不和
そこは、まるで地獄のようだった。
血の匂いが充満し、業火が全てを燃やし尽くす獣の唸り声のような音だけが周囲を支配している。
その中を、肺を焼きそうな熱風を浴びながら進んでいく。
生き残りが居るとはとても思えないが、それでも微かな希望を信じていた。
その願いが届いたのか、奥には一人の少年が血に塗れた剣を杖にして立っていた。
「おい! 大丈夫か!?」
「……兵士、さん」
掠れた声を出した少年はふらりと体をよろめかせた。
慌ててその傷だらけの体を支える。
華奢な身体だった。とても剣を振る事が出来るとは思えない。
だが、周囲を見回すと、そこには山賊と思しき武装した男達が十人ほど倒れている。
そして奥には、おそらく少年の家族だろう、男性と女性が折り重なるようにして亡くなっていた。
この少年が男達を倒した。そうとしか考えられない光景だ。
「……った……」
「どうした……?」
「守れ、なかった……」
腕の中で少年はボロボロと涙を零しながら、嗚咽を漏らす。
剣がガシャンと音を立てて地面に落ちた。
「……君が、山賊を倒したのか?」
「そうだよ……でも、僕は守れなかった……家族も、村の皆もっ……山賊を倒すことしか、出来なかった……」
「倒したのは、君なのだな……?」
「……うん」
「……どうして、逃げなかった?」
「――だって」
その後の言葉を、一生忘れない。
「もしも山賊が他の村を襲ったら、別の人が僕と同じ悲しい目に合うかもしれない。そんなのは嫌だから、ここで止めないといけなかったんだ」
それは理想の騎士を体現するものだと、そう思ったのを強く覚えている。
身体は感激に打ち震え、心が熱く燃えた。
悲しみを乗り越え人の為に戦う優しき心と、数の暴力に打ち勝つ天賦の才。
この少年こそ、道に迷う自分達が進むべき先を、その手に握った光り輝く剣で示してくれるはずだと、確信した瞬間だった。
「君の名前は?」
「……僕は……」
問い掛けると、少年はゆっくりと名乗った。
「僕は、ロラン・メデリックです」
未来の英雄の名を。
周囲が光に包まれていく。
そして――。
「アスランベク?」
「……ああ、すまぬ。シャル」
自分の名を呼ばれて、目を覚ました。
ああ、そうか。夢か。
今でも夢に見る、地獄の中で見た希望の姿を。
もう少し眠っていれば別の夢を見ただろう。その希望を失った絶望の日のことを。
「珍しいね。君が居眠りだなんて」
「ああ。昨日は高揚して眠れなかった。いよいよ計画が動きだしたのだからな」
自分の言葉にシャルが目を伏せる。
絶対にやらなければならないこととはいえ、気が進まぬのだろう。シャルはそういう気質だ。
「シャル」
「……エリザを騎士団長の座から引きずり下ろして、女王を排除するためにやらなきゃいけないってことは分かってるよ。それでもやっぱり、これはロランが望んだことじゃないような気がして、ね」
「ロランは確かに望まぬかもしれん。だが、エリザも、女王も、許してはならぬ」
言葉にしただけで、自分の中の怒りが膨らんでいくのが分かる。
年齢を重ねるにつれて容易くなったはずの感情の制御が、このことになると全く出来なくなってしまうな。
だが、それも仕方のないことだ。
「あのような失策……いや、最早『罪』だろうな。あのような間違いを犯したものどもを……許す訳にはいかぬ」
自分の言葉に、シャルが小さく頷いた。
「では、自分はそろそろ行く」
「ん、気を付けて。通信魔法具を忘れないようにね」
「ああ」
短く答えて、外に出る。
無論、忘れないとも。シャルの命令よりも大事なことが届くのだからな。
シャルは、ぬるい。あいつらをただ引き摺り下ろすだけでは足りぬ。寧ろそこから始まるのだ。
「……取り戻さなければな」
失った、あの輝きを。
☆
くすぐったい。
顔に、そよそよと風が当たっている。
うぅ、なんだよぉ、本当に起きなきゃいけないぎりぎりまで寝ていたいのにぃ……。
薄ら目を開けると、そこにはセリーヌ様の天使のような寝顔があった。
それも、寝息が当たるくらい近くに。
「――ぶぇっ!」
変な声出た! でも出るでしょ!?
何この状況! お陰で思いっきり目が覚めたよ!
痛む頭を放って慌てて体を起こすと、ボクのベッドにセリーヌ様が潜り込んでいた。
……な、なんで?
寮の室内には広い部屋と狭い部屋の二つが用意されている。
勿論、ボクは狭い部屋を使っている訳だけど、どうしてセリーヌ様はこっちのベッドに寝ているんだろう。昨夜、ちゃんとお休みなさいをして別々の部屋で眠ったはずなのに……!
横になっているセリーヌ様を見ていると、昨日のあのそのお風呂場での裸体があわわわわ。
「うっぅん……もう、朝ですの……?」
「あ、朝ですけど!?」
「あら……珍しく朝から元気ね、セシル……。おはよう」
一人でおろおろしていると、目を覚ましたセリーヌ様が目を擦りながら身体を起こす。
セリーヌ様はそのままへにゃっとした笑みを浮かべた。可愛い。
はっ、しまった。ついセリーヌ様の顔の良さに騙される所だった!
「な、なんで同じベッドに寝てるんですか!」
「んぅ? それはもちろん、わたくしが貴女のベッドに入ったからよ」
「そういう意味じゃなーくーてー! どうして一緒のベッドに入ったのかっていうのを聞いてるんですよ!」
「だって、一緒に寝たかったから。ほら、小さい頃は一緒に寝ていたでしょう?」
「それは五歳くらいの話じゃないですかぁ!」
ボクがロランだと思い出す前のことだ。よく覚えてるなぁ……。
「そうだけど、今しても良いじゃない。せっかくセシルと二人で暮らしているんだもの。昔していたように振舞ったって良いでしょう?」
「は、はしたないですよう!」
「何がはしたないのよ。女同士、しかも親友で幼馴染なのに。セシルったら変な子ね」
中身は半分男なんですよ、と叫ぼうものならボクは頭がおかしいことになってしまうのでぐっと堪える。
心臓が痛いほど鳴っている。純情な男心をもてあそばれた。女だけど。
「……迷惑だったかしら?」
甘えたようにセリーヌ様が小首を捻る。
その仕草は卑怯としか言いようがない。絶対許しちゃうじゃん。
「……別に、迷惑じゃないですけど」
「そ。良かった。朝食の準備をお願いね。そのあと着替えを手伝って」
「はぁい……」
「ふふ、ありがとう」
自分の美貌を理解してそれを利用してくるのは本当に卑劣だと思うな。
ボクはため息を吐きながら、メイド服を用意してパジャマを脱いだ。
「……豊乳体操の効果は全く出てないみたいね」
「うがああああ!」
「セシルが魔獣みたいになったわ。朝食はわたくしかしら」
「言って良いことと悪いことがあるでしょーが。今のはぶっちぎりで悪い方ですよ! 一〇センチ分くらい脂肪を寄越せ!」
「つい見たままの感想を言ってしまっただけよ」
「尚更悪いと思いませんか? そのセリフっ」
「ふふふっ、ごめんなさい。怒らないでセシル。また添い寝してあげるから」
セリーヌ様は至極楽しそうにくすくすと笑う。
ぐぎぎ……! 人をおちょくって楽しみよって……! こっそり持ってきたピクルスの刑だよこれは。
ごそごそとメイド服を着終え、身嗜みを整えセリーヌ様に向き直る。
「セシル、抱っこして部屋に連れて行って」
「えぇ……そんな子供みたいな……」
「いいでしょ。ほら」
なんか、やけに甘えてくるな……?
そこまで考えて、ボクはやっと気づいた。
ああ、そうか。よくよく考えればセリーヌ様は自分のお屋敷以外で眠るのも目覚めるのも、初めてだ。
いつもと違う環境、いつもと違う寝室……やる気があっても、公爵令嬢として非の打ちどころがなかったとしても、不安を抱いてしまうのは仕方のないことかもしれない。まだ十五歳なんだもんね。
そこに、いつも自分の傍にいたボクが居れば甘えたくなって当然かも。
「もう、仕方ないですね。その代わり着替えは自分でしてください。……その間にとびっきり美味しい朝食、用意しますから」
「……うん、ありがと、セシル」
頭を優しく撫でると、セリーヌ様は素直に頷いた。
やれやれ、報復のピクルスは抜きにしてあげよう。
「でも次に胸のことを弄ったら夕食にピクルスぶち込みますから」
「荷物に入ってたピクルスなら、シリアに全部渡したわよ。喜んでいたわ」
セリーヌ様の方が一枚上手だった。おにょれー!!
朝っぱらから敗北を味わったボクはセリーヌ様の朝食を作り、食事を一緒に摂ってから教室に向かった。
その間に完璧令嬢の皮を被ったセリーヌ様は、すれ違う生徒たちが思わずため息を吐いてしまうほどの麗しさで愛想を振りまいている。
その姿ときたら、朝ボクに暴言を吐き散らかした甘えん坊と同一人物だとはとても思えない。
教室にたどり着くまでに男性達には恋心を、女性達には憧れの気持ちに抱かせたであろうセリーヌ様は教室に入り――ぴたり、と動きを止めた。
? どうしたんだろう?
セリーヌ様が見ている方を見る。
するとそこには、リュディヴィーヌ様とコレット様に挟まれ、楽しげに会話をするギルバート様の姿があった。
あー……あれじゃ隣には座れないか。
ギルバート様がセリーヌ様に気付き、軽く手を振って挨拶をする。
セリーヌ様は見たことがないくらいにぎこちない笑顔を浮かべて挨拶を返した。
「セリーヌ様、よろしいのですか? 隣が良いなら、ボクが……」
「構わないわ。ロシーユの隣に座ればいいだけだもの」
そういって、セリーヌ様はロシーユ様の方へと歩いていく。
ロシーユ様の方へと寄っていったセリーヌ様は、いつもと同じ表情に戻っていた。
大丈夫かな、セリーヌ様。
セリーヌ様はいわゆる箱入り娘だ。無論、恋愛の経験なんて皆無だろうし、婚約者がほかの女性と親しくしている姿を見て嫉妬とかしてしまわないだろうか。
「席に就け」
セリーヌ様の後ろ姿をハラハラしながら見つめていると、厳格な声が教室に響いた。
わ、アスランベク……先生が来ちゃった。
ボクはセリーヌ様から視線を外し、慌てて教室の後ろに移動する。
「構わん、使用人達は主の隣に座れ。今日からは本格的な授業を始める故、授業中に使用人のサポートを受けることを許可する」
指示を受けて、使用人が主たちの隣に座る。
ボクもセリーヌ様の隣にすとんと座った。
思い出すなぁ。前世でこの学校に通っていた時もこうして座って、隣で授業を受ける皇女様の姿を見てたっけ。懐かしい。
「それともう一つ。新入生歓迎会として、我が国一番の一座を呼んでの演劇が行われることになっている。これは娯楽として素直に楽しむと良い」
アスランベクの言葉に喜びの声が上がる。
へぇ、演劇かぁ。見たことないや。
「先生、演目は分かっているのでしょうか?」
「あぁ。仮面の騎士と輝きの剣、だったか」
生徒の質問にアスランベクが答えると「あれか!」と次々と好意的な声が上がる。
ふぅん。どんなお話なんだろ。ボク、演劇とか歌唱とか、そういう芸術関係にはさっぱりだからなぁ。
「セリーヌ様、セリーヌ様、『仮面の騎士と輝きの剣』ってどんなお話なんですか?」
「セシル……貴女、お城や学校の構造を知っているのに、この国で一番有名なお話を知らないの?」
ひそひそ声でボクが尋ねると、セリーヌ様が呆れたような顔をする。
だってぇ……仕事とお菓子作りで一日なんて殆ど終わっちゃうんだもん。本なんか読む暇ないですし……。
「物語は、一人のお姫様が暴漢に襲われる所から始まるの。そこに、一人の仮面の男が現れて、お姫様を助けるの」
「不審者じゃないですか。その仮面の男もかなり怪しいです。もしかしたらその暴漢と同じ一味で油断させる作戦では?」
「ロマンスの欠片も分からないメイドねセシルは」
ボクとセリーヌ様のやり取りを聞いて、ロシーユ様がくすくすと笑う。恥ずかしい。
「とにかく、突然現れた仮面の男は姫を助けてこういうの。『僕の身命を賭して、貴女を必ず守ります』と」
……ん? はて、どこかで聞いたようなセリフだなぁ。どこだっけ……?
「姫には婚約者がいて結婚が決まっている……それなのに、姫はその仮面の男に恋をしてしまうの。でも、それは叶わぬ恋……叶ってはいけない恋」
「まぁ、そりゃそうですよね、婚約者がいる訳ですし」
「でも、姫に危機が訪れると、仮面の男は必ず現れて姫を救ってくれる。繰り返し助けられるうち、姫はついに恋心を押し殺しておくことが出来なくなって、せめて仮面の男を傍に置いておきたいと国の秘宝である神剣を譲り、騎士になって欲しいと懇願するの」
「素敵ですよね」
「ロシーユもそう思う? 本当に健気よね。わたくしもこの本の姫は素敵だと思うわ」
「そうでしょうか。国の秘宝を出自不明の男に渡すなんてかなり危ない行為では?」
「お黙りなさい。仮面の男はその神剣を謹んで受け取り、姫の傍にいることを誓うの。彼もまた姫に恋していたのね。彼はその剣を天に向け、騎士就任の場で高々と宣言するの。『この剣で、皆の笑顔を守ってみせます』って」
その言葉を聞いて、ボクは硬直した。
ロランの言葉じゃん。
そりゃ聞いたことがあるはずだよ! 僕が隊長就任式で言ったセリフじゃん! それ!
神剣ではなかったけど皇女様から剣を拝領したし、セリフも僕が言ったそのまんまだ!
「ま、まさか、仮面の騎士のモデルって、ロラン……様では?」
「あ、それは気づくのね? そうよ、英雄ロラン様に決まってるじゃない。その物語をドラマチックに改変したものなのよね。大人気で本が売り切れ続出だったのよ。平民から王族まで、ほぼ全員が内容を知ってると思うわ」
わーっ! 恥ずかしいっ! 恥ずかしすぎる! 一晩考えて『これでいっか』って適当に妥協した演説が本となって後世まで語り継がれるなんて思いもよらなかったよぉ!
こんなことなら、もっとしっかり考えるんだった……。いや、言ったことは本心だよ? 本心なんだけど、もっとカッコいい言い回しをすれば良かった……。
ボクは心の中で羞恥に悶える。くそぅ、なんで前世のことで恥ずかしがらないといけないんだ。
「それで、そのあとは――」
「い、良いです。セリーヌ様、分かりましたから」
「あら、そう?」
これ以上話を聞いてロランのエピソードと思しきものが出てきたら、ボクの精神は崩壊してしまう。
演劇の日は何か理由を付けて休もう。前世がモデルのお芝居なんて観たらボクは恥ずかしさで死んでしまいかねない。
「それでは、本日の授業を始める」
ざわめきが落ち着いた所で、アスランベクが粛々と授業を始める。
ボクはその背中を見つめながら、近いうちに使うであろう欠席の言い訳を必死で考えた。