『仮面の騎士と輝きの剣』②
「はぁっ、マズイな……」
汗をぬぐいながら息を吐き出す。
まさか本当にロシーユ嬢を見た兵士が一人も居ないとは思わなかった。
逆を言えば、ロシーユ嬢は外には出ていないということだ。セシルの言う通り、全ての馬車の出入りを禁止して入口を封鎖した。これで安易に外には出られないから、まず間違いなく学園内にいることになる。
次は教師に報告して、学内を虱潰しに探す。
そう思ったところで、学園内の外れ。森の中に誰かが歩いていくのが見えた。
その腕には間違いない。セリーヌ様が抱かれている。
その瞬間、この騒ぎの顛末を俺は理解した。
「――そういうことかよ。畜生っ!」
通信魔法具を握り締めるが、これを使えば輝剣騎士隊の全てに会話が行き渡ることになる。それは出来ない。
「……クソっ……!」
森の中に入っていった背中を追いかける。
だが、少し遠かったのもあって見失ってしまった。
「……どこにいる……?」
呟いた瞬間、森の奥がチカッと光った。
マズイ、そう思った瞬間、俺の身体を輝く槍が貫いた。
全身が痺れ、痙攣する。
「ぐあっ……!? っ……!」
よくよく見れば、それは雷で出来た槍だった。
がくん、と膝を突く。
こんな強力な雷魔法を使うやつは、一人にしか心当たりがない。
「……冗談だろ。こんな真似するなんてよ……! 信じられねぇぜ……」
「信じられないのはこちらだ。ギュリヴェール、お前はこの時間、別の場所を巡回しているはずだ。いや、お前どころか、全ての兵士に目撃されない警備の隙間を狙ったはずなのだがな」
木の陰から姿を現した男は、冷酷に俺を見下ろしている。
腕に担がれたセリーヌ様が、怯えて震えながら俺を見た。
手足を縛られ、猿轡まで噛まされている。あれじゃ一人じゃ脱出するどころか、助けを呼ぶことすら出来ないだろう。
「……それがお前の選んだ道っていうこと、かよ」
「違う。選んだのではない。これしかなかったのだ」
「……ロランが泣くぜ。育ての親がこんな風に道をたがえたって知ったら」
俺の言葉を聞いて、目の前の男――アスランベクが、獰猛に笑う。
「いいや。喜ぶはずだ。何せ『帰ってこれる』のだからな」
「……お前……」
「予定外だが、お前には利用価値がある。まだ生かしておこう」
「……まだ、ね」
身体が、動かねぇ。
全く抵抗できず、俺は身体を縄で縛られ、木に括り付けられた。
対魔力製の縄だ。これじゃ痺れが抜けても自力じゃ抜けられそうにない。
「少し待っていろ。すぐに迎えに来る」
アスランベクはセリーヌ様を抱いて、森の奥に消えていく。
あの奥には、たしか小屋があったな。王立学校のキャンプイベントのための資材が置かれているはずだ。
その中に、ロシーユ嬢とセリーヌ様を捕まえているのだろう。
あいつの姿を見つけた時点で一度報告に戻るべきだった。焦って突っ込んでこのザマだ。
「ちくしょう……すまねぇ、セシル……」
俺は、なんでいつもこう詰めが甘いんだろうか。
いつもロランに尻ぬぐいをして貰っていたのを、嫌でも思い出してしまう。
情けねぇ。あれから二十年も経つってのに、俺は前々成長してないじゃねぇか。
自分の無力さを呪った所で、
ざくっという足音が聞こえた。
俺はそちらの方を慌てて振り向く。
そこに、メイド服を着た少女が立っていた。
☆
今でも思い出す。
凍えるような寒さの中、ふらふらと一枚の外套だけを着て、街の中を彷徨い歩いていた。
ヘスペリスという国は、魔法の最先端を行く国家だ。それを技術化し、人々の暮らしに役立てている。
でも、それはヘスペリスの中での話。もしもそのヘスペリスという国の真逆の、魔法というものが存在しない場所に一人だけ魔法使いが紛れ込んでいたらどうなるだろう?
氷の魔女と、そう呼ばれた。
魔力をコントロールするのが苦手だった。常に手は冷たく身体からは冷気を放出させ、近づくものを凍えさせる。
窓に佇んでいれば白く曇り、水の中に手を入れていれば凍り付き、草木に触れていれば草元気をなくした。
そんな私が恐れられるのは、当たり前のことだ。当然のことなんだ。
気味悪がられ、誰も傍に近寄らない。
温もりなんか感じたこともなかった。物心ついた頃には既にいなかった母はどうやって私を育てたのだろう? 父は何者なのだろう? 一人ぼっちの私の問いかけに、答えなんて返って来る訳がない。そう思っていた。
「きっと、シャーベットを作っていたのよっ」
――そんな風に、笑いかける人が、見つかった。
「だってシリアのお母さまだもの。シリアと同じようにシャーベットを作るのがとても得意なはずだわ」
「……でも、シャーベットなんて、所詮凍らせただけの食べ物ではないですか……?」
「でも、こんなに美味しいもの。シリアだって美味しいから作ったんでしょう?」
「それは……そうです、けど……」
「美味しいって知っているってことは、シリアも食べたことがあるというだもの。きっとそうしていたはずよ」
にっこりと笑ったその人の名前はロシーユ・ヴィニュロン。
行き倒れた私を助けてくれた、優しいひと。
私とは真逆の、太陽のような人だ。
見ず知らずの私を、手にしもやけを作りながら看病してくれて、メイドとして居場所をくれたその人は、私が作ったお菓子を食べながら幸せそうに笑って、私の問いに答えてくれた。
それだけじゃない。ロシーユ様のお陰で初めて友達も出来た。
一緒にお菓子を作って交換出来る、初めての友達。
今の私の幸せは、ロシーユ様が与えてくれたものだ。だから、この人だけは絶対に失いたくない。
そう思っていた。そう思っていたのに。
「セリーヌ・フィッツロイを捕えるのに協力しろ。さもなくば――ロシーユ・ヴィニュロンはこの世から消えることになる」
その人は突然私の前に現れて、私に、絶望を与えたのだ。
☆
「ごめんなさい」
シリアの話を聞きながら、ボクは拳を握りしめていた。
「誰、なの?」
「……悪いのは、私だよ……」
「違う。ボクが聞いてるのは、シリアを脅迫したのは、誰かってことだよ」
シリアを見上げる。
シリアはロシーユ様を大切に思っている。そんなことは常日頃から理解していたし、今の話を聞いても、そりゃ大切にするようになるだろうな、と思う。
そのシリアの心に付け込んで、彼女を脅した人がいる。
ただ脅されただけなら、シリアはロシーユ様の友人であるセリーヌ様を差し出すなんて真似はしなかったはずだ。
主人とその友人を天秤に掛けさせられ、強引にでも選ばなければならない状況を作ったその存在が、許せなかった。
「い、言えない……よ。そんなの。言ったら……ロシーユ様は……」
シリアが怯えた表情を見せる。
恐れて言いなりになるような人物。それでいて、セリーヌ様を誘拐して利のある人間。
……まさか、リシャール皇子か?
いや、リシャール皇子がシリアに接触したなら目立つはずだ。学園内をリシャール皇子が訪れたという話も聞いたことがない。
くそっ。とにかく急がないと……! セリーヌ様が危ない!
「頼むよ、シリア、セリーヌ様が危ないんだ。この魔法を解いて」
「……ごめんなさい……セシル……。私なんかを、友達にしてくれたのに……っ。裏切って……私……」
「裏切られたなんて、思ってない……ボクだって、シリアと同じ状況なら、セリーヌ様を選ぶからね」
「……っ、セシル……、……それなら、余計にその縄は、外せない……ここでセシルを開放したら、セシルはセリーヌ様を助けるために動くはず……そうなったら、ロシーユ様は……」
ぎちり、と氷の縄が強く食い込む。
痛い、けど――こんなのはシリアの心の痛みに比べれば、なんてことはない。
見ればシリアは涙を零して顔をぐちゃぐちゃにしていた。
友達を主人の為に裏切り、主人の敬愛する大切な友人が攫われると分かっていながらも協力する。それは、どれほどの心の痛みを伴うものなのだろう。
許せない。心からそう思う。
――だから。
「……ボクとシリアは、同じ状況じゃないよ」
「……え……」
そう、ボクとシリアは、決定的に違う。
主を大切に思う使用人の友達ということは一緒だ。
でも。
――ボクの前世は、救国の英雄だ。
覚悟は、決まった。
ボクがこの先どうなろうと、セリーヌ様の傍に居られなくなろうと、ロシーユ様もシリアもセリーヌ様も、救ってみせる。
全力で氷の縄を引きちぎり、立ち上がる。
出来ればシリアには自分の意志で縄を解いてほしかった。でも、もうとやかく言っている時間はない。
シリアの顔は、驚愕に染まっていた。
「そん、な……。くっ……」
シリアが再び氷の縄を生み出す。
それがボクの体を縛り付ける前に、シリアの体をしっかりと抱きしめる。
「ぁ……っ」
「シリア。ボクを信じて」
「信じる……?」
「うん。必ずボクが解決するから。セリーヌ様もロシーユ様も取り戻して、シリアを脅した犯人を捕まえる」
「……そんなこと、出来るはずないよ……」
ボクの言葉に、シリアが震える。
冷たい身体はシリアの体質のせいだけじゃなく、恐怖で冷え切っていた。
「ロシーユ様がいなくなったら、私……耐えられない。そんなことになるくらいなら、私……」
「ボクもそうだよ。セリーヌ様がいなくなるだなんて想像もしたくない。シリアもきっと同じだよね。……だから、守るよ。シリアも、ロシーユ様も」
「ぇ……?」
「きっと、ボクのワガママなご主人様なら、こういうはずだから」
その姿をしっかりと想像できる。
胸を張り、世界の中心は自分だというような顔をして、セリーヌ様はボクに告げるはずだ。
「『セシル、なんとかしなさい』って。友人も、その友人の大切な人も、セリーヌ様は諦めない」
だったら、ボクはその命令に応えよう。
ボクは、彼女のメイドなんだから。
シリアの涙を拭い、ボクはもう一度シリアの目を見つめる。
「シリア。お願いだよ」
ボクの言葉に、シリアの腕が力をなくす。
「……、お願い……助けて……セシル……っ、ロシーユ様を助けてぇ……っ」
シリアが、泣きながら助けを請う。
ボクはそれに頷いた。
「教えて。何が誰がシリアを脅したの?」
「……アスランベク……が……脅してきたの……」
「! ……そっか」
教師としての立場でロシーユ様に近づき、輝剣騎士隊としての立場を利用してシリアを脅した。
それが出来るのは、両方の立場を持つアスランベクだけか。なるほどね。
「分かった。どこにいるか分かる?」
「……森の方の管理小屋で、演劇中に落ち合うことになってて……」
「そっか。分かった」
シリアの横を通って、ボクは森の方に向かう。
「セシル。ごめんね……」
「シャーベット、とびきりのお願い」
「ふぇ……?」
「それで無かったことするよ。……ボク、君のお菓子が好きだし、君のことも大好きだから」
「……っ」
「お礼は解決した後にね。じゃあ、急ぐから」
走り、外へと飛び出す。
管理小屋は森の方だ。急ごう。
森の中に入ると、ギュリヴェールが木に縛られているのが見えた。
「っ、ギュリヴェール!」
「――セシルっ。くっ、すまねぇ。やられちまった……!」
「バカっ、なんで報告に来なかったんだよ」
「悪い……っ、それよりも、セリーヌ様が」
「分かってる。アスランベクがやったってことも」
「そうか……!」
ギュリヴェールの剣を抜いて、縄を叩き斬る。
ギュリヴェールはすぐに立ち上がると、森の奥を睨んだ。
「止めねぇとな」
「ギュリヴェール。どいて。ボクが行く」
「ボクが行くって……」
「――この落とし前は、ボクが付けさせる。分かってるだろ? アスランベクは、セリーヌ様を攫おうとしたんだ」
「……そのナリでか?」
「……ああ」
ボクの答えを聞いて、ギュリヴェールはすべてを察したらしい。
がしがしと頭を掻いて、ギュリヴェールはボクから剣を取り上げた。
「ダメだ」
「ダメだって。そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「森の入口から少し離れた所に置いてある馬車。その中に、今日の演劇用の衣装が入ってる」
ボクの答えを無視して、ギュリヴェールが淡々と告げる。
? 何が言いたいんだ? 今はそんなことを話してる場合じゃないのに。
訝しげにするボクを、ギュリヴェールはじっと見つめ返して、
「俺は、セシルが好きだ」
「……は、はぁ!?」
意味の分からないことを言い出した。
なっ、ばっ、今それどころじゃないでしょ!? 何いってんのこいつ!
動揺するボクの両肩を、ギュリヴェールが掴む。
「セリーヌ様と穏やかな時間を過ごしてるセシルを見るのが好きだ」
「――あっ、そ、そういうことか! 驚かせるなバカ!」
「あ? 何がだよ。こっちは真剣な話をしてんだぞ」
「ボクだってそうだよ!」
「……戦いに明け暮れてた隊長が、穏やかにお菓子を作ってる姿が好きだ。そのお菓子がめっちゃ美味いしな。セシルの正体がバレて食えなくなるのは困る」
「だから、何が言いたいんだよ」
「今日の演劇の題名は?」
「はぁ? ……あ、まさか」
「そういうことだ。俺は時間を稼ぐ。準備が出来たら管理小屋の方に来いよ」
それだけ言って、ギュリヴェールは奥へ入っていく。
ああ、もう……勝手な奴! ボクの覚悟のことを知りもしないでさ!
……でも、ありがとう、ギュリヴェール。
それに、あいつもやられっ放しじゃ納得いかないか。
ボクは踵を返し、馬車に向かって走り出した。
時間はない。急がなきゃ。