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序章

 夢であって欲しい。

 目の前の光景に、ボクはそう思った。

 広いダンスフロアの中、観衆が何かをひそひそ声で話しながら中央に立つ三人を見つめている。

 

「君が彼女にしてきた悪行の数々、見過ごすわけにはいかない」


 皇子が、冷酷に告げる。

 ボクの大切な主は、立ち尽くすしかなかった。

 

「違う……違いますわ、皇子! わたくしは……!」

「婚約を破棄し、君を追放処分とする。……残念だよ、セリーヌ」

「わたくし、そんなこと……っ」

「皇子に近づくな!」


 騎士が、主に近寄る。

 その光景を見て、ボクは――。



                    ☆



 何か、夢を見ていた気がする。

 それをかき消し、ボクを叩き起こしたのはセリーヌ様の声だった。


「セシル! 来て!」


 朝から叩き起こされるボクの気持ちを、あのお嬢様は考えたことがあるのだろうか。

 今朝はボクの当番じゃないのに。くそぉ。

 ボクの名前を屋敷中に轟きそうな大声で叫ぶ声に反応し、ベッドからごそりと体を起き上がらせる。

 鏡に、亜麻色の髪の毛を短く整えた下着姿の女性の姿が映った。

 相変わらず胸は薄い、おのれ。一日で変わる訳もないけど、毎日豊乳体操をしているのだから目に見える効果くらいは出ろ。

 でもまぁ、この身体にも慣れたものだ。

 不満な点と言えば低血圧なことくらいだろうか、急に起こされると頭が痛いのが腹立たしい。あと胸が小さい。

 

「セシルー!!」

「ああもう……今行きますから、待っていてください!」


 小声で悪態をつきながら、クローゼットを乱暴に開ける。

 そこには、同じ服装が無数に並んでいた。

 フリフリのフリルのついた黒と白を基調としたエプロンドレス、所謂メイド服だ。

 そのうちの一つを乱暴に引っ掴み袖を通す。鏡で最低限身だしなみを整え、ヘッドドレスを慌てて付け廊下に出た。

 顔を洗う時間はないだろう。ワガママお嬢様め。くだらない用事だったら朝食に嫌いなピクルスをたっぷり入れてやる。

 心の中で文句を言いながら、ボクは足早に部屋を出て声のした方に駆け出した。

 これが前世では『救国の英雄』と言われたボク、セシル・ハルシオンの朝のルーティーンだった。



               ☆

               

               

『かの大英雄に感謝を』。

 それはこのヘスペリス王国での祈りの挨拶だ。食事の前や行事の前などには必ず聞くことになるだろう。

 馬車に揺られながら、ボクは王都の中心部にある噴水広場の真ん中に鎮座する、剣を掲げた優男の銅像に向けて手を合わせている人々を見ていた。

 彼こそが大英雄と呼ばれる男、ロラン・メデリックだ。

 二十年前の戦争で獅子奮迅の活躍を見せた魔法騎士部隊、〝輝剣騎士隊クラウ・ソラス〟の隊長であり、敵国の王を討ち取ってそのまま戦場で息絶えた悲劇の若き英雄。

 

 そして、ボクの前世でもある。


 よもやヘスペリスの人々も、自分たちを守り死んだ英雄が五年くらいで生まれ変わり、フリフリの可愛いエプロンドレスが似合う可憐な女の子になっているとは思うまい。

 こうなったのも、きっとヘスペリスに住まうという神の仕業だ。祖国を守って力尽きた英雄の善行に報いるため、ボクの望みを叶えてあげよう――そんな感じで、生まれ変わらせたのだろう。

 ……ああ、そうさ。死ぬ直前、ボクはたしかに願ったとも。

 

『恋人も作れないまま死ぬことになったなぁ。せめて来世では花に囲まれた可憐な少女をそっと見守るような生活がしたい』と。


 でも、それは決して女の子になりたいだとか、メイドになりたいだとか、そういう意味じゃない。普通に恋人を作って穏やかな日々を送りたいと思っていただけだ。

 しかも、前世の記憶が蘇ったのは物心ついて暫く経ってからだったというのが質が悪い。セシル・ハルシオンという根っこにロラン・メデリックが融合した形になってしまった。

 その結果、今のボクは自分の胸が小さいことに悩む女の子でありながら、死線を数多も潜り抜けたロランでもあるという、何やら意味の分からない存在になってしまった。

 胸が小さいのには腹が立つし、美少年が居ればカッコいいと思うのに美人が居ればドキリとする。本当に難儀なことこの上ない。

 

「セシル? 何を考えているの?」

「なんでもありませんよ、セリーヌ様」


 隣で小首を傾げながら金色の髪の毛を揺らし、翡翠のような眼でボクの様子を伺う彼女こそ、ボクが仕える性悪な主のセリーヌ・フィッツロイだ。

 神様に特注で作ってもらったかのような美しい容貌を持ち、ドレスの上からでもはっきりと分かる大きな膨らみが男性の目を引く、憎たらしい体つきの公爵家令嬢だ。ボクと同い年の十四歳なのにこの差は一体なんなんだぐぎぎ。

 

「あらぁ? セシル、今、確かに目がわたくしの胸に行きましたわよね?」

「うるさいですね……」

「主に向かってそんな口の利き方をしてもいいと思っているの? ほらほら、わたくしの胸元のネックレスが裏返ってしまったわ。直してちょうだい」


 見せつけるようにたわわな胸を張るクソ主のネックレスを直してやる。どうやら今朝の食事にピクルスをたんと入れたことを根に持っていたらしい。

 口では何とでも言えるが、悲しいかな、生まれ変わったボクは英雄でもなんでもないただのメイドだ。公爵家という権力には逆らえないのである。

 

「ふふ。口では文句を言いつつもきっちり直してくれるセシルは良い子ね」

「この胸もぎ取っていいですか?」

「ダメに決まってるでしょう。発想がグロテスクすぎよ。どれだけ僻んでいるの」


 普通なら即刻クビでもおかしくないやり取りも、二人きりの時なら許してくれる。

 なにせセリーヌ様とは前世の記憶が蘇る前。物心ついた時からの付き合いだ。主人ではあるが、幼馴染の友人でもある。

 勿論場所は弁えるけどね。


「僻んでいる訳じゃないですよ、不機嫌なだけです。朝の四時から起こされるなんて……今日の朝の当番はボクじゃなかったから、後二時間は眠れたのに」

「仕方ないじゃない。ドレスの着付けには貴女が必要不可欠でしょう」

「別にボクじゃなくても……」

「気合を入れる日はセシルじゃないとね。ず~~っとわたくしの世話をしているんだもの。やっぱりセシルが整えてくれないと最高のわたくしにならないわ」


 にっこり、セリーヌお嬢様がボクに笑みを向ける。

 くそう、卑怯な。そんな笑顔を見せられたら黙らざるを得ないじゃないか。


「はぁ。ワガママなお嬢様を持つと苦労するなぁ」

「わたくしのメイドとして働けるんだからもっと嬉しそうにしたら?」

「そんなことを仰る人の下で働けることに喜びを見いだせるほど、ボクはお嬢様に心酔していません。好きなだけ寝られる暮らしをしたいよう。起きた後はゆっくりと花を眺めていたい……」

「良かったじゃない。わたくし、セリーヌ・フィッツロイというヘスペリスに咲いた一番可憐な花を、最も近くで見られるのよ?」

「(無視)あと胸が欲しい」

「それは諦めなさい」


 みぎゃー! というボクの怒りの声が、馬車内に響き渡った。

 

「それで? どうしてヘスペリスで一番可憐な花さんは気合を入れたんですか?」

「もう、ほめ過ぎよセシル。事実とは言え面と言われたら恥ずかしいわ」


 ホント良い性格してるよねこの主。

 あきれ顔のボクに、セリーヌ様がふんすと鼻息荒く語り始める。

 

「今日は社交界デビューなの」

「承知してますよ。貴女の父であるエルネスト様が『午後はセリーヌが居ないので掃除が終わった後はゆっくりしていい』って言ってくれてましたからね。小躍りして喜んだのになぜボクは今馬車に乗っているのだろうか? 休み返せブラック主」

「(無視)しかも、皇子達と〝輝剣騎士隊クラウ・ソラス〟の皆さまも出席するのよ」


 ぴくり、とボクはその単語に反応した。

 輝剣騎士隊クラウ・ソラスの皆は元気だろうか。


「ふふ、セシルも興味があるようね。そう――第二皇子のギルバート様も出席なさるの! 楽しみでしょう?」


 興味を抱く場所がぜんっぜん違いましたよお嬢様。

 確かに、セリーヌ様の言っていることも分かる。

 遠目から見ただけでも分かるほどヘスペリス第二皇子、ギルバート・ヘスペリスは少年ながら歳不相応の色気を漂わせる整った容姿の持ち主だ。カッコいいというより美しいという表現が似合うだろう。

 セリーヌ様は癖のある金髪が可愛いと騒いでいたっけ。

 その青い瞳に魅入られた貴族令嬢は数知れず、受けた婚約の申し込みは三桁に昇るとか。断りの返事をするのだけでも大変そうだ。

 そんな皇子に直接会えるチャンスということで、セリーヌ様は張り切っているらしい。そのせいでボクの午後休は消えた。

 

「まぁわたくしはゆくゆくは王族の妻になるのですし、今日はその前の顔見せ、といったところかしら。だから気合を入れたという訳なの。分かってくれた?」

「もはや婚約者みたいな言い草ですけど、そんな予定は欠片もありませんよね?」

「だってセシルも言ったじゃない。わたくしはヘスペリスで一番可憐な花だって。そんな花を手折ることが許されたのなら、そうせずにはいられないでしょう? 皇子だって男なのだから」

「その自信はどこから来るんですか?」

「胸です」

「もぐぞ」


 思わず乱暴な言葉遣いになってしまうほどムカついた。

 冗談ですわー、と笑うセリーヌ様が憎たらしくてしょうがない。

 

「でも、自分が一番綺麗だと思う姿で居れば――少しでも見初められる可能性は上がるでしょう?」

「む……それはまあ、確かにそうだと思いますけど」


 ボクが答えると、セリーヌ様の表情が優しいものに変わる。

 

「それなら、わたくしを最も理解していて、一番綺麗にしてくれるセシルに頼むのは当然よね?」


 言いながら、お嬢様はボクの頬を優しく撫でた。

 褒められた喜びが不満を打ち消す。

 ああもうズルいなぁセリーヌ様は。そんな風に言われたら、めちゃくちゃ嬉しいじゃないか。

 ワガママで性悪な所もあるご主人様だけど、本当は優しいということをボクは知っている。そんな彼女を、支えたい。

 そう思うボクは結局、彼女のメイドとして生きることを望んでいるのだろう。


「セシルもせっかくだから友達を作ったら? わたくししか友達がいないなんて寂しいわよ」

「一言多いんだよなぁこの主……」


 ……腹が立つのも本当なんだけどね。

 ボクとセリーヌ様はそんなやり取りをしながら、馬車が目的地へ到着するのを待つのだった。

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