『セシル・ハルシオン』④
「失礼します。セシル様」
「ふぁ……。はい……」
ノックの音で、ボクは目を覚ました。
目を擦りながら身体を起こして返事をする。
扉を開けて入ってきたのはリリィさんだった。
他者を遠ざけて閉じこもるお父さんの元から一人、また一人と従者が離れていく中でも、傍に居ることを選んだランスロット家唯一のメイドだ。
「えぇと……朝食が出来ています。カエクス様が是非一緒に、と仰っていますが……」
「あ、はい。すぐいきます」
「畏まりました」
ボクが返事をすると、リリィさんは頭を下げて部屋を後にした。
ごそごそとネグリジェを脱ぎ、クローゼットを開け放つ。
そこに掛けられていたのはメイド服……ではなく、セリーヌ様が着ていたような真新しいドレス達だった。
それを見て、昨日の晩のことを思い出す。
レイク……じゃなかった、ウィルフレッド皇子とワインをしこたま飲んだ再会したばかりの父は、ボクのことを大層可愛がることに決めたらしく、なんと夜中にも関わらずドレスの仕立て屋を呼び寄せてしまったのだ。
またとない商売のチャンスに仕立て屋はにこにこしながら馬車を屋敷の前に乗りつけ、ボクを着せ替え人形にして「お嬢様には清純な色がぴったりですな!」とか「スレンダーで美しいですからブラックで大人っぽくするのも似合いますぞ!」などとドレスを勧めまくった。
その結果、気を良くした父は「そんなに要らないよ。あとスレンダーって言うな」というボクの言葉を無視して、二十着近い数のドレスを購入したのだ。
「……ボク、本当に貴族の娘になったんだな……」
メイドから貴族の娘へ成り上がるって一体どんな夢物語だろう。そんなことがまさか自分に起きるなんて思ってもみなかった。
なんとなく居心地が悪いけど……今更無かったことには出来ない。
ロランの遺体を取り戻すためには必要なことだったんだし。
それに、血の繋がった肉親が居るのは、やっぱり嬉しかった。
「あ、早く行かないと。お父さんを待たせてるんだった。……ど、どれにしようかな……」
こんなにもドレスがあると迷うなぁ。
服なんて選ぶことがなかったから、どう選んでいいか分からないよ。
「セシルはこれが似合うよ! 緑色がぴったり!」
「そ、そうですか? じゃあこれに……って、リュディヴィーヌ様? いつの間に!?」
振り返ると、そこにはにこにこと笑顔を浮かべ、花をあしらった飾りが胸元に付いている青いドレスを身を纏ったリュディヴィーヌ様が立っていた。
び、びっくりした。まさか気配すら感じないなんて。
「えへへ、おはよ。セシル。一緒にご飯食べよ? カエクスさんが私とエリザの席も用意してくれたんだ」
「あ、そうなんですね。良かった」
「うん! ドレス、一人で着れる?」
「大丈夫です、セリーヌ様に毎日着付けてましたからね。リュディヴィーヌ様も一人で着替えられるんですね?」
「あ、ううん。このドレスはエリザに手伝って貰ったよ。……ね、どうかな? 昨日の仕立て屋さんに用意して貰ったんだけど」
くるん、とリュディヴィーヌ様がその場で一回転する。
思わず、その姿に見惚れてしまう。
「とっても似合ってます。綺麗ですよ」
「えへへ、ありがと」
にっこりとするリュディヴィーヌ様はとてつもなく可愛い。
その可愛さを、ドレスがより際立たされているようだ。
ごそごそとボクもドレスを着てみる。……うぅん、なんていうか、着せられてるようにしか見えないなぁ。
そう自分を評価するボクとは裏腹に、リュディヴィーヌ様はボクのドレス姿を見て目をキラキラさせた。
「セシル可愛い~っ」
「そ、そうですか? なんていうか、無理して着てるだけに見えません?」
「それはセシルが着飾った自分の姿を見慣れてないってだけだよ~、すごくかわいいよ!」
「……あ、ありがとうございます」
真正面から褒められて、思わず赤面してしまう。
……いわれてみれば、ボク、身なりを整える以上のおしゃれなんてしたことなかったっけ。
「それじゃ、行こ?」
リュディヴィーヌ様が手を繋いでくる。
まあ、こういう恰好もたまには良いかな。
引っ張られるようにして、ボクは居間へと向かった。
☆
「おお、セシル。起きたか」
「おはようございます、お父さん。……顔色が悪いですよ。二日酔いですか?」
「うむ……昨日は飲みすぎたようだな」
お父さんが苦笑する。
エルネスト様……セリーヌ様のお父様も、接待の後とかは辛そうにしてたっけ。
「コーヒーを飲むと良いですよ」
「ああ。飲みすぎた後はいつもリリィが用意してくれていた」
そう話したところで、リリィさんがキッチンからやってきて、そっとお父さんの前にコーヒーの入ったカップを置く。
ボクがお父さんの正面に座り、ボクの隣にリュディヴィーヌ様が座った。
「あれ? エリザは?」
「さっき中庭を借りて剣を振ってたよ?」
「……なるほど」
たぶん、何か考え事をしてるんだ。
エリザは体を動かしながらじゃないと考えすぎてネガティブに考えてしまうタイプだから、それが丁度いいのだろう。
「朝食でございます」
「ありがとうリリィさん。お手伝いしましょうか?」
「いえ、お嬢様にそんなことをさせるわけには……」
「セシル、彼女の仕事を取ってはいけないよ」
「あー……はい。ごめんなさい。それじゃ、いただきますね」
たしかにセリーヌ様が手伝うとか言い出したら困るもんね。絶対言わないだろうけど。
ボクは並べられた料理を食べる。
あれ? そういえば、ウィルフレッド様の姿がないな。どこ行っちゃったんだろ?
「ウィルフレッド様はどうしたんですか?」
「ああ、先ほど王宮に戻られた。準備があるそうだ」
「準備……ですか?」
「うむ。丁度その話をしようと思っていたから丁度いい。セシル、明日、私と共に王城に行くぞ」
「――王城に、ですか?」
「うむ。お前が私の後継者だと円卓の皆に紹介したい。皇子が国王陛下に頼んで場を整えてくれることになった」
そう言って父がコーヒーを飲む。
……なるほどね。
国王と皇子からしてみれば、有力であるカエクス卿の復活のアピールになる上に、その娘と婚約することで強力なパイプを作ったと誇示したいのは当然のことだ。
多分あの腹黒皇子、その場で婚約の発表でもして、ボクの退路も断つつもりなんじゃないだろうか。
「……分かりました」
「セシル……」
「その間、リュディヴィーヌ様は?」
「ぜひ、王城にお連れして欲しいとのことだ。セシルがリュディヴィーヌ様と仲睦まじいことは、現国王にとってもありがたいことだろう。それに……」
お父さんは立ち上がり、スープを音を立てずに飲んでいたリュディヴィーヌ様の近くに移動して、ひざをついて頭を下げた。
「娘と再会させてくれた貴方様には恩を感じています。セシルを、守ってくれたことも。……その殿下が望むのであれば――私も、ヘスペリスとプレイアスが手を取り合って進むという未来のお手伝いをできたらと思います」
「……カエクスさん、頭をあげてください」
すっと顔を上げたお父さんに、リュディヴィーヌ様は立ち上がって手を差し出す。
「そう言っていただけて、とてもうれしいです。ぜひ、力を貸してください」
「……御意に」
ぎゅっと握手をして、二人は微笑みあった。
「でも、お礼を言いたいのは私の方なんですよ?」
「む。というと?」
「えへへ、私に光を与えてくれたのは、他でもないセシルなんです。そのセシルと出会えたのは、カエクスさんがいたから、でしょう?」
「……殿下……光栄です」
「これからも、ずっとセシルの傍に居ること……許していただけますか?」
「こちらからお願いしたいくらいです。これからも、セシルと仲良くしてあげてください」
「……はぁい♪ もちろんです♪」
リュディヴィーヌ様がにっこりと満面の笑みを浮かべる。
……もしかして今、お父さんの言質を取った?
「お父さんから認めて貰えたね、私たちのこと♪」
「ふふ。リュディヴィーヌ様、その言い方では、昨日言った冗談が本当に聞こえますよ」
くすっとお父さんが笑う。
冗談ではなくリュディヴィーヌ様はボクと本気でずっと一緒にいるつもりで言ってるんだろうけど……それを指摘したらめちゃくちゃややこしいことになりそうだから、今は黙っておこう、うん。
「と、食事中でしたね。申し訳ありません」
「ううん。とても大事なことでしたから、お話出来て良かったです。それじゃセシル? カエクスさんの許可も貰ったし、いっぱい仲良くしようね。明日からまた忙しくなりそうだし!」
「……そ、そうですね」
これ以上仲良くなって何するつもりなんだろう。
一抹の不安を覚えながら、ボクたちは朝食を楽しんだ。