お出かけ
卑劣だ。そう言われても構わないと、生まれ始めて思った。
僕の名前はギルバート。ヘスペリス王国の第二皇子だ。
王位に執心して他人を傷つける兄、リシャールに疎まれてきたからか、僕は幼い頃から欲というものが薄かった。
特に王位には全く興味がない。欲に塗れた玉座に座る意味など、見いだせなかった。
勝手に兄と妹で王位を争ってくれればいい。そう思っている。
人混みだって嫌いだし、パーティだって王家の習わしでなければ開こうともしなかった。僕の容姿に惹かれて騒ぎ立てる女性にも、申し訳ないがうんざりしている。
そんな僕が唯一好きなもの。それは、花を眺めている時間だけだった。
昔から、母が育てている可愛らしい薄桃色の花――サザンクロスを眺めながら、お茶を飲む。それだけが、僕の癒しのひと時だったのに。
そんな僕が、初めて、どんな手を使ってでも手に入れたいと思うものが出来た。出来てしまった。
――ひらりと風に舞う、可憐な花を連想させる可愛い少女。
彼女は優しい微笑みと、礼を辞する慎ましさからは想像も出来ない勇ましさで、僕を暴漢から救ってくれた。
そんなセシル・ハルシオンと名乗った少女の傍に居たくて。
僕は、王族という立場を利用するという卑劣な手を使って、興味すらなかった彼女の主である公爵令嬢と婚約をした。
そうすればセシルの傍に居られる。考えていたのはそれだけだった。
それによって何が起こるのかなんて考えていなかった。僕は初めて、自分の気持ちに従って行動した。
セリーヌには悪いことをしているという自覚はある。
それでも、セシルの微笑みが僕の脳裏に焼き付いて消えてくれないのだ。
「皇子?」
呼びつけたギュリヴェールが、扉の外から呼びかける。
僕はそっと扉を開け、ギュリヴェールを迎え入れた。
「ギュリヴェール、今日も護衛を頼む」
「ご命令とあらば」
「信頼しているよ。今日もセリーヌの所に行こうと思っているから。だが、その前に一つ。君、セシルに近すぎやしないだろうか? 彼女はセリーヌのメイドなのだ。あまり失礼なことをしないように」
僕がじろりと睨むと、ギュリヴェールは先日の罰を思い出したのか、こくこくと何度も強く頷いた。
ああ、こんな嫉妬をするなんて、僕はなんて浅ましいんだ。自己嫌悪してしまう。
でも、こんな風に感情がかき乱されることは初めてで――それが、何故か心地よかった。
恋をすると、皆こうなるのだろうか?
他の人のことは分からないが、それでも僕はセシルに会いたい。
僕がその気持ちに突き動かされ、部屋を出ようと足を一歩踏み出したところで。
「あー……この流れで言うのは、非常に言いづらいんですが」
「うん? なんだろうか」
「今日、セリーヌ様はご友人の屋敷に遊びに行ったそうですよ」
「…………ギュリヴェール」
「はい」
「出掛けるのは、取りやめる。お茶を淹れてくれ」
「了解です」
僕は着ていた上着をベッドに放り投げ、椅子に座り込んだ。
はぁ、セシルの淹れたお茶が、飲みたいな。
そう心の中で呟きながら、僕はまた彼女のことを考えていたことに気付き、思わず苦笑いを浮かべた。
ギュリヴェールが淹れたお茶はかなり渋かった。
☆
セリーヌ様が、初めて友達の家に遊びに行く。
そんなイベントが予定されているのであれば、ボクの朝が早くなるのは自明の理だ。例え早起き当番が自分じゃなかったとしても。
朝から叩き起こされ、眠い目を擦りながら食事を急いで取ってから詰め込まれた馬車の中で、ボクはむすっとしていた。
「まだ膨れているの?」
「なんでよりによってボクが当番じゃない時に、友人の家に遊びに行くだなんて予定を入れるんですか。ボクが早起きするの苦手って知ってるでしょ、頭痛いんですよ朝は」
「セシルに早く会いたいからに決まってるじゃない」
「迷惑なんですが?」
「酷い。どうしてそんなことを言うの?」
えーん、とセリーヌ様が泣き真似をする。騙されると思うてか。
「というかそもそもお付きはボクじゃなくても良いのでは?」
「セシルじゃないとダメなの。パーティの時、セシルをロシーユに紹介出来なかったでしょう? だから今日こそは自慢しようと思って」
「うぐ……あの時のことを言うのはずるくないですか?」
「ふふ、ズルいって分かって言ってるに決まっているじゃない」
セリーヌ様が意地悪く笑う。おのれ性悪主。
「それにしても、わざわざセリーヌ様がロシーユ様の家に行くとは思いませんでした」
「どうして?」
「どうしてって、セリーヌ様は公爵でロシーユ様は子爵じゃないですか。ですから、呼びつけるのが普通かなと思いまして」
「あら、セシルは友人と遊ぶ時に身分を気にするのね?」
「ぅ、それは……たしかに」
「そんなことを考えてしまうから友達がいないのよ」
「その言葉は酷すぎません? 友達くらい普通に居ますしっ」
「へぇ? その人の名前を教えてくれるかしら?」
「……」
「セシル?」
「…………セリーヌ・フィッツロイっていうんですけど」
「……ふふっ、セシルったら可愛いわね」
ぐりぐりとお嬢様がボクの頭を撫でてくる。
ボクは涙目になることしか出来なかった。
ボク、もしかして友達居なさすぎ……?
「丁度良いじゃない。ロシーユのメイドと仲良くなりなさいよ。そうすれば早起きしたかいもあるでしょう?」
「……そうですね……」
悔しいけどセリーヌ様の言う通りだ。
セリーヌ様も友人と遊ぶわけだし、ボクもメイドとなら仲良くなれる気がする。
ここはご主人様の助言通り、友達作りに励んでみようかな。
「あ、でも、あんまり仲良くなりすぎるのもダメよ?」
「なんでですか?」
ボクが聞き返すと、セリーヌ様はボクの手をきゅっと握る。
そして、天使のような笑顔を浮かべて、
「セシルの一番は、わたくしでなきゃダメだもの」
そんなことを言った。
「それは、保証しかねます。同じメイドですからね。話も合うと思いますし」
「む。そこは『嬉しいです、セリーヌ様。貴女は一生、ボクの一番です』でしょう?」
「消去法で一番なだけですよ」
「むぅ……。……まあ、良いわ。貴女のような意地悪な子と一番仲良くできるのは、わたくしのような天使くらいのものだし」
「セリーヌ様のどこが天使なんですが。天使は気持ちよく寝ているボクを叩き起こしたりしませんよ」
柔らかな手を握り返して、ボクは視線をセリーヌ様から逸らす。
照れているのに気付かれて弄られたくないからね。
暫く手を繋いだままで居ると、馬車が止まり、扉が開かれた。
ボクは手を離して立ち上がって先に降り、セリーヌ様をエスコートする。
「よっ、ようこそ、セリーヌ様」
出迎えてくれたのは、声を裏返して挨拶をするロシーユ様だった。
栗色のふわふわとしたロングヘアーのロシーユ様は、灰色の瞳でボクとセリーヌ様を交互に見た後、小さな体をさらに小さくするかのように頭を大きく下げた。
「ふふ。ロシーユ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。今日は時間を作ってくれてありがとう」
「い、いえっ。セリーヌ様が来てくださって私、本当に嬉しいです。本当にありがとうございます」
嬉しそうなロシーユ様に、セリーヌ様が笑顔を返す。
そんなロシーユ様の後ろに、一人のメイドが立っていた。
黒い前髪をぱっつんと揃え、肩程までの短さに整えた女の人だ。
彼女は吸い込まれそうな黒い瞳でセリーヌ様の一挙手一投足に注目している。
ちらりと手を見れば、ふるふると震えていた。
見ているだけでドキドキしてしまうくらいの緊張っぷりだ。何か失敗をしてしまいそうだなって心配になっちゃうよ。
「紹介するわね。この子はセシル。手紙にも書いたと思うけれど、わたくしのメイドよ」
セリーヌ様に促され、ボクは頭を下げて名乗る。
「はじめまして、ロシーユ様。セシル・ハルシオンと申します。今日は友達を作りに参りました」
「えっ?」
「もうっ、何を失礼なことを言っているのセシルは。ごめんなさいロシーユ。この子ったら友人が居なくてね。貴女のメイドと友達になれるかも、と期待しているみたいなの」
「張り切って朝早くに起きてしまいました。どうぞよろしくお願いします」
よく言うわね、という顔でセリーヌ様がボクを見る。友達が居ないから作れって言ったのはセリーヌ様なのに、ひどい。
といいつつ、失礼になりそうなボクの言葉は後ろのメイドの緊張を和らげるためのものだ。
おおかた、『もしも公爵令嬢相手に粗相をすれば首が飛ぶ』とか思っているんだろう。
でも、彼女がロシーユ様のメイドである以上、これからセリーヌ様と会う機会は多くなるはずだし、そのたびに緊張されてはボクも困る。
という訳で、ボクは彼女に助け船を出す形で自己紹介をした。
「ふふっ、セリーヌ様が仰っていた通り、面白い方ですね」
おい主。ボクのことをなんて紹介したんだ。
じろりとセリーヌ様を見ると、セリーヌ様はニコニコと作り笑顔を浮かべていた。あの顔は都合の悪い時に浮かべるやつだ。
ぐぎぎと思っていると、ロシーユ様がぽん、と自身のメイドの背中を軽くたたく。
「紹介しますね。私のメイドのシリア・アズレーです。シリア」
「は、はい。はじめまして、シリアです。宜しくお願いいたします、セリーヌ様、セシル様」
「ええ、よろしくお願いするわね」
「よろしくお願いいたします、シリアさん」
「はい。では、こちらへ」
「セリーヌ様が来ると聞いて、ハーブティを用意いたしました。口に合うと良いんですけど」
「あら、ロシーユのその気持ちだけで美味しくなりそうね?」
「も、もう。セリーヌ様はお上手なんですから……」
シリアさんに案内されて屋敷の中に入っていく二人の後を付いて、ボクも屋敷の中に入る。
通されたのは、中庭だった。
綺麗な所だ。日差しが直接当たらない、心地よさそうな場所にテーブルと椅子が置かれている。
その奥には綺麗に整えられた花壇があり、そこには色とりどりの花が植えられていた。
その中にボクの好きな花を見つけて、ボクは気付けばそちらに近づいていた。
薄桃色の、可愛らしく咲いた花。
確か、名前は――。
「そのお花が、好きなのですか?」
「ロシーユ様。セリーヌ様は……?」
「セシルさんを呼んで欲しいと仰っていて……シリアがお茶を取りに行ってしまったので、私が。なんでも、お菓子を作って欲しいと」
「あー……分かりました」
「ふふ、セシルさんのお菓子は美味しいってお手紙に書いてありましたから、楽しみです」
「一生懸命作りますね。期待していただいて、ありがとうございます」
「いえいえ、それで、そのお花、好きなんですか?」
「……はい。とても可愛らしい花ですし。……昔、贈られたことがあって」
「そうなんですね。私も、王宮に言った時に可愛いなぁと思って。じっと見つめていたら、女王陛下が種を分けてくださったんです」
「女王陛下が、ですか」
「はい。とても美しい方ですよね。私、ドキドキしてしまって……女王様に頂いたものですから、上手に咲かせられて良かったです」
ロシーユ様が人差し指で優しく花びらを撫でる。
「お、お待たせ致しました」
「あ、ありがとうシリア。セシルさんがお菓子を作ってくれるそうだから、一杯分お茶を注いだら、セシルさんを台所まで案内して貰える?」
「ぁ、はい。畏まりました」
「セシル、飛び切り美味しいのをお願いするわね」
「お任せくださいませ、お嬢様」
シリアさんがお茶を注ぎ終わり、椅子に座ったロシーユ様とセリーヌ様がお喋りを始めたことを確認して、ボクはシリアさんと共にヴィニュロン家の台所に向かった。