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4 変態な人も損をしがち

「何かあれば叫び声をあげてください。すぐに通報して駆け付けますっ」


 逃げるように目的の部屋に向かう螢の背中に栞が声を掛けた。螢も足を止めて栞の方に振り向く。


「頼んだ」


 助かった。危うくおかしなテンションで部屋に突入するところだ。気を引き締めないとな。


 螢は大きく深呼吸をした。


 ええと、この部屋がそうか。向かって右から四番目だから、こちらから考えると左から四番目。ここで間違いない。


 螢は部屋の位置を何度も何度も念入りに確認する。その傍らにはラブドールが立っておる。


 二人仲良く並んでインターホンを押すのに緊張しているこのシチュエーション、なんだか彼女の実家に挨拶に行くみたいだな。


 螢はそんなことを考えながらドアノブに手をかけた。そしてインターホンを押すと同時にドアを開く。


「ごめんください。落とし物を届けに来ま——」


 チョコバナナ、ビックマグナム、バベルの塔。螢の脳内が目の前の光景を理解することを拒絶する。


 目の前にいたのは全裸の大男。山のように盛り上がった上腕二頭筋、Bカップ以上は優にありそうな胸筋、栞よりも大きいだろう。そして六つに割れた腹筋、丸太のような太もも、そして黒人もビックリの大きなイチモツを股間にぶらさげている。


「あ、ステファニー!! 本当にステファニーなのか。ごめんよ。本当にごめんよ。大丈夫だ。もう二度とお前を離しはしないぞ」


 筋骨隆々な大男は両腕を大きく広げて螢に飛びつく。螢の視界に映るのは肌色一色。控えめに言って地獄絵図である。全裸の男はその大きな腕でステファニーをそしてその隣にいた螢をギュッと抱きしめる。鋼のように鍛え抜かれた肉体の感触と熱が直に伝わってくる。


 チンがゾウさんが触れてる。触れてるぅうううう。右太ももにぃいいい。・


「ギャーーーーーーーーーーーー」


 螢はこの日、人生で一番大きな声を上げた。声量ランキングの自己ベストを大幅更新である。流石に大男もこの声で我に返ったようで慌てて螢から離れた。


「すんません。ステファニーが戻ってきてつい興奮してしまいまして」


 落ち着け。こういう時こそ一度深呼吸だ。状況を把握しろ。俺はラブドールの持ち主の家に来た。持ち主は恐らく怪我をしている、もしくは病気で倒れていると思ってた。そしたら健康的な全裸の筋肉ダルマがいきなりだだきだき抱き着いてきた。あの感触を思い出すだけで鳥肌が立ってくる。いや、逆に考えろ。届けたのが俺でよかった。栞だったら恐らく一生もののトラウマを植え付けられていただろう。ああ、犠牲になるのが俺でよかった。


 螢は折れそうになる心を必死に励ます。


「いやぁステファニーを届けてくれてありがとう。……おっと、こんな姿で失礼。すぐに服を着てくるから待っててくれ」


 ようやく自らの痴態に気付いたのか男はズカズカと音を立てながら部屋へと戻っていく。その腕の中にはラブドールがすっぽりと収まっていた。


 リビングへと通じるドアが閉じられて気が抜けたのか螢はその場にへたり込んだ。


 どうやらラブドールの持ち主はこの人で間違いないらしい。できれば間違えであって欲しかった。本当にどういうことだ。何が起きていたんだ。先ほどまで全体像が見えたと思ったパズルはいつの間にかバラバラに崩れ去り白紙に戻っていた。


 螢の頭の中で大量の疑問符が渦巻く。竜巻が発生しそうな勢いである。


「山狩君、大丈夫っ?」


「うわっビックリした。死ぬかと思った」


 屍のようになり果てた螢に背後から栞が声を掛けた。


「安心してください。救急車と警察を呼びました! 一体何があったんですか?」


 螢の全身から嫌な汗がタラタラと流れ出す。ゆっくりとぎこちない動きで後ろを振り返った。そし

て力のない空っぽな笑みを浮かべる。


「朗報だよ。どうやら病に倒れた不幸な独身男性は存在しなかったようだ。ついでに彼氏を殺してしまった狂気のレディもね」


 螢は欧米人のように大きなジェスチャーで肩を竦めてみせた。


 栞は元々大きい瞳を更に真ん丸にしてパチクリさせる。


「ん? 何を言ってるのか意味が分からないんですが」


「だから病人も怪我人もどこにもいなかったって。いたのはただの変態だって、俺のことではねーよ! こっちを指さすな」


「な、何であんな悲鳴を上げるんですか! ふざけてます? 絶対にふざけてますよね! 一日に二回も誤通報しちゃったじゃないですか!」


「一日にというか一時間に二回だな」


 声に出してからしまったと気付いて螢は慌てて口を抑える。


「こうなったら本当に怪我人を出すしか……」


「ちょっと早まるな。人間、誠心誠意謝れば許して貰えるって」


「アハハハ、取り返しのつかないことだって世の中あるんですよ?」


「仕方ないだろ。不可抗力だったんだ。ドアを開けたらさ。マッチョなお兄さんが目の前に全裸で立っているんだぜ。悲鳴の一つも上げたくなるだろ」


「乙女か! 私みたいなか弱い女の子が言うなら納得できますよ。でも山狩君みたいなもじゃもじゃ男が言う台詞じゃないでしょうが! 馬鹿、アホ、ドジ——」


「お待たせ。お礼と言っては何だけどコーヒーでもおっと二人に増えてる。まぁいいか。どうぞどうぞ上がって」


 男は白いタンクトップに太ももの半分ほどしか丈のないズボン姿で現れた。タンクトップに負けない程白い歯を輝かせている。


 救世主。メシアだ。さっきは変態だなんて思ってごめんなさい。命の恩人といっても差し支えない。ただその恰好も来客中にする服装ではないと思う。というか寒くないのかよ。


 そんな清濁併さった思いを飲み込んで笑顔で答える。


「ぜひ、お願いします」


 家の中の造りは至ってシンプルなものだった。入ってすぐの玄関から伸びる廊下にはキッチンが備え付けられておりその正面にはバスルームへと続く扉があった。そしてキッチンの横を通り抜けると八畳間のリビング兼寝室に出る。独身男性の部屋にしては小綺麗にしている方だろう。正面奥には問題の窓、左手には大きなベッドとそこに腰を掛けているラブドールが、中央には炬燵が置かれている。二人は薦められるがままに炬燵に足を入れて座った。


男はマグカップに入れたインスタントコーヒーを二人の前にそれぞれ置いた。


「ありがとうございます」


「で、一体何があったんですか? 窓からラブドールが落ちるなんてどう考えても普通じゃないですよね?」


 螢が食い気味に尋ねると男は恥ずかしそうに頭の後ろを掻いた。


「アハハハやっぱり気になるかい?」


「気になります」


 そう答えた栞の瞳には好奇心の光など微塵も宿っていない。死んだ魚のような濁った眼をしていた。


「そうだね……。随分と迷惑をかけたみたいだしこちらも誠意をもって応えないとね」


「これから多大な迷惑を掛けるので気にしないでくださーい」


 栞が真横にいる螢にだけしか聞こえない程の小さな声で呟いた。


「おい、まさか勘違いだったって謝罪の電話をしてないのか?」


 螢がひそひそ声で返す。


「私が電話をしている姿を見ました? 大丈夫です。誠心誠意謝れば許してくれますよ。一緒に謝りましょうね~」


 栞は全てを投げ捨てた清々しい笑顔をしている。


「ねぇ二人とも本当に興味ある? ないなら内緒にしたいかなぁって」


 コソコソとやり取りをする二人に男が声を掛ける。


「早く話してください」


 二人は声を揃えて言った。


「ほら今日って快晴じゃん。雲一つない清々しい青空だったから、朝目覚めてすぐに思ったんだ。一発やろうって」


「清々しさが微塵もなくなったよ。天気が良かったらやろうって洗濯か!」


「で、やっぱり朝一と言ったら窓際での立ちバックでしょ」


「こちらに同意を求めないでください。常識じゃないですから」


「どっちかというと夜だろ。高級ホテルの高層階で夜景を楽しみながらやる奴だろ」


「最低、変態、黙って下さい」


 俺の方がアタリ強いのおかしくないですか。どちらかというと変態なのはこのマッチョだと思います。というかそういう言葉の意味をしっかり理解しているのか。清純そうな見た目してそういうことにもしっかり興味があるんだな。


 螢も流石に学習したのか火に油を注ぐことはせず、言葉を喉の奥に押しとどめた。


「それも分からなくはないけどねぇ、僕は断然朝派なの。朝の爽やかな風を浴びながら、目撃されるかもしれないという緊張感の中でやるのが最高に気持ちいいんだよ」


「あんたの性癖はどうでもいいわ」


「それで今日、実際にやろうとした時だった。寝惚けていたんだろうね。ステファニーにオ○ホールを装着するのをすっかり忘れていたんだ。本当に入れる直前に気が付いたはいいんだけど、つい両手を離した隙に窓から飛び降りてしまったんだよ」


「そんな馬鹿なことある⁉」


 男は今にも泣きだしそうな悲しげな表情を浮かべていた。実際に先ほどまで泣いていたのかもしれない。目が真っ赤に充血しておりその周りも腫れていた。


 泣きたいのはこっちだよ。


「せめてすぐに取りに来いよ! 顔くらい覗かせろよ。というか俺、危うく死にかけるところだったんですけど」


「ごめんね。本当に君には悪いことをしたと思っているよ。でもほら僕、全裸だったしラブドールを落としたってバレたら恥ずかしすぎるじゃない。だから慌てて隠れたってわけ」


「急にマトモな感性見せるな。つい数秒前までもっと恥ずかしい事やろうとしてたんだろうが」


「下にいた君たちがいなくなったら回収しに行こうと思ってたんだけどいつの間にかステファニーごと消えてて本当に焦ったよ。それでしばらく悩んだ末に覚悟を決めて外へ出ようとしたタイミングで君たちが来たんだ。入れ違いにならなくて本当に良かったよ」


 なるほどと頷きかけた螢の身体の動きが止まる。何かを考え込むように顎に手を当てて呟く。


「いや、あんた全裸だったよな」


「服を着るのも忘れるくらいテンパっていたもので。もう少しで露出狂になるところでした。はっはっはっは」


 窓際に全裸で立つってもはや露出狂に両足を突っ込んでいる気がするのだがそんなことはどうでもいい。


「じゃあ、ラブドールの背中のところについてた血痕は何です?」


 男は弾丸の如き動きでラブドールの元へと向かう。そして背中についた赤黒い汚れを見て頭を抱えた。


「ギャー。汚れてる! というか全身に細かい傷がついてる。ごめんね。痛かったよね。よちよち。痛いの痛いの飛んでけー」


 必死に擦ってどうにか汚れが落ちないかと試行錯誤している。その姿には慈愛の心が溢れ出していた。


 神妙な顔つきでそれを眺めていた螢の右腕を栞が引く。


「ねぇ、山狩君。その右肘、すりむいて怪我してるみたいですけど」


「ああ、受け身を取った時に地面に擦ったみたいで……」


 二人はお互いに顔を見合わせた。


 もしかして俺が抱きかかえた時に付いちゃったとか?


「ハハハハハッ、私、そろそろ本気で怒っても許されると思いませんか?」


 軽薄な笑顔が白々しい。螢は両腕を前に突き出してどうにか宥めようとする。


「ほら、暴力ヒロインって最近は嫌われるだろ」


「これは理不尽な暴力じゃないからセーフですっ。それに山狩君に嫌われたところで微塵も問題はないですし」


 丁度栞が言い終えた時、外から救急車とパトカーがサイレンでハーモニーを奏でる音が聞こえてきた。けたたましい音が徐々に近づいてくる。


「あれ、ここの目の前で止まったみたいだ。何か事件でも起きたのかな?」


 男が不思議そうにつぶやいた。


 あ、ごめんなさい。事件はこの部屋で起こっている予定でした。


「大体、そっちは何か被害者面してるけど同罪だからな。というか栞が最初に持ち主にラブドールを返そうとか言いださなければこんなことにはならなかったんだよ」


「な、別に返しに来ること自体は何の問題もなかったじゃないですか。山狩君の推理、じゃなかった妄想がトンチンカンなのが駄目だったんです」


「その推理に納得した時点で同罪だ。いや、むしろそっちが監査役だったんだから栞の責任だろ。俺はやっぱり自分で考えた推理ってことでどうしても色眼鏡をかけてみてしまうし」


「確かにその点に関しては私が愚かでした。でも、やっぱり一番ダメなのはきったない悲鳴を上げた山狩君です! 根本の原因はそれですよ!」


「それに関しては不可抗力だ。立場が違っても絶対に悲鳴はあげてたね。むしろ、一生もののトラウマが植え付けられなかったと感謝して欲しいくらいだ」


 二人の罵り合いは徐々にヒートアップしていく。


「え、もしかしてだけど。通報したの君たち? 何してるの?」


 男が恐る恐るといった感じで会話に割り込んだ。


「あっ、そうだ一番の原因はアンタが朝っぱらから変態プレイをしてラブドールを窓から落としたことだろうが!」


「そっか、一応山狩君は怪我をしているわけですし、過失致傷罪が成立しますね」


 栞の容赦のない一言で男の顔がみるみるうちに真っ青になっていく。


「安心してください。被害届は出さないです」


 被害届を出すか出さないかは俺が決めることなんだが。まぁいいか。


「そうか。救急車に関しても地面に頭をぶつけたことにして念のために呼んでおいたってことなら怒られはしないな」


「それ採用ですっ。嘘は吐いてませんしっ」


 ピーンポーン。狭い部屋にインターホンの音が鳴り響いた。


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