3 ヒロインに彼氏や元カレがいると萎えがち
五分ほど歩くと住宅街にある小さな公園に辿り着いた。申し訳程度に遊具としてブランコが設置されているだけの寂れた公園だ。古びてささくれの目立つ木のベンチに二人は横並びに座る。その間にはラブドールが挟まれていた。
「何か思いついたことありますか?」
先に口を開いたのは栞の方だった。平静を装って話しているが身体の各所からウズウズが漏れ出している。さながら誕生日プレゼントを買ってもらいに来た子供のようだ。
「一番あり得るのはうっかり落としてしまったとかじゃないか。天日干しにでもしてたとか」
「その可能性は低いですね。うっかり落としたならすぐにでも私たちに声を掛けたり取りに来る気がします」
「そうか? ラブドールを誤って落としてしまって真下には人がいた。ぶつけて殺してしまったかもしれない。そう考えれば慌てて隠れたとしても不自然ではないだろ」
「そうですか? 山狩君に当たった後ならともかく地面に落ちるまでは見届けると思います。さっきスマホで調べてみましたがラブドールはかなり高価なものみたいですし。多分これくらいしっかりとしたつくりの物だと五十万円くらい? それにそもそもデリケートらしいので直射日光に当てる為に天日干しとかは論外みたいです」
五十万! そんなにするのかよ。高いとは知ってたけどそんなにするとは。
反射的にラブドールをガッチリと掴んで抱き寄せてしまった。栞が冷ややかな視線を向けてくる。
「コホンッ、確かに五十万円を窓から落としたらどうなったか確認したくなる。ちなみにそれらしき人物を見たとかは」
「ないです。それに関しては自信を持って言えます」
「だとすると何者かが故意に落としたと考えるべきか」
「でも人形を見る限り大切に扱っていたようですし、五十万円もするものを窓から放り投げるなんて考え難いです」
「だとすると本人以外の誰かが投げ捨てたってことか。いやでもそれはそれで微妙だな」
「どうしてですか? 例えば彼女さんが家に来てラブドールを見て浮気だって衝動的に投げ捨てたみたいな線はないですか。彼女じゃなくても親とか」
栞は身を乗り出してこちらの顔を覗き込んで反応を窺う。自信のある考えだということが良く伝わってくる。
「持ち主じゃない人が捨てたとすれば大きく分けて状況は二通り考えられる。持ち主とええと彼女が部屋にいる場合、彼女だけが部屋にいる場合だ。前者の場合だと、二人が喧嘩をしており彼女の方が咄嗟にラブドールを窓から投げ捨てた、それに準ずる事情だろう。だとするとおかしなことがある。持ち主は部屋にいるはずだから、それこそ窓から身を乗り出して様子を見るとか慌てて駆け降りてくるはずだろ?」
「そうですね……。確かに不自然です。なら彼女だけが部屋にいる想定だと何がダメなんですか?」
螢は楽しそうに笑みを浮かべる。そして仰々しい態度で喋り始める。
「わざわざ窓の外に放り投げる必要性がないんだよ。ラブドールを処分したいなら正規の手段で処分すればいい。ラブドールが憎くて痛めつけたいならわざわざ人目につくし事故の危険性もある、窓から放り投げるなんて手段よりも、包丁でズタズタにする方がストレスの発散にもなりそうだし達成感も得られそうだ。インパクトもあるし」
「は、はぁ」
「窓から捨てるという手段を選ぶとしたらそれこそ衝動的に、目の前にいる持ち主に見せつけるパフォーマンス的な意味合いがある場合に限られるってわけだ」
「でも状況的に持ち主が同じ部屋にいたとも考えにくいというわけですか」
栞がうんうんと可愛らしい唸り声を上げる。
「じゃあ歩行人に当てる悪戯っていうのは……駄目ですよね?」
「大切にしているラブドールは使わないだろうな」
「ええと、じゃあ山狩君が誰かに恨まれてたり?」
「制服姿の学生を上から識別するのは難しくないか。それにラブドールを使ったら一発で足が付くし大切に以下略。後、そもそもそこまで恨まれるようなことをしたような覚えはないし」
「ううん、ええと、なら、きっと、政府が極秘裏に飛行船で輸送していたところ空中海賊に襲われて逃げようとしたら誤って落ちちゃったとかですか」
「ラピュタかよ」
「オタマジャクシとかが空から降ってくる現象はなんでしたっけ?」
「ファフロツキーズ現象」
「……何で即答できるんですか。それは?」
「空から大量のラブドールが降ってきたら怖えよ。もはやテロだよ」
「うーん八方塞がりです……」
栞は白旗を挙げる。膝を抱え込む様な体勢であからさまに落ち込んでみせた。
「そう、普通に考えれば持ち主が窓から投げ捨てるわけがないし、かといって他の誰かが捨てるとも考えにくいよな」
だとすると……。螢は少しずつ頭の中で物語を組み立てる。
俺が作者なら登場人物にラブドールを落とさせるとしたらどんな状況を用意する。矛盾のないストーリーを組み立てろ。
しかし、思い浮かぶアイディアはあぶくに過ぎず、浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返す。それでも必死に慎重に手繰り寄せて繋ぎ合わせていく。
「あんまりグズグズしてると手遅れになるかもしれない」
気が付いた時にはベンチから立ち上がっていた。怪訝そうな視線を向ける栞と目が合った。
「まだ集合時間には余裕があると思いますが」
「そっちじゃない。マンションの写真を撮ってたよな。見せてくれ」
螢は差し出されたスマホをひったくるようにして覗き込んだ。画面をスライドして撮った写真を確認していく。ついでにラブドールの下着に手を突っ込んでいた写真をすばやい手つきで削除してみせた。
してやったりと栞の方を見ると彼女もほくそ笑んでいた。
「安心してください。大切な写真ですのでクラウドの方にもしっかり保存してますっ」
「性格悪いな。何か恥ずかしい写真出てこいっ」
螢はスマホの画面を勢いよくスライドする。画面に写し出された写真が目まぐるしい速度で変わっていく。
「性格悪いのはどっちですか! というかそれ以上は駄目っ」
隣から悲鳴交じりの声がした時にはもう指は画面を横になぞっていた。表示されたのは制服姿のイケメンと栞の二人が写ったプリクラだった。抱き着こうとしているイケメンとそれを押しのけている栞。一見すると嫌がっているように見えるが目は笑っており、まんざらでもなさそうである。
これだけ美人なのだから彼氏の一人や二人いるのは当然だろう。二人して同じ高校に合格して記念に制服を着てプリクラを撮ってみたというわけだ。まぁ俺には関係のない話だが。
一拍遅れて栞にスマホを強引に奪い取られた。顔を耳まで真っ赤にして恨めし気に螢を睨んでいる。
「なんかごめん」
「……はぁ、見られるくらいなら消しとけばよかった。まぁ別にいいです。それで何か分かったんですか?」
口調は許すといった様子だが目が笑っていない。
これは何も分からないと言ったら殺される奴だ。多分、例の写真をSNS上にばら撒くくらいのことはやりかねない。というか絶対やる。明日とかにはクラス中に広まっているだろう。
だが今はそんなことを気にしている場合ではない。
「ラブドールの持ち主の部屋は多分、七階の右から四列目だ」
「どうしてそうなるんです?」
まさか本当に答えるとは思わなかったのか栞は目を丸くして驚く。
「網戸の位置だ。んなことより早く行かないと! 事態は一刻を争うかもしれない」
「どういうことですか。キチンと説明してください」
説明する時間も惜しい。でも考えが正しいかどうか意見を聞くべきか。そもそも結構時間は経過してしまっているし。
螢は一瞬躊躇したが説明を始める。
「ラブドールを投げ捨てるなんて普通はありえないって話をさっきしただろ。裏を返せば異常事態が発生したから起きたってことだ。持ち主が何らかの病気か何かの発作で倒れた可能性が高いと思ってる」
「どうしてです? 倒れたこととラブドールを投げ捨てるってことが結びつかないんですけど」
「ようするにSOSのサインだったんだ。ラブドールを持っている人なんだから一人暮らしの可能性が高いだろ? 部屋で倒れたら発見されるのは何日後になるか分からない。下手しなくてもそのままお陀仏だ」
「普通スマホで助けを呼ぶんじゃないですか」
「意識が朦朧としていたり手足が痺れて動きが覚束なかったりしてスマホを操作できなかったとしたらどうだ?」
「それでもわざわざ大切にしているラブドールを窓から投げたりしますか? 他の物でもいいわけですよね」
「確かにそうだけど、わざわざラブドールを選ぶ理由はある。一つはインパクトだ。例えばパンツとかが落ちてきたとしても人は干してる洗濯物が落ちたとしか思わないし、特段行動は起こさないはずだ」
「そこでパンツが一番に出てくるところに人間性が現れてそうですね」
栞がジト目を向ける。
あ、絶対写真のこと根に持ってるな。よほどバレたくなかったのか。
「コホンッ」
「でも確かにラブドールが降ってきたら何事かとは思います」
「人が飛び降りたと早とちりして救急車を呼ぶ奴もいるかもしれないしな」
「だ、誰のことでしょうね~」
栞はピューピューと空気が漏れる音だけの下手な口笛を吹いた。
ベタかよ。
「まぁ誰かが通報してくれればラッキー、皆が素通りしたとしても巡回中の警察官が見たら確実に何事かと確認する。壊れ具合を見れば上から落下したということくらいは簡単に想像がつく。落下したのがラブドールという異常性を鑑みれば警察が動くかもしれない。販売元に聞けばすぐに持ち主が分かるだろうし、そこまでせずともマンションの住人に事情聴取をするために部屋を訪れるかもしれない。一縷の望みを託す価値はあるはずだ」
「納得はできませんが……。可能性を否定できないですね……」
「そして何よりもの証拠がこれだ。背中のところに血のようなものが付着している。恐らく吐血したものが付いてしまったんだろ」
服の背の部分の赤黒ずんだ染みを栞に見せる。
「確かに血みたいです」
「こういう風に考えたから、窓の開いている部屋が無いか確認したわけだけど、残念ながら写真からはよく分からなかった。少なくとも網戸をせずに窓を全開しているような家は無かった」
「じゃあ違うんじゃないですか?」
「だから次に注目したのが網戸。窓を開ける時普通は網戸を右側にする。そうしないと隙間ができて虫が入ってくるから。このマンションにはベランダがないから基本的に窓を開けるのは空気を取り入れるため。だからほとんどの家は網戸を右側にしている。動かす意味がないしな。例外があるとしたら洗濯物を外に干している家くらいだろう。ところが右から四列目の七階の部屋の窓だけ、洗濯物を干した形跡がないのに網戸が丁度真ん中くらいの位置にある。何かを投げ捨てる為に網戸を慌てて開けたみたいにな」
「その家の窓はどうなってたんですか?」
「少なくとも大きな隙間があるようには見えなかった。まぁ意識が朦朧としていたんだ。倒れる瞬間に窓に添えていた手に力がかかって偶然閉まってしまう可能性もないとは言えないだろ。なんなら部屋に行く前に確認してみればいい」
栞は何か反論の糸口を探して口をもごもごとしていたが何も思いつかなかったのか、口から漏れたのは大きな溜息だった。
「勿論、別の可能性もあるかもしれない。思いついたので言えば恋人が激情に任せて窓からラブドールを投げ捨て、それに怒った持ち主と揉みあいになり、不幸にも殺してしまったとか」
「……」
「どちらにせよ、というかどう考えても持ち主の身に何か起きたということは間違いないと思う。そうでないと辻褄が合わない」
「それで一刻も争うというわけですか。一応は納得しました。急ぎましょう」
螢と栞は急いで公園を飛び出した。走ってマンションへと向かう。
足、速すぎるだろ。いくらラブドールを脇に抱えているとはいえこんなに差がつくものか。男女の身体能力の差はあるだろうしこれでも足はも早い方だったんだけどな。
同じように公園を出発していながら最終的には差が交差点一つ分以上開いていた。
「遅いですよ! 確認しましたが少しだけ窓に隙間が開いていました。間違いないと思います」
息も絶え絶えな螢に対して栞は息一つ切らしていない。涼しげな表情である。
「早く行きましょう」
エレベーターに乗り込もうとする栞に対して螢は待ったをかけた。
「いや、俺一人で行く。殺人犯がいる可能性だってないわけではないし、危ないかもしれない」
「それならなおさら二人で行った方が」
「いや、七階のエレベーター前で待機してくれた方がいい。何かあったら通報してくれ。二人同時に行くと一人が人質になったら身動きが取れなくなる」
「……分かりました。気を付けてくださいね」
二人は古びたエレベーターに乗り込んだ。ギシギシと怪しげな音を立てながらゆっくりと上昇していく。三人乗るとお互いの肩が触れ合うほど狭い。
当たってる大きいのが当たってる。
大きな柔らかい感触が二つほど螢の背中に押し付けられている。思春期真っ只中の螢の身体は馬鹿正直に反応してしまう。螢はただただ背中の感触を味わうためだけに全集中力を駆使する。先ほどまでとは違った意味で緊迫した空気がエレベーターの中を支配していた。
糞っ、どうしてラブドールのなんだよ! この子が本物の人間だったらどれだけ良かったか。せめて栞のものにしてくれよ。そんなに大きくはないけど偽物よりはマシだ。というかラブドールのおっぱいの感触を味わうのに必死になるとか惨めすぎる。
螢は悲痛な叫び声をあげた。
「ねぇ、また心の中の声、外に漏れ出てますよ~」
「マジで?」
「マジで。大丈夫、安心してください。救急車はキチンと呼んであげますから、変態君」
栞の声は想像を遥かに上回るほど冷たいものだった。
悠久の如き時間を経てエレベーターはようやく七階に辿り着いた。螢は逃げ出すようにエレベーターを降りる。
口だけで実際に手を出さない栞さんは本当に優しい方だと思いました。ただ、エレベーターに乗っている間、生きた心地がしなかったとは言っておく。




