『エンゲージメント』
「――ああ、こっちは滞りないよ。後はセシルが目を覚ますのを待つだけだ」
「そうか、分かった。中で待ってていいか?」
「だめよ。レディの寝顔を見ようとしないで」
「良いじゃねぇか。俺だって今回は頑張ったんだぞ! 寝顔くらい」
「貴様が見たらよからぬことに使いそうだ。許可できんぞ」
遠くで口論の声が聞こえて、ボクは目を覚ました。
……ああ、そうだ。セリーヌちゃんと一緒にロシーユ様の家に到着すると同時に、強行軍の疲労が限界に達して休ませて貰ったんだ。
流石に数日掛かる道を、馬を乗り変えつつ不眠で走り続けたのは無茶だったかなぁ。寝て起きた今でも体がぎしぎしと軋んで痛いや。
「セシル、大丈夫?」
「セリーヌちゃん……?」
すぐ横から声がしたのでそちらに顔を傾けると、吐息がかかる距離にセリーヌちゃんの顔があった。添い寝してくれてたらしい。
相変わらず美人だなぁなんてことを、ぼーっとする頭で考える。
「おはよう。ふふ、間抜けな顔をしているわよ?」
「んもう、失礼だよ」
「たしかにね。プレイアスの貴族にこんなこと言ったら、外交問題になっちゃうわね」
「あれ……? どうして知ってるの?」
「さっき、エリザさん……で良いのかしら? と、リュディヴィーヌ様がここにやってきて、全部説明してくれたの。ロシーユのご両親なんか、次々と大物が来るから大慌てだったわよ」
くすくす、とセリーヌちゃんが笑う。
ボクは思わず、その頬に手を伸ばして撫でた。
「……セシル?」
「ううん。守れて、良かったなぁって」
思わず、見つめ合う。
長い間離れていたからかな。こうして触れられる距離にいてくれるのが嬉しくてたまらない。
セリーヌちゃんはボクの手を振り払うこともせず……寧ろ、手を重ねて、きゅっと握った。
「セシルが、帰ってきて良かった」
「うん――」
「……あのね、セシル。わたくし……」
セリーヌちゃんが何か言いかけたところで、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「中から話し声聞こえないか?」
「セシルが起きたのかもしれないわ」
「っっ」
ばっと慌ててセリーヌ様が起き上がり、ベッドの横にある椅子に座る。
それと同時に扉が開いた。
そこには、エリザが立っていた。
「おはよう。よく寝ていたわね」
「あ、うん。えーと……どれくらい寝てたのかな」
「丸一日よ。死んだように眠ってたわ」
う。そんなに寝てたのか。
もしかして身体がぎしぎしするのは動きすぎじゃなくて、寝すぎたから……?
「エリザはどうしてここに?」
「貴女が慌てて飛び出して行ったと、ウィルフレッド皇子とカエクスさんから教えて貰って急いでリュディヴィーヌ様と一緒に戻ってきたの。……慌ててたのは分かるけど、国境沿いの兵士を突然蹴散らして馬を奪って乗り換えるのはどうかと思うわよ。後始末が大変だったんだから」
「う。ごめん」
確かに無茶しすぎたかな……兵士さんごめんなさい。急いでたんです。
「まあウィルフレッド皇子が面倒ごとは全て何とかするって言っていたから大丈夫だと思うわよ。とりあえず、着替えを持ってきたわ」
「ありがとうエリザ。助かるよ」
「私はセシルのメイドになったんだから当然よ」
なぜか鼻高々に言うエリザを、後ろに立っていたシャルが睨みつける。普通メイドになったって胸を張るようなことじゃないと思うんだけど……?
そんな一触即発ムードの二人の後ろから、ひょこっとロシーユ様が顔をのぞかせた。
「セシルさんが起きたんですか?」
「ええ。お風呂の準備をして貰ってもいいかしら」
「分かりました。シリア! セシルさんが起きたって! お風呂の準備をしましょう!」
ありがたいなぁ。一日中走り回った上にそのまま倒れるように寝ちゃったから、詳細は省くけど今のボクはなんというか酷い状態だ。
ベッドから降りて、ボクはぐーっと伸びをする。体のいたるところが鈍い音を立てた。
「エリザ、着替えはどこにあるの?」
「持ってくるわ。待っていて」
ぱたぱたと走っていくエリザを見送って、シャルがむーっと眉根をひそめながらボクに近づいてくる。
「まずはお疲れ様」
「う、うん。戻ったよ」
「……色々言いたいことはあるけど」
シャルは大きくため息を吐きだした。
「まずは、報告からだね」
「うん。よろしく。コレットはどうなったの?」
「とりあえずコレットは捕まえた。この家に居るよ。キミの指示通り、関係者以外にはプレイアスの貴族だということは伏せてある」
「ありがとう、助かるよ」
もしもコレットの正体がバレたら同盟どころの騒ぎじゃなくなるだろうし、内々に処理するのが一番だと判断してこっそり捕まえて貰った。
シャルは手際が本当に良いから頼りになるよ。
「それから、リシャール皇子も捕縛したよ。彼は今、王城の牢屋に入れられている。……コレットが自白したことで、女王やギルバート皇子を害そうとしていたことが分かったからね」
「……リシャール皇子」
「セリーヌ様、気に病むことはありませんよ。コレット・パーシヴァルによる魔法で、セリーヌ様は正常な状態ではなかったと分かっています。コレット本人が自白しましたから」
「でも、わたくしがギルバート皇子との婚姻を破棄して、すぐにリシャール皇子と式を挙げようとしたのは事実ですもの」
「安心してください。教会での一件もあった上に、女王様から『セリーヌ様は自分の従者を守るため、リシャール皇子に無理やり婚姻させられた』――と説明があったので……悪い噂どころか、自分の従者を守るために身体を張った優しい主になったと思いますよ」
明らかに普通じゃありませんでしたしね、とシャルが付け足す。
そっか……良かった、のかな。
セリーヌ様もほっと胸を撫でおろしている。きっとコレットの魔法についても説明があったんだろう。
「女王様から発表があった、ってことは……リュミエール様は……?」
「うん。リシャール皇子の悪事を確信したみたいだ。お優しい方だから、最後まで息子のことを信じてただろうけど」
「そうだね。そういう人だから」
「うん。礼拝堂の兵士達も、皇子が逮捕されたら大人しくなったよ。後は……プレイアスとの会談がどうなるか、だね」
「そっちはきっと大丈夫。上手くいくよ」
「……うん。報告は終了。……おかえり、セシル」
報告が終わると同時に、シャルがボクをぎゅっと抱きしめる。
「心配してくれてありがとう、シャル」
「ほんとだよ。でも……今度はしっかり帰って来てくれたから、それでいいや。後は一緒に出掛ける約束のこと、忘れてないよね?」
「もちろん覚えてるよ」
ボクが言った瞬間、何故かボクの後ろに立っていたセリーヌちゃんから凄まじい圧が離れた始めた。なんで?
「……セシル? それってデートかしら?」
「で、デート? いや、あの。助けてくれたお礼に、出かける約束をしてた、んだけど……」
「デートですよ。二人きりで、ね?」
ぎゅっとシャルがボクの腕に抱き着いて、にこっと微笑む。
な、何故? 何故二人きりを強調するの?
セリーヌ様の表情が段々と無になっていって怖いし……! さっきまでの優しい表情はいったいどこに?
その時、奥からロシーユ様の「セシルさーん、お風呂が沸きましたよ~」という声が聞こえてきた。
しめた! 逃げるチャンスだ!
「あ、お風呂沸いたみたいなので、ボク入ってくるねっ」
「あ、こら、セシルっ!」
「流石に匂いとか気になるし、早く着替えたいから! ごめんねセリーヌちゃん!」
「まったくもうっ、女のくせに女たらしなんだから!」
そそくさと浴室へ逃げ出すボクの背に、いわれなき誹謗中傷が降り注ぐ。
失礼な。まるでボクがギュリヴェールみたいじゃないかっ。
ボクは心の中で憤慨しながら、お風呂に向かった。