9.六文銭のすげぇ価値
「それはどういう」
俺の問いに青年がほんの少し瞼を伏せる。
人の良さそうな顔に憂いが走るのを見て、俺は言葉半ばで口を閉ざした。聞いてはいけないことだったのだろうか。
不自然な間を空けてから、青年が俺を見る。
「君はまだ、六文銭を持っているか」
「ろくもんせん?」
何だそれは。呪文か何かか。
問われた言葉が理解できずに眉根を寄せていると、追っ付け説明が来た。
「知らないならきっとまだ持ってるよ。たとえ『俄か』でも、仏式で納棺されているなら持たされているはずだから」
「な、何を」
「だから六文銭。三途の川の渡し賃」
金だよ、つまり。そう言って青年が懐から何やら布地のようなものを取り出す。
目の前で広げられたそれは、六枚の古銭を印刷したハンカチ大のペラい木綿生地で。
「うわ。クオリティ低い偽札だなー」
子供銀行も大爆笑の、もはや切り抜いてすらいない金に俺は呆れた。
【何言ってんの! ここじゃこれが通貨なんだよ! これがないと第一法廷から第二法廷に向かう途中にある三途の川だって渡れないんだからっ。地獄の沙汰も何とやら。だから納棺の際には必ずこの渡し賃を死者の懐に入れてやるんだ。自力で渡る豪傑もいるけどフツーは死ぬから。溺死だよ溺死。昔は罪の重さに応じて水深が変わるとかあったらしいけど、渡し船ができてからはぜーんぶ急流にしてアトラクション性を上げたんだ。大荒れ増水通常営業! 万が一無くしたら手前に広がる賽の河原で大遅刻必須の立ち往生だよ!】
「分かった分かった」
怒涛のごとく六文銭のありがたみを解く文字に苦笑して頷くと、青年が奇妙そうな顔で僅かに身を退いた。
え。何その反応。
青年の頭の中の文字が俺に見えていないことからこちらの会話が彼に見えていないことは想像できるが、だからといって何故そんな警戒するような眼差しを俺に向ける。
自分だって文字と会話する時は声出ちゃうだろー、と納得いかない思いを抱いていると、【そうそう】と軽い調子で文字が補足した。
【言ってなかったけど、分岐(あ、おれたちみたいな選択肢を提示する役割のやつのことね)って普通はこんなに喋らないから。最初に基本的なガイドをしたら、あとはポイントごとに選択肢を示すだけ。つまりこれルール違反。バレたらおれ叱られる。他の死者は頭の中の文字なんてシステム上の都合でたまに出てくるだけの無人格なものだと思ってるから、一人で喋ってると変な人だよ】
そういうことは先に言え。
青年の向ける眼差しの意味を知って、心の中で文字に不満をぶつける。声に出さないと認識できないのか、文字はどこ吹く風で反応しなかった。
「あれ、でも変だな」
ふと思い出して、俺は首をひねった。
「俺、最初にスマホ探して一通り持ち物改めたけど、こんなハンカチ持ってなかったぞ」
「そんはずは」
「ほんとほんと」
眉をひそめて訝しむ青年の前で、尻ポケットに手を突っ込む。
あの時見つけたものといえば、これだけだ。
「俺、金は財布に入れて持ち歩くタイプなんだけど、何でかポケットに入ってたんだよなあ。ほらこの小銭。これしかなかった……って、あれ?」
手のひらに乗せて見せた小銭は、よく見ると俺の知っている貨幣じゃない。真ん中に穴が空いていて五円玉に似ているが、サイズが違うし寛永通寳の彫りが入っていた。
「な」
【ひえ】
ずいぶん古びて小汚かったせいか、青年と文字が絶句する。
「なんだ。小銭ですらなかったな。えーっとなんだっけこれ。確か歴史の教科書で見たことある……」
【しっ、ししししし仕舞え――――――――! 今すぐ仕舞え! すぐ仕舞え!】
何だ、何だ。何事だ。
鬼から逃げる時並みにパニクった様子で文字が【仕舞え】と急かすので、俺は訳も分からず小銭を再び尻ポケットにインした。
「いや、あはは。見せびらかすようなものでもなかったなー」
不自然になった行動を取り繕うためにへらへら笑う。
「いや君、それは」
はっとしたように顔を上げた青年が何事か言いかける。その言葉を全て聞き取る前に、二人の間にさっと影が差した。