『輝剣祭』④
泣いているエリザの涙を、拭ってあげたいと思った。
切っ掛けは本当にただそれだけ。目の前にいる大切な仲間の涙を止めたい、ただその気持ちが、ボクの体から離れて行こうとする光を紡ぐ原動力になった。
気付けば、ボクは小さな女の子の姿になっていて――この気持ちも、その過程で見た記憶も、忘れてしまっていた。
多分それは、未来を視るという行為の代償。
でも、どうしても変えたい未来があるから。
ボクは無意識のうちに、何度も何度も夢で未来を覗いてはそれを忘れて、起きて頭の痛みに悩まされるという生活を何年も送っていたんだ。
だから、あの光景は現実に起こること。
広いダンスフロアの中、観衆に囲まれながら中央に立つ三人――セリーヌ様と、ギルバート様と、コレット様。
「君が彼女にしてきた悪行の数々、見過ごすわけにはいかない」
ギルバート皇子が、冷酷に告げ、それを受けたセリーヌ様は涙目になりながら首を横に振るい、
「違う……違いますわ、皇子! わたくしは……!」
「婚約を破棄し、君を追放処分とする。……残念だよ、セリーヌ」
「わたくし、そんなこと……っ」
「皇子に近づくな!」
武装した騎士がセリーヌ様に近寄って、そのままセリーヌ様は囚われる。
そんな光景が、後数時間……輝剣祭のダンスパーティで、起こる。
止めなくちゃ。
この未来を、変えるんだ。
何があっても――絶対に。
そしてボクは、目の前に差してきた光に手を伸ばした。
☆
目を開けると、そこにはアスランベクの顔があった。
「セシル!」
「……う……」
「ああ。良かった……目が覚めたのだな。試合中いきなり倒れたのだ、覚えているか?」
「うん……分かってる。ボク、どれくらい寝てた?」
「二時間という所だ。今は決勝戦を行っていて、エリザとギュリヴェールがやり合っている」
決勝戦……ということは、ダンスパーティはあと一時間ちょっとで始まってしまう。
そうなれば、セリーヌ様は……。
「こんなことしてる場合じゃないんだ。セリーヌ様が……!」
ボクは自分の視た未来のことを話す。
「――だから、このままじゃセリーヌ様が追放されちゃうんだ。突拍子もないことに聞こえるかもしれないけど、お願い。信じて……!」
ボクが必死に訴えると、何も言わずに話を聞いてくれていたアスランベクは頷いてくれた。
「お前の言うことなら勿論信じよう。それに、タイミングも良すぎるからな……」
「どういうこと? タイミングが良すぎる、って」
「城から報告書が届いてな。社交パーティでお前が捕まえた誘拐犯を覚えているか?」
「勿論、覚えてるけど」
「あの男が自供したそうだ。自分は、セリーヌ・フィッツロイに依頼された、とな」
「っ――! そんなこと……!」
「ああ。分かっている。それは嘘だろう。だが……ギルバート皇子は、セリーヌ様との婚約を解消し、彼女を追放することに決めた。リュディヴィーヌ様が教えてくれた」
「そんな……! で、でも理由が違うよ。ボクが見た未来じゃ追放されるのは、それが理由じゃ無かった!」
「これは自分の想像でしかないが、ギルバート皇子は、その場で違う理由をでっち上げるのではないか? その場にはお前もいるのだろう? ギルバート様から見れば、敬愛する主が誘拐犯を雇ったと知ればお前がショックを受けると思ったのかもしれん」
どうにかあの光景を変えることが出来ないかと思っていたのに、段々と終わりの時が近づいてくるのが分かる。
ボクは手をぎゅっと握りしめ、強引に体の震えを止めた。
「どうして、ギルバート皇子はそんなこと、信じるの……? セリーヌ様は、婚約者なのに……」
「傍にコレットが居た、と言ったな。それが答えだと自分は思う。恐らく、コレットは暗示のようなものを掛ける魔法を使うことが出来るのだ」
「繚乱会で一緒に居たギルバート様に変じゃなかったよ。魔法で操っているなら、違和感があるんじゃない?」
「巧妙に、本人すら疑問を抱かず思考を捻じ曲げているのではないか。フランツの時もそうだったろう? ずっとギルバート様の傍で護衛をしていたが、師匠であるギュリヴェールすら違和感を覚えていなかった。なのに、コレットと関わって暫くしてから、あのような凶行に及んだのだ」
たしかに、あの時のフランツの様子は、なんというか――思い込んでいる、そんな感じだった。
「セシルは知らないだろうが、フランツは元々あんな凶行に出るような性格ではない。ギュリヴェールが弟子にした男だぞ? 滅私奉公。国のため、人々を守るために努力していた男だ。どんな理由があったとしても公爵令嬢を襲うだなんてことはありえない」
「じゃあ、フランツがあんな事件を起こしたのも、コレットの魔法があったから?」
「そうと考えた方がしっくりくる。フランツの凶行もギルバート様の婚約破棄の決断も、本人の意志とは思えない」
「……っ。それなら、ギルバート様を止めなきゃ……!」
ボクが慌ててベッドから立ち上がると、アスランベクは申し訳なさそうに俯いて、ボクの肩に手を置いた。
「……落ち着いて聞け、セシル。もう、遅い」
「遅い……? どういう、こと?」
「コレットが思考を捻じ曲げているという証拠もないし、お前が未来を視たと言っても信じてはくれないだろう」
「それは……っ」
「自分は勿論お前の味方だ。だが、他の者はそうはいかない。今、ギルバート皇子はダンスパーティの準備をしていて会うことは出来ない、リュディヴィーヌ様も同様だ。……お前の見た未来の光景は……訪れることになるだろう」
ガラガラと足元が崩れていくような感覚に襲われる。
あんな光景、絶対見たくなかったのに。
ボクは、止めることが出来なかった。
「……セシル……」
「……っ……ボク、負けたんだね」
目から熱いものがあふれ出た。
それが涙だと気付くと同時に、アスランベクが慰めるようにボクの頭を撫でる。
「すまない……力になれなかった……」
「そんなこと、ないよ。ボクが悪いんだ。もっと早く――コレットに対処すべきだったんだ」
ぐいっと涙を拭う。
泣いていても未来は変わらない。変えられない。
ボクは覚悟を決めて、アスランベクの顔を見つめる。
「……ボクはまだ諦めない」
「……それでこそお前らしい。数万のプレイアス兵を相手にしても、諦めなかったから、お前は英雄になったのだからな」
もうあれこれ考えるのは辞めだ。
出来ることは全部やって、セリーヌ様を護る。
ボクの顔を見て、アスランベクが微笑んだ。
「コレットがセリーヌ様を追放させようとするのは、ギルバート様が有力貴族と結婚して付けることを忌避してるからだよね」
「ああ。十中八九、コレットはリシャール皇子の部下だろう。リュディヴィーヌ様もそう思っていらっしゃるはずだ」
「なら、コレットからしてみれば、この作戦は成功しても失敗しても得になるってことだね」
成功すればセリーヌ様は追放され、フィッツロイ家はギルバート様から離れるだろう。 失敗したとしても、騎士まで動員して婚約破棄をすると吹聴した挙句に何も無かったらギルバート様への不信感は残る。
ボクの言葉にアスランベクが頷く。
今更、何も無かったということには出来ない。
でも――結末を変えることは出来るはずだ。
そのためには――。
考えた所で、ワァアッと外から大きな歓声が轟いた。
「決勝戦が終わったらしい。どちらかが勝ったのかは分からんが……急げセシル。何かするつもりなら、セリーヌ様の傍に居た方が良い。エリザは仮面の騎士の正体を知りたがっていた。捕まったら面倒だぞ。授賞式が終わったら、ここに飛んでくるはずだ」
「……ううん」
深呼吸をする。
セリーヌ様を追放になんかさせるもんか。絶対に。
そのために、必要なのは――仲間だ。
「――エリザとシャルとギュリヴェールを呼んで欲しい」
「……分かった」
アスランベクが頷いて、ボクをぎゅっと抱きしめる。
「お前は、自慢の我が子だ。セシル。何があっても……自分はお前の味方であり続ける」
「ありがとう。良く分かってるよ……父さん」
ボクの言葉を聞いて優しく頭を撫でると、アスランベクは医務室を後にする。
暫くすると、複数人が走ってくる音が聞こえてきて、扉が開いた。
「……やっぱり」
ボクの顔を見て、最初に呟いたのはエリザだった。
「セシルさんが、仮面の騎士……だったんだね?」
驚いた表情で零したシャルの後ろで、ギュリヴェールが困惑した表情を浮かべていた。
「仮面の騎士が目覚めて私たちに会いたがってると聞いて急いできたのだけれど、本当だったのね」
「うん」
「それなら、答えて貰うわよ。……あのクッキーのレシピ。あれは、私がロランに教えたものだわ。それなのに、どうしてそれをセシルさんが作れるの?」
「それに、一介のメイドであるはずの君が何故あんなに強いんだい? 仮面の騎士なんて言って正体を隠して皆を助けたのも変だ。理由を教えて欲しい」
エリザとシャルが逃がさないとばかりにボクの目の前に移動してくる。
そんなことしなくてもいいのに。何故ならボクはもう、二人から逃げるつもりなんて無いんだから。
「それは、ボクがロランの生まれ変わりだからだよ」
ボクの言葉に、二人の目が見開かれる。
その後ろで、ギュリヴェールがアスランベクに説明されているのが見えた。
「黙っててごめん。ただいま、って言った方が良いのかな――ぐえっ!?」
次の瞬間、ボクは二人に抱き着かれた。
く、苦しいっ……! ふ、二人とも全力で抱き締めてくるから、呼吸が……っ!
「~~~~っ……なんで黙ってたのよ! バカバカ!」
「そうだよっ! すぐ会いに来てくれればよかったじゃないか!」
「う、産まれ、変わりだし、女の子として生まれ変わって、別の人生を歩んでたんだよ」
「そんなのどうだって良いわよ! 私は……っ! 辛かったし……悲しかったんだから」
「ぼくだって、皆が笑顔ならそれでいいなんて言葉だけ遺されても、どうすればいいか分からないよ……!」
「……うん、ごめん」
二人の身体を両手で抱き締める。
ギュリヴェールがそんなボク達を見て微笑んだ。
本当は早くこうして欲しかったのかな。
ギュリヴェールはボクが見ていなかった二人の傷つく姿を、ずっと傍で見ていたはずだ。だから……あんな風に、嬉しそうに笑っているんだろう。
「それで、どうしていきなり正体を明かすことにしたんだよ? 俺も呼んだってことは、何かあんだろ?」
「うん。……いきなりでごめん。エリザ、シャル……ギュリヴェールも。頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと……?」
「そうだよ。セリーヌ様を、助けるために」
ボクはゆっくりと話し始めた。
敗北の代償はしっかり払うよ、コレット。
その代わり――セリーヌ様を追放なんかさせやしないし、お前の思い通りにさせたりするもんか!