それはまるで聖女のように
私の名前はフランツ・デュッセン。
かつて国を救った魔法騎士部隊である輝剣騎士隊の一員だ。
救国の英雄ロランの物語に憧れ、彼のようになろうと努力し、この輝剣騎士隊に入ったのは良いが――思っていた通りの騎士生活を送っているかというと、そうではない。
何かを護り何かを支える……そんな生活を想像していたが、私がしているのはただの護衛と見回りだけ。強敵と戦ったことなど一度もない。
その実態を聞けば、私を見て頭を下げる他の部隊の騎士達は嘲笑うだろうか。
「……はぁ、つまらないな」
中庭のベンチに座り、ぽつりと呟く。
戦争が起こればいいとは言わないが、騎士らしい活躍をしてみたいという気持ちがないと言えば嘘だった。
私に回される仕事は、ギルバート皇子の護衛だけだ。
ギュリヴェール先生は何か新しい仕事が入ったらしく、皇子の護衛を私に任せっきりにして忙しそうにしている。
その仕事の情報は一切入ってこない。私としてはそっちを手伝いたいのに。
大体、護衛の仕事なんて輝剣騎士隊じゃなくても出来るんじゃないだろうか。
皇子は最近、セリーヌ様よりもコレットさんといる時間の方が長い。許嫁よりも彼女の方に惹かれているのかもしれない。まぁ、それ自体は私には関係の無いことだが、ただ花が揺れているだけの花壇を見て何が楽しいだろうか。
いつもギルバート様とコレットさんが座っている場所で花を見て、そう思う。
そんなことを考えていると、視界の端に黒髪の少女が映った。
コレットさんだ。
「こんにちは、フランツさん」
「コレットさん、どうしたのですか? 今は授業中では」
「あ、はい。そうだったんですけど、先生が欠席になった関係で自習になってしまって。フランツさんはここにいるのかなぁ、と思って、抜け出してきちゃいました」
てへ、と舌を出してコレットさんが悪戯っぽく微笑む。
……私に会いに来たということか? 何故?
私の疑問に答えるように、彼女はそっと包み紙を取り出した。
中には、クッキーが入っていた。
「これを、フランツさんに食べて欲しくて」
「私に……?」
「はいっ。あの、いつも護衛をしていて大変そうですから。あ、あの、余計なお世話だったらごめんなさい」
「……いえ、では、有難く」
受け取り、一枚口に運ぶ。
……美味しい。
先程までの苦い想いが塗り替えられるような、優しい甘さだった。
私がクッキーを飲み込むと同時に、優しい笑顔を彼女は浮かべる。
「良かったぁ、食べて貰えて。甘いものが嫌いだったらどうしようかと思ってました」
「嫌いではありませんよ。ただ、仕事中にこういうものを食べるのは輝剣騎士隊のイメージを損ねる可能性があるので自制をしているだけです」
「ふわぁ……凄いですね」
「凄い?」
私が聞き返すと、コレットさんは「はいっ」と答えながら、芝生にそのまま座った。
な、何故? ベンチがあるのだから、そこに座れば良いのに。
「だって、フランツさんはずっと輝剣騎士隊の一員としての自覚をもって過ごしてるんですもん。凄いですよ」
「そんなことは……」
「あたしは、そんな風に出来なくて。王立学校に入学することになって、しっかりしなくちゃって思うんですけど……えへへ、ちょっとだけ息苦しくって。今日は自習ですし、息抜きしようと思って抜け出してきちゃいました。その時にフランツさんの顔が思い浮かんで、クッキーを差し入れしようかなって」
「……なるほど。じゃあ、芝生に座るのも息抜きの一環なんですね」
「はぅ。そ、そうです……は、はしたなくてごめんなさい」
コレットさんが言いながらはにかむ。
頬を赤らめて恥ずかしそうにするその仕草は、とても可愛らしい。
「この学校に入学するまでは、こうして芝生に座って本を読むのが好きだったので……つい」
「そうなのですね」
「はい。気持ちいいんですよ、芝生って。……あの、良ければフランツさんも、どうですか? あ、あの、全然断ってくれて良いですから。というか、ごめんなさい。輝剣騎士隊として頑張ってるのに、それに水を差すようなこと言っちゃって」
「……いえ。そうですね……」
どうせ、クッキーを食べてしまったことだ。これ以上取り繕ってもしょうがないか。
私はコレットさんの隣に移動し、座ってみる。
芝生の上はふかふかとしている上に、ひんやりとしていて気持ちが良かった。
隣を見れば、コレットさんが微笑んでいる。
「どうですか?」
「意外と、気持ちいいものですね」
「♪ そうですよねっ」
「……なんでそんなに嬉しそうなんですか?」
「だって、こうやってはしたないことをしても怒らないで、一緒に座ってくれましたしっ。あ、あとあと、あたしの気持ちを聞いてくれましたし。なんだか友達みたいだなぁって」
友達。
そういえば、久しくそういった間柄の人と接したことは無かった。輝剣騎士隊になった途端に皆が一礼するようになって友人達とは自然に疎遠になったし、騎士隊の皆は尊敬する先輩のような、そんな人たちばかりだ。
だから、なのだろうか。コレットさんの笑顔が、やけに温かく感じられた。
「……私なんか、友達にしてもつまらないでしょう」
「? どうして?」
「どうしてって……」
「フランツさんは、こうやって一緒に芝生に座ってくれる優しい人だから。つまらなくなんてないです。立派で優しい、まるでロラン様のような騎士ですよ」
そういって、コレットさんは自身の膝を抱えて人懐っこく微笑んだ。
同時に、風が吹く。
花壇の花びらが、コレットさんを包み込む。
それは、まるで絵画の一枚のような見惚れる程に美しい光景。
――花を、初めて綺麗だと思った。
だがそれ以上に、その中央に座る少女に見惚れてしまった。
「……友達にも敬語を使うんですか?」
「はぅ。じゃあ、敬語を使わないで話しても良いです……かな?」
「ぷっ。ははは。老人みたいな話し方になってるよ。コレット」
「うん。失敗しちゃった。えへへ」
二人して、笑い合う。
笑ったのは一体いつ以来だろう? 思い出せないくらいに遠い昔だった気がする。
隣ではコレットが口元を抑えながらも楽しそうに笑っていた。
この笑顔を、どんなことをしても守りたい。
「……コレット、また会ってくれる?」
「うん。当たり前だよ~」
手を差し出すと、コレットは小さな柔らかい手で包み込むように、両手で握ってくれる。
握られた手が温かくなる。いつまでもこの時間が続いてほしい、そう思った。
でも、そうはいかないらしい。暖かい時間の終わりを予鈴が告げた。
「あ。戻らなくちゃ」
「そうだね」
立ち上がって、コレットの手を引っ張り立たせる。
「ありがとう、フランツ。また後でね」
「ああ」
何度も振り返って手を振りながら、コレットは校舎へと戻っていく。
その後ろ姿が見えなくなっても、私の高鳴った胸は、いつまで経ってもおさまってくれなかった。
☆
「――セシル。飲み物を注いで頂戴」
「はぁい……」
「何よ、その態度は」
「別になんでもありませんよ」
セリーヌ様が胸の下で手を組みながら、むすっとしつつボクに命令する。
うわぁ、そのポーズ、めちゃくちゃ胸が強調されて腹立つなぁ。
えい。お茶菓子をピクルスにしてやれ。
むっつりしているセリーヌ様にハーブティとピクルスを出してあげると、不機嫌お嬢様はボクの口に無言でフォークにぶっ刺したピクルスを突っ込んだ。危ないよ!
一緒にテーブルを囲むクラスメートのお嬢様たちも戦々恐々とした様子で、あわや従者の口を血まみれにしかけたセリーヌ様を見つめている。
いつも通りのふるまいをしているのはロシーユ様くらいかな。ロシーユ様はセリーヌ様のことを大分理解しているからね。この不機嫌なのは、子供が思い通りにならなくて駄々をこねているようなものだと分かっているんだろう。流石セリーヌ様の親友だ。
「ど、どうしたの、でしょうか? セリーヌ様?」
「どうしたもこうしたもありませんわ。――コレットさんとギルバート様の噂についてです」
おそるおそる尋ねた令嬢の一人に、セリーヌ様がぴしゃりと言い放つ。
例の事件から、数日。
演劇の盛り上がりひと段落した今日この頃、とある一つの噂が耳に入ったのだ。
その噂とは、
『ギルバート様は許嫁であるセリーヌ様よりも、例の奨学生の方を気に入っている』
というものだ。
その噂を耳にしてからセリーヌ様は不機嫌極まりなく、メイド使いが荒いったらありゃしない。
全くもう、八つ当たりは辞めて欲しいよ。
まあ、でも仕方ないんだけどね。
あの事件から数日経った今も、ギルバート様との間はギクシャクしたままだ。
時間を作れば……と言っていたセリーヌ様だけど、実際はそんな時間は作れないまま。
常にギルバート様の周りにはリュディヴィーヌ様かコレット様が居るから昼食も一緒に食べられないし、お茶に誘おうとしても一言会話することすら出来やしないのだ。
それなのに、こんな噂を聞かされては穏やかで居られる訳がないのは分かる。分かるんだけど、そのイライラを全てボクにぶつけるのは勘弁してください。
「たしかに、失礼な噂ですよね」
「ええ。セリーヌ様をバカにしていますわ。許嫁はセリーヌ様ですのに」
同席する令嬢たちの言葉に、セリーヌ様から発せられる気配が更に冷たくなっていく。
あわわわ。これ以上セリーヌ様が不機嫌になったら、一体どんな無茶な要求が飛んで来るのか想像もつかない。ともかくボクの負担は凄まじいことになるだろう。だれかたすけて。
「でも、そんな噂が立っても仕方がないです。実際、中庭で仲睦まじく、コレットとギルバート様が話をしているのを見たことがありますよ」
「……私も見たことがあります。何かギルバート様が熱心にコレットに尋ねて、コレットがそれに答えていました」
「ギルバート様にはギルバート様の理由があるのだと思いますわ」
告げ口をするように喋る令嬢たちに笑顔を向けながら、セリーヌ様がカップを傾ける。
その優雅な仕草に、令嬢たちが「流石セリーヌ様です」とうっとりした表情を浮かべた。
それが強がりだと気付いたのはボクとロシーユ様くらいだろう。ロシーユ様は一人だけ心配そうにセリーヌ様を見つめている。
「……そろそろ時間ですわ。申し訳ないですけれど、お開きにしましょう」
「もうそんな時間ですか。残念です、また一緒にお茶をしましょうね、セリーヌ様」
「ええ。勿論ですわ」
「私たち、セリーヌ様の味方です。なんでも相談してくださいね」
「ありがとう。頼りにしているわ」
セリーヌ様の終了を告げる言葉に、令嬢たちが立ち上がり優雅にお辞儀をしながら去っていく。
そして、ロシーユ様を除いた友人達が居なくなってから、セリーヌ様はティーカップを静かにソーサーに置いた。
「……はぁぁぁ」
「大丈夫ですか? セリーヌ様」
「大丈夫なものですか。皆してギルバート様の話ばかり。あんな言われ方をしたら、気になるに決まっているでしょう」
「あはは……貴族令嬢はこういう色恋沙汰の噂話が大好きですから」
「むぅ、わたくしも別に嫌いではありませんけれど。こうして自分が噂の中心部に居ると不愉快ですわね。んもう!」
ロシーユ様とボクは顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる。
まあ、仕方ないよね。ギルバート様が特定の女性と仲良くしていたら噂になるに決まっている。
ギルバート様も気を回してくれれば良いんだけど、そういうことには疎そうだからなぁ。ボクも人のこと言えないんだけどさ。
「はぁ……ロシーユと静かにお茶を飲んでいる方が気が休まりますわ」
「ふふ。セリーヌ様のお力になれているみたいで、良かったです」
優しくロシーユ様が微笑む。女神様か何かかな?
本当にセリーヌ様の友達が彼女で良かった。もしもロシーユ様が居なかったら、ボクはセリーヌ様のストレス解消のために働きすぎて過労死してたかもしれないね。
「ギルバート様もギルバート様ですわ。わたくしを放っておいて、コレットさんとお話してばかり。……もしかしたら、わたくしがあの方に惹かれてしまったのは寂しいからかもしれませんのに」
「セリーヌ様……? もしかしたら、の後が聞こえなかったです。なんて仰ったのですか?」
「なんでもありませんわ」
ロシーユ様の言葉に、セリーヌ様が作り笑いを浮かべる。
うぐ、ボクにはしっかり聞こえてしまった。隣に居るから当然なんだけど。
……セリーヌ様の言うことには一理あるかもしれない。なんとかギルバート様との時間、作れないかなぁ。
「中庭でお話って何を話しているかしら」
「わざわざコレット様と話をしているということは、市井のことにでも興味があるんじゃないですか?」
「……そうですね……普段、雑談の出来るような平民産まれの方が来ることは無いと思いますから……いい機会だと思っていらっしゃるかもしれませんね……」
シリアが言いながらロシーユ様のカップにおかわりを注ぐ。
それに合わせて、ボクもおかわりを注いだ。まだ話は続きそうだからね。
「私もセシルさんやシリアと同じ意見です。王位を継ぐためにはそういう見識も必要だと思いますから、そのためにコレットさんに色々質問をしているのではないでしょうか?」
「むぅ……そうなのかしら……?」
「そうですよ。だって、セリーヌ様みたいな素敵な許嫁が居るんですから。他の女性に惹かれるはずないじゃありませんか」
にっこり。ロシーユ様が笑顔を浮かべる。
はい、天使発見。
もしも今『天使はどこに居るの?』って聞かれたら、ボクは迷わず『目の前に居ます』って答えるね。
シリアが全てを犠牲にしてでもロシーユ様を護りたかった気持ちが分かるよ。本当に優しいなぁ。
「でも、どうしても気になりますわ。……そうよ。セシル、貴女、ギルバート様とコレットさんがどんな話をしているのか、こっそり聞いてきてくれないかしら」
「は?」
それに比べてうちのご主人様ときたら、とんだ悪魔だよね。
あまりのデーモンさに思わず素のトーンで返しちゃったよ。ロシーユ様の前なのに。
「なんですの? その口の利き方は。わたくしの言うことが聞けませんの?」
「だってそれ、盗み聞きして来いってことですよね? さすがに悪趣味すぎませんか?」
「うるさいわね。どうしても気になるの! 婚約者がわたくしを放っておいて他の女性と話をしているのよ? 気になって当然じゃない!」
「そ、それはそうですけどぉ……ロシーユ様からもなんとか言ってくださいよぅ」
ボクは天使に助けを求める。この悪女セリーヌに支配されし哀れなメイドをお助けください。
「…………頑張ってください、セシルさん!」
天使は悪魔の味方だった。
どうやらロシーユ様も、ギルバート様とコレット様の会話の内容が気になっているらしい。
ああんもう! どうしてそんなスパイみたいなことをやらなきゃいけないの!
「安心してください。シリアがセシルさんの分までセリーヌ様をお世話しますから」
「……至らない点もありますが、頑張ります……」
「そんなことないわよ。心強いわ。セシルはしっかりとお話を聞いてきてね。貴女は色々と小さいからバレないでしょうし」
「最期の一言必要でした? ねぇ、最後の一言必要でした??? 絶対胸のこと言ってますよね? ねぇ?」
「良いから早く行ってきなさい。お土産話、楽しみにしているわよ」
はーぁ、今日も今日とてブラックだなぁ。この仕事。
ボクはため息を大きく吐き出しながら、貴族令嬢二人の笑顔(邪悪)に送り出され、ボクは渋々ギルバート様とコレット様が並んで座っていたという中庭へと向かった。