3 写経と反省文
放課後、教室に居残り、写経と反省文に取り組んでいた。
「クッソ、面倒くせー。反省文は無限歩譲って分かるぜ。でも写経ってなんだよ。チンポチンポ言いながらやってるくらいだぜ。意味ないじゃん。英単語とか社会の単語を書き写しじゃ駄目なわけ? やってること同じだっつーの。意味の分からない言葉の羅列を無心で書き写すだけだろ」
「そもそも反省文の時点で譲る気無いだろ。というかそれだと本気でやってること一緒だから写経でも良くないか?」
「それもそーだな」
青巒高校での写経という行為は薄っすらと書かれた般若心経をなぞるだけの簡単なお仕事だ。ただし筆ペンでなかったらの話である。文字が全て漢字な上に字が意外と細かいのだ。適当にやろうとすると墨で文字が潰れて読めなくなってしまう。
気分としてはイライラ棒をやらされている感じだ。反省するどころか逆に反逆の芽が芽生えてきそうだ。
「にしてもさ、スカートの丈や化粧が禁止って言意味わかんなくない? アタシらは囚人か」
実際、幸野は筆ペンを走らせながらもご立腹なようである。普段は派手で華やかな顔も今は白いマスクで覆い隠している。露出しているのは目元だけだがそれでも化粧をしている時と印象が大きく違う。力強い目はすっかり大人しい地味な姿に落ち着いていた。正直名乗られなければ幸野だとは気づけないだろう。
「そうですよ。そもそも禁止にする意味が分かりません。せめて学生が納得できるような理由を提示して欲しいです」
「ほんっとそれなー。アタシにとって化粧できないとか死活問題なんだけど。年頃の乙女にとってスッピンを晒して街歩くって男がチンチン丸出しで歩いてるようなもんじゃん。そっちの方が問題っしょ」
「そうで……って人が普段からフルチンで街中を闊歩しているみたいに言わないでくださいっ」
幸野は笑いながら慌てて手を振って否定する。
「違う違うしおりんみたいに天然物の美人は別だって。筋肉マッチョのムキムキのデカチンがフルチンだとウオーってなるけど、螢みたいな貧弱な身体の粗チンがフルチンだと目を逸らしたくなるじゃん。そんな感じなの。栞はマッチョのムキムキだからいいけどアタシらみたいなのは服を着て粗チンを隠さなきゃってわけ」
大体、デカチンを間近で見たことないことがないからそういうことを言えるんだ。突然筋肉マッチョのムキムキデカチンに遭遇して見ろ。一生のトラウマレベルだからな。
というか俺は別に粗チンではない。図ったことはないが平均サイズはあるはずだ。
「なるほどってそれじゃ結局フルチンじゃないですか!」
抗議の声を上げようとしたが栞が先に口を開いたために機会を逸してしまった。
「そう、化粧をしてない女子はフルチン。アタシたちは服を着ることすら校則で禁止されてるの。こんなの絶対におかしいじゃん。不公平っ」
幸野は筆ペンをビシッと前に突き出した。力を籠めすぎたのか筆の先からはインクがポタポタと垂れている。だがそんなことお構いなしといった様子で力強い言葉を続ける。
「だからこそ男子もフルチンになるべきっしょ」
放課後の教室が静まり返った。一生懸命に紙をなぞる筆ペンの音が心地良い。
窓から差し込むオレンジ色の西日と肌を優しく撫でる春風、舞台設定だけで言えば青春物の中でも定番中の定番だろう。
主人公とヒロインは夕暮れの教室で初めて言葉を交わし、そしていつの日か同じ夕暮の教室で告白するのだ。そこから始まる甘く楽しい幸せな日々。しかし主人公は学園の人気者だったヒロインと付き合い始めたことで男たちからの僻みで虐められる。ヒロインといる場では明るく振舞うものの裏での虐めは徐々に苛烈なものになっていく。終盤でヒロインは主人公が虐められていることに気付き、助けるために守るために主人公と別れる決断をする。しかし、虐めの切っ掛けなど虐める側にとっては些細な問題でしかない。大切なことは虐めることそのものなのだ。虐めは終わるどころか更にエスカレートしていき、主人公は心の支えだったヒロインすら失い絶望し自殺する。その亡骸の前でヒロインは傍で共に寄り添うだけで良かったのだということに気付く。それだけで主人公は幸せだったのだと。自殺をしようとするが奇跡的に生き残ってしまう。そこでヒロインは気付くのだ。これは神様が復讐をしろと自分に言っているのだと。
駄目だ。気が付けばバッドエンド一直線じゃねえか。何この鬱小説、読むだけで心が病みそうだ。
この一週間、それなりに楽しい高校生活を送ったはずなのに。自分の中から湧き上がってくるアイディアは全てバッドエンドに直結していってしまう。
もし仮にリア充になったからといって変わるのか。生来の性みたいなもので後天的に変わるような代物ではないのかもしれない。それとも……。
「って酷くない? アタシの素晴らしいアイディアは全無視か」
ワンテンポどころかヒャクテンポほど遅れて幸野が叫んだ。
「それは知らんっ。っつーか大体お前ら全員、写経中にチンポチンポうるせーよ。煩悩を忘れるどころか煩悩フルスロットルじゃねーか」
先程から黙々と写経をしていた透哉が呆れたように肩を竦める。
一番チンポチンポ言いそうな癖に。妙に様になっているのが実に腹立たしい。
「透哉、お前本当に透哉か? 宇宙人か何かに乗っ取られた? 陸上部のユニフォームがエロいだとか破廉恥だとか言ってた奴の台詞だとは思えないな」
「乗っ取られてねーよ。大体休み時間の話、オレは一般論を喋っただけだっての。へそ出しがエロイとか脇が見えてエロイとか尻のラインがエロイとかクラウチングスタートの姿勢がエロイとか言ってたの、全部ホタルじゃん」
透哉に指さされて言葉に詰まる。確かに心当たりがあるような。
「ちょっと待て、否定はしないがやっぱり少し擦り付けてるだろ」
「はぁ、男子ってすぐにそういう方向に話を持っていきたがりますよね。陸上部のユニフォームは0.01秒でも早く走るために合理性を追求したものです。エロだとかそういった視点で語るのはナンセンスですし、そもそも陸上をやっている女子に対する侮辱ですよ」
栞は呆れたように肩を竦める。その動作が透哉と似ていて改めて兄妹だなと思った。
「そりゃしおりんの言ってることは正論だけどさ、ぶっちゃけ陸上部のユニって女子目線で見てもエロくない? 街中で見たら露出癖あんの? って三度見くらいするわ」
栞の動きが止まる。
まさか同性から指摘されるとは露にも思っていなかったのだろう。更に今度は透哉が追撃する。
「街中だったら私だってそう思いますっ。でも競技中だったら全く気になりません」
「いや、幸野の言う通りだぜ。栞がどう思おうが男子はぜってーエロい目で見てんだよ。ホタルみたいにな。オレはそんな目線を向けられるのが心配で、高校になったらもっと——」
「そんなことは分かってます。でもだからといって私が陸上をしない理由にはなりません。走るのは楽しいんです。でも、大地を踏みしめる感覚、踏み出す感覚、歩幅の感覚を突き詰める時、ハードルを跳び越える時の爽快感、タイムが縮んだ時の達成感、全部好きですっ。堪りませんっ。確かに嫌な気分になることが無いとは言わないですけど。でも走ってる瞬間、全てどうでも良くなるんですっ。イヤなこととか煩わしいこととか全部脱ぎ捨てて自由でいられます。そもそも他人の目を気にして自分のしたいことができないなんて本末転倒ですっ! 透哉兄だって陸上をやっていたんだから分かりますよね?」
大きく力強く透き通った栞の瞳がやけに煌めいて見える。それだけではない。陸上について熱く語る栞は女騎士のような高潔さ凛々しさを持ち合わせていた。
その姿を見ていると陸上部のユニフォームがエロいだとかそんなことを語っていたこっちが恥ずかしく思えてくる。というか普通に恥ずかしいんだが。
それは他の二人も同様だったようで目を右往左往させてしどろもどろに言葉に詰まっている。
「あれ? 私もしかして凄い恥ずかしいこと言っちゃった?」
みるみるうちに栞の顔が真っ赤に染まっていく。夕陽のせいではないことは明らかだった。
「いやいやいや、しおりんは何も悪くないの。悪いのはアタシたちの穢れた心だったんだって」
「本当にごめん。恥ずかしいのは教室で大声であんな話をしていた俺たちだった」
「栞の覚悟は見せてもらった。こーなっちまったらオレが口出しすることなんざ一つもねー。……ただ少しでも何かあったらすぐにオレを頼れよ。どんなことでもぜってー力になるぜ」
「透哉兄……、私頑張ります」
栞が力強く呟く。自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「写経はまだいい! 反省文ってなんだっつーの。教室でちょっと早くご飯食べただけでA4一枚分? 何を書けと?」
透哉はやる気を失ったのか白紙の紙をポイッと放り投げる。
「遅いな。もう書き終わった」
伊達にプロの作家はやっていない。適当な文章をでっちあげるのは朝飯前だ。最初の一行だけ謝罪の言葉を添え、残りの十数行は早弁の意義と必要性について長々と論じた意欲作である。写経で溜めたフラストレーションを全てぶつけたので少し乱暴な字になっているのは大目に見てもらいたい。
「嘘っ、早ってこれ反省文なの?」
「反省文というより嘆願書ですね」
反省文を奪い取った女子二人が食い入るように覗き見る。
「無駄に文章構成が上手で内容もしっかりとしているのがイラっとします」
「あ、分かる~」
「何でだ。理不尽すぎるだろ」
「反省する気がないのがヒシヒシと伝わってきます。きっと明日もう一度写経と反省文をやり直させられますよ?」
「ならどんなのなら良いんだよ」
今度は螢が一瞬の隙をついて栞の反省文を奪い取った。
既に七割ほどは書き終えている。どれどれどんな内容だ。
私はこの度スカート丈の長さを短くし過ぎてしまったことを反省しています。————中略————しかし先生のおっしゃることは正しかったのです。教室でH.Y君にスカートを短くしろと迫られ身に恐怖を感じました。男子高校生にとって女子高生の生足は少々刺激が強すぎたようです。にもかかわらず自らスカート丈を短くしていたなど本当に愚かな行為でした。これからは——。
「ふざけんな! これも明日写経&反省文コースじゃねえか。俺が!」
「だって書くこと無かったんですもん」
栞はヒューヒューと下手な口笛を鳴らして目を逸らした。
「とにかく書き直せ。書き直してください早急に」
「仕方ないですねっ。牛タンコーラ一本で手を打ちましょう」
栞は悪戯っ子のように無邪気な笑みを浮かべた。
牛タンコーラ? 信じられないものを見るような目で栞を見てしまった。まだ幽霊でも見ていた方がマシな顔をしていたかもしれない。
牛の独特の臭みを持ちギットギトに脂ぎった液体、それが海外のケーキのように甘いのだ。しかも喉を焼く様な強炭酸。これが悪魔の飲み物牛タンコーラである。美味しいはずがない。こんなものが学校の敷地内の自動販売機で売られているのだから世も末である。無論、罰ゲーム以外で購入した人
間は有史以来存在していないはずだった。
「それって俺に牛タンコーラを飲めって言う意味だよな」
最後の希望を籠めて問いかけた。
「何でそうなるんですか。私が飲むに決まってます!」
それはこっちの台詞だ。螢の言葉が喉元に差し掛かったところで引っ込んでいった。透哉に背後から肩を掴まれたからである。
振り返ると透哉はご臨終ですと遺族に告げる医者のように首を振った。
「栞の味音痴はどーしようもねーんだ」
その言葉には激動の時代を生き抜いた老人の言葉にも引けを取らない重みがあった。栞、可哀想な子。
「分かった。それで手を打とう」
「自分で言っといて何ですけど本当に良いんですか?」
栞が申し訳なさそうな表情でこちらを窺う。
「良いよ。もってけ泥棒」
「交渉成立ですねっ。約束ですよ? 絶対に絶対ですからね? 言質取りましたよ?」
喜ぶ栞の姿を生温かい目で眺めることしかできなかった。
「よし、アタシも完成したわ。マジでパーペキっしょ」
今度は幸野の反省文を覗き込む。
そこに描かれていたのは。
「絵じゃん! 反省文じゃなくて反省絵だろこれ。せめて幸野が土下座する絵にしろよ。何でゴンちゃんに土下座させた?」
しかも無駄に絵が上手い。筆ペンで書いたのか水墨画のような迫力のある絵に仕上がっている。
「アタシだって最初は書こうとしたって。でも気付いた時にはゴンちゃんがいたよね。特徴的な見た目してるし書きやすいじゃん。しゃーない」
幸野は思いついたように噴き出しを作るとごめんなさい。反省していますと、書き込んだ。どこからどう見ても反省しているのはゴンちゃんである。
「よしっ、オレも完成したぜ」
今度は透哉がペンを置いた。疲れたのか腕で額の汗を拭く仕草を見せる。
透哉の反省文に書かれていたのは反省の言葉の数々。ごめんなさい。申し訳ございません。すみません。反省しています。以後気を付けます。中身のない言葉がツラツラと並んでいた。語彙が尽きたのか三段目ほどで内容がループしている。
「やってること写経とほぼ同じか!」
翌日、当然の如く三人は反省文の再提出を要求されるのだった。それを免れたのは栞だけである。危機回避能力が優れているというか案外ずる賢いというか生き方が上手いというか、ちゃっかりしている。




