『仮面の騎士と輝きの剣』③
衣装を持ち出したボクは、木陰に隠れて服に手を掛けた。
するり、とメイド服を脱いでいく。
ヘッドドレスを外して靴を脱ぎ、手に入れた衣装に着替えていく。
この衣装を着ている時は、ボクは自分がセシルであることを忘れよう。大切な人を守るために。
ウィッグを付けて髪の毛の色と形を変える。そして、背丈を誤魔化す厚底の靴を履いた。
少し動きにくいけど、これくらいなら問題はないかな。鎧を着て動くよりもよっぽどマシだ。
そして最期に、その衣装の最大の利点であり個性である仮面を付けて、ボクは立ち上がった。
顔の下半分は隠れてないけど……これくらいなら大丈夫かな。
今のボクの姿は、今日行われる予定の演劇――『仮面の騎士と輝きの剣』の主人公の姿だ。
服一式を藪の中に隠し、ボクは森の中へと入っていく。
暫く走ると、剣と剣がぶつかり合う音が聞こえてきた。
ギュリヴェールとアスランベクが戦っている音だ。
お金を出せそうな、凄まじいレベルの戦いを繰り広げているのが木々の間から見える。
でも、ギュリヴェールの動きはどこか鈍い。縛られていたのを助けた時から辛そうな顔をしていたし、おそらく不意打ちを食らったんだ。そのダメージが抜けていないみたいだ。
あれじゃそう長くは持たない。その間にセリーヌ様とロシーユ様を助けないと。
辺りを見回すと、小屋の前に座らされた二人の姿が目に入った。
よし、今の内だ!
ボクはアスランベクに気付かれないよう、するすると木々の間を抜け、縛られた二人に近寄る。
「っ……!?」
突然現れた仮面の騎士に、お二人は驚いた表情を浮かべる。
「しー……静かに」
ボクは口元に手を当てて、声色を変えて静かにするように二人に告げ、二人の猿轡を外した。
「あ、貴方は……?」
「……通りすがりの騎士だよ。静かに。今逃がして――」
「いいや、そうはいかない」
声が聞こえて視線を上げると、片膝を突いて息を乱すギュリヴェールと、こちらを睨みつけるアスランベクが目に入った。
見つかったか。……いや、アスランベクのことだ。ギュリヴェールが縄を解いて姿を現した時から、誰か協力者がいるということに気付き、その人物……つまり、ボクが姿を現すのを待っていたんだろう。
アスランベクが誘拐の犯人である以上、輝剣騎士隊や他の騎士の中に彼の仲間がいる可能性を排除することは出来ないから、助けを呼ぶことは出来ない。
それなら、協力者が姿を現してセリーヌ様やロシーユ様を助けに来る可能性の方が高い……そこまで考えて、アスランベクはギュリヴェールと戦いながら時間を稼いでいたんだろうね。
「フランツかエリザだと思っていたが、あの二人ならそんなコスプレなどしないな。全く舐められたものだ。自分の目から逃れられると思っているとは」
アスランベクがゆっくりと近づいてくる。
ボクは二人を庇うように前に出た。
「……聞いても良いか、アスランベク。どうして、こんな真似をした?」
問いかけると、アスランベクは不愉快そうに顔を顰めた。
「呼び捨てにされる謂れはないし、答える必要もない」
「そうか。でも、どうせくだらない理由なんだろう?」
その言葉で、アスランベクの目に憤怒の光が宿った。
「――そんな訳がないだろう」
「それは意外だったよ。騎士である立場を使って人を脅し、攫う……そんな真似をしなければならない理由なんて、どうせ自分勝手で愚かな、低俗な理由に決まっていると思ったからね」
「口を慎め。素顔も晒せぬ愚か者」
目に殺意を宿して、アスランベクが剣を振り上げる。
怒りたいのはこっちの方だけどね。よくもセリーヌ様を危険に晒してくれたな。
「そんなに死にたいのなら、よかろう。望み通り貴様から殺してやる」
剣が閃くと同時に、アスランベクの後ろから剣が回転しながら飛んできた。
「使え! 隊長ッ!」
ありがとう、ギュリヴェール。
ギュリヴェールが投げ渡してきた剣を受け止め、アスランベクの雷撃のような一閃を受け止める。
陶器が割れるような音が響き渡り、剣が激突する。
懐かしいな。この感覚。
ボクはそのまま身体の回転と魔力を使ってアスランベクを剣ごと薙ぎ払った。
アスランベクがたたらを踏みながら後ろに下がる。その表情は、驚愕に染まっていた。
「――バカな。お前、一体何者だ?」
一撃でボクの腕前を悟ったんだろう。
誇り高き騎士の立場を捨て、犯罪者に身を落としてしまったかつての育ての親に、ボクは切っ先を向けた。
「守るべき民を脅し、自らの為に危険に晒す。――騎士として、道を違えたな。アスランベク」
「……くっ、貴様ッ、何者だ! 素顔を見せろ!」
バチバチとアスランベクの掌に魔力が迸る。
そして、顕現された雷の槍が僕に向かって無数に突貫してきた。
アスランベクの必殺にして得意魔法である、『雷槍』だ。
今までヘスペリスを守護してきた護国の槍は、人を傷つける凶槍に変わった。
それを一つ残らず剣で叩き斬る。
アスランベクの表情が凍り付いた。
「す、すごい、ですわ……っ」
セリーヌ様が呟くのが後ろから聞こえた。
良かった、ケガはないみたいだ。全部叩き落したけれど、余波でケガする可能性もある。
セリーヌ様をそんな危険に晒す訳にはいかない。次の魔法は撃たせないよ、アスランベク。
剣を握る手に力を籠めながら、魔力を放出しつつ、アスランベクにゆっくりと近づく。
これは威嚇だ。
『動くな。動いたらその首を叩き落す』っていう、ね。
アスランベクは動けない。
顔中に汗を浮かべたアスランベクの腹部を、剣の柄で打ち抜く。
「――ぐ、ふっ……ぁ……! ……ぁ、ぐ」
ドッとアスランベクが膝を突き、ボクの胸元を握り締めた。
「……この……凄まじい、魔力……お前は……ロラン、なのか……?」
「死んだよ、ロランは。もうこの世にはいない」
「……分かっている、そのはずだ。だが、この魔力の気配……ロランのものとしか、思えぬ。お願いだ、もしもロランなら、素顔を見せてくれ。そして……お前の為にこんなことをした、愚かな養父を……叱ってくれ……」
「彼女たちを攫ったのがロランのため? ふざけるなよアスランベク。お前だって、良く分かってるはずだ。ロランなら――こんなこと、絶対に許さない」
「……そうとも、分かっている。だが、分かっていても、それ以上に……エリザと、女王が許せなかった。罪を犯したのに、ロランの遺志を継いだと、のたまうあの二人を。それに、こうすれば、息子は戻って……来るのだ……戻って……」
うわごとのように言って、アスランベクは倒れた。
ボクはそんなアスランベクを見下ろしていた。
……エリザと女王の罪……? 良く分からない。なんのことだ?
それに、セリーヌ様とロシーユ様を攫えばロランが戻って来るなんてことも、あるはずがない。
だって、生まれ変わりのボクが……ここに居るんだから。
ボクはアスランベクから目を外し、セリーヌ様とロシーユ様の元に戻って縄を解いた。
「ケガはありませんか?」
「……え、ええ。ありませんわ。……あの……助けてくれて、ありがとうございます」
「いえ、護れて、良かった」
本当に、良かった。
もしもセリーヌ様に何か有ったら、ボクは……。
その頬を優しく撫でる。
セリーヌ様はぼうっとボクを見上げていた。
ボクはセリーヌ様から離れると、彼女を捕えていたロープでアスランベクを縛り上げる。 これでよし、と。
次にギュリヴェールに目をやると、ギュリヴェールはこくんと頷いた。
「後はお前に任せるよ、ギュリヴェール」
「ああ。助かったよ」
剣を返しながら、ギュリヴェールが立ち上がるのを助ける。
あ、そうだ。ギュリヴェールなら知ってるかもしれない。
ボクはまだふらついているギュリヴェールに、小声で聞いてみる。
「一つ、聞いて良い?」
「……なんだ?」
「アスランベクが言ってたんだけど。エリザと女王様の罪って、何?」
「……、……ここで話せることじゃない。あとで時間を取る。そこで説明する」
「分かった。ありがとう」
「ああ。とりあえず、お前は早くここから逃げた方が良いぞ」
「? なんで?」
「なんでって……お前、あんな魔力を放ったらどうなるか、分かんねぇのか?」
……あ。
しまった、そこまで気が回ってなかった。
アスランベクにもロランなのかと思われたんだ。かつての輝剣騎士隊の面々があの魔力を感じ取れば、必ずここに来て、その主を確かめに来るはずだ。
そこでこんな格好をしているボクを見つければ、必ず捕えて尋問しようとするだろう。
そうなれば、せっかくギュリヴェールが気を利かせて変装させてくれたのが無駄になってしまう。それは避けないと。
「じゃあ、着替えてくる。すぐ戻る」
「おう」
よし、それじゃあ着替えを隠した場所に戻ろう。
そう足を一歩前に踏み出した所で、
「お、お待ちになって」
「え……?」
セリーヌ様が立ち上がり、慌てて駆け寄ってきた。
ど、どうしたんだろう? もしかして、セシルってバレた……?
ドキドキするボクを、セリーヌ様はじっと見つめる。
「あの……貴方は、一体……?」
う。困ったなぁ、なんて答えれば良いんだろ。
「……そうですね。あー……ボクは、仮面の騎士です」
慌てた結果、ボクは見た通りのことを口走っていた。
横ではギュリヴェールは噴き出しかけたのを必死に堪えている。おいそこ、笑ってないで助け船を出せ。
えーと、えーと……。
慌てるボクの目に、不安そうなセリーヌ様の顔が目に入る。
……そうだ。慌てる必要なんかない。
正体は明かせない。けれど、どうしてボクがここにいるのかの説明は出来る。
ボクはセリーヌ様の前に、そっと跪いた。
「……貴女を、守る存在です」
「え……?」
「何があろうと、身命を賭して必ず貴女を守ります。ですから……もう、怖がらなくて大丈夫ですよ」
「――っ」
セリーヌ様が息を呑むのが聞こえた。
セリーヌ様は、怖がってる。
当たり前だよね。知らない人に誘拐されて、助けられたと思ったら救出してくれた人は仮面を被った人だなんて、怖くない訳がない。
でも、セリーヌ様には安心して笑っていて欲しい。それがボクの本心だ。
そのためには仮面の騎士としてじゃなく、セシルとしてセリーヌ様を支えないと。
ボクは立ち上がり、踵を返した。
「それじゃ、行きますね」
「あっ……」
セリーヌ様の視線を背中に感じながら、ボクは森の中へ走っていく。
急いでメイド服に着替え直そう。セシルに戻って、セリーヌ様の傍にいるために。
メイド服を隠した場所まで戻り、着替える。
いつものメイドの姿に戻って……と。
これでよし。仮面の騎士の衣装はここに隠しておこう。あとで返さなきゃ。
とりあえず今は、セリーヌ様の所へ急ごう。
ボクは再び元来た道を、走って戻った。
管理小屋の所まで戻ると、エリザとシャルロッテが既に到着していた。
危ない、間一髪だったな。ギュリヴェールには感謝だ。
二人はギュリヴェールから事情を聴いているようで、アスランベクを見下ろしながら何事かを話している。
あっちはギュリヴェールに任せて良いだろう。それよりもセリーヌ様はどこだろう。
あ、居た。座り込んでるロシーユ様の隣にいる。
ボクは急いでその二人の元へ駆け寄った。
「セリーヌ様!」
「! セシル。貴女は無事だったのね。良かったわ」
「こっちのセリフですよっ。無事でよかったです!」
ボクの顔を見て、セリーヌ様が安心したように微笑んでくれた。
恐怖の色はもうない。良かったぁ。
「ケガはありませんか?」
「ええ。わたくしは平気よ。少し縛られた跡が残っているくらいかしら」
「あ、本当だ。赤くなってますね……後で傷薬を塗りましょう」
「ええ。それよりも、ロシーユが……」
「ロシーユ様? どうかなさったんですか?」
見ると、ロシーユ様は苦笑いを浮かべていた。
「こ、腰が抜けてしまっていて……あまりにも色んな事が起きましたから」
そりゃ、誘拐されたんだもんね。そうなってもおかしくない。
動けるようにおんぶしたりした方が良いんだろうけど――その役目は、ボクじゃない。
それは、ロシーユ様を誰よりも大切に想うメイドのものだ。
「ロシーユ、様……」
「シリア。来てくれたんだ」
「……っ、ロシーユ様っ……」
微笑んだロシーユ様の姿を見たシリアは、真っ黒な瞳からぼろっと大粒の涙を零した。
そして、そのままぎゅうっとロシーユ様にしがみつく。
「ご無事で……良かったです……っ」
「んっ……シリアったら、ふふ。恥ずかしいよ」
「貴女に、何か有ったら……私、私……っ」
「……うん。心配かけてごめんね」
二人が抱き合うのを、セリーヌ様は安堵の表情で見つめていた。
良かった。この光景を見られて。
ボクは、皆を守れたんだ。
「セシル。貴女も抱き着きたかったら抱き着いても良いわよ?」
「大丈夫です。セリーヌ様は無事だったって分かってますから」
「むっ、なによそれ。わたくしだって今回は危なかったのよ?」
むすっとセリーヌ様が膨れる。
危なかったことは分かってますよ、セリーヌ様。
でも、貴女は絶対に大丈夫です。だって――ボクが絶対に守りますから。
つんつん、とセリーヌ様の頬を突っつくと、セリーヌ様は「何をするのっ」とボクのほっぺを引っ張って反撃してきた。
セリーヌ様とじゃれついていると、突然ボクはシリアにむぎゅっと抱きしめられた。
んぎゃっ、しかも全力だっ、い、息がっ……!
「ありがとう。セシル……」
「ぐぇ。ぐるじい」
「セシルが、助けてくれなかったら……私……」
「セシルが助けた?」
セリーヌ様が言葉に反応してボクを見る。
あわわ。しまった、シリアにはまだ口止めしてないんだったっ。
「いえ、あぐ、ボクはギュリヴェールに応援を頼んだだけで、ふぎゅっ」
「あら。そうだったのね?」
「ふぁい……シリア、苦しいよぅ」
「ぁ……ご、ごめんね……」
「うん。……へへ。でも良かったね。ほら、泣かないで。もう解決したんだから」
シリアの涙を、ボクはハンカチで拭う。
恥ずかしかったのか、シリアは赤くなりながらも頷いてくれる。
「……今までで一番のシャーベット作るから……楽しみにしててね……」
「うんっ」
「あ、ズルいですっ。シリア、私にも作って?」
「あら、わたくしを仲間外れにするのかしら?」
「それなら、ボクも何か作りますから、お茶会をしませんか? 学校に来てから開いていないですし」
「……でも、それじゃお礼にならないんじゃ……?」
「ううん。そんなことないよ。皆で一緒に食べた方が美味しいもん」
ボクの言葉に、シリアは満面の笑みを浮かべた。
良かった。これで一件落着だね。
ほっとするボクの裾を、セリーヌ様がくいっと引っ張る。
「? どうしました? セリーヌ様」
「ねぇ、セシル。こっちに来るときに、仮面を被った人を見なかった?」
「えっ」
ドキッと心臓が鳴る。
ど、どど、どうしてそんなことを聞くんだろう?
まさか『それはボクです』という訳にも行かない。ここは見なかったと答えるしかないよね。
「い、いえ。見ませんでしたけど……」
「そう……」
「その人が、どうかしたんですか?」
「……いいえ、なんでもないわ。お礼をしたいと思っただけ」
セリーヌ様は森の奥に目をやる。
その横顔に、ボクは何か嫌な予感を覚えたのだった。