26.隠れ鬼
「はー……怖かった……」
膝から崩れ落ちて、俺はその場にへたり込んだ。
【怖かったのはこっちだ! 何なの! 何なの、ほんと……! うう、ぐす(泣)】
「ごめん、ごめん。ごめんな、文字。あとでちゃんと説明するから」
「……ついに頭が壊れたか」
かわいそうに、とアニが悲しそうな眼差しを俺に向ける。
あー、そうだった。こいつに文字のこと言ってないんだった。
面倒だなあ、と曖昧に笑ってごまかす。
息を整えてから立ち上がると、弾かれたように顔を上げた焔が俺の腕を掴んだ。
「待て。話が違う」
責めるような瞳は、俺が何をしようとしているのか察しているようだった。
「確かめるだけだと言った。騙したな」
「騙したわけじゃないけど……」
ちらりと鬼が走り行く方向を確認する。見失うわけにはいかなかった。
「何だ。俺にも説明してくれ」
【ほんっと、頼むわああああ。お願いします説明してえええ】
アニと文字が俺を問い詰める。焔の手が俺の腕に食い込んだ。
無理に押して通るわけにもいかず、俺は手短に事情を説明した。
「えーっとな。簡単に言うと、あの鬼は俺と隠れ鬼をしているつもりなんだよ」
「隠れ鬼?」
眉をひそめたのはアニだ。うん、と頷いて俺は続けた。
「まあ、人違いなんだけど。俺、あいつの兄貴に似てるみたいなんだ。だから兄ちゃんと間違えて俺を追っかけてくるんだと思う。俺に鬼をやらせたいんだよ」
あんちゃんと違って、ここでは誰も鬼をやってくれない。それもそのはず。だってドベ自身が鬼なのだから。
「あいつの望みは『兄ちゃんに見つけてもらうこと』だ。見つけてもらうには相手に鬼をやってもらわなきゃいけない。隠れ鬼で鬼役をやらせるには」
「鬼となって相手を捕まえる、か」
引き継いだ焔の言葉に、俺は再度頷いた。
「たぶん今までも、そうして似た人を追っかけては捕まえてきたんだろう。だけど死者は脆い。あんなのに捕まったら一発即死だ。よりにもよってあんなでかい体にされちゃ、尚更だ」
冥界は意地悪だ。もっと小柄で、もっとうまくしゃべれる体を与えてやれば、あるいはドベの望みは叶ったかもしれないのに。
着物と草履が普段着だった時代から、今日までずっと。ドベは何度も「あんちゃん」を追っかけて、何度もその手で消してきたに違いない。
掴んでも、掴んでも。誰も追いかけてきてくれず。
見つけてくれるかな、見つけて欲しいな、と、あんなに願っていた子どもは、今も誰にも見つけてもらえずにいる。
「だからさ。俺、鬼をやってやりたかったの。で、焔に頼んで、ちょびっと触れたところで助けてもらおうと」
【馬鹿!】
「命知らず!」
「死なせたかと思ったぞ」
最後に呟いた焔の疲れた顔を見て、やっぱりちょっと悪いことしたかな、と俺は頭を搔いた。
実際には、予定より早く動いた焔によって接触は阻まれてしまったのだが、ハッタリが効いたようで、ドベは俺に触ったと思ったようだ。
うまい具合に鬼を交代できた俺が、次にすべきことは一つだった。
あっ、と気づいた様子でアニが言う。
「まさか君、あれを追いかけるつもりか!」
「えへ」
【えへ、じゃない!】
驚愕するアニの横で、やっぱりか、と焔が顔をしかめた。
「信じられん……とんでもないお人好しだ……そうじゃなかったらものすごい馬鹿だ」
【ハイ! ハイ! おれものすごい馬鹿の方に一票!】
勝手に乗っかる文字にむむう、と閉口していると、焔が怖い顔で俺を睨んだ。
「やっぱり騙したな。確かめるだけだなんて言って、その実鬼を交代するために接触しようとしていたなんて」
「いや……確かめるためでもあったんだって。本当だよ」
夢と記憶が混じるなんてそんなことがあるだろうか。わずかに残る疑念は、いずれにしろ鬼が俺に触れた後に分かると思っていた。
「一石二鳥というか。二兎追うものは一兎も得……あれ?」
「馬鹿だ」
「馬鹿だな」
【馬鹿丸出し】
こういう時ばかり息の合う三人が、それぞれに俺をディスる。
「まあ、大丈夫だよ。今度は俺が追う側だし。かるーくタッチして帰って来るから、二人は先に進んでいてくれ」
【……本気っ⁉︎】
おれは一蓮托生だよ⁉︎ と文字が怯える。すまん、そこは諦めてくれ。
はあ、と大きなため息をついて、焔が俺の腕を離した。
「もういい。お前のことは信じない。勝手にしろ」
革手袋の左手で直刀を腰帯に差し込む。怒っているような感じではないが、口調が強かった。
身支度を整えた焔が、体を傾けて俺を見上げる。
「好きにすればいい。俺も勝手についていくことにする」
「え」
思いがけない言葉に狼狽える。どう反応するか決めかねているうちに、はーっ、と別の方向からわざとらしいため息が聞こえた。
「しょうがないなあ。俺も頭の弱いお人好しが心配だから一緒に行くよ。頭の弱いお人好しが心配だから」
「頭の弱いお人好しいっぱいいすぎだろ」
どっちがお人好しだ。
見捨てて行くことを選択できない二人に、俺はちょっと感傷的になった。
【待って? 待ってください? おれは行きたくないって言ってるよ⁉︎ やめよう! そんな自爆聞いたことないよ! タッチして平和に帰るなんてそんなの無理無理! 無理ゲーすぎる! や、め、よう、よおおお(泣)!】
一人抵抗を続ける文字を黙殺して、俺たちは赤鬼、改めドベを追うことにした。