『セシル・ハルシオン』
「――こんなものでどうかな」
セシル達が礼拝堂から出て行った後、マルス王が礼拝堂の奥に繋がる扉に声をかける。
軋む扉を開けて姿を現したのは、レイクだった。
「矜持を捨てたそのお覚悟。流石です、陛下」
「それもこれも、お前がしっかりと情報を集めてきてくれたおかげだ。商人というのもバカに出来ないものだな」
「『奇跡はいつだってそこにあるもの』……本当ですね」
「だが、その奇跡も掴もうとしなければ起こることはなかった。……お前があの時、商人として領内を回り、情報を集めると言わなければ、どうなっていたか分からない」
マルス王がレイクへと笑顔を向けた。
「助かったぞ、レイク。……いや、我が息子、ウィルフレッドよ」
「お褒め頂き光栄です。父上」
「それにしても湖の騎士とは。面白い偽名だな」
「プレイアスと言えば中央部にある巨大な湖ですからね。輝剣騎士隊にあやかって騎士と付けた名前ですが、その名前が導いてくれたのかもしれません。――彼女と、出会うように」
ウィルフレッドの言葉に、マルスは頷いた。
あの少女が、プレイアスにやって来た――それこそが、息子であるウィルが掴んできてくれた奇跡だ。
「カエクスも理解するだろう。私ですら、一目見て気付いたのだから」
「間違いなく。そうすれば、カエクスは必ず立ち上がってくれるはずです」
「ああ。……それで、その後はどうするつもりなのだ?」
「俺がやるべきことは決まっています。国を一つに纏め、ヘスペリスと同盟を結び、父上と俺……そして、プレイアスの皆を守ってくれたロランを故郷に帰し、国民に平和を齎す。そこに、俺の幸せもあればいい」
マルスは真っ直ぐに未来を語る息子に頼もしさを感じた。
数年前、突然商人のフリをして国中を視察すると言った時は危険だと猛反対したマルスだが、その反対を押し切ったウィルは外の世界を知り、王族として、将来の国王として、目覚ましい成長を遂げた。
自分の隠居の時は近い。そう感じつつ、マルスは息子の言葉に頷く。
「分かった。お前はお前のやるようにやると良い。間違っていると思った時はそう教えるし、そうでないなら、全力でサポートする」
「ありがとうございます。父上。……では、俺はレイクの屋敷に戻ります。リュディヴィーヌ様達の準備の手伝いをしなければ」
「頼むぞ」
去っていく息子の背中を見送ったマルスに、別室に待機していたミアが近寄ってくる。
「陛下。そろそろ王宮に戻らなければ」
「ああ。……子供とはいいものだなぁ、ミア」
「その気持ちは、私には分かりかねます」
「いずれ分かるさ。お前にもきっと、良い跡継ぎが出来るだろう」
「……そうだと良いのですが」
肩をすくめるミアに苦笑を浮かべながら、マルスは王宮へと戻っていくのだった。
☆
馬車がゆっくりと停車する。
どうやら到着したらしい。
「リュディヴィーヌ様、到着したみたいですよ」
「ふぇ……ふぁい……」
ボクの膝に頭を乗せて眠っているリュディヴィーヌ様に声をかける。
薄らと目を開けて、リュディヴィーヌ様は眠そうに目を擦りながら起き上がった。
それと同時に、レイクさんが馬車の扉が開いた。
「ご苦労様。着いたよ。カエクス様の住む屋敷だ」
馬車を降りた目の前には、大きな屋敷。
それを見上げるボク達の後ろを、子供たちが楽しそうに走っていくのが見えた。
周囲を見回してみる。
綺麗な街だなぁ、というのが第一印象だ。
石畳で舗装された道を巡回する兵士……行きかう人々の顔も明るい。
治安はかなり良さそうだ。カエクスという男が優秀だから、だろうか。
「それじゃ、入ろうか」
「は、はいっ」
リュディヴィーヌ様が緊張している。
カエクスがもう一度プレイアスの国政に戻ってくれれば『ロランの遺体』の返却が早まる。そう思ってるのかな。
レイクさんが扉をノックすると、少し経って扉が開く。
姿を現したのは、この屋敷で働いているメイドだった。
「こんにちは、リリィ。カエクスさんは居るかな」
「レイク様でしたか、申し訳ありません。カエクス様は今日も……え」
黒髪をぱっつんと切りそろえた、ボクより少し大きい背丈の給仕服に身を包んだリリィという女性は、レイクさんにそう断りを入れようとして、固まった。
その視線の先に居るのは……ボク?
「な、ぅ。え……一体……っ」
「そういうことだよ。入って良いね?」
「それは……でも……」
「これは国の……そしてカエクスの未来を左右することだ。それでも何か戸惑う必要があるのか?」
「うぅ……わ、分かりました……」
レイクさんが声を低くして呟く。
今までの親しみの籠った口調とは真逆の声色に、リリィさんはそっと脇に退いた。
「じゃあ、行こうか」
「……レイクさん。これは、一体……」
「すぐに判ることだよ」
訳の分からないまま、ボク達は顔を見合わせてレイクさんに付いていく。
そのままレイクさんは執務室の扉を開けた。
中は、酷い有様だった。
床には紙や酒瓶が散乱していて、とても掃除が行き届いてるとは思えない。
その汚い部屋の中央のテーブルに、一人酒を飲む男性が座っていた。
その男――カエクス・ランスロットはワイングラスを持ったまま、レイクさんに呆れたような視線を向ける。
「やぁ、カエクス。いつ見ても君は酒を飲んでいるな」
「…………また貴方か。何度も言っているはずだ。私は何もするつもりはない」
「そう邪険に扱わないで欲しいね。今日は良いニュースを持ってきたんだから」
「もういいから帰ってくれ。頼むから、一人にしてくれ」
「それは出来ない。せっかくわざわざゲストも連れてきたんだからね」
「……ゲスト? 勝手に、そんなもの――」
ぐい、とレイクさんが前から退く。
その瞬間、カエクスさんはポロリとワイングラスを手から取り落とした。
ガシャン、とグラスが割れる音が響き渡る。
だが、そんなことは関係がないとばかりにカエクスさんはよろよろ立ち上がると、ボク達へと近づいてきた。
「嘘、だ。まさか……」
「そのまさか、だ。俺も初めて見た時は驚いたが」
「私の……娘、なのか……?」
え……?
カエクスさんはボクの目の前まで歩き、そのまま膝を付いてボクの顔をじっと見つめた。
「あ、の。ボクは……」
「セシル……君の母親の名前を、教えてくれないか」
「は、母……ですか? その、ネリア……ネリア・ハルシオンですけど……」
「……それは……私の妻の名だ……」
カエクスさんが絞り出すようにそう呟く。
それを聞いて、リュディヴィーヌ様が息を呑み、エリザが小さく声を漏らした。
その瞬間、ある可能性がボクの頭を過る。
まさか、そんなことが――あるの?
奇跡……いや、運命。そうとしか言いようのない巡り合わせが、あり得るのだろうか。
「……そんな、ことが、ありえるの?」
「分からないです。でも……確かにボクのお母さんの名前はネリアで間違いありません。……それに、父親のことは知らないんです。物心ついた時には居なかったし、ボクはメイドだったから、メイドの家族なんて気にされないし、ボク自身も……気にしたこと、なかった」
「セシル。君のお母さんは、何か言っていなかったのか? 自分の出自について」
「母はボクが五歳の頃に病気で亡くなったんです……ですから、殆ど記憶がなくて。母が亡くなって、そのかわりにボクもメイドになって毎日慌ただしく過ごしていましたし、父親のことを聞いたことも、気にしたことも……ありませんでした」
その頃にボクはロランとしての記憶を想い出した。だから、父親というものに意識が向かなかったんだ。
……でも、もし馬車ごと襲われ、遺体が見つからなかったというカエクスさんの妻が、何らかの事情でヘスペリスに逃げ延びていたとして。
その身ごもっていた子供というのが――ボクだというのなら。
ここに戻ってくることになったことも含めて、それは運命という他ない巡り合わせだ。
「じゃあ……セシルのお父さんは、カエクスさん、なの?」
「間違いない。私が、ネリアの面影を見間違える訳がないし……それに」
「……それに……?」
「……子供が生まれたら、男の子ならバトラス……女の子ならセシルと名付けよう……そう、ネリアと話していたんだ」
カエクスさんがボクの頬を撫でる。
それに嫌悪感は抱かなかった。何故なら、カエクスさんの言葉は事実だと不思議な直感が告げているからだ。
これは多分、エリザの涙を拭ってあげたいと願い、光を紡いで命を手繰ったボクだから分かること。
カエクスさんとボクは……血が繋がっている。
ぽたり、と床にカエクスさんの目から溢れた雫が落ちる。
ボクはそんなカエクスさんを安堵の表情で見つめているレイクさんを見た。
――このことに、マルス王とレイクさんは気づいていたんだ。
だから、ボク達にカエクスさんの説得を頼んだ。
マルス王がボクの顔を見て驚いたのは、ドラゴンを倒したのがボクのような少女だったからじゃない。カエクスさんの妻にそっくりだったからだ。
「ああ。ああ……そうか、生きていたんだな……良かった……良かったっ……」
「……と、ということは……セシルって、プレイアスの貴族、ってこと?」
「そういうことに、なっちゃいますね……?」
ヘスペリスの英雄と呼ばれているボクが、プレイアスの貴族の娘に生まれ変わるなんて出来過ぎだけど――でも、これで話は分かりやすくなった。
ボクが、有力貴族の娘だというのなら、その立場からプレイアスの貴族の分断を無くして一つにすれば、ロランの遺体は返却できる。
多分、マルス王もそれを狙ったんだろう。強かな人だ。
「カエクス。泣いている所、すまないが……」
「い、いえ。申し訳ありません……なんとお礼を申し上げれば良いのか……」
「いや、娘が帰ってきたんだ。涙があふれる程嬉しいのは理解しているよ。俺が謝るのは、その事ではない。帰ってきて落ち着かぬまま、話をしなければならないことを謝りたいんだ」
……? なんだろう。レイクさんの雰囲気が、変わった?
レイクさんはカエクスさんにそっと書状を手渡した。
よく見えないけど、プレイアス王国の封蝋がされた手紙だ。つまり、プレイアス王の公式文書ということになる。
それを見たカエクスさんの表情が、驚きに染まる。
「まさか……」
「ああ。セシルは――ヘスペリスの住民。しかも、そちらにいらっしゃるリュディヴィーヌ様の右腕だ。……そうですね?」
「う、うん……そうです」
「はい。ボクはリュディヴィーヌ様に仕えています」
「しかも、あの守護の竜を打ち倒すほどの力を秘めている」
「! 守護の竜を、私の娘が……!?」
「そんな戦力……幾ら君の娘だと言えども、ヘスペリスから取り戻すのは容易ではない」
あ……。
も、もしかして、貴族の娘ということは、そう簡単にヘスペリスに戻れない……ってことになっちゃうの?
おもむろにリュディヴィーヌ様がボクの手をぎゅうっと握り締める。
エリザも不安そうにボクを見つめた。
否定をしたい、所だけど……ここで余計なことを言ってカエクスさんが閉じこもってしまったら、また元の木阿弥だ。
「そこで、それだ。内容のこと……認めてくれないか」
「それは……し、しかし……陛下は、宜しいので?」
「勿論だ。寧ろこの話は俺から父上にした話さ」
「あ、あの。一体何が……」
「……読むと良い」
カエクスさん……ボクの父が、書状をそっと差し出してくる。
ボクがそれを受け取ると、リュディヴィーヌ様とエリザも覗き込んできた。
ボクはその内容に目を通す。
そこには、短い文章でこう書かれていた。
『セシル・ランスロットとウィルフレッド・アーサー・プレイアスの婚約の承認を要請する』