菓子の味
「セシルぅ、クッキー、食べさせて?」
「……」
「リュディヴィーヌ様。セシルも困っているではないですか。それにべたべたしすぎでは?」
「…………」
「アスランベクは黙ってて。私はセシルとくっつきたいのっ」
ボクにくっついて離れないリュディヴィーヌ様と、それが気にくわないアスランベクがバチバチと火花を散らす。やめて、喧嘩しないで。
繚乱会の中で勃発した牽制のし合いに内心ため息を吐きながら、ボクはどうしてこうなったのか、今朝のことを思い出す。
教室に向かうべく寮を出たら、リュディヴィーヌ様とアスランベクが寮の前でボクを待っていたんだよね。
昨日の話でもあるのかなと思っていたけど、そういう訳でなく、
「だって、セシルと一緒にいたかったんだもん」
「うむ。愛娘と共に居たいと思うのは父の性というものだな」
とのことらしい。
ずっと腕を組みたがるリュディヴィーヌ様に、それを咎めながらもどこか幸せそうなアスランベクの姿は、めちゃくちゃ目立っていた。おかげで何度もセリーヌ様に怪訝そうな表情で見られたのは言うまでもない。
勿論、注目するのはセリーヌ様だけではなく、今日はどこにいっても視線を集めていた気がする。そりゃそうだよね。皇女様と輝剣騎士隊にくっつかれてるメイドなんて異質そのものだもん。ボクだってそんな人がいたら絶対見ちゃうよ。
おかげで今日は物凄くメイドの仕事がやりづらい。セリーヌ様はなぜか何も言ってくれないし、ギルバート皇子は自分の妹がメイドであるボクにべたべたしてるのが気にくわないのか、こっちを睨んでるし、昨日のその、口づけ、のせいで、リュディヴィーヌ様の顔を見れないし……どうすれば良いんだろう。誰か助けて欲しい。
というか、いきなりリュディヴィーヌ様がボクにべたべたし出したら、セリーヌ様にボクが仮面の騎士だとバレやしないだろうか。それが不安でしょうがないよ。
そう思っていると、カチャン、とセリーヌ様の方からソーサーにカップが置かれる音がした。
「ど、どうしました? セリーヌ様」
「どうしました、じゃないわよ。それはこっちのセリフです」
「まあまあ、落ち着いてよセリーヌ」
「うむ。セシルが不安そうではないか」
「わたくしが聞きたいのはお二人のことなんですけど?」
「「?」」
リュディヴィーヌ様とアスランベクが顔を見合わせ首を捻る。仲良しだよねこの二人。
「質問させて貰っても?」
「うん。いいよ」
「構わない」
「では……何故リュディヴィーヌ様はセシルにくっついていらっしゃいますの?」
「それはね……昨日のことなんだけど」
ちょっ、昨日のことって……!? ま、まさかボクが仮面の騎士だってバラしたりしないよね?
「一人で部屋に帰ろうとしてたらね、セシルとすれ違ったの。落ち込んでた私の様子に気付いて、セシルが凄く慰めてくれたんだぁ。それで、セシルのこと好きだなぁ、って」
違ったのは良かったんだけど、全く記憶にないボクとの思い出を捏造してる。
うるうると目を潤ませ、ありもしない会話を再現するリュディヴィーヌ様。
う、うわぁ……。よくもまぁ、こうつらつらと嘘を並べられるなぁ。感心しちゃうよ。
しかも、本当に素敵な思い出を語るような表情を浮かべているのが凄い。演劇の主役も簡単に熟せそうな演技力だ。
セリーヌ様は「そうだったんですね……」って納得してるし。恐ろしいなぁ、この皇女様。
「だから、くっついても許してくれるよね?」
「それとこれとは話が別です。セシルはわたくしのメイドですから」
「ぶー、セリーヌのけち~っ」
そう言いながらもリュディヴィーヌ様は離れる様子を全く見せない。メンタル強いなぁこの人。
その様子にため息を吐きながら、セリーヌ様は続いてアスランベクを見る。
「アスランベク先生も、今日はやけにセシルの傍にいるように見えますわ」
「その通りだ。自分はセシルの傍にいることにした」
「……ど、どうしてですの? まさか、セシルのことを……」
「実はな。セシルは――自分の娘なのだ」
は?
いきなり何いってるのこの養父。セリーヌ様もぽかんとしちゃってるじゃん。
「た、確かにセシルの父親の話は聞いたことが無かったけど……本当なの?」
「ぅ……えーと……まあ、そう、ですね……」
ボクがちらりと目線をアスランベクに向けると、アスランベクは微笑を浮かべた。
くっ、ここでボクが否定したら絶対ややこしいことになる。同意するしかないじゃないか。
「……そう、みたいです」
「……なんだか複雑そうね? でも、良かった。セシルに家族が居て」
セリーヌ様が優しい微笑みを浮かべる。
あああ、罪悪感が、罪悪感が……っ。
「都合が良いことに、繚乱会には顧問が居ないと聞いたのでな、自分が立候補した。そうすればセシルの傍にいられるのでな」
「……じゃあ、これからはアスランベクが繚乱会の顧問教師ということかい?」
「そうなります」
ギルバート様の言葉にアスランベクが頷く。
顧問役という名目で繚乱会に居座るつもりらしい。考えたな、アスランベク……。
目が合うと、アスランベクはにっこりと笑みを浮かべた。
うぐ……そんな笑顔を浮かべられたら何も言えないなぁ……。
一度ボクが死んだことで寂しい想いをさせてしまったのは事実だし、そんなに喜んでくれるなら、何も言わなくて良いかな。
「分かった、それじゃよろしく頼むよアスランベク。丁度、フランツが休みを取ったみたいでね、君が守ってくれるなら心強い」
「お任せください」
フランツが凶行に及んだことは、アスランベクの時と同じで秘密にされている。セリーヌ様にも口外しないようリュディヴィーヌ様が頼み込んだみたいだ。
輝剣騎士隊の影響を考慮しているとはいえ、ギルバート様に嘘を吐いてるみたいで申し訳ない。
なんてことを考えていると、ふと視線を感じてボクはそちらの方を向いた。
コレット様が中身の空になったティーカップを持ってこちらを見ている。
おかわりが欲しいのだろうか。それとも――。
「コレット、ハーブティが欲しいならセシルかシリアにお願いすれば良いと思うよ~?」
「う、うん。お話を遮っちゃうかもしれないから言い出せなくて……あの、おかわりもらえますか……?」
「はい。すぐにお注ぎ致しますね」
シリアがティーポットからハーブティを淹れると、コレット様はお礼を言って嬉しそうにそれを口に運ぶ。
……仮にコレット様がフランツを唆した黒幕のような存在だとして、自分の思惑を何者かが阻止したのには当然気付いているだろう。
その矢先、リュディヴィーヌ様とアスランベクが突然ボクに親しくし始めたら、彼女は『セシルこそが、邪魔者の正体だ』と勘付くはず。
そうすれば、セリーヌ様よりボクの命を優先して狙ってくれるんじゃないだろうか。その方がセリーヌ様の安全は確保できるし、ボクとしては有難いんだけど。
「せ、セシルさん? どうかしましたか……?」
「クッキーのおかわりは必要かなと思いまして」
「あ、あたしは大丈夫です。その、いっぱい食べちゃったので……これ以上食べたら、太っちゃいそうですから」
恥ずかしそうに頬を染めるコレット様に笑顔を返す。
こうしていると人畜無害にしか見えないのになぁ。
でも、警戒するに越したことは無い。疑うのは辛いけど、ボクにとって一番大事なのはセリーヌ様なんだから。
「むむ……セシルぅ、こっち向いて?」
「……リュディ、セシルはメイドだ。その仕事を邪魔してはいけないよ」
「ぅー、お兄様の意地悪……」
「あ、あはは……ごめんなさい、リュディヴィーヌ様」
ギルバート様に注意されて、ボクの腕をがっちりホールドしていたリュディヴィーヌ様が唇を尖らせながらも解放してくれる。
彼女には申し訳ないけど、正直言って助かった。リュディヴィーヌ様の距離は近すぎて、どうすれば良いか分からなかったし。
内心ほっとしつつ、ボクは立ち上がってシリアと給仕の仕事を交代する。
とりあえず追加のお菓子でも作ろうかな。
ボクが台所に行くと、後ろの方では今後の予定についての話が始まった。
「さて、そろそろ『輝剣祭』の話をしようか」
「『輝剣祭』……?」
「貴族や王族の間では有名ですけれど、コレットさんは知らないかもしれませんわね。王立学校では毎年、貴族や王族の方々を招いてイベントを開きますの。と、いっても、わたくしは参加したことがありませんけど」
そういえばもうそんな時期だっけ。
輝剣祭はその名の通りお祭りのようなものらしい。招待状が届いた人達が訪れて、様々なプログラムや出店を楽しむものだったはずだ。
セリーヌ様は父であるエルネスト様が心配するせいで参加したことはない。そのため、この時期になるとご主人様は毎年ぶつぶつ文句を言って不機嫌になり、ボクへのワガママが爆発的に増える。
そのせいで輝剣祭の名前を聞くと思わず身構えちゃうところだけど、今年はそんなことになりそうになくて一安心だ。
寧ろ楽しみかも。ボクだって初参加することになる訳だしね。
「騎士の決闘大会をやったりとか、有名なシェフやパティシエを呼んでお店を開いて貰ったりとかするの! すっごく楽しいんだよ!」
「王宮の皆も参加するだろう。お母様……女王陛下も訪れると思う。そこで、僕から皆に提案がある」
「なんでしょう? 私にもお手伝いできることだと良いんですけど」
「寧ろロシーユの力を貸して欲しい。せっかくお母様がやってくるから、花壇をゆっくり見て貰いたいんだ。繚乱会主催として中庭でお茶会を開きたいんだが、どうだろうか」
「まぁ、それはとても素敵だと思いますわ。わたくしは賛成です」
「あ、あたしも賛成です」
ボクはその会話を聞いて、思わず手を止めてしまっていた。
え、繚乱会主催ってことは、ボクとシリアが給仕をするん……だよね?
それは……凄く嬉しいかも。
「ありがとう。勿論、その時間以外は各自、自由に楽しんでくれて構わない。大きなイベントには被らないようにするつもりだしね。僕自身も――今年は、楽しみたいと思っているから」
「わぁ、珍しい。お兄様ったら、毎年『輝剣祭』の日は王宮に残って一人で過ごしてたのに。どんな心境の変化なのかなー?」
「単純に、王立学校の生徒になったからだよ」
兄妹でじゃれつくギルバート様とリュディヴィーヌ様を見つめる。
ボクが作ったお菓子を、女王様にお出し出来るかもしれない。そう思うと、なんだかすごくワクワクしてくる。
よーし、シリアに協力して貰って新レシピでも考えちゃおうかな!
「イベントって、どんなことをやるんですか?」
「大きなものだと、さっきリュディが言っていたけれど、騎士決闘大会が行われるね。寧ろこれがメインイベントだ。なにせ、『輝剣祭』という名前だからね」
「騎士同士の一対一の決闘を皆で観るの! すっごい熱気なんだよ!」
「自分も参加予定です」
「アスランベクが参加するということは、つまり輝剣騎士隊も参加するということでね。英雄達の剣技を見れるとあって、大人気なんだよ」
「他にも色々あるけど、大きなイベントは決闘大会と――ダンスパーティかな!」
ダンスパーティ。
その言葉を聞いた瞬間、ズキンと頭が痛んだ。
ぅ。最近なってなかったから油断してた。前は寝起きだけだったのに、起きてる時になるだなんて困るなぁ。
少しずつ痛みは治まって、数十秒後には嘘のように消えていた。
なんだったんだろ……。また起こらなきゃいいけど。
それにしても、輝剣祭か。ボクも思いっきり楽しみたいなぁ。
そんなことを考えるボクは、全く気付いていなかったんだ。
既に次なる魔の手が、セリーヌ様に忍び寄っていることに。
☆
風の音で、目を覚ました。
この音は嫌いだ。自分が無力だったあの時のことを、嫌でも思い出させるから。
身体をベッドから起こし、鏡の前に移動する。
寝癖だらけの銀髪に、吸血鬼のような赤い瞳、大きな胸部。
私……エリザ・フォレスティエの、一つも好きになれない姿がそこに立っていた。
「はぁ……」
夢を、見ていた。
ロランに請われて、お菓子の作り方を教える夢を。
そう、だから私以外に同じ味のクッキーを作れるのは、ロランしかいないはずだ。
ため息を吐きながらテーブルの方に移動すると、そこには包み紙に入れられたクッキーが置かれていた。先日、とあるメイドに貰ったものだ。
私はそれを一枚手に取って口に運ぶ。
「……どうして」
どうして、彼女はこの味のクッキーを、作れるの?
「……『皇子誘拐未遂事件の目撃者』『皇子の婚約者のメイド』『令嬢誘拐事件の被害者のメイド』……セリーヌ様のメイドだから、だと思っていたけど……でも」
このクッキーが、それだけじゃないと私に言っている。
「……仮面の騎士が、セシルさんなら……確かめなきゃ」
この、ロランを祀って行われる輝剣祭で。