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『セシル・ハルシオン』⑤

 朝食を終えたボクは、まだ食事を続けているリュディヴィーヌ様に「エリザの様子を見てくる」と中庭に移動した。

 そこではエリザが一人、剣を振っている。

 流麗な太刀筋。今やヘスペリス最強と言って良いその剣術には無駄なものは一つもなく、もはや芸術といっても過言ではないほどだ。

 暫しの間見惚れていると、エリザはボクに気づいてにこっと笑みを浮かべる。


「食事、終わったの?」

「うん。エリザは?」

「私は軽めのものを先に頂いたわ。少し考え事がしたくて、剣を振っていたの」

「綺麗な太刀筋だったね」

「ありがとう。貴方に褒めてもらえるのが、一番嬉しいわ。……セシルも、ドレスがとても似合っているわよ」

「そ、そうかな。自分では良く分からないや。エリザの方が似合いそうだよ」

「そ、そうかしら。でもほら、動きづらそうだから」

「意外とそうでもないけど、たしかにメイド服の方が動きやすくはあったかな」

「……そうなんだ。……あの、セシル、もしよかったら、模擬戦でもどうかしら? 貴方と剣を交えながらの方が……答えが出そうな気がするの」


 おずおずとエリザがボクに尋ねる。

 エリザがどんな考えごとをしているかは分からないけど、ボクのためにここまできてくれたんだ。エリザの手伝いになりそうなら、断る理由はない。


「良いよ、久しぶりだしね」

「ありがとう。真剣は危ないし……これ」


 笑顔と共に差し出された木製の剣を手に取る。

 久しぶりも久しぶり。前回の模擬戦はロランだったころのことだ。


「あ、動きづらかったら着替えてきた方が……汚れてしまうかも」

「このドレスは軽いし、靴もほら、ヒールじゃなくてブーツはいてるから大丈夫だよ」

「ん。それなら」


 エリザがうなずいて、剣を構える。

 そこに剣を合わせ、模擬戦を始めた。


「ふっ――!」


 エリザの振るった太刀筋に剣を合わせ軌道をずらす。

 カァンッと木がぶつかり合う音が周囲に響き渡った。

 鋭い切り替えしに反応し、二度、三度と剣を重ねる。


「……っ。分かっていたけれど、遠慮は要らなさそうね……っ! なら!」


 耳の横まで剣をひっこめてエリザが構える。

 来る。エリザの必殺が。

 ――振り下ろしと振り上げの高速上下斬り。

 ただの二連撃ではない。エリザの速度で放たれるそれは、刹那の間すらなく放たれる。

 一度の剣で、二つの斬撃を放つ。まるで猛獣のアギトのようなその攻撃は、如何なるものをも打ち倒してきた。

 そんなものをただ避けたり受けたりすることは不可能だ。

 だから――寧ろ加速させるように、()()()()()

 渾身の力で放った攻撃だ。その勢いを強引に強められて、エリザの剣は切り返すことが出来ず、そのまま地面と刺さった。


「なっ……!?」


 その剣をブーツで踏み、動けないようにしてボクはエリザの首筋へと剣を突き付けた。


「一本。ボクの勝ちだね」

「……負けました」


 剣から足を退けると同時に、後ろからパチパチと拍手が聞こえる。

 振り向くと、そこに立っていたのはお父さんだった。


「二人とも、凄まじい腕前だった」

「……ありがとうございます。カエクス様」

「いや……驚いた。エリザさんの実力は知っていましたが……ウィルフレッド皇子やリュディヴィーヌ様から、セシルの実力のことは聞いていたが、まさかここまでとは」

「私なんて、セシルにはとても敵いません。私を上回る速度で剣を振れなければ、今の攻撃は受けられない」

「……私の娘は、それほどまでの?」

「はい。このような言葉を使うと安っぽく聞こえるかもしれないですが――彼女は、私の知る限り最強の騎士です」


 なぜかエリザが胸を張る。

 な、なんだか恥ずかしいなぁ……そんなに褒められると。


「……私の娘を誇らしく思ってくださって、私も嬉しい。同時にセシル、私もお前のことが誇らしいよ。改めて帰ってきてくれてありがとう」

「う、ううん。ボクも……家族がいて嬉しいです」

「ああ」


 くしゃくしゃと大きい手がボクの頭をなでる。

 それが、とても心地よかった。


「だが、その恰好で剣を振るうのは感心しないな。貴族令嬢になったのだ。そういった礼儀作法も必要になる」

「う。はぁい」

「不安なら、家庭教師をつけるが?」

「あ、それは大丈夫です。一応貴族令嬢に仕えてましたし……」


 ロランの頃、リュミエール女王陛下に仕えることになったとき、死ぬ気で叩き込んだからね。セリーヌ様相手には兎も角、ほかの王族や貴族の前で粗相をしたことはない。自分がそうなったんだ、ということに留意しておけば問題はないはずだ。


「そうだったな。……ふむ、仕える、か。よくよく考えたらセシルの近衛メイドを用意しなければいけないな」

「近衛メイド……ですか?」

「ああ。リリィというのも考えたが……彼女は屋敷の運営に欠かせなくてな。出来ればそちらの方に集中させてやりたい。お前も知っての通り、我が家のメイドは彼女一人しかいないからな」

「そうですね……でも、ボクは別にメイドが居なくても……今までメイドでしたから、身の回りのことは自分で出来ますし……」


 今までメイドの立場だったボクにメイドが出来るなんて、なんともおかしな話だし。

 

「そういうわけにはいかない。お前はもう貴族令嬢だ。自分一人で出来るのは立派だし、個人的には素晴らしいことだと思うが、ほかの者から見れば、給仕がやるようなことをやっていると見られかねない。すまないが、メイドは用意する」


 家の方のメイドの増員もするつもりだ、とお父さんが付け足す。

 うぅん、そう言われたら断れないか。


「分かりました」

「ん。いい子だ。それでは募集を掛けねば」

「あ、あのっ!」


 立ち去ろうとしたお父さんの背中に、エリザが声をかける。

 不思議そうに振り返ったお父さんを見て、エリザは何か言いづらそうに逡巡し、きゅっと胸元に手を移動させてから意を決したように口を開いた。


「セシルのメイド……私にさせて貰えませんか」

「む……」

「え、エリザ?」

「ずっと考えていたの。セシルをもう二度と失いたくない。そのためにはどうすれば良いのかって。……私が、ずっとそばにいて、貴方を守りたいの」

「でも……」

「貴方が、皆を笑顔にするためにすべてを捧げるというのなら、私は貴方を笑顔にするために、すべてを捧げるわ」


 エリザがまっすぐにボクを見つめる。

 その赤い瞳を見て、お父さんは小さく頷いた。


「……かのエリザ・フォレスティエが娘を守ってくれるなら、心強いことこの上ないな」

「! じゃあ」

「ああ。娘を宜しく頼む」

「お父さんっ、エリザにメイドをさせるだなんて、そんなの悪いよ。彼女はヘスペリスで一番の騎士なんだよ? それなのに――」


 ボクの言葉を、お父さんは首を横に振りながら遮った。


「セシル。まだ出会ったばかりの私には、エリザさんが何故お前のメイドになりたいと言っているのかは分からない。表面上から推し量ることしか出来ない。だが――すべてを捧げるとまで言っているエリザさんから、目を逸らすことだけはするな。向き合わなかったことで後悔するのは、他でもないお前自身なんだから」


 ぽん、とお父さんがボクの頭に手を置く。

 ――お父さんの、言う通りだ。

 前世で死なないで欲しいという想いを無視して、皆を傷つけたのに。

 行かないで欲しいという想いを無視してセリーヌちゃんを傷つけたばかりなのに――ボクはまた、自分に向けられた視線から目を逸らそうとしてしまった。

 他人を気遣うフリをして遠慮深くしていれば、見栄えは良いのかもしれない。

 でも、そんなのは上辺だけだ。本当に大切だと思うのなら、向けられた想いと同じくらいの気持ちを返すべきだとボクは思う。

 だって――エリザはボクにそうしてくれているから。


「……、ダメなんだよ。エリザ」

「っ……」

「エリザが傍に居てくれなきゃ……ダメなんだ」

「――……セシ、ル」

「ごめんねエリザ。ボク、格好付けてばっかりだったね。自分を犠牲にすることが善いことじゃないってわかっていたはずなのに、理想の騎士を演じるばかりで皆の気持ちから目を逸らして。……でもボクはもう騎士じゃないから」


 救国の英雄、ロラン・メデリックはもういない。

 ボクはセシル。貴族令嬢――セシル・ハルシオン・ランスロットだ。


「――ボクは、エリザに傍に居て欲しい。だから……メイドとしてボクのこと、支えてくれないかな」

「……うんっ、もちろん、喜んで」


 エリザが目に涙を浮かべながら、満面の笑みを浮かべてくれる。

 その表情を見て、ボクはやっと理解した。

 ――ボクが見たかったのは、嬉しそうなその笑顔なんだって。

 見惚れるボクに、ぎゅっとエリザが抱きついてきた。


「むぐ、苦しいよ。エリザ」

「我慢、して……」

「……うん。分かった」


 お父さんが優しい表情を浮かべて去っていく。

 それを見送って、ボクは涙声のエリザの頭を撫でる。

 エリザの身体は暖かくて、柔らかい。

 そんな当たり前なことに、ボクはやっと気付いたのだった。

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