5 映画と告白
「星野」
「ん? なんだ山狩かぁ。どした~?」
翌日、螢はずっと話す機会を窺っていたが気が付くと三限目と四限目の間の休み時間になってしまっていた。
朝のホームルームが始まる前のこと。
「おおおおおはようございましゅっ」
螢が席に座ろうとすると隣から可愛らしい声が聞こえてきた。声優と言われても納得してしまうほどの良い声である。可愛らしいのは声だけではなく外見もだ。クラスで一番小さい身長にふっくらと肉付きの良さそうな体型。マスコット的な可愛さなのだ。
彼女の名前は福永公子、皆からは親しみを籠めてハム子と呼ばれている。
「おは——」
「ちょっと!」
突然ハム子の前の席から大声が飛んできたために彼女は椅子の上で小さく飛び跳ねた。
「ごめん、思ったより大きな声が出ちゃった」
振り返った男は両手を合わせて必死に謝るポーズをしていた。可愛らしくも目力のある瞳に少し濃い肌色、日本人というよりもタイ人と言われた方が納得できるような顔立ちをしている。部活は陸上部に入ったらしく最近はより一層肌が焼けた気がする。
彼の名前は原田将太、通称ハラショーである。
「今日提出の宿題の範囲ってどこか分かる?」
ハラショーはそう言いながら数学のワークを机に広げていた。
「珍しいな。ハラショーが宿題やってないなんて」
「塾の宿題が多すぎてこっちまで課題が回ってなくてさあはは」
「大変だな。ええと宿題の範囲は17ページから21ページだな。というか俺の写す?」
ハラショーは今にも喉から手が出て来そうな顔を浮かべるがゆっくりと首を横に振った。
「ありがと。でも自力でやらないと意味無いし頑張るよ。これくらいなら終わりそうだし」
真面目な良い奴だな。透哉なんか俺が許可する前にワークを写してんのに。爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
「えっとそのぉ、山狩君って栞ちゃんと仲良いよね?」
ハム子が内緒話をするような声量で話しかけてきた。
ガタンッと椅子を鳴らして返事をしたのは俺では無くてハラショーだった。
「悪くは無いと思うが。どうかした?」
「そのぉ、やっぱり栞ちゃんって美人でしゅよねっ」
再びハラショーが椅子をガタンッと鳴らす。今度はシャーペンの芯も折れたようだった。
「客観的に見れば美人に当てはまると思うが。それがどうかした?」
ハム子は視線をオロオロと右往左往させて挙動不審になっていた。
「かか関係ないでしゅっ。えとそのぉただ、さっき栞ちゃんがララララブレターを受け取ったとこ見ちゃって。山狩君がどう思うのかなぁって」
ドタンッ。ハラショーが椅子ごと後ろにひっくり返った。
「大丈夫か? というよりハラショーって栞のこと好きなのか?」
螢は耳元で囁く様な声で問いかけた。
「どどどうしてそれを!」
ひっくり返ったまま手足をバタバタさせている様子はカメのようである。手を差し伸べてようやく起き上がった。
「流石にあからさますぎだから。気付かない方がおかしいレベルだろ」
ハム子もコクコクとその言葉に頷いた。その動作は小動物めいていて、頭を撫でたくなってくるよ
うな、愛玩動物的な可愛らしさがある。
「そんなに分かりやすいのか。俺……」
「ん、僕以外の人と仲良くするなんて妬けちゃうじゃないか~。ハム子成分充電開始!」
うにょーんとハム子の頬が左右に伸びた。
「ひょっと~、千鶴ちゃんひゃめてよ~」
ハム子の後ろの席からちょっかいをかけていたのは目を見張るような美女だ。一年B組三大美女が一人、星野千鶴だった。
腰ほどまであるシルクのような輝きを持つ黒髪、綺麗や美人という言葉が軽く霞むほどの端正な顔立ちは正直他の女子たちとは一線を画すものだった。芸能人のようなオーラを纏い高校生にして既に大人の色香のようなものまで漂わせている。世が世なら傾国の美女と呼ばれていただろう。
外見のスペックだけで言えば揚羽姉さんに比類するかもしれない。ただ、なんというかだらしなさすぎるのだ。制服はまだ新しいはずなのに既に皴がついてよれよれである。そしてスカートの下には緑色の体操服の長ズボンを着用していた。
揚羽姉さん曰く、学校の外で着るのは憚られるほどのデザインである。実際、パジャマで外出する方が些かマシに思えるレベルだ。初っ端からそれを着て登校とは中々に肝が太い。
「えっへへ~、だってハム子の頬っぺた気持ちいいんだもん」
当の本人はそんな螢の視線には目もくれずハム子とのスキンシップを楽しんでいる。
「ハム子成分充電完了~」
しばらくしてようやく満足し終えたのかおずおずと自分の席へと戻っていった。そしてすぐさま机にうつ伏せになって眠る。
声を掛けるタイミングが微塵もなかった。
ほどなくしてズゴーととてもじゃないが美女から発される音とは思えないいびきが鳴り始めた。
見ていると思わず鼻を抓みたくなるのでつい視線を逸らす。
「で、何だったっけ? あ、ハラショー頑張れよ」
「あぁ」
ハラショーの何とも気のない返事はタイミングよく鳴ったチャイムの音にかき消された。
そして一限目と二限目の休み時間は星野が眠り続けていたために顔を見ることすら叶わなかった。二限目と三限目の休み時間は早弁しよーぜと透哉に誘われ、共にまだ開店前の食堂に忍び込んでいたために話しかける暇がなかった。
そして今、ようやく声を掛けられた。美術品のように整った顔がほんの僅かにだがこちらに向けられる。それだけで試されているような感覚に陥ってしまう。
ええと何だっけ。
螢はポケットの中にある例の映画のチケットをギュッと握りしめた。唇はカサカサに乾き喉から上手く発声できない。授業中にずっとどういう内容を話そうかと吟味していたにもかかわらず、その内容が全てホワイトアウトしてしまった。
「映画とか興味ないか? たまたま二枚ほど試写会のチケットがあるんだけど」
あれ? 滅茶苦茶ドストレートに誘った? まず好きな映画とかそういうところから外堀を埋めていこうって考えていたはずだったよな。今になって徐々に考えていた内容が湧きだしてきた。
「…………ない。全然興味な~い」
星野は俺の方から視線を外し、怠そうに机に声を出した。
完全に脈なしだ。そりゃそうだよな。いきなりそこまで仲良くもないクラスメイトに映画のお誘いをされても困るよな。うん、立場が逆だったとしても当惑しているだろう。
だが一応話しかけた以上言葉を続けるしかなかった。
「そ、そっか。百一回目の殺人予告って映画なんだけど」
その言葉は古代兵器を起動する呪文か何かだったのか。だらしなくうつ伏せになって寝ていた星野がガバッと顔を起こしこちらを真っ直ぐ見つめてきた。
本当に日本人離れした綺麗な顔をしている。ただその透き通った頬と机の間には涎が糸を引いていたが。
星野はそんなこと気にも留めずにじっとこちらを見ている。こうしていると精巧な作り物のようだ。いつかのラブドールを連想し、慌てて邪念を追い払うように首を振った。
何秒そうして見つめ合っていただろうか。星野はついには俺の腕を引くとそのまま走って教室を飛び出した。
クラスメイトたちが呆気に取られた表情でこちらを見ていた。ドアから出て行く瞬間、透哉とハッキリと目が合ってしまった。その顔が面白そうな玩具を見つけた時の子供のような笑みを浮かべる。
それを見ただけで後悔が押し寄せてきたが、それを上書きするように疑問が無限に湧いき上がってくる。
いきなりどうした? 何が何かさっぱりわからない。考えろ。何か地雷でも踏んだのか。
可能性としては百一回目の殺人予告と星野の間に何らかの関係性がある場合? 例えば星野が実は女優で映画に出演しているとか。これだけ美人だと可能性がないとは言い切れないから恐ろしい。
だとすると普段だらしなくしているのは演技の一環みたいなものか。出来る限り正体がバレないようにだらしない姿を演じていると。女優の姿を見られたとしても同一人物とはとても思えないくらいに。
連れていかれる場所はどうやら体育館裏のようだった。手入れがあまりされていないのか雑草が強い生命力をこれでもかと発揮している。普段から陽も差し込まないせいかジメジメとした薄暗い雰囲気が漂っている。
学生生活でこんなところに連れてこられるイベントが発生するとは。体育館裏に来る時なんてリンチか告白かと思っていたが実際はリンチ一択だろう。こんなムードもへったくれもない場所で告白するとか絶対にあり得ない。告白する奴のセンスを疑うレベルだ。
連れられるままに体育館裏に足を踏み入れようとした瞬間、話し声が聞こえた。このどこか聞き覚えのある声と口調。
「俺は栞さんのことが好きなんだ。入学式の時に一目見てびびっと来た。これが運命なんだって。俺たち絶対上手く行くと思うんだ。だから俺と付き合ってください」
告白する奴いるんかい!




