『次なる舞台へ』 第一部完
「エリザばっかりズルいじゃないか! ぼくもセシルと一緒に行きたい!」
「だから、何度も説明したでしょう?」
「エリザは一緒に行けるわけだから冷静で居られるだけだよ。逆の立場だったら同じように騒いでたでしょ」
「そんなことはないわ。セシルの命令なら大人しく従うもの」
「そんなに目を泳がせて言っても説得力皆無だよ。絶対に嫌だ。ぼくもセシルの傍に居る。留守番なんて認めないからね」
かたくななシャルに、エリザが苛立ったようにため息を吐く。
エリザの脱退とその理由を聞いたシャルが血相を変えて飛び込んできたのは、もう三十分以上も前のことだ。
シャルは仲間として活動していたため、リシャール皇子派からの信頼を得ている。
相手の情報を得て、セリーヌ様達を守るためには、シャルに残ってもらった方が良いんだけど――それはこちらの都合なわけで、シャルの感情は度外視したものだ。
「お願いシャル。貴女にしか頼めないのっ。自分が適任だって分かってるでしょ?」
「いくら皇女のお願いでも聞けません。ぼくはセシルと離れるつもりはありませんし、何よりもエリザはずっと傍に居られるのに、ぼくはダメっていうのは絶対に嫌です。エリザが輝剣騎士隊を辞めてセシルについていくというのなら、ぼくもそうします」
「それは困るわ。私は『一連の騒ぎの犯人を特定しながら、皇子を危険に晒した』という責任を取って辞めるんだもの。貴女には辞める理由がないでしょう」
「それなら適当に作るだけだよ。ギュリヴェールをぶん殴った、とか」
ギュリヴェールの奴、理由づけに殴られるのか……可哀想に。
「はぁ。セシル、貴女から言わないと聞かないわよ。こうなったらシャルは頑固だもの」
エリザが助けを求めるようにこちらを見る。
元から話はするつもりだったしね、丁度いい。
ボクはシャルの目の前に移動して、じっとシャルの顔を覗き込んだ。
「シャル?」
「なに? セシルもぼくを仲間外れにするの? いっつもそうだよね。エリザばっかり贔屓して……ぼくの方が、君のこと、愛しているのに」
「そんなつもりはないけど、そう感じてたならごめんね。シャルはエリザよりも臨機応変に立ち回れるし、何も言わなくてもボクの意図を汲んでくれるから、つい無理や我慢をさせることになっちゃってるのかもしれない」
「む、ぐ……」
エリザが眉根を吊り上げボクをジト目で睨んでいるけど、ここは気付かなかったことにして、ボクはじっとシャルの顔を見つめる。
無理なお願いをするんだ。目はそらさずに、真っ直ぐに誠意を伝えよう。
ボクに見つめられ、シャルの頬が朱に染まっていく。
前世ならシャルは恥ずかしがり屋だと思っていたところだけど、あれだけボクを慕ってくれているのを目の当たりにしたら、これが好意だということははっきり理解出来る。
それを利用するみたいで嫌だけど……これが一番、リスクが少ない方法だとボクは思う。
「シャルの気持ちを知った上で、ボクがお願いするのはズルいと思うけど――それでも、リシャール皇子の動きを察知してリュミエール女王やセリーヌ様達を守れるのは、シャルしかいないんだ」
「ぅ……」
「お願いだよ、シャル。ボクを、助けて」
「……うぅぅ~~~……。はぁ、分かったよ」
「ありがとう、シャル……!」
「でも! その代わりっ。ぼくのお願いを聞いて?」
上目遣いにシャルがボクを見つめる。
その可愛らしいお願いに、ボクは迷いなく頷いた。
「うん。良いよ」
「ま、待って。セシル」
「エリザ。こっちのお願いを聞いてくれるのに、シャルのお願いは聞けない、なんて筋が通らないよ」
「う、ぐ。それはそうだけれど……!」
「二つ。良いかな」
「勿論。ボクに出来ることなら」
エリザの静止の言葉を遮って、ボクはシャルに笑顔を向ける。
シャルは自分の気持ちを抑え込んで、ボクのために望まないことをしてくれようとしている。
それならシャルのお願いを聞くことくらい、何のためらいもなかった。。
「……一つは、帰ってきたらぼくと出掛けて欲しい。二人きりでね」
「それくらいなら、喜んで。もう一つは?」
もじ、とシャルが頬を染めながら身体を揺らす。
そして、言いにくそうにしながら、
「――キス、して欲しい」
「「だめっ」」
同時に声を上げたのは、リュディヴィーヌ様とエリザだ。
「セシルにキスしていいのは私だけだもん!」
「貴方達女性同士じゃない! 皇女様もそうだけど! 不純だわ!」
「ふん。自分だって隙あらば狙ってたんじゃないの?」
「そ、しょんなことはにゃいわよ!」
「そんな噛み噛みな時点で図星って認めたようなものだよ」
「え、えーっと、シャル? ボクもエリザの言う通りだと思うよ。リュディヴィーヌ様にも、出来ればキスは辞めて欲しいし……」
「セシルは分かってないね。ぼくは、キミの心を、意志を、魂を愛しているんだ。性別なんてどっちでもいい。それは皇女もエリザも一緒だろうけどね」
「それはそう、だけれど」
「そうだね~っ」
「だから……キス。……だめ?」
うぐ。可愛らしく小首を傾げられて願われたら断りづらいよぅ。
恥ずかしさで顔が赤くなるのが分かる。同性同士でこんなにキスとかするものなのだろうか。いや、そもそもキスってこんな簡単にしていいものじゃないよね? 将来夫婦になる人同士がするものじゃないんだろうか。
ボクがそんなことを考えていると、シャルはふっと一瞬寂しそうな表情を浮かべて、すぐに笑顔を取り繕った。
「……冗談だよ。じゃあ、出掛けるだけで良いから」
「シャル……」
「皆を守るためにキスを要求するのは、ズルいしね。無事に帰ってくれば、これからはずっと一緒に居られる訳だし――」
「……っ、んっ」
「ン――っ!」
意を決して、シャルの唇に自分の唇を重ねた。
隣からエリザとリュディヴィーヌ様の「「あーーーーー!」」という悲鳴にも似た声が響く。
二秒ほど重ねた唇を離すと、まるで火にあぶられているみたいに顔が熱くなる。
「……っ、無理なことを頼んで、ごめん。皆のこと……お願い、するね?」
「…………うん」
頬を朱に染め、目を潤ませながら、シャルは艶やかに自らの唇をなぞる。
それがぞくっとするほど色っぽくて、ボクは思わず目をそらした。
「ううううー! ずるいずるいー! 私もセシルからされたいーっ!」
「わ、私は一度も、そんなっ……っ」
「セリーヌさん達のことは、ぼくに任せて。セシルが、無事に成し遂げて帰って来た時に、キミの居場所があるように、しっかり皆を守るよ」
「……うん」
だ、ダメだ。シャルの顔を真っ直ぐに見れないよぅ。
ちらちらと自分の表情を伺うボクの様子に満足気な表情を浮かべた後、シャルは扉に向かい、最後に、こちらの方を振り向いて、
「……ふふっ♪ 二人とも、お先に♪」
明らかな挑発をエリザとリュディヴィーヌ様に投げつけ、シャルは扉の外に出て行った。
「ぅぅぅぅ~~~~……! セシルは、セシルは私のなのにぃ……!」
「あ、あの、頭ピンク騎士……っ」
「ふ、二人とも、落ち着いて?」
「いいもんっ! チャンスはたっぷりあるんだから!」
「ええ、これから先は三人旅だもの。幾らでも好機は訪れるわ」
……もしかしてボク、余計なことをしちゃったかな……?
二人の肉食者の目覚めを感じつつ、非捕食者であろうボクは、身体を震わせるしかなかった。
☆
元気にしているかしら? ただでさえ小さな胸が、痩せて小さくなっていない?
わたくしは大丈夫よ。ロシーユとシリアが手伝ってくれるし、一人でも、きっと公爵令嬢に相応しい振舞いを続けるわ。
新しいメイドを用意しよう、というお父様の提案も断ったの。貴女が帰ってきた時、困らないように。
だから、絶対に帰って来なさい。
そうしないと、許さない。
そんな風に綴った、どこに出せばいいかも分からない手紙を、わたくしはテーブルの中にしまい込んだ。
その手紙を読んで憤慨してわたくしに膨れっ面を見せる、大切な親友を想像しながら。
「セリーヌ様、行きましょう?」
「ええ。いつもありがとう、ロシーユ。それにシリアも」
「……いえ……当然です。大切な友人の主ですから」
「シリアの言う通りです。私は、その、セリーヌ様を、お支えしたいと思っていますから。その、友人として……」
「……ありがとう」
二人には、本当に助けられている。きっと、一人でなら折れていた。
「さあ、今日も胸を張っていかないとね。皆に心配を掛ける訳にはいかないもの」
「はいっ」
「……セリーヌ様、申し訳ありません、その前に……こちらを」
一歩踏み出そうとした時、シリアが一通の手紙をわたくしに向けて差し出してきた。
王家の封蝋がされたものだ。つまり、王族からの手紙ということになる。
受け取り、裏を見てみるが差出人の名前はどこにもない。
「これは……?」
「……リュディヴィーヌ様から、セリーヌ様に渡すようにと、お願いされました」
リュディヴィーヌ様から……?
一度部屋に戻り、ペーパーナイフで手紙を開ける。
そこには短い文が見慣れた字で書かれていた。
『絶対に帰ってくるね』
「……っ……」
ぽた、と手紙に水滴が落ちる。
慌てて手紙が濡れないようにテーブルに置いて、わたくしは溢れた涙をハンカチで拭った。
「……セリーヌ様?」
「だ、大丈夫ですか? 一体何が……」
「ごめんなさい。悲しいから泣いている訳じゃないわ」
二人を心配させないよう、笑顔を見せる。
「これは――嬉し涙よ」
手紙を丁寧に折り畳み、引き出しにしまいながらわたくしは顔をあげ、前を向く。
――仕方ないわね。待っていてあげるわよ。
そんなことを心の中で呟きながら、わたくしはそっと引き出しに鍵を掛け、友人が待っている明るい方へと、歩き出した。