密入国
大変お待たせ致しました。連載を再開致します……!
ドラゴンが吠える。
隣でリュディヴィーヌ様が怯えたように息を呑み、エリザはリュディヴィーヌ様を背中に隠した。
ボク達が今いるのは、ヘスペリス領とプレイアス領の国境沿いにある谷だ。
宵闇に紛れるようにしてここまで来たボク達の目の前に現れたのは、最強と名高い魔獣、ドラゴンだった。
ヘスペリスとプレイアスを繋ぐ橋が掛かっていたこの谷にドラゴンが住みだしたのは十年程前らしい。
「ホントにここを通る以外に、行く方法はないの……? あんなおっきいドラゴン、初めて見た……」
「ええ。間違いなく。寧ろ、プレイアスへ入れるのはあのドラゴンが居るからこそ……です」
リュディヴィーヌ様の言葉に、エリザが頷く。
勿論普通の道ならばプレイアスへ続く道は幾らでもある。でも、そういった道は全てプレイアス兵が閉鎖していて、侵入は難しい。
強引に突破して、国同士の緊張を招く訳にはいかないしね。
この谷も十年前までは兵士が見張っていたはずなんだけど、あのドラゴンがこの谷を住処にしたことで、兵士は撤退したらしい。
あの竜の傍で立ち続けて人が来るのを待つなんて正気の沙汰じゃないし、そもそもあのドラゴンを退けられるとは思っていないのだろう。
十メートルを軽々と超える巨躯のドラゴンは、咆哮を轟かせながら僕達を見つめている。
「う、うぅ。分かってるけどぉ。あのドラゴン、輝剣騎士隊を派遣してなんとかしようとしてたんだよね?」
「はい。何度か追い払おうとしましたが、危険なので断念しました」
「そ、そうだよね。ねぇ、エリザ、やっぱり国境を守る兵士に賄賂を渡して通して貰った方が安全だと思うよ……?」
「大丈夫です、リュディヴィーヌ様。一カ月前に同じ作戦を立案していたのなら、私やシャルもそうしたと思いますが」
エリザがちらりとボクを見る。
ボクは、エリザの期待の籠った視線に小さく頷く。
エリザは嬉しそうに笑顔を返してくれた。
「――私達の英雄が、帰ってきましたから」
その言葉に背中を押されて、一歩前に踏み出す。
退かないことを感じ取った竜が、牙を剥いた。
それを眺めながら、ボクは腰に手をやる。
そこには、二十年前にエリザが持ち帰ってくれたボクの愛剣が、今か今かと抜き放たれるのを楽しみにしていた。
剣を鞘から引き抜く。
かつて、ロランの手の中で輝きを放った名剣『ジョワユーズ』が、月光を反射して再び輝いた。
そして、ボクはそのままドラゴンへと走り出す。
ドラゴンの口が輝き、炎が吐き出された。
その炎を光の盾で防ぎながらドラゴンに斬りかかる。
ドラゴンはボクの攻撃を間一髪避けると、翼をはためかせ空中へと身を翻した。
「逃がさない」
ドラゴンを追いかけ、ボクも空中へと跳びあがる。
光で足場を作り、ドラゴンと同じ高さまで登って、そのまま翼を斬り飛ばした。
悲鳴をあげながら、ドラゴンが地面に落ちていく。
「きゃぁっ!」
「こちらへ!」
リュディヴィーヌ様をエリザが守ってくれている。それなら、ボクはそっちを気にする必要はない。目の前の竜を討伐することに集中すればいい。
竜に追撃に掛けるべく光の足場を消し、剣に光を纏わせる。
ドラゴンは魔法に対する抵抗力が高い上、その鱗は鋼のような硬さだ。
それなら、後のことを考えて魔力や体力を温存するより――今持てるボクの全力を叩き込む!
「――『救国の輝剣』!」
そのまま落下速度を利用し、ドラゴンの身体にめがけて剣を降り下ろす。
光の柱が、天へと伸びた。
ズンッ! と地面を揺るがすような衝撃が周囲に走る。
ボクはゆっくりと動かなくなったドラゴンから剣を抜いた。
「――ふぅ」
剣を納め、ドラゴンの身体の上から降りると同時に、ボクの顔面にもぎゅっと柔らかい感触がぶつかってきた。
ボクの頭を、リュディヴィーヌ様が抱きしめたのだ。
「セシルカッコいい好き好き好き~っ!」
「もががっ! ちょ、リュディヴィーヌ様っ、前が見え、息がっ……!」
「ごめんなさーいっ、つい恰好良くて理性が飛んじゃった」
てへへ、と舌を出しながらリュディヴィーヌ様がボクから離れる。
「流石ね……私達が敵わなかったドラゴンをあっという間に……」
「倒せてよかったよ」
一気に魔力を使っちゃったから疲れたけど、これで向こう岸に渡ってプレイアスに行ける。
取り戻すんだ。『ロランの遺体』を。
そして――セリーヌ様の隣に、もう一度。
「じゃあ、行こー!」
「セシル、疲れているところ悪いんだけれど……」
「うん。任せて、光で橋を造るから」
崖に光の橋を掛ける。
我ながら凄く便利な魔法だ。正体がバレないか心配していた時は使うのを躊躇っていたけど、これからは遠慮しないぞ。
その橋を渡って対岸にたどり着く。
ここはもう、プレイアス領だ。封鎖していた国……何があるか分からない。気を引き締めて行かないと。
そう思った矢先。
武装した兵士二人を伴った一人の男性が、木陰から姿を現した。
白髪に赤目という神秘的な容貌の彼は、ボク達を見やり、笑顔を浮かべた。
「――凄いものを見させて貰ったよ」
「っ」
……見られてたか。
目撃される可能性を下げるために夜を選んだけど、運が悪かったみたいだ。
ちらりとエリザに目線をやる。
エリザは小さく頷くと、腰に提げた剣にそっと手を掛けた。
「おっと、敵対するつもりはない。輝剣騎士隊の隊長とドラゴンスレイヤー相手に戦わされたら、俺の護衛が可哀想だからな」
すっと男性が手をあげると、二人の護衛は剣をしまって武装を解除した。
男性に対して、エリザが落ち着いた声色で質問を飛ばす。
「……貴方は?」
「ただの商人だ。レイク・ナイトハルト」
「どうして、ここに居るのですか?」
「俺は首都で商いをしていてね。良い商品が入ったと聞いて地方まで出た帰りなんだ。予定より少し遅れてしまって、ここで野宿をしていたら君たちがドラゴンと戦うのが見えた」
「……では、どうして話しかけたのですか?」
「チャンスだと思ったからだ。そちらのお嬢さん。リュディヴィーヌ殿下、だろう?」
レイクと名乗った男に見られて、リュディヴィーヌ様がささっとボクの後ろに隠れる。
勿論、その質問に答える訳にはいかない。王族が隣国からこっそり入国したと知られれば、プレイアスにとっては千載一遇の好機。捕えて不法な入国を咎めれば、それだけで有利な交渉を行えるだろう。
エリザが横目でボクを見る。
『口封じをした方が良いんじゃないかしら?』
目線でそう問いかけている。
ボクは軽く首を横に振った。
まだ早い。情報は引き出せるだけ引き出してから対処すべきだ。
「ああ。待ってくれ。別に他に報告しようとは思っていない。寧ろ協力したいくらいなんだ」
目ざとくボクとエリザの目線の交換を察した彼が、慌てて両手を上げて敵意の無いことをアピールする。
「協力?」
「言ったろう? チャンスだと思ったって。……あのエリザ・フォレスティエとドラゴンを倒せる程の騎士を伴って、ヘスペリスの皇女殿下が秘密裏に入国した。それだけで目的は察することが出来る。……〝遺体″は、我が国の首都である、『王都アーサー』にある」
遺体、という言葉にリュディヴィーヌ様が反応して、ボクの服の裾をぎゅっと握った。
「そこまで、俺が案内しよう。二十年前の戦争でも、輝剣騎士隊はボレアリス平原までしか進軍していない。プレイアスの国の地理には詳しくないはずだ」
「そうとは限りませんよ? 間者が地図を入手している可能性だってあります」
「いいや、それはないな」
「どうして、そう言えるの?」
「簡単なことだ。もしも間者を放ち、この国の内情を知っているとしたら――ヘスペリスはとっくにプレイアスを滅ぼせているからさ」
レイクが肩をすくめる。
ボクとエリザは顔を見合わせた。
「……確かに、ヘスペリスはプレイアスの情報を掴んではいないよ」
「セシル? こちらの情報を教えるのは……」
「レイクさんはこっちの目的にも現状にも気づいているみたいだから。教えて貰えることがあるなら教えて貰った方が得だと思うよ。誤魔化してもしょうがないからね」
「そういうこと。セシルさんの言う通りだ。誤魔化さないことは信頼を得るために一番大切なことじゃないか?」
「そうだね。それじゃ聞いても良いかな?」
なんなりと、とレイクさんがボクに笑顔を向ける。
「国の内情って言ったけど……それは国王が死んでから、ゴタゴタが有って、それが今も続いているってことで正しいかな」
「あぁ、その通り。現在の国王、マルス・アーサー・プレイアスは人望がないからな」
「それなら、鎖国をしたのにも納得が出来るね」
「……納得?」
ボクの言葉に、レイクさんが興味を示す。
「うん。そもそも……ボクやエリザが知っているプレイアスなら、鎖国なんて手段を取ることがおかしかった」
そう、思えばプレイアスが鎖国をしていること自体に違和感があった。
前世の記憶……今から二十年前の戦争のことを思い出す。
最強の騎士団と言われていたボク達、輝剣騎士隊を擁するヘスペリスは――プレイアスの王の計略によって危機に陥った。
元々プレイアスという国は、戦争を糧にして成長してきた国だ。戦争巧者の王と、それを支える強力な兵士達。
それでも、地力ではヘスペリスの方が上だったろう。しかし、プレイアス王の戦略によって敗戦寸前にまで追い込まれた。
戦線が間延びさせられた所で本国からの補給部隊との連絡を絶たれて各隊が孤立。兵糧が少なくなっていたこともあって、戦争が長引けばあのままヘスペリスは敗北していただろう。
その状況を変えるために、ロランとエリザとギュリヴェールの三人で、最もプレイアス兵の攻撃が苛烈なボレアリス平原へと向かい――ロランはプレイアスの要である王と、刺し違えた。
「――王は、死んだ。でも、あの洗練された兵士達は残ってる。それなら、鎖国なんかする必要はない。他国と関係を絶つよりも、睨みを利かせながら交流を持った方がプレイアスにとっては得だった。それをしないってことは、国内の情勢を知られたくないってことになるよね」
「……その通り。現国王マルスは戦争を嫌っていてな。前王の方針の元、領土拡大をしてきたプレイアスの実権を握る有力な貴族達は、それに反発した。……無論、マルス王の味方も居る。貴族はほぼ真っ二つに割れていると言っても良い。そんな状態を周辺国に気取られる訳にもいかない。だから、鎖国をせざるを得なかったという訳だ」
「……でも、それじゃおかしいよね? もしも他国から攻められたら……」
リュディヴィーヌ様が控えめに零す。
レイクさんはそれに笑みを返した。
「まぁ。その話は首都に付いてからの方が良いだろう。馬は乗れるよな」
「それは勿論……。でも、良いの? ボク達を助けても」
「ああ。寧ろ、首都まで案内することが俺の得にもなる」
? どういうことだろう?
首を傾げるボクに、レイクさんがにやっと笑みを向けた。
「実は、今回の商売で思っていたよりも高価な商品が手に入ったんだ。首都にある俺の店にまで送り届けるためには護衛が二人じゃ心もとないと思っていてな。そこでドラゴンを倒すほどの腕前を持つセシルと、輝剣騎士隊のリーダーであるエリザ、その二人に守って貰えれば心強い。……いや、これ以上の護衛は見つかりっこない」
「……なるほどね。私達で貴方と貴方の商品を守るのが案内の代金替わりということかしら」
「その通り。良い案だろう? そのかわり、君たちは真っ直ぐに首都に辿り着ける」
確かに、それならボク達も助かる。
首都にロランの遺体があるというのなら目的地は必然的にそこになるしね。
「リュディヴィーヌ様、良いですか?」
「うん、勿論。ありがとうございます、レイクさん!」
「いえいえ。こちらこそ、皇女殿下の盾をお借り出来て光栄です」
「夜の移動は足元が見えずに危険ですし、翌朝の出発にしましょう」
「それが良い。テントまで案内しよう。盗賊が寄ってこないよう、ドラゴンの谷の近くで張っていて幸運だったよ」
上機嫌にレイクさんが移動を始める。
ボク達はその背中を追いかけた。