円卓王はかく語りき
「――この王都の人々は朝、家族の一人がこの礼拝堂でロランに礼を述べてから生活を始める。『救世主の遺体』として、な。だから、彼はここで眠っている」
「――へ? い、いや、おかしいです。そんなこと、ありえない」
その意外な言葉を、ボクは否定する。
ロランはこのプレイアスの前王を殺した、いわば戦争に敗北した原因を作った張本人だ。
それなのに、敗戦国の民が救世主の遺体として礼を述べる? 意味が分からない。
「セシル。ヘスペリスは、『侵攻』をしたことがあるかね」
「勿論過去にはあるでしょうけど……近代ではないと思います。少なくとも、ここ数百年は」
戦争自体はプレイアスとの戦争以外にも勃発したことはある。が、それは殆ど防衛戦だ。
輝剣騎士隊の勇名が轟くまでは侵略者が現れることもあった。作物だって育つし、魔力的にも豊かな場所だから、その肥沃な大地を狙う輩は多かったのだ。
「それが、何かロランのことと何か関係があるんですか?」
「勿論だ。『侵攻』はな。膨大な金と人員が掛かるんだ」
マルス王はまるで遠い昔のことを話すかのような目をしながら、礼拝堂の椅子に座った。
「武器を買い、馬を買い、兵糧を買う。その金はどこから出ると思う?」
「それは……税から、ですよね」
「そうだ。兵士もそこらに生えている訳ではない。民から息子を、父を、奪って兵士とする。……一度ならいい。祖国繁栄のためだからと我慢が出来るだろう。だが、それが何度も何度も続いたら、どうだ?」
「あ……」
そうか。プレイアスは領土拡大することで繁栄してきた国だった。
その度に領民は家族を奪われ、不安な日々を過ごす。兵士も同じだ。一度は生き残れても、二度目はどうか分からない。そんな戦いに何度も投入されれば、心が身体が、消耗していく。
「戦争による増税、徴兵で奪われる家族……繰り返されるその連鎖を止めたのが、ロランだ。……今でも忘れられないよ。前王が死んだと聞いた時の、この王都での歓声はな」
「……つまり、前王は支持されていなくて、それを止めたロランが救世主扱いされている、ということですか……」
「それも、ある」
「それも?」
「ただ前王を止めただけで、ここまでの扱いはされないよ。……リュディヴィーヌ様もエリザも、落ち着いたかな」
「……申し訳ありません。てっきり、辱められていると思っていたので、驚きました」
「うん……返せない状態になってるって可能性も、頭の片隅では考えていたから……」
「そんなことはしない」
「マルス様はそうかもしれないですけど……」
「前王を慕っている者も、出来やしないさ」
「ふぇ……?」
「……一度、ヘスペリス王家には礼を言いたいと思っていてね。他の者がいると、王である手前、こんなことは許されない」
リュディヴィーヌ様の前にマルス王は移動すると、その頭を床にこすり付け、頭を垂れた。
「えっ……!?」
「礼が遅くなり申し訳もありません。ヘスペリス王家には感謝しても感謝しきれません。――我が国を、我が民を、その多大なる温情でお救い頂いたこと……心より、感謝いたします」
「ど、どど、どうしたんですか……!? あの、わ、私なにも……!」
突然土下座され、リュディヴィーヌ様が仰天する。
それはボクとエリザも同じだ。プレイアスの王が、女王でもな皇女のリュディヴィーヌ様相手にこんな真似をすることは、通常ありえないし、許されない。
「……もしもあの時、貴方の母親であるリュミエール女王陛下が、ロランの遺体の返還を選んでくださらなかったら――そして、その条約の履行をここまで先延ばしにしていなければ、プレイアスは滅びていた」
「どうして、ですか? プレイアスは大国ですし、私の知る限りでも優秀な将が複数人居るはずですが」
エリザがマルス王に尋ねると、マルス王はふっと笑った。
「あの戦争以来、我が国は実質二つの国に別れているようなものでね。……前の体勢に戻すべきだという前王派と、今の私に付いてきてくれる者、現国王派といった所か。そんな状態で他国の侵攻を堪えられたとは思えないからだ」
「それと、ロランの遺体に何の関係があるんですか……?」
「……あ……そっか。私達にとってはただの条約不履行だけど……他国からは、違う……?」
リュディヴィーヌ様が何かに気付いたかのように声を出す。
マルス王はそれに頷いた。
「その通りだ。見方を変えて見てくれ。もしも、ヘスペリスではなく、プレイアスでもなく――もっと他の近隣国から見たら、が、どういう意味を持つのか」
「……私達にとってプレイアスと結んだ平和条約は、遺体を返して貰うことだけ……、いくらロラン様の遺体だって言っても、普通、その程度で許容できる内容じゃないよね」
「ええ。そのせいで、女王陛下は苦境に立たされました。治政が安定した今でも、時々やり玉にあげられることがあるもの。私も、気持ちは凄く分かるけれど……国を代表する立場で言えば『失敗』。そう言われても仕方のない、最悪の選択だった……と、思う」
それは否定できない。
そのせいで、輝剣騎士隊も一度内部分裂することになった訳だし、ね。
「うん。でも……他国から見れば最強の騎士部隊を持つヘスペリスが、割譲と賠償金よりも優先したロラン様の遺体を優先した……ってことだよね?」
「え……?」
「国の領土より、賠償金の支払いよりも、何よりもまず優先したのは、ロラン様の遺体。他国から見れば、とても歪んでいて……理解出来ないことだけれど、それは確かな事実。そんな遺体がプレイアスの国内にある……もしも他国が、名将で名声を轟かせた前王を失ったプレイアスに今が好機だと攻め込んだら……」
「……ヘスペリスが、戦争に参加するかもしれないと思ったってことですか? そんなバカなこと……」
たかが男一人の死体。そんなものにそこまでの価値があるなんて、ボクにはとても思えない。
でも、リュディヴィーヌ様の言葉を聞いて、マルス王は笑いもせずに静かに頷いた。
「だが、事実としてヘスペリスはロランの遺体のために、戦勝国が得られるものを全て投げうったのだ。それに、輝剣騎士隊は、ロランの名の元に集ったのだろう? 国の損得を無視してでも、エリザ、ギュリヴェール、シャルル……衰えているだろうが、アスランベクも、相手にはしたくない」
「……だから、返せなかった。ロラン様の遺体が返還されたと知らされれば、他国が攻めて来たかもしれないから……」
「そうだ。ロランの遺体の返還を引き延ばして盾にするために鎖国をし、プレイアスの内部が荒れているという一切の情報流出を絶った上で、内政を整え、プレイアスを立ち直らせる――それが、カエクスの建てた策だった」
「カエクス?」
「貴族の一人で、私の右腕だった男だ。今はもう政治の場には参加していない」
マルス王はふぅ、とため息を吐きだした。
「ロランの遺体を返せないと言ったのは、まだプレイアスの内政が整っていないからだ。先ほど言ったように、プレイアスの貴族達は私を支持する現国王派と、前王の体勢に戻るべきだという前王派に二分されている。そんな状態で遺体を返還すれば、プレイアスは遠くない間に滅びてしまう」
「……理解しました。あの、一つ、お聞きしても良いですか?」
リュディヴィーヌ様の質問に、マルス王は「なんなりと」と答えた。
「もし、現国王支持に貴族達が纏まったとして――マルス王は、ヘスペリスとどうお付き合いしていくつもりなんでしょうか」
「同盟を、結びたいと思っている。その過程で、ロランの遺体も返還すると約束する。無論私達に不利な条件を付けられることは理解しているが、それでも――私は、君達と友になりたい」
同盟。
その言葉に、リュディヴィーヌ様は微笑んだ。
「分かりました。私も、プレイアスと手を取り合って歩んでいけたらいいな、とは思っています」
「ありがとう……心強い」
「何かお力になれることがあると良いんですけど……生憎、ヘスペリスに働き掛けることも今の私には出来なくて……」
申し訳なさそうにリュディヴィーヌ様が肩を落とすと、マルス王は首を横に振った。
「いや……そんなことはない」
「ふぇ……?」
「カエクス。……先ほども言ったが、彼さえ政治の場に戻ってくれれば、現国王派は一気に力を取り戻す。彼が居なくなったことで、現国王派と前王派が互角になった。だから、彼が戻ってきてくれれば、この状態も好転するはずだ」
「そこまで力のある貴族なんですか?」
「プレイアス内では最も力がある。ヘスペリスでいえばエリザか、シャルか……ともかく、表舞台に出なくなっても、彼の納める所領は最も栄えていて、未だ領民からの信頼も厚い。貴族達からも一段上の扱いを受けている。そちらの国で言えば公爵家に近いかな」
我が国では貴族に位はないが、とマルス王が説明してくれる。
「そんな有力な貴族が、何故表舞台から身を引いたのでしょうか」
「……十五年程前に、最愛の妻を失ったんだ。王都から所領に戻る途中、乗っていた馬車が襲われて、遺体も出なかった。カエクスは、鎖国をしてから五年経っても一向に国内が纏まらないことに疑問を抱いていてな。一部の貴族を中心に、前王を支持する裏切り者が居ると勘付いた矢先のことだったよ」
「もしかして、前王派の貴族の仕業ですか……?」
「おそらくは。証拠は、出なかった。だが……同じ国の仲間に、愛しい妻子を奪われた。それで、心が折れたのだろうな。それ以来、カエクスは所領から全く出なくなった」
「妻子……子供が居たんですか?」
「身ごもっていたんだよ。だから余計に……な」
礼拝堂に沈黙が訪れる。
仲間のために頑張っていたのに、そんな仕打ちをされたら、何もかもが嫌になったって、変じゃない。
エリザの拳が握りしめられた。つい最近まで、 輝剣騎士隊も真っ二つに道を違えていたんだ。カエクスという男の気持ちが、少し分かったんだろう。
「あの、それで……私が力になれること、というのは……?」
「カエクスの屋敷に行ってみてくれないか」
「……聞いた話だと、言ってもあまり力にはなれなさそうですが……」
「そうでもないさ。何かが変わるかもしれない。奇跡は――いつだってそこにあるもの、だからな」
そう言ったマルス王の視線が、ボクに向いたような気がした。
……? 気のせい、かな?
「――分かりました! 良いよね? 二人とも」
「はい。リュディヴィーヌ様が決めたのでしたら」
「ボクもです」
「ありがと! マルス様、カエクスさんのお屋敷まで、案内はしていただけるのですよね?」
「勿論だ。必要な金銭や衣服、馬車もこちらで用意させていただく。……ありがとう」
マルス王がにっこりと満面の笑みを浮かべる。
さっきの視線は気になるけど、今はとにかく、そのカエクスという貴族に会ってみよう。
ロランの遺体の返還に向けて、前進はしているはずだしね。
「用意が出来たら、遣いの者を送ろう。それまでは商人の家で休んでいてくれ」
「分かりました。それじゃ、レイクさんの家に戻ろっか」
「ええ、そうしましょう。……お話をしていただいてありがとうございました。マルス陛下」
「いいや、こちらとしても有難い限りだ。かのエリザ・フォレスティエが仲間だとこうも心強いのだな」
「そう言って頂けると。では、失礼します」
「ありがとうございました。マルス様」
「ああ。……セシル」
「? はい……?」
突然名前を呼ばれて、ボクは戸惑いながらもマルス王を見る。
一国の王は、手をゆっくりと差し出してきた。
「いつか聞かせてくれ。いかようにして、守護竜を倒したのか、な」
「……分かりました、機会があれば」
その手を握り返し、握手を交わす。
「それでは、失礼致しますね」
「ああ。よろしく頼む」
軽く頭を下げてマルス王と別れ、ボクはリュディヴィーヌ様とエリザと共に、レイクさんの屋敷へと戻る。
最期まで、マルス王は礼拝堂の中から、ボク達を見送ってくれていた。