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剣戟の合間に

作者: 針井 龍郎

 目の醒めるような炸裂音が、コート内に高らかに響き渡る。

 瞬間。

 今まで完全に沈黙を保っていた三人の審判が、弾かれたように紅の旗を天に向かって突き上げる。一斉に沸き起こる歓声。

「メンあり! それまで!」

 主審の宣告。繰り返し行われた延長戦の末、ようやく勝負が決着した。渾身のメンで勝利をもぎ取った紅の剣士は、感情を表に出すこともなく礼を終え、ひとまず戦場を後にする。

「浅野先輩、やりましたね! 次も勝ったら、決勝進出っすよ!」

「へ、こんなもんや」

 近づいてきた後輩のねぎらいの言葉に片手を上げ、浅野は会場内の空きスペースに腰を下ろした。手早く面を外すと、滝のように流れていた汗が湯気となって、頭から立ち上る。先ほどの試合がどれほど激しいものだったかは、彼の真っ赤に上気した顔を見れば一目瞭然。


 面タオルで汗の流れる顔をぬぐい、彼はアリーナの観覧席の方に素早く目を走らせた。が、自校の集団の中にもその周辺にも、求める人物の影はかけらも見当たらない。

 午前中にバスケ部の練習があるが、遅くとも午後一時には会場に着けると言っていたはずだ。なのに、時計はすでに午後二時半をまわっている。何か変わった事でもあったのだろうか。

「先輩、月泉先輩なら、まだ来てはりませんよ」

「なっ……」 突然の後輩の一言に図星を突かれ、浅野は思わず息を詰まらせた。

「ち、ちゃうわい、アホ! お前は何を勘違いしとんねや!」

「あれ~? ホントにちゃうんですか?」

「何でもないわ、ちょっとぼーっとしとっただけや!」

 必死で否定しようにも、その慌てぶりはもはや肯定しているのと同義だ。後輩は浅野が舌打ちするのを聞いて、ニヤニヤと笑った。

 浅野はムスッとした顔で、再び試合場に視線を向ける。アリーナ内では、いまだに別コートで女子の部の試合が続けられている。次の試合までもう少し時間がかかりそうだ。浅野はタオルを面の上にかけると、袴の裾を整えながらゆっくり立ち上がった。

「松本、俺の試合まで、まだ時間ありそうやから、ちょっと便所行ってくるわ」

「はい、分かりました。あ、次の試合も頑張ってくださいね!」

 出入り口に向かう浅野の背中に、後輩が応援の言葉を投げかける。

「分かってるって」

 浅野はへらっと笑い返した。


 ◆


 喧噪に満ちた会場に一礼をし、後ろ手で入り口の扉を閉める。ほんの少し、竹刀の音が彼の耳から遠ざかった。左右を見回すが、通路には誰もいない。浅野は紺色の袴をひるがえし、正面玄関の前を通って男子トイレの中へ入った。

 が、彼は用を足すこともなく、すぐさま洗面台に直行した。そしてその白い台の上に両手をつき、上目遣いに鏡を覗き込む。はく息は熱く、浅黒い肌は赤く火照り、細い目には力強い意志の光がやどっている。体中をアドレナリンが駆けめぐる。体の調子は最高だ。

 だが、彼の集中力が高まれば高まるほど、心臓はますます早鐘を打つ。洗面台についた両腕は、先ほどから同じ調子で小刻みに震え続けている。

 尿意や便意など、実は露ほども感じてはいなかった。それらは単に、それとなく会場から抜け出すための口実にすぎなかった。胸の高まりを鎮めるため、一人になりたかったのだ。

 準決勝の相手に、浅野は一度たりとも勝ててはいない。過去に三度剣を交え、三度とも完敗。格の違いというものを、まざまざと見せつけられた。もちろん、彼自身もそれから必死で鍛錬を積んできたし、実力も確実に上がっているはずだ。それでも、彼は自分に自信が持てなかった。なにしろ相手は、三度も負けたことのある強敵。今の気持ちのままでは、試合をする前から勝負はすでに見えている。


「くそっ!」


 浅野は水道の蛇口を思いきりひねり、冷水を頭からひっかぶった。汗が混じった大粒のしずくが、ぽたぽたと彼の胴着の肩に落ちる。堅く握った右の拳を左の手のひらに打ちつけ、自らに気合いを入れ直す。乾いた音が、誰もいないタイル張りの室内に響く。

 気持ちが乗らないからといって、いつまでもこんな所でくすぶっては居られない。鏡を正面から睨み返す。一人の青年剣士の姿が、そこに映る。いくら強いと言ったところで、相手も同じ高校生。恐れることはないのだ。

 意を決して、彼はトイレから外に出た。


 会場を離れて外の空気を吸ったおかげか、武者震いも先ほどまでより大分ましになっている。兎も角、悔いの残らないような試合をしよう。たとえ負けてしまったとしても。

 深く息をはき出し、浅野はメインアリーナへの扉に手をかけた。


「泰之!」


 扉の開くけたたましい音。聞き慣れた声。


 浅野は反射的に後ろへ振り返った。膝に手をついて荒い息をする、ジャージ姿の女の子がいた。

 開け放たれた正面玄関から吹き込む風が、二人を優しく包み込んだ。

「鏡花……」

「よかった、まだ勝ってるんやろ? 間に合わへんかったら、どないしよ思た」

 勝ち気な光を湛えた瞳を浅野に向け、鏡花はにかっと笑った。活発そうなショートヘアーが、風に吹かれてさらさらと音を立てる。

「今日に限って練習が延長になってさ、必死になって走ったんよ。負けてたら走り損やったけど、間に合って良かった」

 首筋に流れる汗を手の甲で拭いつつ、彼女は浅野の方に歩み寄った。緊張のせいで固くなっていた浅野の頬が、今は心なしか弛んでいるようにも見える。

「べっ、別にそないに急いで来んでも良かったんや。俺はまだまだまだ負けへんし?」

「えー、ホンマに? 次で負けそうや、とか、情けないこと思てたんと違う?」

「何ゆーとんねん、アホ! 次かて、余裕で俺の勝ちに決まってるやろ!」

 腕を組んでそっぽを向く浅野を見、鏡花はくすっと笑った。本当に嬉しい時、彼は決まって相手と目を合わせようとはしないのだ。

「とっ、とにかく! もうそろそろ次の試合始まりそうやから、俺は行くで。上行って、よう見とけや」

 そう言って、浅野は右手を扉の取っ手にかけた。武者震いはいつの間にか止んでいる。あれほどまでに荒れていた彼の心は、今や鏡面のごとく鎮まっていた。

「うん、分かった。……絶対、勝つんやで」

「分かってるって」

 力に満ちた眼差しを鏡花に向け、彼は右手を押し込んだ。扉がゆっくりと開く。浅野は再び、戦場へと足を踏み入れた。


 こんにちは、針井龍郎です。

 今回の短編は、少しだけ恋愛の要素を加味した剣道小説です。とは言っても、剣道要素はほとんどないのですが(笑)。

 この短編は、いずれ執筆予定である剣道小説連載のための試作品です。剣道の要素をできるだけ削った上で、どれだけ剣道の雰囲気が出せるのか。これはそう言った主旨で執筆いたしました。

 感想をくださるならば、できるだけ正直な物をお願いします。細かい指摘など、大歓迎です。

 では、今後とも針井龍郎をよろしくお願いいたします。



2010年3月10日

 読了時間を5分に抑えるため、若干手を加え、文字数を少しばかり削りました。そのほか、表現を変更した部分もあります。改善出来ていれば幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませて頂きましたので感想を残していきますね。 事前に恋愛ものは苦手と伺ってたんですけど、嘘をつかれましたね(笑) 充分に恋愛作品だと思いましたよ。 後書きに細かい指摘をと書いてありまし…
[一言] 鏡を見ているとき、これまで三回負けたときの瞬間なんてのが脳裏によぎったりするかもしれません。 浅野が負ける姿。それは悔しいけれど、どこか清々しくもある。 最後まで読んだとき、こうなりそう…
[一言]  先日、私の作品への評価、返信での丁寧な貴方に惹かれ、来てみました。  文章は爽やかで読みやすく、上手いです。なんの問題もありません。  剣道くささは、試合が無くても剣道をしている感じが…
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