クッキー
ボクが考え事をしている間に、授業は終わりを告げていた。
隣でセリーヌ様が立ち上がり、ギルバート様の方へ向かう。
一緒に授業を受けられなかった分、昼食を一緒に食べたいのだろう。
ホント、実は健気なんだよねセリーヌ様って。ボクにはその健気な所を一割たりとも見せてくれないけど。
「ギルバート様、昼食を一緒に食べませんか?」
にこりと笑みを浮かべながらセリーヌ様がギルバート様を昼食に誘う。
しかし、ギルバート様は困ったような顔をしてしまった。
「すまない、セリーヌ。実はコレットと先に約束をしていたんだ。また後日で良いかい?」
「そ、そうなのですの? それなら、仕方ありませんね。……それでは、また後日に」
「ああ。じゃあ行こうか、コレット」
「は、はい。ギルバート様っ」
二人が肩を並べて教室から出ていく。
ボクはぽかんとその背中を見送った。
「断られて、しまいましたわね」
「……びっくりしました」
頭が真っ白になるくらい驚いてしまった。
だって、入学する前までは暇さえあれば屋敷に遊びに来ていたギルバート様が、まさかセリーヌ様からのお誘いを断るだなんて思いもよらないもの。
個人的には婚約者がいる身で他の女性と食事なんて……と思わないでもないけど、ギルバート様にはギルバート様の交友関係があるだろうし、仕方ないのかな。
「ここで立っていても何も起こらないわね。セシル、昼食にしましょう」
「あ、はい。じゃあ一度部屋に戻りますか?」
「ええ。そうしましょう」
歩き出したセリーヌ様の背中は、どこか寂しそうだ。
「……そうだ! セリーヌ様! 良いこと考えました!」
「セシルの考える良いことっていうのは、自分に都合の良いことという説もあるのだけれど? 聞きましょうか」
失礼な、ボクはいつも主のことを考えている従順なメイドだよ。ただ労働環境に不満があるだけで。
ボクはこほん、と咳払いをして、思いついた案をセリーヌ様に教えた。
「お菓子を作ってギルバート様に差しあげましょう!」
☆
「わぁっ、セリーヌ様! このクッキー、なかなかに美味しくないですよ!」
「引っ叩きますわよ」
「忌憚ない意見をお願いしますわね、って言ったのセリーヌ様じゃないですか」
「美味しいと言いなさい。命令よ」
「すっごく理不尽な命令だと思いません? それ」
「うるさい」
目の前のクッキーを残さず食べた後、ボクはセリーヌ様にほっぺをぐいーっと引っ張られた。いひゃい。
授業が終わって、ボクとセリーヌ様は急いで寮に戻り、部屋に備え付けられたキッチンでお菓子作りを始めた。
初めてキッチンに立ったセリーヌ様は、エプロンに身を包んだまま頬を膨らませ「初めてなんだから仕方ないじゃない」とぶつくさ文句を言っている。
うーん、可愛い! この姿をギルバート様が見ただけで惚れ直すんじゃなかろうか。
「でも、初めてなのに凄く手際は良かったですよ。良すぎて生地がダマになってたり、味が偏ってるせいで、一枚一枚が無味だったり甘すぎたりしてましたけど」
「褒める一辺倒になさい。……手際が良いのは当たり前よ」
「? どうしてですか?」
「……セシルがお菓子を作っているところ、見ていたもの。その真似をしたのよ、上手く行かなかったけど」
「ふぇ?」
あれ? ボク、お菓子作ってるところって見せたことあったっけ……?
「……覗いてたの。キッチンを」
「そうだったんですか?」
「ええ。楽しそうなセシルが可愛かったもの」
うぁ、美味しくないって言った反撃をされた……!
ボクは紅い顔を誤魔化すように、置いてあった材料に再び手を伸ばした。
「とりあえず、今度はゆっくり丁寧にやってみましょう。セリーヌ様は器用ですし、すぐに上手になりますよ」
「……そうかしら?」
「はい。きっとギルバート様も喜んでくれると思います!」
「……そうだと良いのだけれど、ね」
「? どうか、しましたか?」
「いいえ、なんでもないわ。お菓子は作るよりも食べる方が好きだと思っただけ」
「あはは……まぁセリーヌ様はそうですよね。じゃあ、次は丁寧にやってみてください」
「ええ。手順が間違っていたら教えて頂戴。他は教えなくても良いわ」
セリーヌ様が再びお菓子作りに勤しむ。
数時間後。
何度も挑戦して出来上がったクッキーは、とても美味しそうな出来栄えになった。
「……美味しいです」
「本当かしら。もうクッキーを食べたくないから嘘を言っているのではなくて?」
「そんなことは無いですよ……クッキーは暫く見たくないのは事実ですけど」
今までの失敗作のクッキーは全てボクのお腹の中だ。一番きつかったのは生焼けの奴だった。お腹、壊さなきゃ良いなぁ……。
あと太りそう。久しぶりに剣でも振って運動しようかな。
「後はどうすれば良いの?」
「あ、じゃあ紙袋に入れましょう。その後、リボンを紙袋に結びつけて……」
「……こうかしら?」
「お見事です、セリーヌ様」
パチパチとボクが拍手をすると、セリーヌ様は紙袋に結ばれたリボンが似合いそうな少女のように、無邪気な笑顔を見せてくれた。
「それじゃあ、渡しに行きましょう。……はっ! 夕食の時間、過ぎてるじゃないですか……!」
「あら。気が付かなかったの?」
「全然気が付きませんでした……クッキーを食べたせいで空腹感が全くなくて……」
「わたくしは空腹よ。ギルバート様にこれを渡した後、夕食を食べましょう」
「そうですね」
自分の食事を後に回してまで、ギルバート様に渡したいんだね。そのクッキー。
セリーヌ様は本当に健気だと思う。
皇子のためにこんなに努力をしたんだ。美味しいっていうに決まってるよね。
ボクとセリーヌ様は頷き合い、ギルバート様の部屋に向かう。
扉の前にたどり着いた所で、セリーヌ様が突然、ボクにクッキーの入った紙袋を渡してきた。
「その……せ、セシル? これ、貴女が渡してくれないかしら」
「ボクが渡すんですか? せっかくセリーヌ様が作ったのに……」
「……その、驚いた顔が見てみたいの。本当は作ったのはわたくしです、って」
「なるほど……分かりました」
ボクはそのクッキーの袋をしっかりと受け取る。
扉をノックすると、取り次いでくれたのはギュリヴェールではなく、金髪の美少年だった。
フランツ様、だったかな。ギュリヴェールの弟子で、輝剣騎士隊の隊員だったはず。パーティの時に案内してくれた人だ。
ギュリヴェールが居ない時は彼がギルバート様を護衛しているらしい。
「セリーヌ様、何か御用でしょうか?」
「ギルバート様にお会いしにきましたわ」
「は。どうぞ」
フランツ様がすっと後ろに退いて通り道を作ってくれる。
ボクとセリーヌ様はギルバート様の部屋に入った。
「セリーヌ? どうしたんだい?」
「こんばんは、ギルバート様」
「ギルバート様、クッキーです。是非お召し上がり下さい」
「おお、では、貰おうかな」
紙袋から一枚クッキーを取り出したギルバート様は、嬉しそうに微笑んだ。
それに比例して、セリーヌ様の顔が赤くなっていく。かわゆい。
「いただくよ」
ぱくっと、ギルバート様が口にクッキーを運ぶ。
セリーヌ様が、胸に手を抑えて、
「んっ……? セシル、少し失敗したのかい? いつもと味が違うが」
そのまま凍り付いた。
「え……い、いえ。そもそも、それは……」
「セシル。わたくし、部屋に戻っていますわね。ギルバート様にお口直しの紅茶をお出ししてあげて」
「え、で、でも」
「ギルバート様、お口に合わないものをお出ししてごめんなさい」
「セリーヌ? もしかしてこれは――」
ギルバート様の言葉も聞かず、セリーヌ様はクッキーの袋を掴んで部屋を飛び出すように駆けて行った。
「セリーヌ様っ! あ、あの、ギルバート様、すみません、ボク……!」
「ああ、構わない。早く行ってやって欲しい。僕も落ち着いた頃に謝罪に行く」
「はいっ、それでは」
ボクは脱兎のごとく部屋を飛び出す。
マナーや見てくれのことなど考えていられない。一刻も早く、セリーヌ様の所に行ってあげないと。
部屋に戻り扉を開けると、セリーヌ様は暗い部屋の中で、ベッドに突っ伏していた。
傍らの木製のゴミ箱には、リボンがついた紙袋ごとクッキーが捨てられていた。
「……セリーヌ様」
「……い、良いの。わたくしが、自分で渡せば良かったのに……土壇場で恥ずかしくなってセシルに渡したから、ギルバート様にはセシルが失敗したものと思われても仕方ないわ……わたくしが作ったものだなんて、思いも寄らないはずだもの」
ぐす、と鼻を啜る音が聞こえた。
ボクはそっとセリーヌ様の傍に跪き、セリーヌ様の頭を撫でる。
「ごめんなさい。ボクが、ちゃんと教えれば……」
「自分でやるっていったのはわたくしよ。初めてなのに、意地を張ったから……」
顔を上げたセリーヌ様の目からは、真珠のような涙があふれていた。
ボクはその涙を手で拭う。
こんな風に泣くセリーヌ様を、ボクは初めて見た。
だから――大切な主人の泣き顔が、こんなにも胸を苦しくするだなんて知らなかった。
二度とこんな顔はして欲しくないし、今すぐ笑顔になって欲しい。
その思いに駆られて、ボクはゴミ箱から捨てられた紙袋を取り出し、中のクッキーを口に運んだ。
「セシル!? 何をしているの! やめなさい! それは捨てたものなのよ!?」
「美味しいですよ」
そのクッキーは甘くて美味しくて、何よりも心が温かくなる味だった。
セリーヌ様が一生懸命に作ったゴミ箱に捨てたままになんて、ボクには出来ない。
焦げたり、生焼けだったり、味がなかったり味が濃かったりした失敗作のものにだって、一つ残らず、セリーヌ様は心を込めていた。
ボクのアドバイスを最低限にしか聞かなかったのだって、セリーヌ様が自分で作りたかったからだってボクには分かっている。
セリーヌ様の静止を無視して、ボクは紙袋の中のクッキーを一つ残らず食べた。
セリーヌ様は涙を流すのも忘れて、ボクの手の動きを見つめているだけだった。
「美味しかったです。とっても」
「……そう」
「本当に……美味しかったです」
「何度も言わなくても……分かる、わよ」
セリーヌ様が子供のように目を拭う。
ボクは紙袋に着いたリボンを取って、セリーヌ様の髪の毛に結び付けた。
「何をするの。ゴミ箱に捨てたリボンを主の頭に結び付けるなんて、追い打ちかしら?」
「事実だけ述べるのであればそうですけど、汚れてなかったですし」
「嫌み? 所詮『頑張ってもボクの失敗作と同程度しか作れませんでした』の証?」
「ボクのことをなんだと思ってるんですか?」
この主人、ボクのこと鬼畜かなんかと勘違いしてません?
口ではそう言いながらも、結び終えるまで大人しくしていたセリーヌ様に目線を合わせる。
すっかり拗ねた様子のセリーヌ様は、口を尖らせてむすっとしていた。
「このリボンは、セリーヌ様がとっても美味しいクッキーを作ったっていう証のリボンです」
「……、……でも……失敗作って思われたわ……」
「関係ないですよ、美味しかったんですから。ボクにとっては、誰が作ったものよりも」
「……セシル」
「出来れば今度はボクのために作ってくれると嬉しいです。仮にそれが失敗したものでも、セリーヌ様がボクのために作ってくれたものなら美味しい、嬉しいって思いますから」
「……ほんとう?」
「本当です。だってセリーヌ様が心を込めて、一生懸命作ったものなんですから」
すっかり冷たくなったセリーヌ様の手を、ぎゅっと握りしめる。
「だから、もう泣かないで。セリーヌちゃん」
「っ……貴女、ねぇ……、ここで、ただの友達だった頃の呼び方をするのは……っ、ひ、きょうでしょう……!」
ぽろっと止まっていた涙が再びあふれ出して、セリーヌ様はわーんと声を上げて泣いた。
でも、今度のは嬉し泣きだ。
だってセリーヌ様ってばボクのことをしっかりと抱きしめて、名前を呼びながら泣くんだもの。
彼女の柔らかい身体を抱き締めながら、昔のことを思い出す。
前世の記憶が蘇るまで、ボクは使用人の母を持つただの女の子で、セリーヌ様……セリーヌちゃんが唯一の友達だった。
お母さんが仕事場であるフィッツロイの屋敷に連れて行ってくれて、そこに居たセリーヌちゃんと自然に仲良くなって、友達になったのだ。
お母さんが病気で死んでしまって一人ぼっちになってからも、彼女はボクの傍にずっと居てくれた。
前世のことを思い出して少しギクシャクしてしまったことも有るけど――それでも、ずっとセリーヌちゃんが傍にいてくれたんだ。
だから、メイドとして友達として、セリーヌ様がずっと笑顔で居られるように支えたい。そう思ってボクは彼女のメイドになった。この気持ちは、紛れもないセシル・ハルシオンのものだ。……文句は色々あるけどね。
それでも、この気持ちだけは未来永劫変わらないと断言出来る。
ボクはセリーヌ様が泣き止むまで、その背中を撫で続けた。
泣き止んだ後、腕によりをかけて美味しい晩御飯を作ってあげよう。
そうすれば、セリーヌ様はまた見せてくれるはずだ。
ボクが大好きな、あの笑顔を。