20.ギャン泣きの赤鬼
つられて背後を振り返ったご婦人方の顔がみるみる青ざめる。
いや、それもう、ホラーとかで見るお約束の前フリ!
超絶に嫌な予感しかしないわけだが振り返らないわけにもいかないので、俺は観念してがばっ、と背後に目をやった。
【んぎゃあああああああ!】
「やっぱりいいいいいい!」
目の前にそびえ立つのは見覚えのある赤い肌。山のようにでかい身体に幅広の顔。もじゃ毛に腰巻にキラキラ光る黄金色の猫目……って、
「またお前かあ――――っ‼︎」
初手で散々追い回された赤鬼の再々襲来に思わず突っ込む俺。
ぐう、と大きな体躯を折り曲げて俺に顔を近づけると、赤鬼が嬉しそうに笑った。
「み つ け た」
しつこ――――――いっ‼︎
どうやら目をつけられたらしい俺は、必死のパッチ(パッチって何⁉︎)でご婦人方に向かって叫んだ。
「逃げてください! こいつ足はノロいから走ればきっと逃げきれる!」
ハッと我に返った「おまえ」さんと「ねえ」さんが転げるように駆け出す。
幸い離脱した二人には興味がないようで、赤鬼の大きな目玉は俺を捉えたままぱちぃ、ぱちぃ、と瞬きを繰り返していた。
【何で⁉︎ どうして⁉︎ 定時過ぎたのに何で働いてるの⁉︎】
「残業だろ残業! 日本の戦うサラリーマンが好きなやつ!」
【そんなの好きなやつなんているわけないよ!】
ぎゃんぎゃん言い合う俺(と文字)に向かって、鬼のでっかい掌が伸びて来る。
どうする。どうする。
焦りながらも、俺は自分の取るべき行動を判断しかねていた。
逃げて行った二人と同じ方向には向かえない。かと言って夜という油断から歩きやすい道を進んでいた俺達の周りには、先ほどの岩場のように身を隠してやり過ごせるような場所はなかった。
せめてみんなと逆の方へ走ってみるか? それとも先刻やったように背後に回って視界から外れる方が現実的だろうか。
高速でそんなことを考えている途中、俺はふと、鬼の大きな猫目の奥に何かを期待するような煌めきを見た気がした。
【ゆとり!】
弾けるようなモーションで文字が俺に警告を放つ。
一瞬の忘我だったが、これが命取りとなった。
気づいた時には鬼のぶっとい指先が俺の肩のあたりに迫っていて、行動する余地が無くなっていたのだ。
【うわああああああ馬鹿ああああああ!】
「ぎゃあ――――――っ‼︎ ぐえっ」
突然、もの凄い勢いで首根っこを後ろに引かれた。
高速で後退する上半身を追いきれず、鬼の手が空を切る。……はずが、鋭く尖った爪先がすれすれの所で俺の額を捉え、真一文字に切りつけた。
「いぎゃ――――――っ⁉︎」
痛い! 何これすっごく痛い! 俺死んだかも!
全身から血の気が引く中、俺は赤鬼の瞳がびっくりしたように見開かれるのを見た。
黄金の猫目に一瞬、怯えの色がよぎる。
何で、と思ったところで俺の首根っこを掴んでいた手が俺をぺいっと放り出した。
地面に叩きつけられた俺と入れ替わるようにして、小柄な人影が鬼に向かって飛び出す。
――焔だ!
黒い晴れ着を翻らせて、焔がガラ空きになった鬼の脇腹を直刀の鞘で思い切り叩く。
「あ あ あ あ あ あ あ」
悲鳴というよりは地響きのような声を上げて、鬼が両足を踏ん張った。
小さく呻いた焔が苦渋の表情で鬼の体を蹴って離れる。
おっさんズを叩き切った焔を持ってしても、あの巨体を一撃で仕留めるのは無理だったようだ。
「い た あ あ あ あ あ い」
脇腹を押さえて鬼が吠える。
倒すことこそできなかったが、打撃はしっかり効いたようで、ううう、と顔を歪めた鬼が大きな目にいっぱい涙を溜めた。
「う わ あ あ あ あ ん」
ぼろぼろと涙を零して、びりびり空気を震わせながら鬼が大声で泣きじゃくる。
「わ あ あ あ あ ん」
なんでぶつの? どうしてひどいことするの?
公害レベルの泣き声に悲しみと困惑が滲んでいる気がして、俺は何だか鬼が気の毒になった。
「立てっ、ゆとり! 逃げるぞ!」
「ぐええええ」
再度首根っこをひっ捕まえて、焔が鬼に負けない声で叫ぶ。
分かった! 分かったから首は離して!
ぐいぐいと引っ張られながら、俺は命からがら鬼の足元から逃げ出した。
姿が見えなくなるまで。見えなくなっても。
鬼はわんわんと泣き続けていた。




