始まり
――見られていたんだ。誘拐犯を倒した所を。
でも、そんな。見られただけで、気付かれるなんて。
いや、まだ確信はないかもしれない。言い訳をして、なんとか取り繕えれば……!
真っ白になりかける頭を必死に動かして、ボクは誤魔化そうと試みる。
「ど、どうしたんですか? 英雄の名前なんか、だして」
「声が震えてるよ。いや、俺も、信じられねぇけど」
ボクの願いも空しくギュリヴェールには何か確信があるようだ。
ギュリヴェールはボクに近づき手首を掴む。
「分かるんだ。ずっと隣にいて、相棒として戦ってきたあいつのことは。……あんたはロラン隊長だ。間違いない」
ぐいっと腕を引かれ、ボクは壁に押し付けられた。
そして逃げ場を手で防がれる。まるで言い寄られるかのような体勢だ。
「やっ、ちょっ……」
「認めろよ」
言いながら、ギュリヴェールが顔を近づけてくる。
わぁっ! この四十路! 顔を近づけるなっ!
ギュリヴェールは入隊当初から女性との浮世を流しまくってきた。こいつがだらしないのは生活態度だけでなく下半身もなのだ。
何が言いたいのかというと、こいつは何気に女性にモテる容姿をしているということ。
いかに前世の記憶があってこいつが部下だったからと言って、今のボクは女性なのだ。
決して認めたくはないが、世間一般的に格好いいと言われる造形のギュリヴェールに顔を近づけられれば思わず照れてしまう。
だが、それだけは絶対に嫌だ。
万が一ギュリヴェール相手に赤面しようものなら、ボクは自刃しかねない。
「っ~~~、は、離れろギュリヴェールっ!」
「うおっ!」
ボクが堪らず叫ぶと、ギュリヴェールが僕から離れて直立不動で敬礼する。
そして、嬉しいような驚いたような表情を浮かべた。
ああ、しまった……っ。つい……!
「やっぱり……!」
くぅ、誤魔化せそうにない。ここまで、か……。
がくりと肩を落としながら、ボクは大きくため息を吐きだす。
後学のためだ、何故気付いたか聞いておこう……。
「一つだけ教えて欲しい。どうして、分かったんだ……?」
「当たり前だろ。一緒に何回修羅場を潜り抜けてきたと思ってんだ? あんたの太刀筋や剣を持っている時の雰囲気ではっきり分かるよ。……見た目が可愛い女の子だから、混乱したけどさ」
「か、かわ……! くっ……」
くそう。こいつに可愛いって言われて一瞬嬉しかった自分を殺したい!
ぽかぽか自分の頭を殴っていると、ギュリヴェールが「大丈夫か?」と声をかけてくる。大丈夫じゃないやい。
「たまたま似てた可能性だってあるはずじゃ?」
「生き写しだったんだぞ。アレは指導されたからって出来るもんじゃない。隊長の剣技は我流だしな」
「そっか……はぁ、迂闊だったなぁ……そうだよね。ギュリヴェールとエリザが、皇子を護衛していない訳ないか」
輝剣騎士隊は王国最高の騎士部隊だ。そこに二十年以上在籍している二人が、パーティ中に席を外したからって皇子から目を離す訳がなかった。
ちょっと考えれば分かったことなのに、目の前で皇子が攫われたことに慌てて考えすらしなかったよ。不覚。
「当然だろ。ちなみにエリザは先回りして馬車のとこで待機してるぜ。もうすぐ犯人を見つけるだろうけどな」
「エリザには見られてないのが救いかな……」
「はは、間違いない。エリザが見つけてたら、今頃抱き着いて離れなかったろうな。今でもずっと、隊長のことで頭がいっぱいみたいだからよ」
「……ギュリヴェールは冷静で助かるよ」
「冷静? まさか。大喜びしたいのを必死に堪えてるよ」
「絶対に辞めて。何か有ったと思われたら困るし」
了解、といったギュリヴェールの顔がにこにこしている。くそう。
……バレてしまったことは仕方ない。ここは口留めして、黙っていてもらうしかないだろう。幸い、ギュリヴェールは尻軽男だが口は堅いし、話が分からない奴じゃない。
「ギュリヴェール、このことは秘密にしておいて」
「え……? なんでだよ。英雄が蘇ったんだぜ。皆に教えるべきじゃないか」
「誰が信じるんだよ。英雄が生まれ変わってメイドの女の子になったって」
「俺は信じたけど?」
「ギュリヴェールはロランの剣術をよく知っていたから勝手に納得したんだ。普通は信じない」
「でも、実際そうだっただろ?」
あっけらかんと言い放つこのアホ面を引っ叩いてやりたい。
「そうだけど……ボクはセシル・ハルシオン。ロランじゃないんだ」
「……それで?」
「それでって。あのね? ボクはもう十四年、侍女の娘として産まれて、貴族に仕えて今日まで生きてきたんだよ? たしかにボクはロランとしての記憶を持っているし、剣だって扱える。でも、ボクはセシルなんだ」
「まあたしかに、どっからどうみても可愛い女の子だな。仕草だって女性そのものだし、剣を握っているところを見なきゃ、ロランだなんて絶対に気付かないと思う」
「か、かわ……っ、こ、こほん。そ、そういうこと。この暮らしに文句は……まあ、多々あるけど、それでもこの暮らしは続けたいと思ってる。だからロランが生まれ変わっているなんて言われても、ボクは嬉しくない。寧ろ困るくらいなんだ」
「……なるほどね。皇子に口止めしたのもそれが理由か」
「聞いてたんだ。そういうことだよ、分かってくれた?」
「ああ。あんたの理屈はな」
良かった。理解してくれたらしい。
ほっと息を吐いたボクを、ギュリヴェールがじっと見つめる。
「な、なに?」
「……可哀想だとは思わないのかよ?」
「え……? だ、誰が?」
「エリザ……いや、エリザだけじゃない。あんたに置いて行かれた奴らが、だよ」
「……ぅ」
死ぬ直前、泣いていたエリザの顔が蘇る。
パーティ前の挨拶でも、エリザは僕の死ぬ間際の言葉を一言一句間違わず、しっかりと皆に伝えていてくれた。
それは、彼女があの時のボクの言葉を、大切にしていてくれたからに他ならないだろう。
「あんたが目の前で死んでから数カ月くらいの間、エリザは見てられないくらいに塞ぎ込んでた。ほかの奴らだってそうだ。輝剣騎士隊の皆は、アレからどうすりゃ良いか分かんなくなっちまった。……そのせいで……」
「そのせいで?」
「……いや。なぁ、とりあえずエリザだけには、あんたが生まれ変わって、今近くに居るってこと、教えてやってくれないか」
ギュリヴェールが真剣な顔でボクを見つめる。
それに対して、ボクは、
「……ダメだよ。ギュリヴェール」
首を、横に振った。
「ロランは死んだ人間なんだ。居るなんて思っちゃいけない。生まれ変わっていることに気づいたギュリヴェールには申し訳ないけど、やっぱりこのことは黙っておいて欲しい」
「……隊長」
「ボクが悪かった。ごめんね。本当は気付かれるような真似、しちゃいけなかったんだ」
ギュリヴェールに対して頭を下げる。
そんなボクの肩をギュリヴェールが掴んだ。
「それは違う。あんたは悪くない。あんたは皇子を助けた。それが悪く言われる謂れはないぜ」
「……そっか」
「ああ、そうだ。……しいて言うなら、あの時死んだのが悪いとは思うけどな」
「あはは……あればっかりはどうしようもないかな。ああしなきゃ、輝剣騎士隊は全滅しててもおかしくなかったんだから」
「……だな。分かった。黙ってるよ。誰にも言わない」
「ぁ……ありがとう、ギュリヴェール!」
思わずボクは満面の笑みを浮かべた。
ギュリヴェールはボクの笑顔を見て一瞬硬直すると、目を横に逸らす。
「……く……隊長だってわかってんのに、クソ……」
「? どうかした?」
「い、いや。なんでもない。可愛くなったなぁ、隊長」
「隊長じゃないってば。可愛くなったとか言わないで。ボクはセシル。公爵家令嬢、セリーヌ・フィッツロイ様のメイドなんだから。最初から可愛いんだよ」
「結構図々しいなあんた。にしても前世は皇女殿下のお気に入りで、今世は貴族のお気に入りか? 相変わらず世渡りが上手いな」
「うるさいなぁ、ちゃんと努力したんだよ。掃除だって得意だし、お茶だって美味しいって褒められるし、料理だって上手なんだからね」
「へぇ。理想の嫁さんみたいだな」
「よめっ……! ふん。メイドとお嫁さんを混同しないでよ」
顔を背ける。だ、大丈夫だよね? 顔赤くなってないよね?
と、ギュリヴェールの後ろから足音が聞こえてきた。
目をやると、そこにはエリザが立っていた。
「ギュリヴェール、犯人は皇子が撃退したって言っていたけど。……何をやっているの?」
「あ、悪い悪い。皇子が倒すとこを見てたらメイドの子が道に迷ってたんで、パーティ会場への道を教えてたんだよ」
「……まさか、職務中にナンパ?」
ひえっ、エリザの表情と声が氷点下だ。
昔からエリザはまじめだったから、ギュリヴェールとはかなり相性が悪かった。
ギュリヴェールは引きつった笑みを浮かべている。この後折檻されたら大変だ。黙っていてくれるみたいだし、フォローをしてあげよう。
「丁寧に道を教えてくださって、ありがとうございました。輝剣騎士隊の方に聞いてよかったです」
「大丈夫? 変なことをされていないかしら」
「はい。道を分かりやすく教えていただきました。お仕事の邪魔をしてごめんなさい」
「……いや、別に、分かったんなら問題なさそうだな」
「はい。エリザ……様も、お勤めご苦労様です」
「ええ。……あ。あの、今何か聞いたこと……」
「大丈夫です。ギュリヴェール様に他言無用と言われていますから」
「……そうなの。ちゃんと仕事はしていたのね、ごめんなさい。疑ってしまって」
「いいよ。んじゃ、またなお嬢さん」
「はい。失礼いたしますね」
微笑みを返して軽くをお辞儀をした後、ボクはパーティ会場へと戻る。
最期にちらりと後ろを振り返ると、エリザとギュリヴェールが並んで皇子の方へだろう、中庭の奥へと歩いていくのが見えた。
……頑張れ、二人とも。もう、こうして話すことはないだろうけど。
心の中でエールを送り、ボクはセリーヌ様の所へ戻ったのだった。
☆
戻ったボクを待っていたのは、笑顔の仮面に激怒の表情を隠したセリーヌ様だった。
どうやらメイドを紹介し合おうとしたタイミングでボクが居なかったらしく、帰ってくるなりセリーヌ様は他の人に気付かれないようにボクの足をハイヒールで踏みつけた。
超痛かったよ。死ぬかと思った。
「セリーヌ様」
「……ふん。セシルにとってわたくしは二の次でもいい存在なのでしょう?」
小声で嫌みを言ってくる。んもう、人が大変な目にあってたのも知らないで!
しかしながら、ボクの行動がメイドとして失格だったことには間違いないので、ここは謝罪以外の選択肢はない。普段のじゃれ合いとは違って今回はボクに一〇〇パーセント非があるからだ。
「申し訳ありませんでした。二度と黙って離れたりしません」
「そんなにわたくしの傍が嫌なら、辞めてもいいのよ?」
「っ。そんなことはっ、絶対にありませんっ、どうか、セリーヌ様のお傍に居させてください」
思い切り頭を下げる。
嫌だ。それだけは絶対に。
「頭を、上げなさい」
「でも……」
「良いから」
指示通りに顔を上げると、セリーヌ様が唇を結んだまま、ボクの顔をじっと見つめる。
そして、セリーヌ様が何か口を開きかけた所で、一人の執事がこちらに近づいてきた。
「お取込み中のところ、申し訳ありません。セリーヌ・フィッツロイ様ですね」
「ぇ……? え、ええ。そうですけれど」
「皇子が、貴女とお話をしたいと」
そして、ギルバート皇子が、ゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。
「ぎ、ギルバート様っ!?」
思わずセリーヌ様が声を上げる。
ロシーユ様ほか、セリーヌ様の友人が驚いたように声を上げ、こちらの会話を聞き逃さないように聞き耳を立てる。
いや、ロシーユ様達だけではない。フロア全員が固唾を飲んでこちらの様子を伺っているのが分かった。
それも当然だろう。今まで話しかけられるのに応えるだけだった皇子が自ら、それも公爵家令嬢に話しかけたのだ。そこに何か意味があるのではないかと思ってもおかしくない。
「今日は僕の主催するパーティに来てくれてありがとう。セリーヌ」
「い、いえ……こちらこそ、招待していただき感謝しています」
「噂通り、美しい人だ。それに、教育もしっかりされている」
「え……?」
「先ほど、君のメイドに困っている所を助けられたんだ。そうだったよね、セシル」
「ぅ……」
ギルバート様が笑みを浮かべる。
その後ろには、ギュリヴェールが素知らぬ顔で立っていた。
あいつ……! ボクがフィッツロイ家のメイドだってことを報告したのかっ!
「セシル……! そうだったの?」
セリーヌ様が驚いた表情でこちらを振り向く。
皇子の言葉を否定する訳には行かない。ボクは頷く。
「は、はい……えっと……そ、そう。お飲み物を探していらっしゃったので。それを届けに……」
「だから戻ってくるのが遅かったのね?」
「少し珍しいものをお願いしたから、時間が掛かってしまっただろうね」
至極楽しそうにギルバート皇子が笑みを浮かべる。
その笑顔を見て僕の後ろの女性が数人倒れた。どうやら魅了されるあまり気を失ったらしい。ギルバート皇子は淫魔か何かかな?
かくいうボクも顔が赤くなっているような気がする。うぐぐ、なんという威力だ……!
セリーヌ様はと言えば、ボクを潤んだ瞳で見つめていた。
「セシル、わたくし……」
「セリーヌ」
セリーヌ様が何か言おうとした所で、ギルバート皇子が彼女の名前を呼んで騎士のように跪く。
そして、セリーヌ様の手を恭しく握った。
「僕と、婚約して貰えないだろうか?」
その言葉が聞こえた瞬間、セリーヌ様の顔が真っ赤に染まった。
こんなことは流石のセリーヌ様も想定していなかっただろう。耳まで朱色にした彼女は冷静さを失い、おろおろと周囲を見回して再びボクに視線を止めた。
ボクはそれに対して、頷く。
セリーヌ様はそれを見て、ギルバート皇子に視線を戻し微笑みを浮かべた。
「……わたくしで宜しいのでしたら、喜んで」
その瞬間、パーティ会場は大きな歓声に包まれる。
「おめでとうございますっ! セリーヌ様っ!」
「ありがとう、ロシーユさん。わたくしがギルバート皇子に相応しいかは分かりませんが、並んで立っても笑われないように頑張ります。良ければ、これからも友人として支えてくださる?」
「もちろんです!」
「おめでとうございます、ギルバート皇子。流石、良い方をお選びになりますなぁ」
「ありがとう」
ボクは貴族たちに囲まれるセリーヌ様とギルバート皇子から一歩離れる。
ギュリヴェールには転生したことがバレたし、セリーヌ様には怒られたけど……結果的に上手くいった、のかな?
ちらりとギュリヴェールの方を見ると、ボクの方を見ていた彼と目が合った。
にやりと笑みを浮かべ、ギュリヴェールがウィンクをする。
まあ……助けられたってことにしておいてやるか。
ボクはギュリヴェールに軽く敬礼した後、祝福に包まれるセリーヌ様に向けて、拍手を送った。
思えば、この瞬間からだったんだろう。
平凡なメイド人生を送ろうと思っていたボクの周りが、にわかに騒がしくなり始めたのは――。