初めて高級料理を食べる
男子寮の食堂は、学園案内のパンフレットで紹介された女子寮のものより広々としており、長机と背もたれつきの椅子がズラリと並べられ、とても豪華に見えた。こちらに来たときも感じたが、やはり女子よりも男子のほうが優遇されている。
男子は女子の1%以下しか居ないので当然だと受け止めているが、寮の全ての施設を十全に活用しようにも、男子生徒は少な過ぎた。
今は犬塚君たちと一緒に注文所に並んでいるが、アタシを含めても席が半分も埋まっておない。
「里奈様、男子寮の各施設は恋人や婚約者との憩いの場です。
なので本来は男女共同で利用するように設計されているのです」
「まっ…マジで?」
「マジです」
その割には自分以外の女子生徒は何処にも居ない。それ以外に食堂に居るのはシアタールームからくっついて来た男子生徒たちと、料理や配膳を行う食堂のお姉さんだけだ。そう考えると、ここは本当にアタシが使って良いものかと疑問が残る。
そんな自分の何となくの質問に犬塚君が答えてくれた。
「草食動物の檻の中に肉食動物を入れたくないから、皆女子生徒は呼ばないんだよ」
グイグイ距離を詰めてくる女子生徒を怖がる気持ちは、何となくだがわかる。少しでも油断すれば、押し倒されて既成事実を作られてしまうかも知れない。
一度そうなれば責任を取れと言われて、人生の墓場に直行させられてしまう。まあ踏み倒すことも出来るが、結婚とは今後の人生を左右する重大なことだ。
それを強引に結ぼうとする危険人物を招くのなら、警戒して当然だ。
「あー…なるほどね。でもさ、アタシも一応は女子生徒なんだけど。
何で男子寮に招いているの?」
おまけに初日に告白をはっきりお断りした。振ったことは既に学園の噂になっているし、二人にとっては恥なので口には出さないでおく。武士の情けだ。
「それじゃ、久野さんは僕たちを襲うつもりなの?」
「ふっふっふっ! 実はそのつもりだったのだ! かかったな! アホが!」
並んでいる間の暇つぶしに宮田君に向かって両手を高くあげ、アタシなりに怖そうな顔をしたまま大声で威嚇する。
「がおー! 食べちゃうぞー!」
もちろん冗談だが、彼はあろうことか頬を赤らめて照れながら視線を僅かにそらす。そんな宮田君の反応を、ちょっとだけ可愛いなと思ってしまう。
「僕、久野さんになら食べられてもいいよ。それとも逆に襲ったほうがいい?」
「えっと…いや…あの、冗談…なんだけど」
紅潮したまま照れ笑いを浮かべる宮田君の様子を見て、アタシは気恥ずかしくなり素に戻る。美形で線の細い彼がバッチコイと待ち構えているので、他の女子生徒なら一も二もなく食いついてお持ち帰りしていることだろう。
あとは上映会から注目の的だったが、食堂でも視線が集まっていて居心地が悪い。
「僕のほうはOKだよ。久野さんがその気になったら、いつでもいいから」
「いやー…きついっすわ。出会ったその日に即合体とか。
あまりにもハイレベル過ぎるでしょう?」
現実の恋愛脳や結婚願望を持たないアタシなので、宮田君なりの冗談を平然と受け流す。そしていつの間にか食堂のお姉さんの前まで辿り着いていた。
イタズラに引っかからなかったことを残念そうに感じる彼から顔をそらして、日替わりのAランチを注文する。
そのまま配膳台に向かうと、トレイの上に綺麗に並んだ美味しそうな料理が目に映る。
「ほほー…これが男子寮のAランチ! 初めて見たよ!」
「俺も初めてだ。まあ、今日が登校初日なのもあるけどな」
きちんと飾り付けられたメインの料理、それにご飯やパンだけでなく、透き通ったスープや、カラフルなデザートもセットになっている。
いつもの主食と白米のみ、たまに少量のスープか安いデザート付きとは凄い違いだ。何だか見ているだけでワクワクしてくる。
「はっ…早く食べたいんだけど!」
「ああ、席は一番奥を希望してたよな」
そう言って犬塚君が食堂の一番奥に歩いて行くので、アタシもルンルン気分であとに続く。幸いなことに場所は空いていたので、三人とも問題なく座ることが出来た。
カノンも付いて来て当然の顔をしているが、彼女は昔からずっと一緒だったので、後ろに立った状態でいても全然平気だ。
とにかく備え付けられた箸を持って手を合わせ、いただきますをする。
「うわぁ…これ凄い」
アジフライは外側がサクサクしていて、白身もふんわりだ。果実のソースも市販品ではなく特注の物らしく、少し酸味が効いており、油っぽさを消してくれる。
「久野さんは美味そうに食べるんだな」
「犬塚君は美味しくないの?」
「そうだな。今は前よりも、凄く美味しく感じるかな」
とにかく、見た目だけでなく中身も今まで食べてきた料理よりも断然上なので、アタシ的には大満足である。
三人で当たり障りのない話をしながら仲良く食事を取っていると、ふと違和感を感じる。
「気のせいかも知れないけど、何か集まって来てない?」
食材が溶けて透き通ったコンソメスープをすすりながら、思ったことをそのまま口に出す。食堂の席は半分以上空いているのだから、わざわざ奥に来なくても好きな場所に腰を下ろせばいい。
しかし今の状況は明らかに変であり、アタシたちの周りの席に男子生徒が集まっているのだ。
「きっと皆、久野さんのことが気になってるんだと思うよ」
「あははっ、そんなまさかー!」
適当に手をブラブラ振りながら宮田君に答えを返す。誰が好き好んでオタク系女子なんかとお近づきになりたいものか。
アタシ以上の容姿良し、成績良し、性格良しの優良物件など、この学園には掃いて捨てるほど居るのだ。
その割には先ほどからこちらを観察するような、そんな興味津々な視線をひっきりなしに感じるので、あくまでも念のために犬塚君にも聞いてみる。
「うっ…嘘だよね?」
「あー…久野さん。そんなことより食べ終わったらどうするんだ?」
「今露骨に話題そらさなかった!?」
質問に質問を返すという暴挙を犬塚君が行ったので、宮田君の言葉が正しかった証拠になった。アタシは大いに動揺しながら声をあげるが、何とか呼吸を落ち着けて会話を続ける。
こういうのは大抵一過性の好奇心なので、すぐに学園生活の中に埋もれていくはずだ。自分よりも遥かに魅力的な人はいくらでも居るのだから。
「はぁ…まあいいけど。食べ終わったあとは、当然女子寮の自室に帰るよ。
元々呼び出されて来ただけだからね」
「それなんだが、今晩俺の部屋に泊まっていかないか?」
何となくだがそうなる気はしていたので、トレイの上に乗った料理を綺麗に平らげて、微かな頭痛を感じながら温かい緑茶で喉を潤して、重い口をゆっくりと開く。
「あのさ、犬塚君はまだ若いんだから。もっと自分を大切にしたほうがいいよ。
間違いが起こってからじゃ遅いからね。
結婚という人生の墓場に行くのは、二十歳前でいいでしょう?」
茶葉まで良い物を使っているらしく、渋みの中で微かな甘味を感じる。実際に飲んだことはないが、きっと高級玉露にも引けを取らないはずだ。
またもやお断りをしたアタシに、犬塚君は真面目な顔をして問いただしてくる。
「俺が二十歳まで待つとして、久野さんのほうはどうなんだ?」
「いやー…アタシは進学せずに地方に帰るから、二十歳までは付き合えないよ」
共学に入るのが男性の義務だが、大学部に進むことも義務になっている。若い男女の出会いを少しでも増やしたいという政策らしいが、元々そっちの気がないアタシにはどうでも良いことだ。
だが世界中の女子は、結婚というゴールを目指して血の滲むような努力を続け、共学の狭き門を潜ろうと必死なのだ。
本当にアタシという異物が何故この場に居るのか、場違い感が酷い。
「地方に戻ったあとは?」
「んー…自宅で出来る仕事をしたいとしか考えてないよ」
高等科を卒業したあとはノープランだ。取りあえずお給料が少なくても家族のカノンと一緒に在宅ワークでも何とかやっていけたらいい。
緑茶にチビチビと口をつけながら、そんなことをぼんやりと考える。
「だったら俺と結婚しても問題ないな。子育て支援金は都会の平社員よりも遥かに上で、主婦としてずっと家に居られるぞ」
「確かにそうなんだけど、お金目当てで結婚するのは嫌だし。やっぱり好きな人同士じゃないと長続きはしないよ」
軽く伸びをしながら頭の中で考えていたことを、ポロッと口に出す。確かに二次元こそ至高だと日頃から感じているが、別に三次元を拒絶しているわけではない。結婚への欲求が薄いだけだ。
「ほら、夫婦は二人三脚での助け合いって言うでしょう?
犬塚君と宮田君がアタシを思ってくれていても、自分の気持ちは全然なんだよね」
心の底から好きな人が出来ればアタシも変わるかも知れないが、今のところは全くそんな気配はない。
今話したのは大災厄以前の価値観なので、現代社会に当てはまるかは微妙だが、自分の中ではそちらのほうが好ましいと思っている。
会話が途絶えてしばらく経ち、アタシは空になったコップをトレイの上に置いて一息つき、ゆっくりと席を立つ。
「とにかく、今日は誘ってくれてありがとう」
予期せぬトラブルに巻き込まれたものの、男子寮の食事にありつけたので、そこは感謝だ。後ろに控えていたカノンが、空になったトレイを持って洗浄台に運んでいく。
アタシも女子寮に帰ろうと一歩踏み出すと、いきなり右と左の手を同時に掴まれて動けなくなってしまう。
「あのさ、離して欲しいんだけど」
「今日は久野さんを帰したくない」
「男子っていつもこんなにグイグイ来るの?」
「それは久野さんが魅力的な女性だからだよ」
犬塚君と宮田君に両手を繋がれて立ち往生してしまい、どうしたものかと頭を悩ませる。自分は平凡以下の人間なのに、何故ここまで過大評価されるのか。
しかし呼ばれた用はとっくに済んでいるので、いつまでもこの場に留まってはいられない。
「間違いを起こすわけにはいかないし、さっさと女子寮に帰りたいんだけど」
「やはり男子寮に泊まっていかないか? 性行為は政府も推奨しているんだろう?」
「そりゃ必須科目だから知識としては持ってるけどさ!」
少しでも既婚率を上げるために、男性と女性が肉体関係を結ぶのは政府が推奨している。しかも成人年齢は大災厄以前よりも引き下げられ、一夫多妻もOKだ。
さらに非合法でなければ一妻多夫さえ認めている。そんな性に関しては寛容にならざるを得ないところに、男子の減少を一向に止められない政府の焦りを感じる。
試験管ベビーや人工授精では女性しか作れない。唯一男子が生まれる可能性があるのは直接の性行為のみ。つまり中出しである。
それでもガチャのSSR並の排出率の低さなのが、さらなる悲しみを誘う。
何にせよ高等科の彼らとアタシがニャンニャンしたところで、男子が性に消極的な時代に和姦とは、痛みに耐えてよく頑張った! 感動した! …と、偉い人から小言ではなくお褒めの言葉をいただき、大勢の前で表彰されてもおかしくない。
「だが断る! …と言っても離してくれなさそうだし、仕方ないから今日だけは付き合うよ」
「本当か! ありがとう久野さん!」
犬塚君だけでなく宮田君も満面の笑みを浮かべているが、二人して両手でアタシの手を握り、上下にブンブン振り回すのでかなり痛い。
そしてこちらを観察していた男子生徒たちも大喜びしている。中には恋人や結婚相手を見つけた者も居るだろうに、そういうことは他の女性に頼めばいい。恨みを買って刃物で刺されるのはごめんだ。なので、念のために確認を取る。
「まずさぁ、アタシとヤりたい人は二人以外にどれだけ居るの? はい、挙手!」
乗り気な男子生徒が居れば性の手ほどきをするべきだろう。それで彼らの不満が消えてスッキリするなら良し。
政府からすればアタシの膜が破れる痛みなど、コラテラルダメージのようなものだ。
しかし今は頭痛まで酷くなってきた。現在食堂に居る男子生徒全員が、元気よく手をあげたのだ。
彼らは皆が自分とズッコンバッコンしたがっているらしく、その顔はお猿さんのように赤く、鼻息を荒くして興奮状態だ。
生まれてから今まで抑圧され続けた性欲という感情をぶつけても、何の問題もない。やり放題の女子生徒を見つけたのだ、それはもうウキウキ気分だ。
彼らにとってはアタシならば全てを受け止めてくれる。自分という存在を好意的に受け入れてくれる。純粋に嫁にしたい者や、性に関するレクチャーを受けたがっている男子も居るだろう。
理由としては様々だが、それを行うための問題は山積みである。
「どう考えても体が保たないしアソコがガバガバになるわ!
そもそも一晩で終わる数じゃないでしょうが!」
アタシはキレた。現在食堂に集まっているのは十八人。一人の欠員もなく一年生から三年生の男子全員である。
自分は女子の中でも非力なので絶対に途中で力尽きる。そもそも一戦して最後まで保つかも不確定なのだ。
「久野さん。学園の授業よりも子作りや男子生徒のメンタルケア、それに精子提供が優先されるよ。
破れても最新の医療で膜は修復出来るから、問題は…」
「問題しかないでしょうが! 馬鹿! アホ! おたんちん!」
いつの間にか両手を離してもらっていたが、アタシは席に座らず立ったままだ。単位を落とす心配はないし、最新の医療で肉体的な問題も解決できるので大丈夫だと、宮田君はそう言いたいらしい。
確かに世界中の人口は年々減り続ける一方で崖っぷちだ。人工的に子孫を残そうとしても、遺伝子の劣化によりあと百年も保たない。
だからこそ直接の中出しを推奨しており、そのための性の授業は小中学校で何度も受けてきた。まさか自分が実践するハメになるとは思わなかったが。
それに昨今の男性の性欲は右肩下がりであり、ここまでお猿さんなら、回収した子種も元気いっぱいだろう。これなら遺伝子の劣化も殆どないかも知れない。
だが残念ながら、そこにはアタシの負担は全く考慮されていなかった。
「性欲ってのは一回やって満足したから、はい終わりなんていかないの!
大災厄以前の若者なら、絶対続けてヤりたくなっちゃうからね!
十八人全員が飽きるまで、ずっと娼婦の真似事なんて嫌だよ!」
言いたいことを口に出してスッキリしたが、食堂はしんと静まり返る。少し言い過ぎたと思うが、今さら止まれないのでこのまま押し通す。
むしろ冷静に聞いてくれる空気になったので、アタシの提案も通りやすくなったはずだ。
「なので条件を付けます!」
「条件?」
「それはゲーム大会で優勝した人だけに体を許すこと!
つまりこの上位ランカーであるアタシに勝利しない限りは、直接ヤるのは禁止! 駄目! 絶対!」
上位ランカーと言っても現代には総勢一名しか居ないが、野暮なツッコミはなしだ。そのまま上がったテンションのままに、アタシは突っ走っていく。
「このアタシの純潔が欲しければ、男子生徒の諸君は真の餓狼になるしかないのだ!
時間は今から三十分後! さっきアニメを鑑賞してたシアタールームに集合! 我こそはと思う挑戦者を求む!
だけど彼氏は募集してないから、やっぱり無理に来なくてもいいよ! 以上!」
肩で息をしながらも何とか喋りきった。いつの間にかカノンがアタシの側に近寄って、ガラスのコップに注がれた冷たい水を、そっと差し出す。
ありがとうと言いながら受け取り、乾いた喉を潤していく。その場の勢いとはいえ、とんでもないことを口走ってしまった。
「里奈様、負けたらその場で結婚式をあげましょうか?」
「カノン! そこは勝利の栄光を君にって言う場面でしょうが!」
「しかし、それは負けフラグでは?」
取りあえず犬塚君と宮田君の二名は参加決定だろう。他の男子生徒が面白半分に手をあげたにせよ、これだけ大見得を切ってシアタールームに自分一人だけ、…という恥ずかしい結果にはならないはずだ。
「とにかくカノン。アタシたちは一足先に行くよ。大会の準備とか色々あるし」
「はい、お供します。里奈様」
別にシアタールームで行う準備は思いつかなかったが、変に静まり返った食堂に留まる気にはなれなかった。
なのでアタシはカノンを引き連れて、この場から逃げるように早足で立ち去るのだった。




