『エンゲージメント』②
お風呂から上がって居間に向かう。
なんだかこの屋敷が懐かしく感じるなぁ。入学前にセリーヌちゃんにくっついて遊びに来て以来だ。
遠い昔みたいに思えるけど、まだ半年も経ってないんだもんね。不思議な感じだ。
ガチャリと居間への扉を開けると、そこには意外な人物がいた。
「ギルバート皇子……」
「……セシル。久しぶりだね」
そういうと、ギルバート皇子はボクに頭を下げた。
「お、皇子……! 頭を下げるなんて真似、辞めてください」
「……エリザやリュディに全てを聞いたんだ。キミが何をしていたのか、セリーヌが何故僕との婚約を破棄したのか。……全ては、僕の責任だ。キミやセリーヌを傷つけて本当に、ごめん」
「コレットが使う魔法のことも、聞いたんですよね? ギルバート様は魔法のせいで、正常な思考が出来なくなってたんですから、貴方が悪い訳ではありませんよ」
「仮にそうだとしても、僕が君たち二人を傷つけたことに変わりはない。下手をすれば、キミは死んでいたかもしれない」
「でも、そのおかげでロランはヘスペリスに帰ってくることが出来るようになりました」
ギルバート様がボクを不思議そうな表情で見る。
ロランが僕だったということを、彼は知らない。
その後ろでエリザやシャル、ギュリヴェールは小さく微笑んだ。
「それに……」
「――それに、セシルがプレイアスに来てくれたことで、プレイアスとヘスペリスの関係は、大きく変わる」
ボクの言葉を引き継いで、扉を開けて部屋に入ってきたのはウィルフレッド皇子だった。
「ど、どうしてここに?」
「リュディヴィーヌ皇女と共に来た。良いところだな、ヘスペリスは」
ふっと笑顔を浮かべると、ウィルフレッド皇子はギルバート皇子の前に立った。
「ギルバート皇子だな」
「……君は?」
「プレイアスの第一皇子、ウィルフレッド・アーサー・プレイアスだ」
「っ……じゃあ、キミがセシルの?」
「ああ、婚約者だ」
セリーヌちゃんが眉根を吊り上げてジロジロとウィルフレッド皇子を見る。
シャルは警戒心を露わにして、守るかのようにボクの目の前に移動してきた。あれれなんでそんな敵を目の当たりにしたみたいな反応なの? 皇子は仲間だよ?
「よろしくな。キミとは長い付き合いになるだろう。近い未来、お互いに国王として、ヘスペリスとプレイアス両国の平和を守れたらと思う」
ウィルフレッド皇子が手を差し出す。
ギルバート皇子はそれを握るかどうか迷うように自分の手を見つめていた。
「僕はまだ、国王になると決まったわけでは」
「なんだ、そうなのか、それは申し訳ない。早合点だったな。……同じ趣味の男として、近しいものを感じたのだが――それなら、問題はなさそうだ」
「それは、どういう意味だい?」
「そのままの意味だ」
……? 何のことを言ってるんだろう? 主語がないから何がなんだか分からないよ。
首を傾げるボクとは違い、ギルバート皇子にはウィルフレッド皇子が言ったことが理解出来たらしい。
彼は一瞬目を見開くと、慌ててウィルフレッド皇子の手を掴んだ。
「お、と」
「……お互いに、頑張ろう」
「はは。そうこなくっちゃな」
二人の王子の間で、バチリと火花が散った気がした。
なんだか争うみたいな空気だけど、同盟を結ぶんだから味方なんだけどなぁ……?
「鈍感……」
「ふぇ? シャル、なんか言った?」
「別になんでも」
ボクに向かって何か呟いたシャルは目線を逸らす。
何でもないなら良いんだけど……何か引っ掛かるなぁ。
もやもやしていると、今度はリュディヴィーヌ様がとてとてと部屋に入ってきた。
「あ、セシル、おはよ! よく寝てたみたいだね」
「あはは、疲れてたみたいで。おはようございます、リュディヴィーヌ様」
「うん。起きてたなら丁度良かったよ! ロシーユ、庭にお茶をお願いしてもいい? それと、皆も出てきて欲しいの。話したいことがあるから」
わざわざ中庭で……?
疑問に思いつつも、ボク達はリュディヴィーヌ様に従って中庭に出る。
相変わらず、綺麗な庭だ。サザンクロスの花が美しく咲いている。
そして、その花壇をバックに――リュミエール女王様が佇んでいた。
「……女王様」
「……彼女が?」
「はい、リュミエール・ヘスペリスです。ようこそウィルフレッド皇子。貴方がプレイアスの特使として訪れたこと、間違いありませんか?」
「――はい」
ウィルフレッド皇子が答えると、リュミエール様は優しく微笑む。
そんなリュミエール様に対して、シャルが膝をつきながら尋ねる。
「陛下、どうしてこちらに……?」
「娘より、マルス王からの手紙を受け取って拝見しました。貴方がここに来ることも聞いていましたので許可をいただいてお邪魔させていただきました」
あっ、庭の端の方でヴィニュロン子爵がシリアに介抱されてる。緊張のあまり倒れちゃったのかな。
突然フィッツロイ公爵家令嬢や輝剣騎士隊が押し掛けたんだ。それだけでも動揺していたろうに、トドメとばかりに皇女と女王陛下が訪れたら、そうなっても仕方ないだろう。
そしてごめんなさい。ここを指定したのはボクです。セリーヌ様がリシャール皇子と結婚式挙げる以上、王城は頼れなかったし、シリアとロシーユ様にしかお願い出来なかったんです。
「……では?」
「――まずは、昔の条約が果たされてから、という前提のものですが、その後なら……ともに、未来を歩めたら……そう思います」
「っ……、……ありがとうございます。国に戻ってすぐに準備に取り掛かります」
ぎゅっと、リュミエール様とフィルフレッド皇子が握手をする。
シャルがボクの手をぎゅっと握りしめる。
いたたたたっ、力強い……!
見れば、シャルはもう片方の手で涙を拭っていた。
そうだよね、ずっと待っててくれたんだ。
ごめんねとありがとう。その二つの気持ちを込めて、ボクはシャルの頭を撫でた。
「な、なんだか凄い場面に立ち会ってしまったような……」
「それどころか、ヴィニュロン家は同盟締結の場所になった訳だから……歴史的な建造物になるんじゃなくって?」
「な、なんだか凄すぎて訳が分からなくなってきました……」
ぷるぷると震えるロシーユ様をセリーヌ様が宥める。
プレイアスの貴族であるボクを助けてくれたことで同盟に繋がったと考えれば、子爵よりも上の爵位を与えられてもおかしくないくらいの功績なんだけど……それを言うとロシーユ様までパンクしちゃうかもしれないから黙っておいた方が良さそうだ。
「そして――セシル」
「は、はい。なんでしょうか」
「……ありがとう」
「え……?」
名前を呼ばれて思わず背筋を伸ばしたボクの手を、リュミエール女王はぎゅっと握りしめた。
「私は……ロランの遺体を取り戻す選択をしたときのことを、ずっと後悔していました。ヘスペリスのためではなく、私の個人の感情を優先して、間違えたんだと」
「そんなことはっ……!」
「ええ。そんなことはなかった。ヘスペリスとプレイアスが共に手を取り歩む未来に繋がっていた。私の選択は間違っていなかった。あなたが――正解にしてくれたのですよ」
ロランが永遠の忠誠を誓った主は、ボクの手を握ったまま涙を零した。
一国を統べる者の選択は、重たい。
彼女はきっとあの日から今日まで、ずっと心の中で苦しんでいたんだろう。
「だから……ありがとう」
「……はい」
涙をハンカチで拭ったリュミエール様からのお礼を、ボクは受け取る。
女王様はにこりと笑みを浮かべると、ボクの目を真っすぐ見ながら、
「セシル・ハルシオン。貴方には、リュディを護衛し、プレイアスとの同盟に導いてくれたことへの褒美を与えます」
「え……ほ、褒美?」
「女王の名において、貴方には爵位を与えます」
「――はい!?」
――突然、そんなことを言った。
爵位を与えるって……ボクを貴族にするってこと!?
な、なに? なんで? どうして突然!?
「ま、待ってくださいリュミエール女王陛下。セシルは、我が国の貴族です」
珍しくウィルフレッド皇子が狼狽した様子で前に歩み出る。
そんな彼に対して、リュミエール女王は先ほどまで涙を流していたとは思えない、強かな微笑みを浮かべた。
「存じております。ですが、セシルは我が国の民でもある……その民が、大仕事をやってのけたのですから、爵位を与えることも当然のことです。これは、公爵家以上の貴族、また輝剣騎士隊の皆にも了承を貰っておりますので、今さら取り消すことはできません」
な、ぁっ……!? そんなこと、一言も……!
ボクが思わず振り向くと、セリーヌ様やシャル、エリザにギュリヴェールまで、すっと目線を逸らした。
だ、黙ってたんだ。こんな大事なことを……!
「せ、セシルさんが貴族になる……ということは、結婚出来るということですかっ!?」
「落ち着いてくださいロシーユ様、女性同士です」
ロシーユ様も混乱のあまり良く分からないことを口走ってシリアに諭されている、ボクの頭の中も大パニックだ。
「し、しかし……!」
「さらに、公爵家フィッツロイ家の令嬢を命を賭して守ったこと。第一皇子の企みを未然に防いだこと――これらの功績も称え、貴方には、将来的にプレイアスとの大使を務めていただくつもりです」
「大使……!?」
が、外交担当の一番上の役職じゃないか――!
一介のメイドに任せるような職業じゃない。……あ、だから爵位を与えたのか!
いやでも待って。ボクはプレイアスの貴族令嬢の娘なわけだから……え、ええと、ど、どうなるの?
「陛下っ。セシルはプレイアスの貴族! その上、私の婚約者です! 勝手にこのような……」
「ええ、承知しております。ですが、プレイアスとしてもヘスペリスとの大使は必要になりますわよね」
「……そ、それが何か?」
「その役割は、互いの国を知っている方がなるべき……そちらも、セシルをその役割に置こうと考えていたのでは?」
ぎくり、とウィルフレッド皇子の表情が一瞬強張る。
……なるほど。大使になれば、ヘスペリス側にもプレイアス側にもある程度自由に往来できるもんね。
ウィルフレッド皇子やお父さんは、そこまで考えててくれたのか、それなら大使になるのも良いかもしれない。仕方ないこととはいえ、セリーヌちゃんたちと別れるのは嫌だったし。
「ですが、プレイアスにはもう一人、ヘスペリスに留学していた貴族がいらっしゃいますから、そちらに大使をお任せになればいいと思いますの。お連れになってくれるかしら、ギュリヴェール」
「畏まりました。陛下」
「っ……まさか」
ウィルフレッド皇子が目を見開く。
ギュリヴェールが連れてきたのは、もちろんコレットだった。
「ええ。今回の騒ぎに巻き込まれて、保護していましたが……」
コレットはボクの姿を見て、ぷいっと目を逸らした。
縛られてはいないが、丸腰でこの人数を相手にするわけにはいかないのだろう、コレットはおとなしくしていた。
「彼女にプレイアス側の大使を、セシルにヘスペリス側の大使を任せるのが、一番丸く収まる形だと思いますが、いかがでしょう?」
「……っ」
……なるほど。リュミエール様は暗に言ってるんだ。
ボクをこちらの国民として認めろ。それが、今回の事件の落とし前だと。
コレットの行為は、リシャール皇子の野心を利用したものでも看過できるものではない。何らかのお咎めは必要になる。
でも、これから同盟を組もうという相手に露骨な制裁を加えることはできない。だから、お互いに得がある形としてボクを引き合いに出したってところだろう。
流石女王様、考えてるなぁ。
「鈍感ですわね」
「なんでよっ!?」
今度はセリーヌちゃんにまで! ボクは何にも言ってないのに! 心の中を読まないでよ!
「同盟は結ぶべき……そうですわね、コレットさん」
「……どうしてあたしに聞くんですか?」
「……くっ」
もしも今から同盟が白紙に戻れば、喜ぶのは前王派だろう。リュミエール様は、わざとコレットに話を振ることで、それをウィルフレッド皇子に意識させた。
……ボクは勘違いしてた。
仲間として共に手を取り合う関係になったとしても、どちらが主導権を取るのかという綱引きがなくなる訳じゃないんだ。
そして今、どちらの引く力が強いかといえばそれは間違いなく――ヘスペリスだった。
現王派のマルス王からしてみれば、今さら同盟の話を無くすわけにもいかない。つまり、ロランの遺体が戻ってくることは確定している。
その上で、コレットとボクを使って優位な立場を作る……それが女王陛下の狙いなんだ。
ロランとして守っていた頃とは比べ物にならない政治力。これがヘスペリスを統べる女王、リュミエール陛下の今の実力だった。
「……我が国の人事を決めるのは王ですが――その意見は、我が王にしっかり報告いたします」
「お願いいたします」
にっこりと笑みを浮かべたリュミエール女王陛下へ、ウィルフレッド皇子は膝をついた。
「私はそろそろ王城に戻らねば。セシルも、後日城に来ていただけますね?」
「は、はい……必ず」
「それでは」
リュミエール女王が去っていく。
完全に彼女の後姿が見えなくなってから、ウィルフレッド皇子は立ち上がってリュディヴィーヌ様に向き直った。
「……よくもやってくれたな?」
「ふふん」
「……あの、何が、ですか?」
「セシルを貴族にしたのは、リュディヴィーヌ皇女の差し金だろう」
「そ、そうなんですか!?」
「当然だよ! セシルは私とハッピーエンドを作るの! 皇子にはあげません! セシルがヘスペリスの貴族になる以上、一度婚約関係は解消して貰うつもりだよ! 大事なのはセシルの意志だから!」
「流石だよ、リュディ。どうしたものかと考えていたんだけど、先に手を打ってくれていて良かった」
「ぼくもです。この恩義は、必ずお返しいたします」
ギルバート皇子に撫でられた上にシャルからも敬意を表されて、リュディヴィーヌ皇女はえっへんとでっかい胸を張る。ちょっと寄越せ。
婚約解消は助かるんだけど、何か企むなら本人に先に言っておいて欲しかったなぁ? 心臓が止まるかと思う程驚いたんですけど。
「でも、どうなってしまうのかしら? セシルは今、ヘスペリスの貴族であり、プレイアスの貴族でもあるのよね? こんな状態、聞いたことがないわ」
「……まったくだ。どうなるかは分からない。……だが、一つだけ言えることはある。――そちらがその気ならば、俺も容赦はしないということだ」
と、ウィルフレッド皇子がボクの肩に手を置いた。
何も考える暇もなく、
次の瞬間には、唇に柔らかいものが押し付けられていた。
――!?!?!?!?
な、な、なに、なに、なに!?
ちゅぴ、と水っぽい音がして、温かな感覚が唇から離れていく。
それが口づけだと気付いた時には、ボクはへなへなと腰を抜かしその場に座り込んでいた。
「あーーーーー!」
「セシルになにをしているッ!」
「婚約者に口づけをしただけだ。まだセシルはヘスペリスの貴族じゃないからな、今は俺の婚約者だ」
「今ここで処します。リュディヴィーヌ様、許可を」
「ええ、シャルに賛成ね。殺すわ」
「一度婚約解消することにはなるだろうが、セシルの意志で俺を選んでもらうまでのこと。セシルは渡さない」
「せ、セシル。拭いて、拭きなさいっ」
セリーヌ様にごしごしとハンカチで唇を拭かれる。
うぅ、頭が、頭が爆発する。なにこれ、なにこの展開ぃ……!
「セシル、今度は連れて帰るからな。それと、それが俺のファーストキスだ。良ーく覚えておけ」
それだけ言って、ウィルフレッド皇子が踵を返して去っていく。
わ、忘れられるかこの腹黒皇子……!
その背中に向けて、ボクは心の中で思い切り毒づいたのだった。