円卓を統べる者
ヨハン・パーシヴァルには、矜持があった。
自分こそが貴族の筆頭であり、国を動かすべきだと思っている彼は、その矜持を元に様々な策謀を張り巡らせてきた。
愛しい娘を一度敗れた隣国に送り込み、自国に有利な王子に王位継承者とさせて傀儡とする計画もその一端だ。
その後すぐマルス王から王位を奪い、前王の遺志を継ぐものとして自分が頂点に立てばいい。そうすべきだと思っているし、出来るとも思っている。
だが、そんな彼が『勝てない』と思った男が、一人だけいた。
カエクス・ランスロット。
一度崩れかけたプレイアスを、その才知と人脈を持って立て直した自分の覇道を阻む男。
その障害は、排除したはずだった。
はずだったのに。
「――皆、迷惑を掛けた」
――どうして。
今自分の目の前には、カエクスが立っているのか。
ヨハンは思わずテーブルの下で拳を握りしめる。
そんなの決まっている。
先日訪れたあのリュディヴィーヌ皇女とマルス王が結託して何かをしたのだ。
「カエクス――! 遅いではないか!」
ダンストンが歓喜の声を上げると、それに呼応したかのように他の貴士たちも立ち上がり、万雷の拍手でもってカエクスを迎え入れる。
それを見て、満足そうにマルス王が微笑みを浮かべた。
「すまないな、ダンストン。……だが、赦してほしい。お前たちも知っているように……私は妻と子を失い、もう二度と表舞台には出まいと思っていた」
「では、何故戻ってきてくれたのだ?」
「娘に、格好悪い所は見せられぬのでな」
「――娘?」
「ああ、紹介しよう。妻、ネリアが生き延び、そして育ててくれていたわが娘……セシルだ」
扉が開いて、一人の少女が男性に手を引かれて円卓の間に入ってくる。
「ウィルフレッド皇子!?」
思わず声を上げたのは、ミアだった。
それを皮切りに、室内にざわめきが広がる。
「何っ!? 彼が噂のマルス王の……!? 初めて見たぞ!」
「病気がちでまだ社交の場にすら……」
「初めまして皆さん。こうして公式の会合の場ではお初にお目にかかるかな。ウィルフレッドだ。以降、父、マルス王の補佐としてこの場に参加させていただくことになります」
そして、畳みかけるようにウィルフレッドは告げる。
「そして、こちらが今、紹介に上がったカエクス卿の一人娘……セシル。俺の婚約者です」
「な、に……!?」
思わずヨハンが声を上げて立ち上がると同時に、華奢な亜麻色の髪の少女は、ドレスの裾を摘んで優雅にお辞儀をする。
「改めまして、セシル・ランスロットと申します」
「……まさか。彼女は先日の」
「ええ。リュディヴィーヌ様の護衛を務めていた“ドラゴンスレイヤー”……!」
「あの子が……カエクス卿の娘……!? そんな、ことが……」
「運命、と言えばよいのかな。全くどんな奇跡が重なればこんなことが起こるのか。私自身、いまだに信じられない」
こんな奇跡なら何度起こってくれてもいいがね――そう呟いてカエクスが娘の頭を撫でるのを、ヨハンは呆然として見つめることしか出来ない。
一体何が起きている? こんな事態、予測できるはずがない。
「……では、カエクス卿のご息女と、王位継承第一位であるウィルフレッド様が……婚約したということですか」
「そうなる」
「ッ……! そんな重要なこと、我々に相談もなし、で……!」
「何か異論があるのか? ヨハン。私の娘が皇子と婚約を結ぶのに、お前の許可が必要とは思えないが」
「ぐっ……ぅ!」
冷や汗が噴き出すのを感じながら、ヨハンは口を噤むことしか出来なかった。
――悪魔のような一手だ。前王派の敗北を決定づける突然の不意打ち。防ぎようのないチェックメイトといってもいい。
父親に撫でられ、くすぐったそうにしているあのセシルという一人の少女が、皇子と婚約した……それだけで身動きは取れなくなった。
この婚約には、二つの意味があるからだ。
一つ目は、カエクスが王族と結びついたこと。
カエクスが居ない状態でかろうじて均衡を保っていた前王派と現王派だが、有力貴族であるカエクスが復活したことで一気に現王派が力をつけるだろう。
しかも、カエクスにはあのドラゴンスレイヤーの娘に、リュディヴィーヌがくっついている。エリザの存在も気にかかるところだ。
二つ目は、あの娘は明らかにリュディヴィーヌの側近だということ。
その娘が皇子と婚約する、ということは、ヘスペリスとの同盟に話がついているということになるだろう。おそらく、ロランの遺体の返還とともに同盟を結ぶつもりだ。
(だが……だが! まだだ……コレットが動いている……! 時間を稼いで、あちらのリシャール王子が力をつければ……リュミエール皇女を排除できれば……!)
そう思ったヨハンが視線を感じて顔を上げると、そこにいたのはウィルフレッド皇子だった。
「どうした? ヨハン……祝福してくれていないのは、お前だけだが」
「……し、失礼。突然の出来事で驚いてしまって。ええと……ご婚約、おめでとうございます」
「あぁ。認めてくれて嬉しいよ。これで、満場一致ということになるな」
「へ?」
「どうした間抜けな声を出して。キミが婚約を認めてくれたことで、“円卓の貴士”全員から婚約に関する承認は取れたということになる。それを確認したんだよ」
「……それは……カエクスの言う通り、私が口出しできるようなことでは……」
「だが――これで俺とセシルの発言権が円卓で与えられた。それに相違ないだろう?」
「……っ」
婚約者を伴い、皇子が姿を見せて、その婚約を貴族全員が認めた。
それをもって、彼らは『円卓の参加者』となる――ウィルフレッド皇子はそう言質を取ろうとしている。
相手が手に毒を持って目の前に立っているのに、出された料理を食べるような――そんな気持ちの悪さを感じながらも、ヨハンはうなずくしかなかった。
「それでは皆、俺から話がある、聞いてもらいたい」
ウィルフレッドはにっこりと笑顔を湛えて話し始めた。
「俺は、この婚約を機に――ヘスペリスと同盟を結びたいと考えている。同時にロランの遺体を返還するという条約を履行しようと思う」
「なっ……お、皇子! それはあまりにも……!」
「危険か? そうは思わない。リュディヴィーヌ様からは言質は頂いている。もしもロランの遺体を返還するというのなら、自分の大切な人であるセシルが貴族として住まうことになるプレイアスとの同盟を約束すると」
「ですが、それはあくまで皇女の言葉でしょう? 国際的な力を持っているとは……」
「果たしてそうか? ヘスペリスはプレイアスに対してここまで軍事的な行動は一切起こしていない。それはロランの遺体があるからだろう。大事なのは順序だ。同盟を結んでからロランの遺体を返却する」
「ですが、その同盟を反故にされればどうなるか! 相手は最強の騎士隊を持っているんですよ――!」
「では、同盟を結ぶと同時に一人、王族に留学生として来ていただいてはいかがかな」
ウィルフレッドが謡うように告げる。
その発言に、円卓がしんっと静まり返った。
「それは……たしかに、それならば……戦争を起こされる可能性は低いか」
「ですが、そんなこと相手側が……」
「さて、どうだろうか。例えば自らが王になるためには手段を選ばない皇子が居たとすれば、話は違うのではないかな?」
ぞわり、とヨハンの背中に寒気が走った。
知らない人にはそういう情報を掴んでいる、としか聞こえなかっただろう。
だが、ヨハンにとっては違う。なにせ、その手段を選ばない皇子相手に工作を行っているのは、自分の娘なのだから。
ふと視線を感じてそちらを向くと、セシルがまっすぐヨハンを見つめていた。
「そんなことが……?」
「さあ。今のは仮の話だ。……ただ、リュディヴィーヌ様は力を尽くしてくれるといった。なら、こちらもそれに応えるべきだ。ロランの遺体の返還の話は進めるべきだろう」
「……それは、そうですが」
「それに、実際リュミエール女王は我が国から何も奪わなかった。そのような相手だ。信じてみてもいいのではないか?」
「……」
シン、と円卓に沈黙が訪れる。
それを破ったのは、カエクスだった。
「――私が昔、国を閉ざすことを提言したのは、いずれヘスペリスと同盟を結び、手を取り合いたいと思ったからだ。これから先、戦い続ければ民衆は耐えられない。戦い続けた先に待つのは破滅だけだ。お前たちも分かっているだろう。前王が死に、戦争が終わった時――民衆はロランを英雄視した。それが示す意味を」
「……それは……」
「今こそ手を取り合うときだ。皆、決心して欲しい」
ここで、この流れを認めれば終わりだ。
ヨハンは意を決して、ぐっと拳を握りしめた。
「だが、まだ決める必要はないのではないか? カエクスよ」
「……ヨハン」
視線がぶつかり合う。
かつて円卓の上で幾度となく言葉で戦ってきた。最大の障害であり、ライバル。
ヨハンはカエクス相手にだけは、負けを認めるわけにはいかなかった。
それに、まだ希望はある。
時間を稼いでリシャールが王にさえなれば、同盟を先送りしてその間に他国に宣戦布告させ、輝剣騎士隊が居なくなったヘスペリスを叩くという当初の目的は遂行できる。
そうなれば、勝つのは自分だ。カエクスではない。
「このまま相手が攻めてこないことも考えられる。急ぐ必要性を感じないな」
「だが時間を掛ける必要もないはずだ」
「そうだぞヨハン! 貴様、この間は守護の竜を倒されて狼狽して未曾有の危機が訪れているなどと言っていたではないか!」
「黙れダンストン。先日とは状況が違うだろうが!」
時間だ、時間が欲しい。コレットが事を成すのはもうすぐだ。
「二枚舌でコロコロいうことを変えよって……! 情けないぞヨハン! パーシヴァル家の先祖が泣いておるぞ!」
「……パーシヴァル?」
ダンストンの言葉を聞いて、それまで黙っていたセシルがぽつりと何か呟いた。
ヨハンは思わずそちらを見つめるが、その視線にすら気付かずセシルは何か考え込む。
そして、何かを確かめるように、セシルはヨハンに話しかけた。
「……ヨハン・パーシヴァルさん?」
「……なんだ」
「娘の名前は――コレットですか?」
そのセリフを聞いて、ヨハンは思わず小さく声を漏らしてしまった。
それを肯定だと捉えたセシルは息をのむ。
セシルがセリーヌのメイドとして王立学校に通っていたことをヨハンは知る由もない。
だが、推測することは不可能ではなかった。
セシルはリュディヴィーヌの側近だ。それなら、王立学校に通っていてコレットと接触している可能性があると。
そして、もしもコレットの動きに気付いているのであれば――。
「……急ぐ必要はない。意見を変えてまで……時間を延ばそうとしている? ……ッ――! 皇子っ! お父さん!」
「ど、どうした? セシル」
「……なんだ? 何かあったのか?」
「ボクに馬を貸して!」
「何――? 一体どうしたんだ!?」
「ヘスペリスに戻るんだ! セリーヌちゃんが危ない!」
「セリーヌ? セシル、一体――?」
「ああ、どういうことか説明してくれないと、俺もどうすれば良いか分からない。ちゃんと順序立てて話してくれ」
「コレットだ! ヨハンの娘が、ヘスペリスにいるんだ!」
「な――」
どよっと円卓内が騒めく。
「どういうことだ!?」
「コレットは王立学校に通ってて、輝剣騎士隊の騎士や皇子に魔法を掛けて、リシャール王子が王位継承することを狙ってるんです!」
「まさか――ヘスペリスに工作を行っていたのか?」
「そういうことです。ヨハンさんが時間稼ぎしようとしてるってことは、時間が経てば何かが変わるってことだ! そんなの、もう一つしかない――! コレットが何か動いてるんだ!」
セシルが必死で訴える。
それを、ヨハンは呆然と見つめていた。
自分の切り札が、最後の勝機が――手から零れ落ちていく。
「セリーヌというのは?」
「ボクの親友です! 公爵家の令嬢で、ヘスペリスでは最も有力な貴族です! コレットが近寄れて、かつ何かを変えられる立場にいるのはセリーヌちゃんだけだ! 輝剣騎士隊や皇子は一度コレットに魔法を掛けられているはずだから警戒してて近づけない。でも、セリーヌちゃんは別です。まだ何も知らないんです。輝剣騎士隊の数人が守ってくれているはずだけど――コレットが動くとしたら彼女に何かするほかにないんだ!」
セシルがヨハンに駆け寄り、胸倉を掴む。
「言え――! コレットは何をしてるんだ!」
「……っ」
「もう分かってるはずだ。ボクがウィルフレッド皇子と婚約し、お父さんがここに戻ってきた時点で、お前は負けた」
セシルの言葉に、ヨハンは目をむきながら大声を上げる。
「うる、さい……うるさい! 俺だ……! 俺なんだよ! 円卓を統べるのはこの俺なんだ! 俺が、俺こそがプレイアスを導く! 小娘が、邪魔をするなァ!」
ばしっ、とヨハンの手がセシルの頬を捉える。
よろけたセシルを突き飛ばして、ヨハンは逃げようと円卓の入り口へと走った。
その前に、ウィルフレッドが立ちふさがった。
「お前が如きが円卓を統べるだと……? 笑わせるな。このウィルフレッド・アーサー・プレイアスこそが円卓を統べる者だ。それと――俺の婚約者に手をあげたことは赦さない」
その視線の先では、突き飛ばされたセシルをカエクスが支えていた。
「……セシル、唇から血が出ているぞ。大丈夫か……?」
「だ、大丈夫。ちょっと頭に血が上ってて避けそびれただけだから。それより、ヘスペリスに行かないと……!」
立ち上がったセシルの唇の端の血をぬぐい、カエクスは娘を落ち着けるように優しく話しかける。
「分かった、すぐに馬を用意をさせる。……だが、コレットがどう動くか知っておく必要があるだろう。ヨハンから聞き出さねば」
そう言ってヨハンの方に振り返ったカエクスの顔には――憤怒が浮かんでいた。
そのあまりの形相に、ヨハンは身を竦めた。
「貴様……やってはならぬことをしたな」
「カエ、クスッ……!」
「自分の娘を利用するばかりか、私の娘を傷つけた……その代償は高くつくぞ、ヨハン」
胸倉を掴むと、カエクスは壁にヨハンを押し付ける。
「が、はっ……!」
「貴様は、政敵ではあったが、ともに国の未来を創る善い好敵手だと思っていた」
「が、ふ……は、ぁ。それが、どう、した……」
「ただの敵になったのなら、容赦しない」
「どういう意味だ――」
「貴様が終わるのは確定している。だが、家族はどうかな」
「っ……やめろ! やめろ! 妻も娘も関係ないだろう……! 恫喝する、気かっ、カエクス……!」
「関係ない? 貴様が散々利用しているのは娘のコレットだろうが! 負けは決まった! これ以上、娘や家族を危険に晒したくないなら、さっさと何を考えているのかを吐け! そうすれば、お前の家族は護ってやる!」
暴れるヨハンを床に落とし、見下しながらカエクスが問いかける。
「選べヨハン。負けを認めて、貴様の企みを全て吐き家族を守るか、くだらぬプライドを守ってこのまま全てを失うか! 仮にこのままお前の企みが上手く行ったとしても、ヘスペリスに多少のダメージはあろうが、コレットの死罪は免れんぞ!」
「……ッ」
せき込みながら、ヨハンはセシルを見る。
セシルはぐっと拳を握りしめながら、ヨハンを見つめていた。
「……セリーヌとリシャール皇子を結婚させるんだよ」
「――っ」
「公爵家の後ろ盾を得たリシャール皇子は、国王にぐっと近づく。リシャール王が誕生すれば……輝剣騎士隊を遠ざけて、その間に軍事行動をして勝てると踏んでいた」
「そんな、バカな……セリーヌちゃんが、そんなこと、認めるわけが……」
「コレットは小さなころから他人の心を察するのが上手い子だった。コレットの魔法は相手に『思い込ませる』ことが出来るものでね。何が正しいのか、正しくないのかを、都合の良いように操作できると言っていたよ。詳細は分からないが、セリーヌにリシャール皇子と結婚することが正解だと思わせたのだろうな」
「それで、フランツも、ギルバート皇子も……! 今度はセリーヌちゃんまで……っ!」
「私はプレイアスを愛している。他者の国がどうなろうが、知ったことではない」
ヨハンが吐き捨てるように言うと、カエクスは憐れむようにヨハンを見つめた。
「悲しい男だな、お前は。国は人の集合だ。人は一人では生きられない。国もまた同じ。他国を思いやれなかったお前には、円卓を統べることはできない」
「ハハハ! 他者を拒絶し昨日まで引き籠もっていた男の発言だ。重みが違うなぁ、カエクスよ。……ああ、そうだ。計画をバラしたついでに教えようか。お前の妻を襲わせたのは俺だ。聡明なお前なら気づいていたかな」
「……隣国に逃がしたのもお前なんだろうということにもな」
「……っ」
「セシルが戻ってきた時に、気が付いたよ。……私を暗殺しなかった時点で――お前は私の妻と子を、殺せなかったんだろう」
ヨハンを捕まえたまま、カエクスはセシルへと目をやった。
「急げセシル。親友を守りに行け」
「う、うん。行く。でも、良いの? ボク――」
「娘の願いを聞き届けるのが、父の役目だ。行け。後は全て私に任せろ」
「ありがとう、お父さん……! 皇子、馬を貸してください!」
「ああ、すぐに。後は任せます。父上!」
セシルとウィルフレッドが慌てた様子で部屋から飛び出していく。
それを見送った後、マルスは円卓の皆を見回した。
それぞれが、今目の前で起こった騒動から落ち着けないままにマルス王とカエクスを交互に見つめていた。
「……我々は自分達の仕事を為そう。今ここに座る我らのためでなく、次代のための、仕事をな。マルス・アーサー・プレイアスの名において決議を取る。――ヘスペリスとの、同盟に賛成の者は、挙手を」
☆
「エリザとリュディヴィーヌ様には俺から話をしておく」
「ありがとう!」
ドレスのまま、ボクは馬が用意されるのを城門で待っていた。
時間がない。ヨハンがあんな露骨な時間稼ぎをしようとしたということは、もうセリーヌちゃんとリシャール王の結婚式は近いはずだ。
「さすがに国境沿いの兵士に知らせる時間はないが、大丈夫か?」
「気絶させるくらいは、やっちゃうことになると思います」
「気の毒だが、後でしっかり話をしておく。セシルは止まるな」
「うん。……あ、あの、一つ良いですか?」
「なんだ? 時間がないのだろう?」
「それは、そうなんですけど、それでも、一つだけどうしても気になることがあって……どうして、そんなにボクに協力してくれるんですか? 円卓会議のことはともかく、セリーヌちゃんのことはあんまり関係ないのに」
ウィルフレッド皇子にとって、ボクはただの政治のための婚約相手だ。
それでも、ボクがヨハンに叩かれたときは本気で怒ってくれたし、出来る限りの協力はしてくれた。
それがすごくありがたいと同時に、不思議でたまらなかった。
「なんだ。そんなことか」
「そんなこと、って」
「未来の妻のために協力を惜しまないのは当然のことだろう。俺が憧れたカエクスさんは、そういう人間だったと聞いていたからな」
「ふぇ、未来の、妻?」
ふっとウィルフレッドは笑って、ボクの頬へと唇を寄せて、ちゅっと口づけをした。
な、なっ……!?
慌てて離れて頬を抑える。口づけされたところが燃えるように熱くなった。
「なんだ、冗談だと思っていたのか。俺は本気だぞ。セシルを、妻として貰うつもりだ」
「だ、ぅ!? だって、ウィルフレッド皇子って腹黒だから……!」
「酷い言われようだな。だがな、事実はそうだ。俺は昔からカエクスさんに憧れていたし――何よりも、セシルには一目ぼれだったからな」
「ひ、ひとめぼれ!?」
「そうだ。守護の竜を倒して降り立った所を見たときからだ。――強くて美しかったよ。強いメイドというのも面白いしな」
「お、面白いって……っ、あの、しょのっ」
「おっと、馬が来た。この続きは、セシルが無事に友人を守れて戻ってきてからにしよう」
「こ、この続き、って……っ!」
「さて、何を想像したのか俺には皆目見当もつかないが――気を付けて行ってくるんだぞ」
「う、うぅ。い、いってきます!」
優しい眼差しを向けられながら、ボクは逃げるように馬に飛び乗った。
やっぱり腹黒だ。あの皇子……! うぅ、顔が熱いよぅ!
でも、今はそんな場合じゃないんだ。急がなきゃ。
ボクはぶんぶんと頭を振って、頬に残った熱を振り払い、走り出した。
待っていて、セリーヌちゃん……! 絶対、助けるから!