『救国の輝剣』④
――屋上には、その凶行を妨害するものは誰も居なかった。
フランツは無理矢理引っ張ってきた手を離すと、セリーヌを床へ突き飛ばす。
「きゃっ……いっ……た」
「……その何倍もの痛みを、彼女は受けたんだ」
「な、何……なんの話、ですの……?」
「とぼけるな。貴女が仕掛けたことだというのは分かっているんだ」
すらり、とフランツが剣を抜く。
そして、その切っ先を何が何だか分からないセリーヌへと向けた。
それを見て、さぁっとセリーヌの顔から血の気が失せる。
「……彼女に謝罪し、二度とギルバート様へ近づくな」
「……だから、貴方は何の話をしていますの? それに、ギルバート様に近づくななんて……そんなこと出来る訳ないでしょう! わたくしは、あの方の婚約者ですのよ!?」
「――それを盾に好き放題出来ると思っているのか、悪魔め。お前のような女が王族に入れば、ヘスペリスは不幸になる。大事にはしたくないと思っていたが、認めないというのなら――」
「認めるもなにも……何の話をしているかすら分かりませんわ。それにわたくしはフィッツロイ家の令嬢です。いくら輝剣騎士隊と言えど、このようなことをすれば……!」
毅然とした態度でセリーヌがフランツを睨みつける。
だが、それは逆効果だった。
「――構わない。私の身がどうなろうと」
「え……?」
「あの子を守るためならば、私は――殺人者にだってなってやる」
「ひっ……!」
刃が光る。
フランツのヒロイズムに酔っただけの愚かな行動を見て――自分はほくそ笑んだ。
さあ、来い。セリーヌは救世主を待っているぞ。
剣が、降り下ろされる。
そして訪れた光景を見て、自分は歓喜に拳を握り締めた。
同時に金属音が周囲に鳴り響く。
それは、仮面の騎士が凶刃を受け止めた音だった。
目の前に降り立った彼女は、自分と戦った時と同じ格好をして、守るべき対象を脅かしたものに対して高らかに告げる。
「――セリーヌ様に手を出そうというのなら、まずはボクを倒してからにしろ」
「なっ……何者だ、お前は……!」
「ボクは、騎士。――大切な人を守る、ただの騎士だ」
その姿は、一度失った愛しい息子を感じさせた。
飛び出したい気持ちをぐっと抑え、身を潜める。
あの中身がセシルということは分かっている。しかしセシルの正体についてはまだ確証がない。
いくら自分がそうだと確信していても、その証拠がなければ詰め寄ったところで彼女は認めない。
だから、その証拠を本人に見せて貰おう。
「それは私も同じこと。退かないというのなら、力ずくで退かせるまでだ」
フランツが構える。
仮面の騎士は、自分をほぼ威圧のみで打ち倒してきた。
だが、今度の敵対者はチンピラではなく、全盛期をとっくに過ぎた引退間近の男でもない。今まさに輝剣騎士隊の主力として働く男が相手だ。
騎士学校を首席で卒業して将来を渇望され、剣術の才能ならばロランに匹敵すると言われる、あの物ぐさなギュリヴェールが弟子にするほどの男――フランツ。
コレットのためだと息巻くあいつを相手に、誰かを守りながら戦おうというのならば――仮面の騎士とて、ただ戦うだけでは勝てない。
必ず魔法を使わなければならないはずだ。
そうすれば、それが動かぬ証拠となる。あんな魔法を使えるのは、ロランだけなのだから。
フランツが剣を閃かせた。
一合、二合、三合。
思わず息を零してしまいそうな美しくも激しい剣のぶつかり合いが三度行われる。
それだけで仮面の騎士は悟っただろう。――この相手は剣技だけでは倒せぬと。
仮面の騎士がちらりと後ろの様子を伺った。
そこにいるセリーヌは、不安そうな表情を浮かべている。
それを見て、彼女は決心したのだろう。
自分の全力を、揮うことを。
「ふッ!」
気合と共にフランツが斬りかかる。
その速度は先ほどとは比べ物にならないほどだ。フランツも相手の実力を悟って魔法を使ったのだろう。
だが、その剣が仮面の騎士に届くよりも速く、一筋の光が屋上に走った。
――それは、闇がこの国を覆いつくそうとして人々が恐怖に震えた時、国の未来を照らした神聖なる光。
迫る脅威から国を護り、ヘスペリスの民の剣となった英雄が放つその輝きを、我々は感謝と尊敬を込めて、こう呼んだ。
「〝救国の輝剣〟」
仮面の騎士が呟いた瞬間、その手に握る剣に光が宿る。
彼女がそれを一振りすると、極光はフランツに向かって迸った。
「な、にっ……!? ぐああああーっ!」
フランツの体が吹き飛び、壁にぶつかる。
光の奔流を受け止めた剣は真っ二つに砕け、カランカランと音を立てて床に落ちた。
そのままフランツはずるずると床に倒れ込む。気絶したのだ。
その光景を見て――自分は、歓喜に震えながら、隠れていた物陰から飛び出した。
☆
「――見事だ。仮面の騎士」
アスランベクの言葉を聞いた瞬間、ボクは思わず仮面の下で唇を噛んだ。
……見られてた。
ううん、違う。見るために、この場面を作り出したんだ。
フランツは、ボクの『大切な人を守る、ただの騎士だ』という発言に対して、『私も同じこと』と返していた。
恐らく、フランツが大切に想っている人をセリーヌ様が貶めたと彼に吹き込み、セリーヌ様を襲うように誘導したのだろう。もしかしたら、魔法を使ってそう思い込ませたのかもしれない。
どちらにしても……魔法を使ったんだ。これでアスランベクは確信しただろう。ボクの中にロランが居る、ということを。
「ど、どうして、貴方が……」
「怖い目にあわせて申し訳ありませぬ。目的は達成した故、全てお話ししましょう。――何故、自分が貴女と貴女の学友を誘拐するに至ったかを」
「え……?」
……突然、何を言い出すんだ? アスランベクの奴……。
ボクが訝しく思っていると、アスランベクはゆっくりと口を開き、本当なのか嘘なのか分からない話を語り始めた。
「――実は、輝剣騎士隊の中に裏切り者が居ることが分かったのです」
「裏切り者?」
「はい。それが誰なのかは分かりませんでしたが、目的は判明していました。ギルバート様の力を削ぐため、セリーヌ様、貴女を害しようとしていたのです」
「……わ、わたくしを? ……それと、貴方がわたくしを誘拐しようとしたことと、何の関係があるのです?」
「自分が輝剣騎士隊の皆に知らせずに貴女を保護するには、あのような乱暴な手段を取るしかなかったのです。貴女の騎士に阻まれてしまい、ただの誘拐犯になってしまいましたがね」
怖がらせてしまって申し訳ない、とアスランベクが頭を下げる。
……一応、今までの話に破綻は無いように思える。シリアを怖がらせたのは事実だから、信じる気は一切ないけど。
ボクは警戒しながら、アスランベクの様子を見る。
「その話が、本当だという証拠はありませんわ……」
「自分がこうして自由に歩けている、というのが証拠にはなりませんか?」
「ならない。輝剣騎士隊の立場を利用して上手く立ち回って出ただけかもしれないし、ギュリヴェールも驚いていた。もしもお前の話が本当なら、ギュリヴェールと敵対する理由がないじゃないか。何よりも、お前はシリアを……ロシーユ様のメイドを傷つけた。そんな奴を信じられるか」
「嫌われたものだな。だが、それについても説明出来る。セリーヌ様の周囲には常に人がいるだろう? だから、自ら人目に付かない所に移動して貰うため、友人であるロシーユを誘拐しメイドを脅したのだ。それに関しても申し訳ないとは思っている。ギュリヴェールが裏切りものであった可能性もあった故に敵対した。……しかしまぁ、自分が説明した所で、セリーヌ様もお前も、納得出来ないだろう?」
……? なんだろう。アスランベクのこの表情。
まるで、絶対にボク達を納得させられる確信があるかのような表情だ。
本当に自分が無実だという証拠でも、持っているのか?
「自分が誘拐という手段を取ったのは、協力者が居たからだ」
「ああ、お前に協力者がいるっていうのは、薄々勘付いてたよ」
「その方に会って頂ければ、セリーヌ様とロシーユ様を害そうとしたのは誤解だと分かる……その確信があったからこそ、自分もそのような凶行に及んだのだ」
「……なんですって?」
何を言ってるんだこいつは。そんな訳、ないじゃないか。
セリーヌ様も胡散臭そうなものを見る目でアスランベクを見つめている。
アスランベクは、そんなボク達に向かって微笑みを浮かべて。
「……説明をお願い出来ますか?」
自分の背後の扉を開く。
そこに立っていたのは、青いリボンを揺らしたサファイアのような青い瞳の美少女。
リュディヴィーヌ様、だった。
リュディヴィーヌ様は優雅にスカートの裾を摘まんで挨拶をする。
「こんばんは、セリーヌ。セリーヌの騎士様」
そのまま彼女は唖然とするボク達の前に移動すると、セリーヌ様の体を抱きしめた。
「ごめんね。怖い目にあわせちゃって……でも、お兄様や、いずれお姉さまになるセリーヌに危険が迫ってるって知っていて、それを無視することなんて、私には出来ないから……。強引でも、アスランベクに協力して貰って、セリーヌとロシーユを助けないとって思ったの」
まさか……本当のこと、なのか?
アスランベクに顔を向けると、アスランベクはこくりと頷いた。
いや、騙されるなボク。
あの時、アスランベク『エリザと女王が許せなかった』と言っていた。『こうすれば息子は戻ってくる』とも。
それが本当の理由なら、この二人を助けるためだというのは嘘のはずだ。
……でも、それならどうしてリュディヴィーヌ様はアスランベクと口裏を合わせているんだろう?
「自分からももう一度謝罪させていただきたい。命を助けるためとはいえ、恐怖を与え、人を利用して傷つけたことは、騎士としてあるまじきことです。重ね重ね、申し訳ありません」
「うん。セリーヌの騎士様もごめんなさい」
理由が分からず、ただリュディヴィーヌ様を見つめるだけのボク。
そんなボクの視線に気づいた彼女は、にこっと微笑む。
そして、ボクの耳元に唇を寄せた。
「ずっとずっとお会いしたかったです。――ロラン様っ」
「――っ!?」
吐息と共に囁かれた言葉に、ボクは硬直する。
――まさか。そんな。
ボクの様子を見たリュディヴィーヌ様は嬉しそうに微笑むと、セリーヌ様へと向き直る。
「セリーヌ。貴女の騎士様がこの事件のことについて話してくれるみたい。セリーヌには、ゆっくり部屋で休んで欲しいって」
「そ、そう、ですの?」
「うんっ。そうですよね、騎士様」
「……はい。そうですね。疲れたでしょうから」
「♪ じゃあ、私がセリーヌを寮まで送るね。アスランベクは、騎士様と一緒にフランツを捕まえておいて。きっと彼が裏切り者だと思うから。その後は私の部屋で待機しててくれる?」
「は。畏まりました、リュディヴィーヌ様」
「行こ。セリーヌ」
「は、はい。あ、でも、その前に……あの、仮面の騎士、様?」
「なんでしょうか、セリーヌ様」
「助けていただいて、ありがとうございます。あの……これからも……その」
「……守ります。これからも、何があっても……セリーヌ様のことを」
「――、……はいっ。それならわたくし……きっと、ずっと笑顔でいられると思いますわ」
「ふふ。そだね。じゃ、いこっか。またすぐにね、騎士様♪」
微笑んで、セリーヌ様がリュディヴィーヌ様と共に去っていく。
アスランベクはフランツを縛り付けると、ボクに目をやって微笑んだ。
「さあ、行こうか。我が息子よ」
その言葉を否定することは、出来なかった。
怒涛の展開に、頭がついていかない。
ボクは歩き出したアスランベクの背中についていくことしか、出来なかった。