『仮面の騎士と輝きの剣』⑤
「――そういう訳で、今回の事件のことは内密にして欲しいんです」
「……分かりましたわ。国のため、と言われるのでしたら。ロシーユは良いかしら?」
「は、はい。当然です」
お茶会の最中に訪れたギュリヴェールの言葉に、セリーヌ様とロシーユ様が頷く。
まあ大体、予想通りの顛末だろう。
アスランベクは多分、内密に処断されることになる。
少しだけ胸が痛い。自分のしたことに後悔はないけど……どうして、アスランベクはあんなこと、しちゃったのかな。
「……それと、もう一つ……仮面の騎士のことについてです」
「ええ、わたくしからも聞きたったところですわ。あの時、どうしてわたくし達に口止めしたんですの?」
ふぇ? 口止め?
ギュリヴェールに視線をやると、彼は声を低くした。
「あいつは、輝剣騎士隊に目を付けられるのを嫌っていて、存在を隠したいんです」
「……彼は、一体何者なのですの……? わたくしを、護る存在だって……」
「さぁ、俺も詳しくは知りませんが。ただセリーヌ様の護衛中に、向こうから接触してきただけでね。ですが、一つだけ、確かなことがあります」
「……? それは、なんですの?」
「セリーヌ様を、何よりも大切に想っているってことです。わざわざ俺に正体を明かして、貴女を守るための協力をしたいって」
「……わたくしを……大切、に」
「はい。同時に、他の輝剣騎士隊にはバレないようにして欲しいともお願いされました」
……ボクのために、セリーヌ様たちに口止めをして、嘘をついてくれたのか。
ボクは、いい親友を持った。ありがとうギュリヴェール。
今度、君が好きだって言ってくれたお菓子を御馳走するよ。腕によりをかけて、とびきり美味しいのをね。
ボクが心の中で感謝していると、ロシーユ様が身を乗り出し、ギュリヴェールに問いかける。
「あ、あのっ、ギュリヴェール様、教えてくださいませんか? 仮面の騎士様の正体を」
「へ? いえ、それは……」
「お願いします! 私、どうしても彼に会いたいんです……! あの、その、あ、会って直接お礼を、言いたいと言いますか……!」
ど、どうしたんだろう、ロシーユ様。
普段、お淑やかなロシーユ様が、ここまで自分の意見を主張するのは珍しいかも?
顔を赤くして必死に頼む彼女に、ギュリヴェールは苦笑いを浮かべる。
ボクが不思議に思っていると、セリーヌ様がロシーユ様の肩をぽん、と叩いた。
「ロシーユ。落ち着きなさい」
「は、はぅ。セリーヌ様……でも……」
「話せるなら、ギュリヴェール様は話してくださっていると思いますわ」
「勿論です。アスランベクの件を内密にして貰うんですから、他に話していいことは全て話しますよ」
「でしょう? それに、仮面の騎士様だって正体を現せるならそうしているはずです。正体を隠しながら、わたくし達を護ったって得なんて無いのですもの」
「それは……あう。そうだと思います、けど……」
「それを無理矢理に探ることは、迷惑になりますわ。あの方のためにも、我慢しましょう」
「……そうですね。セリーヌ様の仰る通りです。ごめんなさい」
「謝ることはありませんわ。直接お礼をしたいと思うのは当然のことです。寧ろ、ロシーユの考えはとても正しいと思いますわ」
なでなでとセリーヌ様がロシーユ様の背中を撫でながら微笑む。優しいなぁ。
それに、ちゃんとギュリヴェールやボクの事情を察してロシーユ様を宥めてくれたし。流石セリーヌ様だね。
「申し訳ありません。お二人とも」
「構いません。ギュリヴェール様、助けてくださってありがとうございますわ」
「当然です。……つっても、何も出来ませんでしたけどね。では、アスランベクの件と仮面の騎士のこと……くれぐれも、内密にお願いします」
ギュリヴェールが頭を下げ、去っていく。
む。そういえばあの事について聞かなきゃ。
「あ、わざわざ来てくださったのに手ぶらで返すのは申し訳ないですし、クッキーを渡してきますね」
「……ええ、お願いね。セシル」
クッキーを数枚袋に入れ、それをもってギュリヴェールの後を追う。
「ギュリヴェール!」
「ん……セシル」
「これ。お礼」
クッキーの入った袋を差し出すと、ギュリヴェールは黙ってそれを受け取ってくれた。
「悪いな」
「ううん。こっちこそありがと。色々面倒押し付けちゃって」
「良いよ。お前のために働くのは嫌じゃない」
ぼりぼりと頭を掻きながら、ギュリヴェールがボクから目線をそらす。
ロランの時みたいな感じで指示したし、懐かしい感覚だったのかな。
「嫌じゃないなら良かったけど。でも、本当に感謝してる。おかげでセリーヌ様とロシーユ様を助けられたし」
「ああ。……そうだ。例の衣装だけどな。回収して、お前の部屋に置いておいた」
「……へ? な、なんで?」
「もしも、セリーヌ様がまた危険な目にあった時、お前が助けられるようにだ」
ギュリヴェールの顔が真剣になる。
「良いか、セシル。アスランベクの事件はかなりきな臭いんだ。もしかしたら、プレイアスが関わってるかもしれねぇ」
「――っ。プレイアスが? どうして?」
「……お前が聞きたがってたことにも関係するんだ」
「ボクが聞きたがってたことって……エリザと女王様の罪のこと?」
「ああ、そうだ」
ギュリヴェールが、静かな声でしゃべり始めた。
あの時、僕が死んでからボクが産まれるまでに起こったことを。
「――つまり……ロランの遺体の回収を出来なかったことが、エリザの罪って言われてるってこと?」
「そうだ」
「……なにそれ。死んだ人の身体なんてどうでも良くない? それよりも、ギュリヴェールとエリザが無事で良かったと思うよ。ボクは」
「……良く分かってんなぁ。あいつ」
「ふぇ? 誰のこと?」
「いや、なんでもない」
「……まあ、いいや。エリザの罪は分かったよ。でも、女王様の罪っていうのは? 今の話だと、女王様は関係ないよね」
「あぁ。それとは別件だよ。……ロランのお陰で戦争に勝利したヘスペリスは、プレイアスと条約を結ぶことになってな」
それはまあ、そうだろう。
口約束で戦争は終わりです、なんて言ったって何の効力もない。二国間に正式な文書を残し、その契約を履行することで、戦争は終結を迎えるんだ。
「……そこで、プレイアスはロランの遺体の返還を条件に、賠償金の減額を要求してきた」
「――え?」
「女王様は……それを、呑んじまったんだよ」
「なっ……!?」
たかが一人の遺体のために、戦勝国が敗戦国の条件を呑むなんてこと、あってはならないことだ。
ボクは衝撃で動けなかった。
「……それ、本当のことなの?」
「あぁ。これを知ってるのは、一部の王族と、当時居た輝剣騎士隊のメンバーだけだ。残りには伏せられてる。こんなことがバレればヘスペリス王族の土台が揺らいで、混乱を起こしかねないからな」
「……それは……」
たしかに、罪、なのかもしれない。
それに、ロランの遺体が交渉に利用されただなんて……。
「ギュリヴェールは……女王様のこと、どう思ってるの?」
「……仕方ねぇかな。って思ったよ」
「え……」
「お前が死んで、戦争に片が付くまでの間に国王が病死した。いきなりの初仕事が終戦条約。そんな状態で……まともな思考なんて働かせられるか?」
「……無理、だね」
「ああ。俺もそう思うよ。しかも、ロランの遺体を条件に出されて、冷静でいられる訳がない。俺も、エリザも……あの時は冷静じゃなかった。女王様を宥めることも出来ずに、ただ怒りと情けなさと悔しさが爆発するのを我慢するしかなかったんだ」
その時のことを思い出したのだろう、ギュリヴェールがぎゅっと拳を握り締める。
「ほぼ平等と言える終戦条約を結んでから、女王様は涙を流しながら俺達に謝ったよ。ごめんなさい、ごめんなさい、ロランを利用されて、ごめんなさい、って」
「……うん」
「それから、女王様は今までずっとヘスペリスのために尽力なさってる。今、ヘスペリスが平和なのは、そのお陰だと俺は思ってるよ」
「そうだね。……ボクはまたここに戻って来たけど、とても平和だと思うよ」
そっか、アスランベクが言ってたのは、そういうことだったのか。
……ん? いや、ちょっと待って。それっておかしくない?
「……ねえ、ギュリヴェール。ロランの遺体の返還を条件にされて、女王様がそれを呑んだんだよね? じゃあ、なんでアスランベクは『息子が帰って来る』なんて言ったの?」
ボクの記憶が正しいのなら、アスランベクが息子と呼ぶ男はロランただ一人だ。
隠し子でも居たなら話は別だけど、そんな話は一切聞かなかった。
ギュリヴェールは、ボクの言葉を聞いて目を瞑ると、大きく息を吐いた。
「……帰ってきてねぇんだよ」
「え……?」
「ロランの遺体は条約を締結した後、『返還する時期の記述はない』って言われて、まだプレイアスにあるんだ」
「――なっ……!」
ギュリヴェールは苦々しげな表情を浮かべる。
「それを含めて、アスランベクは『女王様の罪』って表現したんだろうぜ」
「なるほど、ね。……プレイアスは、今どうなってるの? 全く話を聞かないけど……」
「ほぼ断交状態だ。向こうがどうなってるか、何も分からない。情報が入ってこないんだ」
「そういうことか……。だから、アスランベクはプレイアスと繋がりがあるかもってことになったんだね」
「ああ。調査を始めるみたいだ」
「なるほどね。納得したよ。ありがとうギュリヴェール」
「ああ。……ごめんな。巻き込んで」
「謝らないでよ。悪いのはギュリヴェールじゃないし。寧ろ説明してくれてありがとう。……辛いこと、思い出させちゃってごめんね」
ぽんぽん、とギュリヴェールの腕を叩く。
苦労、してたんだな。
赤面させられたことは水に流して、今後は親友として優しく接しよう。
うんうんと頷いていると、ぎゅむ、と後ろから力が加えられ、ギュリヴェールに密着させられた。
は、はれ? どうなってるの?
状況を確認すると、どうやらギュリヴェールがボクの背中に腕を回してきたらしい。
つまり、今ボクはギュリヴェールにぎゅーっと抱き締められているということだ。
……なんで?
な、な、な、なんでー!?
ぼぼっと顔が赤くなるのが分かった。
うぅっ、こいつ、何を……っ。
慌てて上目遣いに睨みつけると、ギュリヴェールは微笑みながらボクの頭に顔をうずめていた。
うぎゃー!? やめろやめろー! 髪の毛の匂いを嗅ぐなーっ!
「なななななーーー!? 何をするー!」
「可愛かったから抱きしめた」
「か、かわっ。可愛かったからっていきなり抱きしめて頭に顔をうずめてくる奴があるかっ! この変態! バカ!」
げしげしと足の甲を思いっきり踏みつける。
ああもう! からかってきたことを許してやろうと思ってたのにっ!
ボクが暴れると、ギュリヴェールが腕の力を緩める。
慌てて離れて服を整えた。
こ、こいつ本当に信じらんないっ。今の流れで抱き締める? 普通!
「はぁっ、はぁっ……! 何すんだよ!」
「だってお前、あの流れなら抱きしめるだろ?」
「はぁー!? 逆でしょ! あそこはお礼だけで済ます所だから!」
「お前は男女の機微が分かってねぇなぁ。童貞のまま死ぬからだぞ。今世でも処女だろお前」
「しょっ……! うっ、くっ!」
「童貞と処女、両方を体験出来てるのはお前くらいのもんじゃねぇか? くっくっく。そう考えるとなんか面白――」
楽しそうに笑うギュリヴェールの腹部に正拳突きを叩き込む。
ドズッ、と鈍い音が周囲に響き渡った。
「ぐ、ぉ……、て、てめ……ぇ、本気、で……っ」
「バカバカバーカ! お前なんかクッキーで喉を詰まらせて苦しめ!」
ふんだ! やっぱりギュリヴェールなんか許してやんない!
男女の機微という言葉に何か引っかかるような気もするけど、考えるだけ不愉快だ。もうセリーヌ様の所に戻ろ。
「なんだかんだいってクッキーはくれんのな?」
「うるさい!」
本当にもう!
ギュリヴェールには二度と近づかないようにしないと。ああ、くそぅ。顔が熱いよぅ。腹立つぅ~!
「……そんな可愛く顔を真っ赤にして怒られてもなぁ」
「なんか言った!?」
「別に。クッキーありがとな」
「どういたしまして! じゃあボクは戻るから!」
肩を怒らせながら、ボクは踵を返す。
背後から袋からクッキーを取り出して食べる音と「美味い」という声が聞こえて嬉しく思ってしまった自分を殴りたくなりながら、ボクはセリーヌ様の元へ戻ったのだった。
☆
なんだか、セリーヌ様の様子がおかしい。
部屋の窓から夜空を見上げながら、物憂げにため息なんか吐いている。
さらわれた上に楽しみにしてた演劇を見られなかったことで落ち込んでるのかな。
……いや、それよりも皇子様とまともに会話出来なかったことを気に病んでいるのかも。
朝にギルバート様が話しかけようとしていたのを断る形になってから会えていないもんね。
誘拐事件が無かったことになった訳だから、その理由もギルバート様は知らないはずだ。
……これが原因で、二人の溝が深まらなきゃ良いんだけど。
心配になったボクは、セリーヌ様にそっと近づく。
「大丈夫ですか? セリーヌ様」
「……ええ、平気よ」
「本当ですか……? ずっと上の空だから、ボク心配なんですけど……」
「心配かけてごめんなさい。……あの、ね、セシル、相談があるの」
良かった。相談してくれるなら何か出来るかもしれない。
さあ、どんな悩みでも来い! ギルバート様と話がしたいんだったら今すぐにでもギルバート様の部屋に行って何とかお時間を作ってもらうし、お腹が空いたって言うんだったら今から御馳走を作るよ。勿論ピクルス抜きで。
ボクが身構えていると、セリーヌ様は意を決したように口を開いて、
「――わたくし、好きな人が出来たの」
「はぁ。そうなんですか? 知っていますけど……」
「え……!? 気づいていたの?」
「というか、婚約してるじゃないですか」
アレだけ馬車の中で熱く語っていたギルバート様と婚約出来て、とても嬉しそうだったもん。そりゃ知ってるよ。
ボクが答えると、セリーヌ様はとても残念なものを見る目でボクを見た。何故。
「あのね。ギルバート様のことなら、こんなに悩んだりしないわ」
「え。そうなんですか? 最近話せていないからそのことじゃないかって思って」
「それを気にしているのはそうだけど。それなら明日、改めて時間を取ってもらうだけじゃない」
う。まぁそりゃそうなんだけどさ。
……え。いや、ちょっと待って。好きな人が出来たって……ギルバート様のことじゃ、ないの?
ボクが気が付いたことを悟ったセリーヌ様が頬を赤らめる。
その表情を見て、凄く嫌な予感がした。
特大級の、どうやって解決すれば良いか全く分からないくらいの難問が付きつけられる、そんな確信がある。
「その人はね……」
「待ってください。なんか聞きたくないんですけど……っ」
「い、今更そんなこと言わないで。お願い、セシル……誰かに聞いて貰わないと、わたくし、胸が苦しくてどうにかなってしまいそうなの……こんなこと話せるの、セシルしか居ないわ……」
「聞きます、聞きますけどっ! 心の準備が出来ていないというかっ! ああもう分かりましたから! そんな涙目になって上目遣いで見ないでくださいよぅ!」
なんでも来い。たしかにボクはそう思ったよ。思いましたとも。
でも、でもだよ? だからって――
「その人は、捕まっていたわたくしを助けてくれて、『何があろうと、身命を賭して必ず貴女を守ります』って言ってくれたの。あの物語の……仮面の騎士様のように」
――変装した自分を好きになったなんて相談されても困るんですけどぉ!
ボクは心の中で頭を抱えて叫ぶ。
あああ、どうしてこんなことに……!
「あの方のことを思い浮かべると、胸がドキドキして苦しいの。助けられた時に撫でられた頬が、とても熱いの……。ギルバート様に、こんな気持ちを抱いたことはなかったのに……ねぇ、セシル。わたくし、どうすれば良いのかしら……」
「ど、どうすれば、良いのでしょうね……?」
ギルバート様と婚約しているセリーヌ様が、仮面の騎士に変装したボクを好きになった。
……うん、改めて考えてもどうすれば良いのこれ。
そりゃ、セリーヌ様に『仮面の騎士』のことをすっぱり諦めて貰えればそれで解決することだと思う。
でも、こんなに頬を赤らめて、自分の想いを語るセリーヌ様にそんなこと言えないよ。
……それに、なんだろう。ちょっと嬉しい、ような……?
いや、何を考えてるのボク! ボクもセリーヌ様も女性なんだ。セリーヌ様の想いが成就することはないし、ギルバート様との婚約のこともあるし、ここは諦めるべきだって伝えなきゃ!
……で、でも、セリーヌ様だって自分が皇子と婚約しているのを理解しているはずだよね? その上で、仮面の騎士への想いをボクに吐露した訳だし、それを否定しちゃったら、セリーヌ様の味方が居なくなっちゃう。
そんなこと、したくないし、ボクには出来ない。
「少し、考えてみたらどうでしょうか?」
「考える……?」
「はい。ギルバート様のことと、その仮面の騎士様のこと……少し時間をかければ、きっとセリーヌ様なら、良い答えを出せると思います」
「そうかしら?」
「はい。ギルバート様のこと、お嫌いではないんですよね? コレット様と仲良くしているのを見ると、不安になっているみたいですし」
「ええ、もちろん。嫌いなわけがないわ」
「それなら、落ち着いて考えてみたらギルバート様の方が好きだった、とか、そういうことも有るかもしれませんし、考えてみるのは良いことだと思います」
「……そう……ええ、そう、よね」
セリーヌ様の言葉に、ボクの胸がチクリと痛んだような気がした。
? なんだろう、この気持ちは。
良く分からない自分の感情を無視して、ボクは微笑む。
「答えが出たら、その時にしたいことをすればいいと思います。その時に出る答えが何であれ、ボクは、何があってもセリーヌ様の味方ですから」
「うん。……ありがとう、セシル」
ぎゅっとセリーヌ様が暖かな身体をボクに押し付けるようにして抱き着いてくる。
ボクは、その背中に腕を回した。
これでいい。これで良いんだ。
そう思いながらも、ボクの心はモヤモヤしたままだった。
……。
…………。
この時、ボクは薄々勘付いていた。
波乱万丈な学園生活の本当の幕開けが、訪れたんだってことに。