『救国の輝剣』⑤
私は、ハッピーエンドが大好きだ。
幼い頃、お母様の膝の上で色んな絵本を読んで貰ってヒーローやヒロインが幸せなエンディングを迎えて幸せな気持ちになってから今の今まで、それは変わらない。
例えば、意地悪な叔母に虐められていた優しい少女が魔法使いに救われ、最終的には皇子様と結ばれる物語とか。
例えば、呪いを掛けられ永い眠りについたお姫様が、王子様の愛を込めた口づけで目覚めて結ばれる物語とか。
一つの本を読み終えて幸せな終わりを見る度に、私も満ち足りた気持ちになって――同時に、一人の騎士の悲しい終わりに、想いを馳せることになる。
ロラン・メデリック。
その人の話を聞いたのは、解れたシミだらけの青いリボンをお母様の宝石入れの中で見つけた時だ。
「どうして、宝石入れの中にこんなボロボロのリボンが入っているの?」
興味本位で私が尋ねると、お母様は今まで見たことがない――寂しそうで、愛おしそうな……とても言葉では表現が出来ない表情を浮かべて、その英雄の話をしてくれた。
ロラン様の名前は知っていた。この国でその名前を知らない人なんていないだろうから、当たり前だけれど。
自らの命を顧みず、数万の敵兵に単身で突っ込んでいき、敵国プレイアスの王を討ち取って戦争を勝利で終わらせた救国の英雄。それが、きっと殆どのヘスペリス人が知っているロラン様だ。
でも、お母様から語られたのはそんな大勢の人が知る彼ではなく、ヘスペリスで生きていた一人の騎士の話だった。
「お菓子を食べたことがないっていっていたからお茶菓子を分けてあげたら、子供みたいに喜ぶの。美味しい。僕もこういうものを作ってみたいなぁって」
「花を眺めているのが好きみたいで、ぼうっと花壇を眺めていることが多かったわ。私も好きだったから、隣に座って一緒に眺めたりしたの。そこから一緒にお茶をするようになったのよ」
「とても優しい人でね。何かプレゼントをちょうだいってねだったら……そのリボンをくれたの」
「結んで欲しいって言ったら、覚えてきますねって言って……次に会う時までに練習してきてくれたわ。練習台にされた同僚の女の子が隣で膨れっ面してたっけ」
「いつも優しくリボンを結んでくれて……ずっと私の傍にいてくれた。私を支えてくれていたの。そのリボンを見るとね、宝石よりもキラキラしている美しい思い出が蘇るの。だから……そこに入れてあるのよ」
そう語るお母様の顔は、私の知る何よりも美しくて。
――同時に、その理不尽さを私は呪った。
命を賭けて皇女を支え、国を護ったロラン様に――どうしてハッピーエンドは訪れなかったんだろう?
皇女と結ばれることもなく、国に戻って仲間達と笑い合うこともなく、凱旋することもなく。
死んでからすら国に帰れない、一人の英雄。
そんな終わり方、あんまりだ。
せめて彼が命をかけて守った故郷に眠らせてあげたい。それでも私が好きな終わりではないけれど……それくらいの救いはあるべきだ。
だから、
「お母様、このリボン……貰っちゃ、ダメ……?」
「……。欲しいなら、リュディにあげる。大切にしてね」
「うんっ」
リボンを手に、私は決意した。
――ロラン様を、私の手でプレイアスから取り戻すって。
☆
「座ってくれ」
「……ん」
指示されるがままに、ボクはふかふかのソファに座った。
フランツをギュリヴェールに引き渡した後、ボクが通されたのは、リュディヴィーヌ様の部屋だった。
しかも寮の部屋じゃなく、王城の。
つまり、ここは王族の私室だ。入れるのは近衛メイドや近衛騎士くらいで、公爵令嬢のメイドが入って良い場所じゃないだろう。
……そもそも正門からじゃなくて、こっそり裏口から入ってここまで連れて来られた辺り、イレギュラーな対応なのは間違いないけど。
ボクはじっとアスランベクを見つめる。
アスランベクはボクの前に座ると、喜びを隠しきれないような表情を浮かべていた。
「ここなら良いだろう。仮面を外せ、ロラン。もしや言い逃れが出来るとは思っていないだろうな?」
「……思ってないけど、ロランって呼ぶの、やめてくれないかな」
言われるがままに、ボクは仮面を外した。
ボクの顔を見て、アスランベクは微笑む。
「何故だ? 〝光を繰る〟という、唯一無二の魔法、『救国の輝剣』。あれはロランであるという何よりの証拠だろう」
「ボクはもうセシルなんだよ、アスランベク。……たしかに、ボクはロランだった。でも、今は違うんだ」
「……どういう意味だ?」
「生まれ変わり、だよ。ボクはロランの生まれ変わりなんだ。どんな理由かは分からないけど、前世のロランの記憶を思い出した公爵令嬢のメイド……それがボクだ」
「ああ、なるほどな。そういうことか」
「うん。ロランとボクが合わさって今のセシルになった。ロランの側面を持っていることを否定はしないよ。でも、ボクはもう……ロランじゃない」
きっぱりと断言する。
がっかりされるかもしれないけど……それが事実だから。
ボクはそっと目線を落とした。色々あったとはいえ、元養父のがっかりする顔は見たくない。
アスランベクは、ふぅっと大きく息を吐き出した。
「そうか……自分に、娘が出来たのか……」
ん? あれ?
聞き間違いかな……今、なんかおかしなことが聞こえたような。
「フフ……いずれ孫が出来る時、それが女の子なら良いなと思っていたものだが」
「聞き間違いじゃないっ!?」
「どうしたのだ我が娘よ」
「呼び方娘に変わってるし! だから! ボクはロランじゃないしそもそもロランは女じゃなかったでしょ!」
「落ち着けセシル」
ぽんぽん、とアスランベクがボクの頭を撫でる。
ぅ。昔、こんな風に優しく撫でて貰ってたっけ……ってそうじゃなくて!
「な、なんで娘だなんて……」
「ふむ。お前は気づいていないようだな。……そうだな。では、今から自分がとある人物についての特徴を言う。それが誰かを当ててみろ。所謂人物当てクイズだ」
「何だよ、急に……」
「リュディヴィーヌ様が来るまでの暇潰しだ。良いだろう?」
「別に良いけど……」
「では、始めるぞ」
訳が分からないまま答えると、アスランベクはボクをじっと見つめながら人物当てクイズを始めた。
「花とお菓子を好み、実はイタズラ好きで、好物はピクルス」
「……それって……」
ボク、のことだよね……?
「大切なものが傷つく方が、自らが傷つくことよりも辛く感じる。さあ、誰だ?」
「……ボク。セシル」
「外れだ。正解はロラン」
「え? …………ぁ」
「そういうことだ」
気付いたボクに、アスランベクが微笑む。
「姿形が変わっても芯の部分――魂とでもいうべきか――その部分は変わっていない。お前は、お前なんだよ」
「……そう、なのかな」
「そうとも。ギュリヴェールにとってもそうなのだろう。だから、皇子を護るために戦うお前の中に、ロランを見つけられたのだ」
そういえば、シャルもなんだか優しくしてくれたし、エリザとも仲良くなれてる気がする。
それは、そういうことなのかな。
考えていると、アスランベクが突然頭を下げた。
「セリーヌを怖がらせて、悪かった。父を許して欲しい。ただ、お前を取り戻したい。その一心だったのだ」
「だからって二回もセリーヌ様を巻き込む必要はなかったよね。しかも今回はフランツにセリーヌ様が悪人って吹き込んでた。やりすぎだよ」
「一度だけだ」
「え?」
「誘拐事件については弁明するつもりもない。だが、今日の事件は利用しただけだ。フランツの様子がおかしいことに気付いてな、セリーヌとフランツが接触したのを見て、あいつはセリーヌを害そうとするはずだと人気のない屋上に先回りしていた。セシルが仮面の騎士として助けに来る。その時、フランツと戦えば魔法を使うはずだ、とな」
もしもお前が来なければ、セリーヌは助けるつもりだった――。アスランベクはそう付け足した。
「じゃあ、フランツは一体誰に唆されたの?」
「言ったろう。コレットに気を付けろ、とな」
「っ。そんな、まさか……!」
「フランツとコレットが談笑しているのをよく見る。そういうことだと考えた方が自然だろうな」
「……本当に? 嘘を吐いてる訳じゃないよね?」
「お前に嘘はつかない。自分は今回のフランツの凶行を『お前がロランであることの証明』と『セリーヌ様から自分への疑念を晴らすこと』。その二つに利用させて貰った。前者については説明不要。後半については、セシルに協力する上で邪魔になるからな」
嘘を言っている訳じゃなさそうだ。
良くも悪くも、アスランベクの行動原理はボクが中心になっているらしい。
じゃあ……コレット様が、今回の事件の首謀者ってこと? そんなバカな。
「なんでコレット様がそんなこと……? 理由が分からないよ。アスランベクの勘違いじゃないの?」
「それは――」
「それはね、アスランベクが私からコレットに注意するようにって言われていたから、だよ。勘違いしているとしたらアスランベクじゃなくて、私かな」
鈴を転がすようなかわいらしい声が聞こえて、ボクは後ろの扉を振り向く。
そこに、リュディヴィーヌ様が笑顔を浮かべて立っていた。