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王宮にて

 馬車が止まって、扉が開かれる。

 そこは豪奢に飾り付けられたヘスペリスの王宮だった。

 貴族を招く社交の場ということで、普段以上に気合が入っているようだ。

 案内役を務めている兵士達の鎧も、心なしかピカピカと輝いている気がする。


「ふふっ、セシルは王宮へ来るのは初めてよね。わたくしが案内してあげるわ。きちんと覚えて、次からは貴女がエスコートするのよ」

「大丈夫ですよ。きちんと中の作りは事前に把握していますから」

「むっ、セシルったらたまに優秀なんだから。そういうときの貴女は可愛げがないわよ」

「たまに、は余計です」


 本当は見慣れていたから、なんだけどね。

 なんせ前世のボクはこの王城に毎日のように呼ばれ、輝剣騎士隊クラウ・ソラスの隊長として国王陛下や宰相閣下と話をしたり第一皇女の護衛をしたりと色々なことをしていた訳で、その記憶がある以上、王宮の中の構造は隅から隅まで把握出来ているといっても過言ではないだろう。

 と、そんなことを考えていると兵士の一人がすっとこちらに近寄ってきた。

 

「失礼。フィッツロイ様の御令嬢とお見受け致しますが」

「ええ。セリーヌです」

「私は輝剣騎士隊クラウ・ソラスのフランツ・デュッセンです。会場まで案内いたしますので付いてきてください」


 茶髪の男はボクの知らない名前を言って背筋を伸ばした。

 そりゃそうか。二十年も経てば、新兵が加入していて当然だろう。

 それが何だか寂しいような嬉しいような、複雑な気持ちにさせた。


「セシル? 行くわよ?」

「あ、はい」


 ロランは、もう死んだ。ボクはセシルなんだ。輝剣騎士隊クラウ・ソラスには何の関係もない。

 もしも迂闊なことをしてしまい悪印象を与えれば、それはそのままセリーヌ様の評価になる。気を引き締めなければ。

 きりっと顔を整え、ボクは兵士に案内されるセリーヌ様の一歩後ろを歩く。

 会場に到着すると、セリーヌ様の美貌に一際人々が色めき立った。


「あれが、セリーヌ様か……!」

「お噂では聞いたことがあったが、本当に女神のような美しさだ……あれで十四歳というのだから驚きだな」

「素敵……ぜひお近づきになりたいですわ……」

「ええ。ですがとても高貴なお方なのですわよね……話しかけてもいいものかしら……」


 セリーヌ様が笑みを浮かべながらフロアを見回し優雅に歩く。でもボクには分かった。セリーヌ様は皆に褒められて気分が良くなっている。その証拠に足取りが軽やかだ。

 あまりの美しさに誰もが近寄りがたい中、一人の少女がセリーヌ様へ意を決して話しかける。

 

「あ、あの、初めまして。ロシーユ・ヴィニュロンと申します」

「話しかけてくれてありがとうございます。わたくしはセリーヌ・フィッツロイです。ヴィニュロンというと子爵家でしたね。ご活躍はお父上から伺っております」

「あ、ありがとうございます……! フィッツロイ様ほどではありませんが、褒めて頂いて嬉しいです」

「そんなことありませんわ。実はわたくし、とても緊張していて……貴女が話しかけてくださったお陰で安心しました」


 完璧な返しだ。

 ロシーユという少女と仲良くすることにしたらしいセリーヌ様は止めを刺すように、にっこりと彼女に笑みを向ける。

 

「ロシーユさんはお父上と同じで、とても気さくで勇気があるお方なのですね。わたくし、そんな方とご友人になれたら、とても嬉しいです」

「はぅぁ……! わ、私からも是非っ」

「ふふ、よろしくお願いしますね」

「せ、セリーヌ様。僕とも是非、ご友人になっていただければ!」

「わ、私も、宜しくお願いします。セリーヌ様っ!」


 それを皮切りに、お嬢様は一気に貴族の子息令嬢に囲まれてしまった。

 ボクはすすっと少し離れた所に移動する。

 緊張していたというのは嘘だろうなぁ。本当にそうならフロアに入った瞬間に皇子を探して見まわしたりしないだろうし。

 にしても、やっぱりボク要らなかったよね? 屋敷で二度寝決めてた方が有意義だったのではなかろうか。

 セリーヌ様が幼い頃から公爵家に相応しくあるために厳しい指導を受けてきたのを、ボクは間近で見ていた。

 それもあって社交パーティも完璧に熟すだろうとは思っていたけれど、まさか一瞬で心を掴んでしまうだなんて、流石としか言いようがない。

 もしかしたら、皇子にも見初められるかも。そう思ってしまうくらい、今日のセリーヌ様は輝いていた。

 手助けが必要なら助け船でも出そうかと思っていたけど、全く必要なさそうだ。

 手持ち無沙汰になったボクは周囲を見回してみる。

 他の貴族の使用人も、ボクと同じように邪魔にはならない程度に離れた位置で、いつでも手が貸せるように主人の様子を伺っていた。

 うーん。主人が友人関係を構築しているからボクも……と思ったんだけど、とても話しかけられるような雰囲気じゃないなぁ。

 仕方ない。セリーヌ様の好きなお菓子でも見繕っておいてあげよう。人混みが少なくなったタイミングで持って行ってあげたら喜ぶだろうしね。

 そう思い、移動しようとしたタイミングで、一段高くなっている舞台に男が現れた。

 

「ようこそ、今回はギルバート様主催のお茶会にお越しくださいまして、ありがとうございます。今日は将来、我が国を担う貴族の皆さまへの挨拶を、こちらの方々にしていただきます」


 す、と男が一歩引いたタイミングで、背後から噂の皇子――ギルバート様が姿を現す。

 

「「「「きゃぁーっ」」」」


 それと同時に黄色い悲鳴が上がった。

 男性に抱く感想としては間違っているかもしれないが、やっぱり綺麗だ。女性だと紹介されたら信じてしまうかもしれない。

 甲高い女性達の声を聴いて、ギルバート様の表情が一瞬だけ不快そうなものに変わったが、すぐにすました顔に戻る。

 一度お辞儀をして挨拶をすると、皇子はそのままフロアへと降りてきた。

 ああやって騒がれるのが好きじゃないのかも。ボクだって姿を見せる度に騒がれたら辟易しちゃうだろうし。

 皇子は先ほどのセリーヌ様と同じように、あっという間に人混みに囲まれた。

 どうやらセリーヌ様を囲んでいた人混みも皇子の方に移動してしまったらしい。傍にいるのはロシーユ様を含めた三人だけになっている。

 チャンスだ。お皿にお菓子を盛って持って行ってあげよう。ついでにピクルスがあったら添えてやれ。休みを奪った仕返しだ。

 ボクがそっと移動を開始したところで、

 

「続いて、我が国を守り勝利に導いた伝説の魔法騎士部隊、輝剣騎士隊クラウ・ソラスより、隊長のエリザ・フォレスティエ、副隊長のギュリヴェール・マロンガのお二人です」


 そんな言葉が聞こえて、ボクは思わず舞台の方を見た。

 そこには、懐かしい二人の姿があった。

 ロランが死んだ時、エリザは十五歳だったしギュリヴェールは二十歳だった。

 それから二十年。

 エリザはすっかり大人になっていて、銀の髪をポニーテールに纏め、赤い瞳でフロアを見下ろしている。

 すらりと伸びた手足は白磁のように美しく、そして何よりも、

 

 胸がデカい。

 

 なんで更に成長してるんだエリザ。十五の頃からデカかったけど、二十年経ってもっとデカくなってるじゃないか。ボクに三割くらい寄越せ。

 憤怒に震えるボクのことなど露知らず、エリザは軽く頭を下げると、一歩後ろに下がってしまった。

 赤褐色の髪をボサボサにしたギュリヴェールは、相変わらずだらしない印象を抱かせる不精髭を生やしたまま、苦笑いを浮かべてやれやれと首を振る。

 

「あー。貴族の皆さま、どうか隊長の不愛想な挨拶をお許しください。顔と体は一級品なんだけど、いかんせん人見知りなんだよ。この人」

「バカ」

「ぐあっ、い、づっ……ぅぐぅぅ……!」


 下品なことをいったギュリヴェールは後ろからエリザに引っ叩かれて悶絶した。貴族の方々は苦笑いを浮かべている。

 やれやれ、こういう場ではしっかりしろって口を酸っぱくしていってたのに。全く治っていないみたいだ。しょうがない奴だなぁ、ギュリヴェールは。

 痛みにうめくギュリヴェールを見て、エリザはため息を吐いて再び前に出た。

 

「――二十年前。長年続いた戦争が、一人の英雄によって終結しました」


 そして、凛とした声でゆっくりと語り始める。

 それは、一人の男の英雄譚だ。

 

「私達、輝剣騎士隊クラウ・ソラスを卓越した剣術と練り上げた魔法でもって率い、数多の戦果を挙げて民を守り、そして、かの『ボレアリスの決戦』で数千の兵を相手に単騎で挑み、敵国、プレイアスの王を討ち取った我々の隊長……ロラン・メデリック」


 目を瞑り、思い出を懐かしむかのようにエリザは言葉を紡ぐ。

 

「彼は、最期に言っていました。『ヘスペリスの民の笑顔が守られれば、それでいい』と。……ですから皆さま、今日は楽しんでください」


 たどたどしくも自分の言葉を伝えたエリザは、頭をもう一度下げると「かの大英雄に感謝を」と、パーティの開始を告げた。

 その言葉を繰り返したフロアの皆に、笑顔が生まれる。

 ……凄いなぁ。エリザは、もう立派に隊長をやってるんだ。

 胸のことで恨みを抱きかけたけど、それは無かったことにしよう。

 今は彼女の言う通り『かの大英雄様』に感謝しつつ、ボクも友達の一人くらい作ってみようかな。

 と、いけない。セリーヌ様にお菓子を持って行って差し上げなければ。

 お皿にお菓子を盛りつけたボクは、ピクルスが無かったことにがっかりしながらセリーヌ様の方へと歩いて行った。

 

 

         ☆



 少し時間が経って、友人関係のグループが構築され始めたのをボクは遠巻きに見つめていた。

 セリーヌ様の周りにはロシーユ様を始めとした三人の少女が集まっている。

 どれも良家のお嬢様だ。楽しそうに談笑している。

 それにしても暇だ。他の使用人も同じだろうけど、こうして主人から何か命令があるまで直立不動で待っているのはとても辛い。

 と、視界の端でギルバート皇子が囲んでいた貴族達に断り、ベランダの方に歩いていくのが見えた。

 疲れて外の空気を吸いに行ったのかもしれない。

 ……セリーヌ様、ギルバート様にご執心だったよね。

 ちらりと自分の主を見れば、彼女は公爵令嬢として完璧な姿を見せていた。

 本当は一番に皇子の元へ行きたかっただろうに、ギルバート皇子が常に他の公爵家の子息息女に囲まれている上、彼女自身も他の貴族に捕まっているせいで全く挨拶に行けていない。

 ボクが持って行ったお菓子も少しだけ手を付けただけで殆ど食べていない。友人との談笑の間にやって来る他の貴族に挨拶をし、友人を紹介し……アレだけ馬車の中で熱く語っていたギルバート皇子の元に行く暇さえなさそうだ。

 よし。ギルバート様の様子を伺っておこう。

 セリーヌ様が皇子と話す時、上手く話せればギルバート様の印象に残るかもしれない。そうすればセリーヌ様も喜ぶはずだ。

 そっとボクはベランダに近づく。

 そして、そっと窓から様子を伺ったところで。

 

 ギルバート皇子の手が何者かに掴まれ、ベランダから引きずり降ろされた。


 一瞬何が起こったか分からずに硬直しかけるボクだったが、慌ててベランダから外に出る。

 口を塞がれ捕まるギルバート皇子と、ヘスペリス軍の鎧を着た兵士が中庭の奥に消えていくのが目に入った。

 嘘でしょ。誘拐……!?

 迷っている時間はない。

 ボクはベランダから飛び降り、中庭に降り立って兵士の姿を追いかけた。

 白昼堂々、パーティ中に誘拐するだなんて大胆すぎる。

 恐らく誰も予期していなかったのだろう。入口や出口は塞いでいるだろうが、城の中や中庭には一切警備の姿が居なかった。

 誘拐犯はおそらく皇子を荷物か何かと一緒に隠し、貴族達が屋敷に戻る頃を見計らって馬車で連れ出すつもりだ。そうすれば、乗り物を使っても怪しまれずに済むし、皇子の誘拐が発覚した頃には追いつけない場所まで逃げられる。

 目撃したことを誰かに告げるべきかもとは思ったけど、もしかしたら追い詰められた誘拐犯が皇子を殺害するかもしれない。それだけは避けないと。

 

「チッ……!」


 足音に気付いたのだろう。皇子を攫った兵士が舌打ちをしながらこちらを伺う。

 しかし、追いかけてきたのがただのメイド一人だと気付いた誘拐犯は、立ち止まってこちらに振り向いた。

 

「なんだ。お嬢ちゃん一人か」

「皇子をどこに連れて行くおつもりですか?」

「言うと思うか?」


 手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされた皇子が涙目でボクを見る。

 誘拐犯はそんな皇子を地面に放ると、ボクを舐めるような視線で見つめてきた。

 

「……へへ、悪くないな。お楽しみはお預けだと思っていたけど、丁度いいおまけがついてきたぜ。お嬢ちゃんよ。大人しくこっちにきな」

「……どういう意味ですか?」


 言いながら、ボクは隣にあった太めの木の枝を掴む。

 目の前の男は、ふっふっふと下衆な笑みを甲冑の下から響かせた。

 

「俺を楽しませたら、命は助けてやるって言ってんだ……大人しくこっちに来な」


 ぎゃぁっ! キモい! こいつ、ボクに発情してるっ!

 ボクは平凡な、それでいて幸せな家庭を築くと決めているのだ。こんな奴の思い通りにされてやるもんか。

 

「嫌だ、って言ったら?」

「無理矢理来させるだけだ」


 シャキンッ、と誘拐犯が剣を抜く。

 地面に倒れている皇子が、呻きながら目を見開いた。

 自分を助けるために追いかけてきた女の子に武器が向けられれば、誰だって心配するし不安になるだろう。

 でも安心して欲しい。ボクはただの女の子じゃないからね。

 なにせ、ボクの前世は、

 

「今のうちに自分からこっちに来た方が良いぜ。手足をちょん切られてからじゃ遅いからな」

「……皇子、安心してください」

「あ? おい、無視してんじゃねぇよ」

「すぐに、お助けします」


 救国の英雄、なのだから。

 

「テメェ……!」


 男が剣を構えながらこちらに突っ込んできた。 

 握っていた枝を折り、剣を握るように構える。

 振られた剣を半身になって回避し、同時に男の手首を強かに枝で打った。


「うがっ!? て、テメェ、このガキ……!」


 男が手首を抑えながら睨みつけてくるが剣は取り落とさなかった。

 そうか。今のボクは筋力があまりないんだ。いけない、つい前世ロランのつもりで手加減をしすぎてしまった。

 

「貴方、兵士じゃありませんね?」

「あ?」

「雑過ぎます。入隊して三日経った子供の方がもっとマシな太刀筋をしていますよ」

「……殺す」


 甲冑の奥で、殺意に漲らせた目が光る。

 ボクはやれやれ、とため息を吐いた。

 今までのやりとりで圧倒的な実力差があるということが理解出来ていない時点で、この男の力量が低いことが分かる。

 時間の無駄だ、さっさと終わらせよう。

 素早い踏みこみと同時にもう一度男の手首を打つ。

 男は一瞬の出来事に訳が分からないまま剣を取り落とした。

 

「ぐ、ぅぁ……!」


 痛みに呻く男を尻目に、ボクは折れた枝を投げ捨て落ちた剣を拾う。


「悪いことはしない方が良いですよ」


 そして、構えながら男に告げた。

 

「平和を乱すと、英雄から天罰が下りますから」


 甲冑のつなぎ目、頭を動かすために首の部分は装甲が薄い。

 そこを狙って、剣の腹を叩きつける。

 ゴギャンッ、と鈍い音を響かせ、誘拐犯はいともたやすく意識を失い、倒れた。

 剣を肩に担ぎ、手折れた誘拐犯の頭を覆い隠す鎧を蹴り開ける。

 男は泡を吹きながら白目を剥いていた。

 ん、意識はないみたいだ。

 そのままボクは地面に倒れている皇子に近づき、猿轡を外す。


「ぷ、はっ、き、君……」

「大丈夫ですか? お怪我は?」

「大丈夫だ。君こそ、大丈夫なのか」

「ええ。掠ってもいませんよ」


 しゅるりと縄を解いてやると、皇子が身体を起こす。

 何らかの魔法も掛けられていないようだし、ケガもないようだ。

 それだけ確認して、ボクは倒れている誘拐犯を中庭の木に縛りつける。

 これでよし、と。

 振り向くと、皇子がぼうっとした表情のままボクを見つめていた。

 まだ不安なのかもしれない。落ち着かせた方が良いだろう。

 ボクは皇子の前に移動し、笑みを浮かべた。

 

「ご安心を、もう賊は動けません」

「そのようだな……その、ありがとう、助けてくれて」

「いいえ、当然のことですから」

「お礼をしなければ……あの……」

「皇子。どうかこのことは内密にしていただけませんか?」


 ボクが遮ると、皇子は断られるとは思っていなかったのだろう。驚いた表情を浮かべた。

 普段のボクならお礼は諸手を上げて受け取っただろうが、今回は違う。

 剣を握って誘拐犯を打ち倒したのだ。もしもその功を称えて軍に編入なんて話が持ち上がれば非常に面倒臭い。

 ボクはセリーヌ様のメイドとして暮らしていきたいんだ。剣の腕前よりもおいしいお茶を注げたとか、そういうことで褒めて欲しい。

 そのためには、ここであった事件にボクは居なかった……そういうことにした方が都合がいいのだ。

 

「しかしだな……」

「お願いします。えーと……そう。ボクは貴族のメイドをやっていまして、もし万が一主が居る場所から離れたとなると、お叱りを受けてしまいます」

「そうだろうか。僕を助けたことを褒められると思うが」

「そうなのです。ですからどうか、どうか内密にっ」


 ぐい、と身を乗り出して力強く言うと、ギルバート皇子は顔を背けながら「分かった」と言ってくれた。

 よし。これで問題ないだろう。

 

「この場は皇子が上手く反撃したことにしておいてくださると嬉しいのですが」

「……分かった。お前の言う通りにしよう」

「よかった♪ では、ボクは先にパーティ会場に戻りますね。失礼します」

「あ……少し、待ってくれ」


 踵を返すと皇子に呼び止められた。

 後ろを振り向くと、皇子が口元に手を当てて顔を赤らめていた。

 どうしたんだろう? 何か恥ずかしいことでもあったのだろうか。

 

「……名前を」

「ふぇ?」

「名前を、教えてくれないだろうか」

「ボクの、ですか?」

「……うん」


 ああそうか。名前を尋ねるのが恥ずかしかったのか。

 皇子はどちらかというと名乗られる側だもんね。自分から尋ねる機会は相当少なかったはずだ。

 それを、助けられたとはいえメイドに聞くのは恥ずかしいものだろう。

 ボクは振り返り、セリーヌ様がやるようにスカートの裾を優雅に摘まんで体を下げながら名乗る。

 

「セシル・ハルシオンです。名乗る機会を与えていただき、ありがとうございます。皇子殿下」

「セシル、か。覚えたよ。知っているとは思うが、僕はギルバート・ヘスペリスだ」


 胸に手を当て、深くお辞儀をしてギルバート皇子が微笑む。

 その表情に、顔が熱くなった。

 うぐぅ。笑っただけでドキドキしてしまうなんて反則だよ。

 淑女が裸足で逃げ出しそうなくらい綺麗なのに、やっぱり男性なだけあって格好良くもあって目の毒だ。


「ぞ、存じ上げております」

「そうか。改めて、助けてくれてありがとう」

「いえ。それでは、失礼いたしますね」


 紅くなっているであろう顔を誤魔化すようにお辞儀をして、ボクは足早にその場を去る。

 ふぅ、ドキドキした。セリーヌ様が騒ぐ理由が分かったよ。あれはモテるだろうなぁ。

 さて、ボクも会場に戻ろう。ここは噴水だから、出入口は……。

 

「戻るならあっちだよ」


 聞き慣れた声が後ろから聞こえて、ボクはぎくりとした。

 さっきパーティ会場でも聞いたその声の主を、ボクはよく知っているからだ。

 

「言わないでも分かってるか、あんたなら。ここでよく皇女……今の女王様と、よくお茶してたもんな」

 

 ゆっくり振り向く。

 不精髭に、ボサボサの赤褐色の髪の男――ギュリヴェールが、そこに立っている。

 

「だよな。――ロラン隊長?」


 普段は眠たげな金色の瞳が、今は鋭くボクを射抜いていた。

 

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