『救国の輝剣』②
コレットと友人になり、一緒に過ごす時間が増えてから彼女の色々な事を知った。
例えば、食いしん坊なこと。
繚乱会でお菓子が出されると、あうあう言いながらついつい食べてしまうのが可愛らしい。
例えば、優しいこと。
私が護衛の任務の最中に暇そうにしていると、そっと近寄ってきて話をしてくれるのが、とても嬉しい。
例えば――ギルバート様のことが、好きなこと。
ふとした時にギルバート様の姿を目で追いかけているし、ギルバート様と会話している時のコレットは、本当に楽しそうな表情を浮かべるんだ。
その時のコレットの顔は……とても綺麗で。
見ているだけで、胸が苦しくなる。
いつの間にか彼女に惹かれている自分に気が付いて……それでも、構わないと思った。
彼女には幸せでいて欲しい。望むのは、ただそれだけだ。
かつて、輝剣騎士隊の隊長だった男が最期に願ったのは、『ヘスペリスの民の笑顔が守られること』だったという。
今ならその言葉に心から頷ける。コレットが笑顔なら、それで構わない。
だから、
「ねぇ、コレット。貴女、繚乱会に近づくの、辞めてくれない?」
「あ、あの、それは出来ません……あたし、ギルバート様にお花の育て方の助言をお願いされてて……」
「それはロシーユが居るからもう必要ないでしょ?」
「そんな遠回しな言い方じゃ、頭でっかちの平民には分からないんじゃない? はっきり教えてあげなきゃ」
「アハハ、そうだね。コレット、あんた邪魔なのよ。平民風情がギルバート様に近づかないでくれる?」
「そうよ。ギルバート様にはセリーヌ様がいらっしゃるの。婚約者がいる殿方に色目を使ってるの、丸わかりなんだからね? 見てるだけで気分が悪くなるわ」
「た、たしかに、ギルバート様は素敵な方だと思っていますけど、でも、あたし、そんなつもりじゃ――」
「言い訳しないでくれる? ここは『はい』以外の答えはないのが分からないの?」
――コレットを傷つける者を、私は許さない。
中庭で、見覚えのない貴族令嬢三人に囲まれて震えているコレットを見て、腹の底からふつふつと怒りが湧いてくる。
なんなんだ。この腐った貴族達は。多人数で一人を寄ってたかって攻め立てて、ギルバート様に近づくなだって? お前たちに何の権利が有ってそんなことを言っているんだ。
「そこで何をしているんですか!」
「っ。ふ、フランツ……」
声を荒げながら、コレットと貴族令嬢の間に入る。
コレットの瞳は潤み、今にも涙が零れそうになっていた。
「何を、って。彼女に礼儀作法を教えていただけです」
「三人で寄ってたかってですか? 彼女がおびえているのが分からないんですか。それで何かを教えていた、なんて言って誰が信じるんです?」
「私達は――」
「良いわよ。行きましょ。そういうことだからコレット。もう繚乱会には近づかないことね」
捨て台詞を言って、三人の令嬢たちは私達を一瞥して踵を返す。
その背中に何か言ってやりたいが、私はぐっと言葉を飲み込んでコレットに振り返った。
自分を責め立てていた人達が居なくなったからだろうか、僕の顔を見つめるコレットの大きな目から、涙があふれ出した。
「ぅ、ふ、く、フランツ、ぅ……っ」
「コレット……」
なんて言えば分からない私に、コレットが抱き着いてくる。
「う、っ、分かってる、分かってるよ……っ」
「……っ……」
「ギルバート様に……婚約者がいるだなんてこと、知ってるもん……っ。でも、好きになっちゃダメなの……? 少しだけ近くでお話しすることも、許されないの……?」
「そんなことない……ギルバート様もコレットと話すことを楽しんでいるから」
私は、背中に腕を回してしっかりと彼女の華奢な身体を抱きしめる。
胸の中で、弱弱しく泣きじゃくるコレットの姿が痛々しい。大切な人のこんな姿は、二度と見たくないと思う。
同時に、私は自分が何故、輝剣騎士隊に入隊したのかを理解した。
コレットと出会い、彼女の笑顔を護るためだ。
そのために……
「コレット……大丈夫だから」
「ぐす……ごめん、ね……あ、あたし……」
「謝らなくていいから」
烏の濡れ羽色とはこの黒髪のことなんだろう。艶やかさで絹のような滑らかさのコレットの髪の毛を撫でる。
「大丈夫。あとは私に任せて」
「まか、せる……?」
「ああ。きっと私が、コレットを笑顔にして見せる。約束するよ」
頬を伝う涙の雫を指で拭うと、コレットは私を涙で濡れた瞳で見上げてくれた。
泣いていても、コレットは綺麗だ。
でも、やっぱり笑っている姿の方が……好きだ。
「これからは、あんな怖い目には絶対に会わせない。何かあったら、私がすぐに飛んでいって、コレットを守るから」
「ほんと……?」
「本当だ。私は――コレットを護るために騎士になったんだと思う」
私の言葉に、コレットが頬を赤らめる。
その姿が、堪らなく愛おしい。
「……そうだったら嬉しいな。フランツが守ってくれるなら、安心だね」
顔をハンカチで拭って、コレットが笑みを浮かべてくれる。
絶対に守ろう。他の何よりも大切だと思える、この笑顔を。
コレットが落ち着いて状況を理解し、恥ずかしがって離れるまで、私はコレットの体を抱きしめ続けたのだった。
☆
ずっしりとした重量を感じながら、ボクは休日の学校の廊下を歩いていた。
「うぐ、前が見えないよぅ……」
流石に一月分のお菓子材料を一度に運ぶのは大失敗だった。
数分前の自分の決断を後悔しながら、ゆっくりとボクは繚乱会の部屋へと進む。
セリーヌ様が繚乱会に入り、その居心地の良さから授業後に自然と部屋に集まるようになって一週間近く。
そうなるとお菓子とその材料の消費量も飛躍的に増える訳で……ついに昨日、持ち込んでいた材料がなくなってしまったのだ。
仕方がないので、セリーヌ様に許可を貰い授業が休みであることを利用して今日中に材料を運んでおくことにしたんだけど……面倒だからって、一気に一月分お願いしたのが大きな間違いだった。
材料自体はお願いすれば用意して貰えるからそこは問題無かった。でも、流石にこの大量のお菓子の材料を一人で運ぶのは大変だ。
重さ自体は平気だけど、何よりも視界がないのが辛い。壁にぶつからないか不安で不安でしょうがないし。
材料を用意してくれた食堂係のおばさんの苦笑いが蘇る。ああもう、ボクのバカっ。
自分の浅はかな考えに憤慨しつつ、慎重に歩いていると、聞き覚えのある声が背後から掛けられた。
「……大丈夫かい? セシル」
「ふぇ、シャルロッテ様?」
ゆっくり首だけを横に向けると、視界に心配そうな表情のシャルとエリザの姿が目に入った。
「凄い量の荷物だね。その量を一人で運ぶのは大変じゃないか? 前が見えていないように思うけど」
「はいぃ、仰る通りです……視界がゼロで非常に辛いです……!」
「……複数回に分けて運べば良かったんじゃないかしら?」
「っ! ……はうぅ~」
うわぁん! エリザの言う通りじゃん! 何回かに分けて運べば良かったぁ!
おばさんの苦笑いの本当の理由に思い至り、ボクは死にたくなった。
バカの二段重ねに泣きそう。最近は赤面癖が付いてきて困っているのに、ドジ癖までついたらどうしよう。
「な、泣かないで頂戴、手伝うつもりだから。そのつもりで話しかけたのよね、シャル」
「エリザの言う通りだよ。ぼく達に手伝わせて欲しい。良いかな?」
「あ、ありがとうございます~……! ぜひお願いします……」
別の意味で泣きそうになるボクの腕から、エリザとシャルがだいたい三分の一ずつ荷物を取って、持ってくれる。
お陰で視界が開けた。前が見えるって素晴らしい。
「すみません。シャルロッテ様、エリザ様」
「困っている人を助けるのも騎士の役目よ。気にしないで」
「そういうこと。あ、そうだ。改めて紹介するよエリザ。彼女はセシル、セリーヌ様のメイドだ」
「……、ええ。初めまして、セシルさん。エリザよ。輝剣騎士隊の隊長を務めているわ」
「あ……はい。よろしくお願いいたします、エリザさん」
本当はダンスパーティの日に起こった誘拐事件の後、少しだけ会話したんだけど、エリザは覚えてないみたいだ。ちょっと残念。
「それで。どこに運べば良いのかな」
「あ、はい。案内しますね」
促されて、ボクは繚乱会の部屋に向けて歩き出した。
「クッキーを作るのね」
「あ、はい。そうです」
「へぇ。そういえばエリザもお菓子を作るのが趣味だったっけ?」
「昔は、ね。ロランが居なくなってからは、作っていないわ」
お菓子作り、辞めちゃったんだ。残念だなぁ。
ボクがお菓子作りに目覚めた理由は、エリザが切っ掛けだ。
だってエリザってば、ボクがお菓子を食べて美味しいって言うと、本当に幸せそうな顔をしてくれてたんだもん。
セリーヌ様に初めて作ったクッキーを食べて貰った時のことは、今でも覚えてる。
美味しいって言って貰えた時は本当に嬉しかった。そこでエリザの表情の理由が分かって、それからお菓子作りに夢中になったんだよね。
……エリザ、もうお菓子、作りたくないのかな。
「久しぶりに作ると、楽しいと思いますよ?」
「……あげる相手がいないもの。作ってもしょうがないわ」
「ふぅん? 色々なお誘いが来たって小耳にはさんでるけどね。そろそろ隊長の職を辞して結婚したらどうだい?」
「貴女だってそうでしょうっ。公爵家の御子息から求婚されたそうじゃない。さっさと退役したら?」
「結婚に興味がなくてね」
「私だって同じよ」
二人が荷物を運びながらやりあっている。
……こうしてみると、二人は良い友人関係に見えるのにな。
そんなことを考えている内に、部屋に到着する。
休日なだけあって、中には誰も居なかった。
「どこに運べばいいかな」
「あ、すみません。こちらにお願いします」
部屋に備え付けられているキッチンに荷物を運ぶ。
うん。これでよし、と。
本当にエリザとシャルには助けられたよ。何かお礼をしなくちゃ。
「本当にありがとうございました。助かりました」
「どういたしまして。……ここが繚乱会の部屋か」
「ギルバート様やリュディヴィーヌ様は、授業後にはここに集まっているのよね」
「はい。最近は授業が終わったらここに集合して、お茶をするのが日課になっています。……あの、助けて貰いましたし、良ければここで少しゆっくりしていきませんか? お礼になるかは分かりませんが、お茶とお菓子もお出ししますから」
「ぼくは良いよ。セシルのお菓子、ちょっと気になってたし」
「……シャルがそういうなら、ここで少し休憩しましょうか」
「良かった。じゃあ、すぐに準備しますね」
二人に微笑んでから、ボクはお茶とクッキーの準備をして、テーブルに持って行った。
「ありがとう」
「いただくわね」
「はい。口に合うと良いんですけど……」
「……んっ! 美味しいよ、セシル。流石に貴族や王族に出すだけのことはあるね」
「あ、ありがとうございます。嬉しいですっ」
クッキーを食べてくれたシャルの表情に笑みを浮かぶ。
やったぁ。シャルに褒めて貰えた。
が、エリザは一口クッキーを食べたきり黙り込んでしまった。
あ、あう。もしかしてなんか失敗しちゃってたかな……?
「あ、あの……エリザ、様? もしかしてお口に合いませんでした……?」
「……あ……ごめんなさい。少しぼーっとしてたの」
「大丈夫だよセシル。とても美味しいから」
「それならいいんですけど……」
「シャルの言う通り、美味しいわ。ありがとう」
「うん。それに、ぼく達は最近考え事が多かったから、甘味は助かるよ」
「考え事……ですか?」
「うん。セシルは当事者だから知ってると思うけど……ほら、アスランベクがね」
「あ……そうでしたね。突然、退役を撤回するようにってお達しが出たとか」
「そのことで、シャルと相談していたのよ」
「うん。ギュリヴェールが話をしたみたいだけど、改めてぼく達からも謝罪させて欲しい」
「本当にごめんなさい。不安にさせたと思うわ」
「大丈夫です。少し驚きましたし、セリーヌ様は少し怒ってらっしゃいましたけど……実際に何か起きたら輝剣騎士隊の皆さんが助けて下さると思いますから」
だから平気です、とボクが言うと、シャルは笑顔を、エリザは真剣な表情を見せる。
「必ず助けるわ」
「ぼくもだよ。約束する」
「それなら、安心ですね」
にこっと笑顔を浮かべて、お茶のおかわりを注ぐ。
大変だったみたいだし、しっかりここで休んで貰って英気を養って貰わないとね。
「セシルは良い子だね」
「ええ。流石、公爵令嬢のメイドよね」
「ありがとうございます。出来ればセリーヌ様にそれをお伝えいただいて、ボクに優しくするように言っていただけると凄く嬉しいです」
輝剣騎士隊の二人に言って貰えたら、ボクに優しくしてくれるようになったり……しないだろうなぁ。セリーヌ様、ボクには何を言っても良いし何をしても良いと思ってる節があるし。
「貴女とセリーヌ様、本当に仲がいいのね」
「うん。良い主従関係だと思う」
二人に褒められちゃった。
嬉しくなったボクは、ほくほく顔でクッキーを包み紙に包んで二人に差し出す。
「これ、もし良かったら、疲れた時にでも摘んでください」
「ありがとう。時間が出来たら、またお茶しに来て良いかな」
「はい、勿論です。エリザ様も是非是非」
「……ええ。きっとまたお邪魔させて貰うわ」
「お待ちしています♪」
よし、また二人とお茶出来るぞ。やったぁ。
前世とは全然違う関係だけど――それでも、一緒に居ると幸せな気持ちになれることに変わりはない。
またエリザとシャルと仲良くなれて良かった。
ボクは自分の幸運に感謝しながら、二人が席を立つまでゆっくりと会話を楽しんだのだった。