ヒール・アクトレス
「確かに、ギルバート様は酷いことをしたとは思いますわ。でも、当てつけのように、ねぇ?」
「ええ。それも、婚約破棄から翌日には発表して、それから数日でもう式ですもの」
「これじゃ、まるで――」
物語に出てくる、悪の令嬢そのもののようです――と。
礼拝堂に向かって歩くわたくしに、そんなひそひそ声が聞こえた。
身にまとった純白のドレスが、まるで拘束具のように感じる。
リシャール皇子の良いうわさは殆ど聞かない。王になることに固執し、他者を利用し陥れることも厭わないらしい。
そんな男で良いのか――とお父様はわたくしに尋ねた。
おそらく、わたくしの気持ちを全て理解した上で“セシルを救うのにそこまでするのか”という意味だったと思う。
その問いに対して、わたくしは迷うことなく頷いた。
この婚姻の先に、何が待っていたとしても――セシルが傍に居ない人生よりは辛くはないと、そう思うから。
「セリーヌ様っ! お待ちください……!」
兵士に止められながら、ロシーユが遠くから声をかけてきても、わたくしはそれを無視して歩みを進める。
礼拝堂の中に入ると、そこには大勢の人が座っていた。
その人たちはわたくしに拍手を向けていたが、その視線はとても冷たい。
『どうして、フィッツロイの令嬢は、ギルバート様にこの上ない無礼を働いたのか』。彼らの目は、そう物語っているかのようだ。
ギルバート様との婚姻が温かく迎え入れられていた分、それを一方的に破棄してすぐにリシャール皇子との婚姻を結びなおしたわたくしに対する風当たりは相当に強いらしい。
でも、そんなことはどうでも良かった。
たった一人がわたくしの傍に居てくれるのであれば、それで構わない。
数段高い所には、リシャール皇子が待っている。
その手前、最前列にはコレットがにっこりと微笑みながら座っていた。
段を上がる。
ヴェール越しに、近くで見たリシャール皇子の目はギルバート様の兄であるというのに、彼とは似ても似つかないほどに冷たいものだ。
「とんとん拍子に進んで良かった」
「……約束は、守っていただけますわね」
「ああ。君のメイドのことだろう? もちろんだとも……では、始めようか?」
扉が、閉まった。いつか、わたくしとセシルを別った時のように。
神父が口上を始める。
永遠の愛を誓うか。互いを支え合うことを誓うか。
そんな儀礼上だけのやりとりに、わたくしは人形のように「はい」を繰り返した。
「では、誓いの口づけを」
神父の言葉に、リシャール皇子がわたくしのヴェールを持ち上げる。
数秒間だけ苦痛に耐えれば、その後セシルが帰ってくる。
それでいい。それが正しい。
――そうよね? セシル。だから……わたくしを針の筵から、助けて。
リシャール皇子の手がわたくしの頬に触れる。
わたくしは思わず身体を震わせた。
皇子の顔がゆっくりと近づいて、
「――その結婚、待った!」
礼拝堂の扉が勢いよく開く。
まるでわたくしの願いを叶えるかのように、その人は光の中に立っていた。
国家反逆者と呼ばれても、わたくしを助けに来てくれた――わたくしの騎士の名前を呼ぶ。
「セシル!」
「その結婚は謀略の上に成り立つ偽りのものだ! だから――花嫁は貰っていく!」
ぽろぽろと涙があふれ出る。
「――国家反逆者だ! この場で処刑しろ!」
「っ、待って! セシルを助けてくれるという条件でこの結婚を了承したのに、そのセシルを傷つけようというのですか!?」
「結婚式の妨害をした者を助けられるか!」
皇子の声に反応し、兵士がセシルに斬りかかる。
その兵士達を、セシルは腰に提げた剣を素早く抜いて弾き飛ばした。
「無駄な血は流したくはない。――でも、邪魔をするというのなら容赦はしない」
放たれる威圧感に、兵士達が怯む。
その隙に、セシルはわたくしの方に駆け寄ってきた。
わたくしもセシルの方に行こうとして――その前に、何者かが立ち塞がった。
コレットだ。
一瞬だけ見えた彼女の顔には笑顔など一切ない、獰猛な、天敵に牙をむく獣のようだった。
「どうやってここまでたどり着いたのかな。セシルは」
「……プレイアスの皇子に協力してもらったんだよ。コレット・パーシヴァル」
突然の出来事に静まりかえった礼拝堂に、セシルとコレットの声だけが響く。
わたくしには何のことだか全く理解も出来ないけれど――コレットはそれですべてを悟ったようだ。
コレットは倒れた兵士の剣を拾い上げると、セシルに切っ先を向けた。
「あたしは、どうやってセリーヌのことを知ったのかって聞いてるの」
「キミの父が話してくれたんだよ」
「――なんですって?」
「ヨハン・パーシヴァルは敗北を認めた。もう茶番は終わったんだよコレット。キミ達親子の企みは、もう潰えた。この先に待つのは、ヘスペリスとプレイアスが手を取り合う未来だけだ」
「……ほんっと。いつもいつもいつも邪魔して。――ウザいよ、セシル! お父さんの邪魔をしないで!」
「――もう一度言うよコレット。もう、終わったんだ。キミ達は負けた。だから、剣を捨てて投降しろ」
「っ! 誰が降参なんか!」
目にもとまらぬ速さでコレットが剣を振るう。
セシルはそれをいともたやすく弾いて、コレットのお腹に剣の柄を叩きつけた。
「が、ふ……! ……っ……お父様……ごめん、なさい……」
「キミ達の安全は保障する。だから円卓に帰ろう、コレット。ここはまだ、キミの居場所じゃない」
どさ、と倒れたコレットをその場に寝かせて、セシルがわたくしを見た。
「セリーヌちゃん!」
「セシルぅ……!」
今度こそ、わたくしはセシルに駆け寄って抱き着く。
セシルは優しくわたくしを抱きしめてくれた。
「遅くなってごめんね。ロシーユ様に話をしていたら、遅くなって……」
「ぐす……バカっ……ばかばかっ! わたくしを一人にしないでよ……! わたくしは、貴方が居ないと……ダメなのに……!」
「そうだね。セリーヌちゃんはボクが居ないとリボンだって結べないし、ピクルスだって食べられないもんね」
「ピクルスは嫌いだから、貴方居ても食べないわよっ」
憤慨するわたくしを、笑いながらセシルは抱きあげる。
いわゆる、お姫様抱っこの恰好で。
「せ、セシル……!?」
「ごめん、セリーヌちゃん。このままゆっくり話したいけど――そういうわけにもいかないから」
セシルの視線の先には、結婚式をめちゃくちゃにされて激怒しているリシャール皇子が立っていた。
「……花嫁を攫うだと? ふざけやがって……貴様は万死に値する。誰か、こいつをこの場で処刑しろ! この俺様の覇道を阻む者は、何人たりとも赦さん――!」
「逃げるよ」
わたくしを抱き上げたまま、セシルは入り口に向かって走り出す。
しかし、式場を守っていた兵士達がぐるりとわたくしたちを取り囲んだ。
「止まれ!」
「セシルっ。わたくしなら大丈夫、殺されはしないから、今は一人で逃げて!」
「ううん。ボクはもう、セリーヌちゃんを置いてどこかにいったりしないよ。それに――その必要もないしね」
セシルはわたくしに優しく微笑む。
そして、目線を上げて自分を取り囲む兵士の向こう側に目を向けた。
「――だよね? ギュリヴェール!」
「ああ、任せな。お前の行く手を阻ませはしないぜ」
ズドンッ! と兵士たちが吹き飛んだ。
セシルはそのまま兵士たちの囲いを突破すると、剣を抜いて構えるギュリヴェール様の隣に立つ。
「信じてたよ。ギュリヴェール」
「はは。可愛い女に命令された方が張りが出るからな」
「バカなこと言ってないで身構えなよ。相手は多いんだ。油断したらケガするよ」
「へいへい。了解!」
「くっ……! ギュリヴェール! 貴様、ヘスペリス王族であるこの俺を裏切るのか! さっさとその女を処刑しろ!」
「すみませんねぇリシャール皇子。でも知ってるんじゃないですか? 俺が女に目がないって。特にこんな可愛い子なら、肩入れするなって方が無理なので」
ぐい、とギュリヴェール様がセシルの肩を抱く。
た、助けてくれたとはいえ、わたくしのセシルに触れるだなんて……!
あ、セシルも顔を赤くしてるじゃない! 何を照れているのよっ。
「ギュリヴェール……っ、調子に乗るなっ」
「そうだよ? ギュリヴェール。セシルに触れてる暇があったら、コレットを確保した方が良いんじゃない?」
後ろから氷点下のような冷たい声が聞こえて、ギュリヴェール様がぎくりと背中を伸ばす。
その声の主は、輝剣騎士隊の現隊長――シャルロッテ・レストナック様だった。
シャルロッテ様は馬の手綱を引いた状態で、ギュリヴェール様を冷たい目で見つめている。
「シャルの方は終わったのか」
「勿論。抜かりないよ」
「ありがとう、シャル。ごめんね、人づてにいきなり」
「ううん。いきなりロシーユ嬢のメイド……シリアさんだっけ? 彼女が王宮に尋ねてきた時は驚いたけど、セシルからの頼みなら断る理由はないよ」
シャルロッテ様が親しげにセシルに笑みを向ける。
わたくしはわけがわからず、セシルのことを見上げることしか出来なかった。
「セシル、一体何の話ですの?」
「説明は後にするね。今は、セリーヌちゃんを安全なところに連れて行く」
「安全な所……?」
「ロシーユ様のお屋敷だよ」
「ロシーユの?」
「うん。シャル、ギュリヴェール。そっちのことは任せたよ。手筈通りにお願いね」
「あぁ、任せな!」
「了解!」
セシルがわたくしをシャルロッテ様の連れてきた馬の上へと乗せた後、自らも前へと乗る。
「いくよ。セリーヌちゃん」
「……うんっ」
いろいろ聞きたいことはあったけれど、そんなことはもうどうでも良かった。
ただこの小さな背中がとても頼もしくて、腕を回してぎゅっと抱き着く。
それを合図に、馬が走り始めた。
「ねぇ、セシル」
「なに?」
「わたくし、攫われるのなんて初めてだけど、意外とわくわくするものなのね」
「そうなんだ? じゃあ、今のうちにたっぷり味わっといてね。もう二度とこんな機会は無いから」
「……ふふ、そうね」
だって――これからも貴方が傍に居て、わたくしのことを守ってくれるんだもの。
腕にそんな想いを込めて、抱きしめる。
愛しいその体を、思い切り、ぎゅっと。