1 入学式を休むと次の日困りがち
初登校日の朝、螢は学校の昇降口の前で立ち尽くしていた。その脇を多くの生徒たちがすり抜けて歩いていく。彼らはこれから始まる新生活への不安と期待でいっぱいいっぱいのようで誰も螢には目もくれない。
俺の下駄箱どれだよ! というかそもそも俺って何組だよ! 何の説明も受けてないんだけど。
螢の心の叫びは誰にも届かない。
取り敢えず職員室に行くしかないよな。事情を話して説明を受けるべきか。
しばらくの間、挙動不審な態度でキョロキョロしていたがようやく考えを改めた。螢が動き出そうとした瞬間だった。
「そこの少年、困ってるよーだな」
螢は左肩を叩かれた。螢が反射的に振り向くと人差し指がその頬に突き刺さる。
「いきにゃりにゃんだ。助け船を出したいのか喧嘩を売りたいのか、はっきりしてくれよ。反応に困るんだけど」
指を取り外して男の方を向いた。その螢の眼が大きく見開かれる。
ワックスでキチンと整えられた髪、大きくそれでいてキリッとした印象を与える二重の眼、スッキリとした鼻筋、隙間からチラリと顔を覗かせる白い歯が好印象の口元、シャープな顎のライン、爽やかの擬人化とでも言うべき男が立っていたからだ。
日曜の朝のヒーローもので主役を張っていそうだな。もしくは炭酸飲料のCMで若手女優と青春を謳歌していそうだ。お茶の間の主婦たちにキャーキャー言われるタイプだ。俺の小説で言えば悲惨な目に遭って壮絶な死を迎えるタイプである。
「ごめんごめん。悪気はねーんだ」
男はお祈りをするときのように掌同士をくっつけて謝罪した。
「で、俺に何かようか?」
「別に用があるってわけじゃねーんだけど。困ってそーに見えたからさ。何か手伝えることねーかなって」
「どうしてわざわざ。まさか怪しげな宗教の勧誘とか?」
「しねーよ。そんな胡散臭そうに見える? オレ」
清々しいまでに爽やかな笑顔だ。白い歯が朝日を浴びてキラリと輝く。
「爽やかすぎて一周回って裏がありそう」
「いやー、照れるな。そんな策士っぽく見えちゃう?」
「褒めてねぇよ」
「まー、いわゆるモットーってやつ。雨にも負けず風にも負けず、東に困りびとあれば手を差し伸べ、西に面白そうなことがあれば首を突っ込み、北に妹に手を出そうとするやつがいたらぶっ潰す」
「南はどこ行った。というか北のとこ何て言った?」
「オレが言うのもあれだけど妹、メッチャ可愛いんだよ。マジで天使かってくらい。というか天使! 妹の超絶可愛いエピソードベスト百一聞くか?」
「多いわ。せめて百に収めろよ! いやそれでも多いわ。せめてベストスリーに絞れ」
「チッ、仕方ねーな。じゃあまずは第三位、あ、言っとくが話を聞いて惚れるなよ。オレはお前とは戦いたくねー」
「誰が惚れるか! というかその話も聞かせなくていいから」
「まー今は時間もねーしな。修学旅行の夜にでもまとめて話してやるぜ」
「しねえよ。せめて語り明かすなら好きな女子についてとかにしてろ」
「あっそういやまだ名前も名乗ってなかったな」
男はニヤリと爽やかな笑みを浮かべると右手を差し出す。
「オレの名前は朝比奈 透哉。一年B組だ。よろしくな」
螢はしばらく見つめてから軽くため息を吐くとその手を握る。
「俺は山狩螢。クラスは知らん。というか困りごとっていうのがそれだ。入学式を休んでたからその辺の大事な話を全く聞いてなくて」
透哉は神妙な表情でほんの少し考える素振りを見せると親指を立ててみせる。
「そーいうことなら片っ端からクラス回ってみよーぜ」
「いや、職員室に行って聞いた方が早いだろ」
「それじゃ面白くねーじゃん。他のクラスの雰囲気とかも知りてーし丁度いい機会だと思って」
「ちょ、そもそも下駄箱の位置も分からないし」
「それならオレんとこ入れとけ。二段あるからよ」
螢は透哉に引きずられるような形で一年生の教室がある本校舎の三階へと連れていかれたのだった。
青巒高校の一年は全部で七クラス、アルファベットのA~Gを冠したクラスがある。成績の善し悪しや文系理系によってクラス編成が決まるのは二年生からで一年生は完全にランダム。つまりは特定する材料は無いに等しい。
「じゃあG組から行くか」
螢が覚悟を決める前に透哉は既にドアを開けていた。
「ごめん、ちょっといー? 入学式の日ってこのクラスに欠席者いた?」
話しかけたのはドアの一番近い位置の机に座っていた女子だった。透哉の顔を見た瞬間に顔がポッと茹で上がる。
「確か、いなかったと思います。はい」
「サンキューっ。ここは外れだ。次行くぞ」
教室を離れるとそこから女子たちの黄色い声が湧き上がった。そんなことを六回ほど繰り返し、
「結局透哉のクラスじゃねえか! 何だったんだよこの時間」
「アハハハ、そういえば欠席者が一人いたようないなかったような。テヘペロッ」
「可愛くねえよ」
最後に残った教室、B組の教室に足を踏み入れたのだった。
「あ」
なんとなくそんな気はしていた。他の六クラスを回った時に姿が見えなかったからだ。まさか本当に同じクラスだったとは。
「あ山狩君、お勤めご苦労様でした。昨日は大丈ってどうして二人が一緒にいるんですか!」
教卓の前で数人の女子と話していた栞は突然素っ頓狂な声を上げた。その狼狽する様子はまるで浮気現場を目撃されたようだった。
「二人とも知り合い? ってクラスメイトなんだからそりゃそうか。まぁ色々あってな」
螢は先ほどのことを思い出したのか遠い目をして答えた。
「おい、螢、昨日のことってどーいうことだ? 昨日って学校を休んでいたんだよな」
事情を説明しようと透哉の方を向いた瞬間に螢は凍り付いた。その眼が真剣そのものだったのである。鬼気迫るような迫力が宿っていた。
ま、まさか透哉があの写真のイケメン。栞の彼氏か! もしかして浮気を疑われてる?
「そそれが昨日入学式に来れなかったのは学校に来る途中にちょっとした事件というか事故に巻き込まれたからで、その時に偶々場に居合わせたのがこちらにいらっしゃる栞さんでして」
「事件? そんな話聞いてねーぞ。栞」
透哉は怪訝そうな顔を栞に向ける。
「別に何から何まで報告する必要はないですから」
それに対して栞も不機嫌そうにそっぽを向いて答えた。
何でこんなちょっとしたことで険悪なムードを漂わせてるんだよ。倦怠期ですか? 早くない? 一緒に高校通おうって一緒に勉強を頑張って志望校に合格したんだよな。ここで別れたら三年間滅茶苦茶気まずいだろ。
「そ、そんな言い方はねーだろ。ただオレはお前のことが心配なだけで」
歯の浮く様な台詞も透哉の口から飛び出ると不思議と様になっている。
「そういう過干渉が気持ち悪いって言ってるんです!」
透哉が膝から崩れ落ちる。この世の終わりでも見てきたかのような暗い表情を浮かべていた。
「キモイ。栞にキモイって言われた……」
「何もそこまで言わなくても。大体、入学初日から修羅場とか見せられるこっちの身にもなってくれ」
「良いんです。どうせすぐにゾンビみたいに蘇りますから。それよりも」
栞は真っ直ぐに螢の眼を見つめる。そして悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「山狩君は一つ大きな勘違いしてます」
「勘違い?」
「私とコレが恋人同士って思っていますね?」
首を縦に振る。
「実は兄妹なんです」
「へぇ、兄妹。って兄妹⁉ 双子なのか」
螢は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
よくよく見ると目鼻立ちが似ているような気がしなくはない。ただそっくりというわけでもないしそもそも性別も違うから二卵性双生児なのだろう。
「双子ではないです」
「じゃあ義理の兄妹ってやつ?」
「それも違います」
「まさか、腹違いの兄妹とか」
「そんな複雑な家庭事情は抱えてませんっ」
双子でも義理の兄妹でも腹違いの兄妹でもないのに同じ学年の兄妹か。他にどんな可能性があるのか。
「まさか、栞……、留年していたのか」
「何でそうなるんですか! どう考えても留年しそうなのは私よりこっちでしょ。流石に留年はしてませんけど」
「他に何か可能性があるのか?」
首を捻って考え込む螢を見て栞は満足気な表情を浮かべる。
「山狩君は複雑に考えすぎですよ。話はもっとシンプルです」
もっと単純に考えろってことか。兄妹、兄妹。
「そういうことか。妊娠から出産まで大体十ヶ月くらいだから同じ学年の兄妹がいても別におかしくない」
「はいっ、兄が四月生まれで私が三月生まれで不幸にも同学年になってしまったというわけです」
栞は床に這いつくばり懺悔している透哉と自分を交互に指さした。
「へぇ、にしても高校まで同じところに来るとかよっぽど仲が良いんだな」
「失敬な! 私は絶対に嫌だったので兄が絶対に受からないような偏差値の高校を受けたんです」
心外だったのか栞はあからさまに不機嫌な態度をとってみせた。
「でも普通に受かってるぞ」
「ええ、まさか半年間で偏差値を三十上げるとは思ってませんでした。せっかく高校生になって離れられると思ったのに。それどころか同じクラスになるなんて最悪ですっ」
栞の言葉は攻撃的だったが、その話しぶりからはどこか得意気な様子が混ざっていた。
妹と同じ学校に通うために偏差値三十上げるとかどんな執念だよ。って俺も似たようなものだったか。
螢は自嘲気味に笑った。口元は笑っていたが目だけは笑えなかった。
「で、俺の席どこか知ってる?」
「出席番号順、ようするに五十音順なので山狩君だったら一番奥の席周辺だと思いますよ。具体的には一番奥の列の後ろから三番目だったはずです」
「ありがとな」
螢は感謝の意を示してから自分の席へと向かう。栞とのすれ違いざまに耳元で小さく囁かれる。
「兄とも仲良くしてあげてください。シスコンで馬鹿なところに目を瞑れば悪い人では無いので」
素直じゃない奴だ。栞も充分にブラコンの範囲に入っているだろ。
喉元まで出かかった言葉をどうにか呑み込み代わりの言葉を吐く。
「それは何となくわかる」
そして会話を終え、螢は自席へと向かい、栞も女子のグループの方へと戻っていった。
「今の誰? まさかあれも兄妹」
女子の透き通るような高音は教室中に良く響く。当然螢の耳にも入っていた。
「冗談も大概にしてくださいっ。ただの知り合いです」
「でも随分と仲良さそうに話してたわよねぇ。もしかしてっ、彼氏だったり」
「ないない。絶対ない。馬鹿なことを言わないでください」
「栞に彼氏だと! 栞にはまだ早いっ。オレはぜってー認めん。どこのどいつだ」
床に転がっていた透哉が飛び上がり女子の群れに突貫した。
騒がしいクラスになりそうだな。
螢は漠然とそんなことを考えたのだった。




