるものだけど……受け取ってくれるかな」
「っ、っ……ロランだし、仕方ないよ。色気のあるものを渡されるなんて、想像したこともしたことないから」
泣きながら、シャルがジュワユーズを受け取ってくれる。
「酷いな。花くらいは渡すよ。こうして、さ」
足元の花を一輪手折らせて貰って、そっとシャルに差し出した。
シャルは涙をぼろぼろと零しながら、幸せそうな笑顔を浮かべてくれた。
僕はそれをとても綺麗だと思って、涙にぬれたシャルの唇に、そっとキスをした。
☆
暫く経って、ボクとシャルは並んでサザンクロスの花の中に座っていた。
既に空には月が昇っている。
ぎゅうっと子供が人形を抱くようにジュワユーズを抱いているシャルは、ぽつりと呟いた。
「晩御飯どうしよっか?」
「エリザに用意してもらってるよ」
「ふぅん、そうなんだ。じゃあ、この剣のこと自慢しちゃおうかな」
「ヤメテ……ボクの部屋の食卓に血の雨を降らせないで……」
微笑みながら悪戯っぽくシャルが微笑む。
良かった。元気、出たみたいだ。
「結婚していきなり寡婦かぁ」
「反応しづらいコメントやめてよ……」
「あはは、ごめん。でも、凄く嬉しかったから。全部が報われたような気分だよ。初めて――エリザに勝った気がする」
ジュワユーズを腰に付けて、シャルがゆっくりと立ち上がる。
「はーぁ、でも勝利の余韻には浸ってられないな」
「そうなの?」
「うん、勿論。だって、第二ラウンドはもう始まってるからね。今度はエリザだけじゃなくて沢山ライバルがいるし、前より頑張らないと」
シャルは振り返り、ボクに手を差し出す。
ボクはその手を握って立ち上がる。
すると、シャルは腕をボクの腰に巻き付けて、そのまま抱きしめてきた。
そして、耳元に唇を近づけてきて、甘い声色で囁く。
「過去のキミは、ぼくが貰った。もう誰にも渡さない」
「ひうっ!?」
ぞぞぞぞぞわってしたぁ! 何これ! 何これ!?
身体を震わせながら思わず至近距離のシャルの顔を見る。
「だから今度は、現在と未来のキミを、手に入れるよ」
「しゃ、シャルさん? あの、その、それって」
「うん。セシルが、大好きだってことだよ」
そうしてシャルはそのままボクの唇を奪った。
永遠に感じられる数秒の後、シャルがボクからそっと離れる。
「あ、あうあうあうあう、は、はぐ、うぐ!」
あああ、顔が、顔が熱い……ぃ……!
「あはは。何いってるか分からないけど、恥ずかしがってることだけは分かるかな。耳まで真っ赤になってて可愛いね、セシルは」
「はぐーーーーーーー!」
ボクの言葉にならない絶叫が夜空に響く。
もしかしてボク、恐ろしいものを目覚めさせたんじゃなかろうか……?
そんな一抹の不安を覚えながら、ボクはシャルに引っ張られて部屋に戻っていった。