2 真面目な人は損をしがち
「ラブドールかよぉぉぉおおおお」「大丈夫ですかっ! 今救急車呼んでますっ」
俺の慟哭と少女の逼迫した声が不協和音を奏でた。
慌ててこちらに駆け寄ろうとした少女の身体は時でも止められたように硬直する。彼女の耳に当てられたスマホからは救急隊の人らしき声が漏れ出ていた。
「すみません。聞き間違えたかもしれないのでもう一度お願いします」
「ラブドールかよぉぉぉおおおお」
螢の絶叫は道路を走る車のエンジン音にかき消された。気まずい沈黙が辺りに充満する。応答を願う救急隊の声がやけに大きく聞こえた。
「怪我してますよね? 鈍い音しましたもん。腕、骨折してるでしょ? お願いします。していると言ってください!」
少女は泣きそうな声色で詰め寄った。螢は一通り手足をブラブラさせて屈伸をしながら言う。
「ごめんね。残念ながらピンピンしてますよ」
「ごめんなさいっ。別にあなたに怪我して欲しいとか思ってたわけじゃありませんよ。ええと言葉の綾と言いますか、その、ごめんなさい。とにかく無事で良かったです」
少女は慌てて手をブンブン振って取り繕う。そして今度はスマホを耳に当てる。
「本当に申し訳ございません。実は——」
電話の向こうの救急隊に向けて実際に頭を下げているあたり気真面目さがうかがえる。
それにしても……。ラブドールが空から降ってくるってどんな状況だよ。
螢は辺りを観察する。
現場の道路は両端に歩道、車道は四車線の中々に車通りの多い場所である。螢の進行方向から見て右手に道路、左手にはマンションが建っている。高さは十階建てほどで築数十年は優に超えていそうな古びた佇まい。部屋もギチギチに詰め込んでいるようでどちらかといえば一人暮らし向けのアパートに近い。
マンションにはベランダは備え付けられておらず、大きな窓がズラリと規則的に並んでいるばかりである。何軒かは物干し竿を置き洗濯ものを干しているがそれは少数派でほとんどの家は部屋干しをしているようだった。
恐らくラブドールは真上から落とされたものだろう。俺の立っていた位置との関係から見るに右から四、五、六番目の列のどこかの部屋から落とされたはずだ。降ってきた角度と威力から想像してもに高層階から落とされたのは間違いない。少なくとも一階二階三階までは除外して良いだろう。少女に話を聞けばもっと絞り込めるはずだ……。
螢の瞳は獲物を見つけた餓えた獣のように光を宿す。日常にふと紛れ込んだ非日常、筆が乗っている時と同じような高揚感湧き上がってきた。
最近、思う存分に筆を震えていなかったからこの感覚は久しぶりだ。
「先程は失礼なことを言ってしまい申し訳ございませんでした」
電話が終わった少女が話しかけてきた。口調は丁寧だが言葉の節々からエネルギッシュさがヒシヒシと伝わってくる。快活な喋り方だ。
男より少し長いくらいのショートヘア、健康的に日焼けした小麦色の肌、ぼんやりと眺めている分には快活な運動少女のような雰囲気を醸し出している。しかし、じっくり見てみるとその印象は百八十度変わる。宝石のような煌めきを携えた大きな瞳、その目を強調するような二重と長い睫毛、スッキリとした鼻筋にシャープな顎のライン、薄っすらとピンクに膨らんだ唇。可愛いというよりも綺麗な落ち着いた印象を与える顔立ちをしていた。
よくラノベとかである美人だけど誰に対しても冷たい態度を取り孤高のボッチを貫くヒロインになれるような顔面スペックである。まぁ揚羽姉さんと比較してしまうと身体つきが貧相すぎて話にならないが。制服は青巒高校のものであるし、糊のきいた綺麗な制服を見るに新入生である可能性が高そうだ。というかそんなことよりもラブドールの謎だ。そのことについて考えないと。
「大丈夫ですか? ぼーっとしてますけど。ってまさかさっき頭とか打ち付けたりしました? やっぱり病院に行くべきではないでしょうか?」
少女は心配そうに螢の顔を覗き込む。
「大丈夫、ちょっと考え事をしてただけだから」
「そうですか。なら良かったです……」
二人は相手の出方を窺うようにその場で視線を交錯させる。しばらく沈黙が続き、そして、「あの」、二人の声が被った。お互い譲り合うようなジェスチャーを見せる。
「どうしてラブドールは上から降ってきたんだ?」
結局先に口を開いたのは螢だった。
「私もそのことが気になっていました。普通、降ってきませんよね?」
「俺の知る限りは。どう考えても異常だろ」
「そ、そうですよね」
お互い距離感を測り合うような探り探りのキャッチボールを重ねる。
「ええと、コレこのままにはしておけませんよね?」
「そうだな。考えないと」
「誰がどこからラブドールを落としたのかを考えて持ち主に返しましょう」「何故、ラブドールが落ちてきたのか謎を解き明かす」
同時に口を開いたのは良いが微妙にニュアンスがズレていることに気付き少しばかり微妙な空気が流れる。
ラブドールを持ち主に直接返す。あまり気が乗らない。ラブドールを持っている人と考えると変人奇人の類を思い浮かべてしまう。正直に言えばあまり関わり合いになりたい人種ではない。
螢は口を開く。
「別に俺たちが持ち主にラブドールを返す必要は無いだろ。交番にでも届けた方がいい。確か駅の近くにあったし」
「確かにそうですけど……。でも——」
「勘弁してくれよ。偽善者面したいだけなら一人でやってくれ」
少女の声に被せることで間接的に口を閉じさせた。少女は大きな目を鋭くして螢を睨む。
「偽善者面したいわけじゃないですっ。そもそも仮に偽善でも行動しないよりはマシだと思いますっ」
「行動するなとは言ってない。交番に届けりゃ良いってだけだ。大体逆の立場になってみろよ。いきなり初対面の奴がこれあなたの物ですよねって家にやってきたら不気味でしょうがないだろ。というか可愛い女の子に持ってこられた日には俺だったら死にたくなるし。偽善ですらない。あんたがやろうとしているのは独善だ」
少女は口元をキュッと結ぶ。
ちょっと言い過ぎたかな。春休みの間、まともに会話したの有馬女史くらいだったからなぁ。正論でぶん殴る悪癖が移ってしまったかもしれない。これは早急に改善しないと高校入学初日からボッチルート間違いなしだ。見目麗しい少女ならともかく俺みたいな男がそんなことになったら目も当てられない。
こらえるような表情を浮かべる少女を見て内心反省した。
「分かりました……。でもそれなら、何故落ちてきたのか考えるというのも無意味です」
「え?」
「問題を解きっぱなしで放り投げるとか愚の骨頂だとは思いませんか?」
「別に自分が納得できる答えが見つかればそれでいいだろ。あくまでも暇つぶしというか自己満足の範疇だし」
「理解できないですっ。そんな自己満足に何の意味があるんですか」
少女は大袈裟に肩を竦めて見せた。更にため息まで上乗せして言葉を続ける。
「怖いんですよね、真相を知るのが。惨めだと思いません? 適当な推理をしてそれが真相だと思い込むんですよ? 実際は違うかもしれないのに。それで得意気になってちっぽけなプライドを満たすなんてもはや喜劇を通り越して悲劇ですっ」
「——ッ」
言葉に詰まった。それを見て少女は勝ち誇ったように微笑む。
「だから、誰が、どこから、何故、ラブドールを落としたのかを考えて、その後に答え合わせを兼ねて持ち主に返しに行くっていうのはどうですか⁉」
螢はもう一度マジマジと目の前の少女を見つめる。
確かに外見は整っているかもしれないが、それにしても随分といい性格をしていやがるな。
「俺は別に構わない。というか考えることには最初から賛成だし。ただラブドールを所有するような人と接するのはお嬢ちゃんみたいな子にとっては毒かなと思っただけだ。まぁ、無駄な気を回したみたいだが」
「ふぅん。お気遣いありがとうございます。ええと、そういえばまだ名乗ってなかったですね。私は朝比奈 栞です。今日から青巒高校の一年生です」
「俺は山狩螢。同じく今日から青巒高校の一年だ」
「よろしくな」「よろしくお願いします」
どちらからともなくぎごちないお辞儀を交わす。頭を下げつつも相手から目を離さない、武士同士の礼のようだった。
「で、朝比奈はどこからラブドールが落とされたのかを見たのか」
栞は首を左右に振る。
「そこのマンションの右から四、五、六列目のどこかから落とされたと思います。五階よりも上だとは思いますが正確なところまでは分かりません……」
まぁそこまでハッキリと目撃されていたら面白くないから丁度良かった。後はここからどうやって絞り込むか。
「あ、あと私のことは朝比奈ではなく栞と呼んでください。そっちの方が色々と都合が良いので」
まさか、これは乙女的に下の名前で呼んで欲しい……わけでは無さそうだ。表情に恥じらいのはの字もない。だとすると単純に朝比奈という苗字が嫌い? それとも両親が離婚している、もしくは離婚協議中で今後名前が変わる可能性があるとか。あとは兄妹が同じ学校に通っていてややこしいとかか。
「分かった」
「それと取り敢えず場所を変えませんか? ここだと色々と悪目立ちしすぎますし」
確かに。傍から見れば高校生の男女がひっくり返った蛙のような体勢を取っている美少女の横で談笑しているというようにしか見えない。実際、先ほどからチラチラと通りすがりの人が視線を向けてくる気はしていた。今後、青巒高校の生徒が増えることを考えると早急に場所を変えた方が良さそうだ。
「どこかいい場所知ってる?」
「ええと、すぐそこに小さい公園があるみたいです」
スマホの地図アプリを見ながら栞が答える。
「じゃあそこで」
螢はラブドールをお姫様抱っこの形で抱きかかえた。ずっしりと両腕に重みが伝わってきた。そして腕の中で抱えているラブドールを観察する。
服装はロリータファッションというやつだろうか。白と薄いピンクを基調としたドレスを着ている。頭にはハーフボンネットを乗せ、胸元には大きなリボンが付いている。そして袖口やら裾にはフリフリのレースがあしらわれていた。顔は白人の少女に近い造形で当然の如く美少女と呼んで差支えのないくらいに可愛らしい。肌もシリコンとは思えないほどきめ細かい。
そっと顔を撫でると化粧がしてあるのか手に粉がついた。今度は手足の関節をゆっくりと動かす。可動域はかなり広く自由自在にポーズを変えられる。普通の人間にはできないようなポーズも易々と取ることができた。
下心はない。全くもってない。だから失礼いたします。
罪悪感を感じつつも螢はラブドールの下半身をまさぐる。外部アタッチメントは装着されていなかった。
となると夜の相手としての役割を担っていなかったのだろうか。いや、単に使用時以外は外しているだけかもしれない。
「よしっ、それじゃあ行きましょう……。馬鹿、変態っ! 何をしてるんですかっ」
周辺の様子を写真に収めていた栞が声を荒げる。ついでというばかりに螢の方に向けられたスマホがパシャリと音を立てた。
「っちょその写真は」
栞が印籠のように見せつけたスマホの画面には少女のパンツの中に手を入れている螢の姿がハッキリと写っていた。
俺の高校生活終わった。きっとこの写真を脅しの材料にされるんだろう。最初は軽く焼きそばパンを買ってこいみたいなパシリにされて。その次は万引きとかをさせられる。そして最後は服とか脱がされて更に恥ずかしい写真を撮られて性的に消費されるのだ。
「私はエッチな漫画に出てくる不良か何かですか! 心外ですっ。そんなことしませんから」
栞が頬を赤らめながら口を尖らせる。
「心を読まれただと?」
「普通に口に出してましたよ! もうっ」
栞はプイッと背を向けるとそのまま公園に向かって歩き出したのだった。




