1 メインヒロインは空から落ちてきがち
「ケイちゃんの制服姿、感激。こんなに大きくなっちゃって」
高校の入学式の日、家から送り出してくれるのは揚羽姉さんだけだった。父は仕事の出張で北海道に、母はその付き添いと称して旅行、兄は仕事が佳境に入っているようで早朝に家を出た。
「というか、わざわざ貴重な有休を消化してまで出てくれなくても良かったのに」
「フフフ、ケイちゃんの成長を見守るのが私の生き甲斐なんだから当然よ。それに久しぶりに母校に顔を出すのも乙なものかなぁってね」
やっぱり揚羽姉さんは美人だなぁ。というか天使過ぎる。全人類が揚羽姉さんだったらこの世から戦争もなくなるに違いない。
揚羽の太陽のような笑顔に照らされ螢のテンションは否が応でも上がってくる。
「よし! ちょっと早いけど行くよ」
揚羽姉さんに熱い視線を注がれるのは照れ臭いし、何よりこのままじっと時が過ぎるのを待ってはいられなかった。昨日までは億劫に思えた入学式が嘘のようである。本命の高校でないことを僻んでいたことなど前世のことだったようにすら思えてくる。
「じゃあまた後で」
「あ、ちょっと待って。ネクタイが曲がってるよ」
揚羽が螢の胸元に手を伸ばす。抵抗する間もなくネクタイを整えられる。
目の前の髪からふわっとした甘い香りがした。シャンプーは同じものを使用している筈なのにどうしてこんなにも香りが違うのか。
これ、なんかいい。新婚夫婦の朝みたいな感じだ。幸せ。もうこれで一生生きていける気がする……。じゃないっ。強い意志を持て、揚羽姉さんから卒業する——駄目だ。…天使だ。可愛すぎる。こんなの反則だ……。反則だろ……。
ネクタイと共に心臓も締め付けられた心地がした。張り裂けそうなほどに締め付けられて痛い。
「よし、完璧。行っておいで」
放心状態の螢は揚羽の手に押し出されるようにしてようやく一歩を踏み出したのだった。
螢がこの春から通い始める青巒高校は県内でも有数の進学校である。数少ない学校行事に厳しい校則、無駄に多い授業数、ことあるごとに読み上げる般若心経、褒めるべきところはトイレが綺麗なことくらいだよとは揚羽談である。
家からは電車を含めて三十分以上かかる。徒歩五分だった中学校のことを思い返すと遠い道のりである。
朝の通勤ラッシュの満員電車に揺られること数十分、どうにか最寄り駅に辿り着いた。
こんなに電車が混んでいるなんて。これじゃ痴漢も痴漢の冤罪もやりたい放題だ。こんな車両に揚羽姉さんが三年間も乗っていたなんて何とも許しがたい。あれだけの美貌だ。絶対に薄汚れたオッサンの魔の手が……。あ、揚羽姉さんが高校に入ってから早朝に登校していたのはそういうことか。
痴漢絶対に許すまじ。
そんなことを考えながら螢は改札を出たのだった。
ラブコメにおいて通学路というのは欠かせない重要な要素である。特に初登校時はヒロインとの運命的な出会いを演出するのにもってこいな場だ。古典的なもので言えば交差点でヒロインと激突とかだろう。遅刻ギリギリでイチゴジャムを塗ったトーストを咥えていたら高得点だ。クラスが同じで席が隣までいくと満点だろう。
螢はそんなくだらない事を考えながら春の麗らかな陽気の中を歩いていた。一応交差点があるたびにチャレンジしてみるがニアピンすらない。やっぱり遅刻ギリギリで来るべきだったか。でも初日から遅刻だと教師からの印象もよろしくないしなぁ。
道幅の広い歩道で交差点もしばらく先だったこともあり、螢は完全に油断をしていた。
しかしながら、思いがけない出来事というのはいつも唐突に脈絡なく訪れるものである。
「君っ、上、危ないっ!」
背後から悲鳴交じりの声が飛んできた。反射的に見上げた先には宙を舞う人影。咄嗟に身体が受け止める体勢を取ってしまう。逃げなきゃ俺も大怪我だという考えに至った時には時既に遅い。
螢は身体全体で衝撃を受け止め、切れずに後ろにひっくり返った。背中を丸めて後ろに衝撃を逃がす。
何とか最低限の受け身は取れた。勢いあまって後ろに投げ飛ばしてしまったがかなり衝撃を逃がせたはずだ。死んではない……よな?
受け止めようとした両手はジンジンと骨の髄まで痺れ、アスファルトを擦った尻と背中はヒリヒリと痛む。地面に擦ったのか右肘からは血も滴り落ちていた。
どうにか大怪我は負わずに済んだようだ。
そんなことより! 空から女性が降ってくるとはなんと運命的な出会いだろうか。主人公とヒロインが運命的な出会いをする場面として交差点の曲がり角と双璧を為す有名な設定だ。この出会い方をした女子はメインヒロインとしての座を約束されたと言っても過言ではないだろう。つまりは俺とこの子が結ばれるというのは運命だということで、いや、でも飛び降り自殺をするような女の子というのは大変かもしれないな。メンヘラ、というか重大な問題を抱えていることは確定だろう。
痛みに顔を顰めながらもゆっくりと起き上がって道路に倒れている女性に近づく。乱れてはいるが手入れされた綺麗な金髪、透き通るほど白い肌、華奢な身体付きながらも胸部だけが豊かな起伏に恵まれている。淡白ながらも綺麗なドレスに身を包んでおり、どこからどう見ても外国のお嬢様にしか見えない。
壊れ物に触るように優しい手つきで螢は少女の肌に触れる。柔らかくそれでいて押し返す反発性、ヒンヤリとした感触……。
「ラブドールかよぉぉぉおおおお」「大丈夫ですかっ! 今救急車呼んでますっ」
螢の慟哭と少女の逼迫した声が不協和音を奏でた。




