上映会
男子寮のシアタールームは、まるで最新の映画館のようだった。そして男子生徒の不満を解消するための施設なので、とにかくお金がかかってるな…と、アタシはそんな感想を抱いた。それでも実際に使う男子はごく少数だろうが。
シアタールームは正面の空間にそのまま投影されるので、白い天幕は必要ない。座席はクッション性で百人以上が収容出来るようだ。
アタシは傾斜になっている席のちょうど中央の列に座り、はぁ…と大きく息を吐く。
寮の管理者の一人である若い女性が繋げてくれるらしいので、大量の娯楽を詰め込んだアタシの携帯ゲーム機を手渡す。
バックアップは取っているが、長年使って愛着が湧いている。国が毎月くれる少ない小遣いを、必死に貯めて買ったのだ。
手荒に扱って壊されるの嫌なので、他のデータには触れずに丁寧に扱うようにと口を挟んでおく。
「最前列じゃなくていいのか?」
「迫力はあるけど、長時間見てると首が疲れるんだよ。
あとはポップコーンとコーラがあれば最高なんだけどね」
犬塚君の質問に答えて深く身を沈める。映画館は数は少ないが辛うじて残っている。殆ど恋愛映画ばかりが繰り返し上映されているので、アタシが利用した回数は数えるほどしかない。しかし大災厄以前の情報を合わせれば大体の雰囲気は掴める。
なお、外出するのが難しい男性が、そのためだけにわざわざ足を運ぶ施設ではないだろう。
ともかく、ようやく気持ちを緩める余裕が出来たので周囲を見回すと、自分たち以外の男子生徒も各々の席に座り、楽しそうに談笑していることに気がついた。
何故このような事態になっているのかわからずに驚くアタシに、トレイに乗せられたジャンボサイズのポップコーンとコーラが差し出された。
「どうぞ。ポップコーンとコーラになります」
「ありがとう。…って、カノン! 何でここに居るの!?」
「里奈様が男子寮で騒ぎを起こしていると。そう呼び出しがありまして」
「そっ…そうなの。何か色々とごめんね」
そのまま他の席に座る男子生徒にも寮の女性管理人が複数人で、ポップコーンとコーラを順番に配っていく。
これはアタシが映画館で鑑賞するならと…そんな方針であり、他の男子が好きかどうかはわからないのだが、見た感じは喜んでいるようだし口に合わなければ残せばいいかと、そちらは意識の隅に置く。
「現場に駆けつけると、直接の被害報告は出ていないので何の問題もありませんでした」
「久野さん、そろそろ始まるよ」
カノンを立たせたままでは他の客の迷惑になるので近くの席に座らせる。そしてシアタールームの照明が落とされて暗闇が広がる中で、アタシはとても緊張していた。
これは今まで自分が隠していた黒歴史を、大勢の前にさらけ出す行為だ。もし大爆笑されるようなことになれば、羞恥心で死にたくなる。
順番に再生されるようにあらかじめ設定していたので、近未来の世界を舞台としたアニメの第一話であるオープニングが流れる。
誰一人として声をあげず、皆が大画面に映し出された迫力満点の映像に見入っているのがわかる。
その後も途中で何度か休憩を挟みながら上映会は続き、折返しの十三話で体への負担を考えて終了となった。
周囲が少しずつ明るくなり目が慣れてくると、近くの男子生徒が鼻をすすったり涙を流している人が居ることに気づく。
そしてあろうことか、最初は一人が拍手を送り、すぐにシアタールーム中に広がり、興奮が収まらないのか、アタシ以外の全員が立ち上がり、正面ではなくこちらに向けてスタンディングオベーションを行う。
彼らは口々に感動した! とても良かった! 続きが気になる! 明日も頼む! …と大好評だが、聞いているとどうにも小っ恥ずかしくなってしまい、会場が静まってきたところで顔を赤くしながら立ち上がり、慌ただしく言い訳を行う。
「こっ…このアニメはアタシが作ったわけじゃないの!
ずっと昔の人が頑張って築き上げた娯楽なんだよ! 自分はそれを旧ネットの海から拾い上げただけ!
つまりアタシを褒め称える必要は一切ないわけ! 以上! 証明終了!」
そして言うべきことを言い終わったとばかりに、アタシはすぐに着席してもう殆ど残っていないコーラに口をつけて、動揺する気持ちを落ち着けようとする。
拍手は収まったものの相変わらず注目されているので、自分の顔は赤いままだ。
「あっ…アタシの携帯ゲーム機返してもらわないと!」
「それなのですが里奈様。今現在は予約待ちになってしまい、戻って来るまで少し時間がかかります」
「…えっ? よっ…予約って…修理の予約? もしかして故障したの?」
昔のゲームや漫画、アニメやその他色々が乱雑に詰め込まれているが、ハードディスクの空きはまだ余裕がある。
そして少しばかり乱暴な使い方をしても、簡単に壊れるものだろうか。アタシは首を傾げながらカノンの答えを待つ。
「いえ、里奈様のデータの複製を希望する男子生徒が多数現れました」
「そっかー。でも、データのやり取りってそんなに時間かかったっけ?」
大災厄以前ならまだしも、現代ではデータのコピーなどあっという間に終わる。それこそ途方もない容量を保存していない限り、一分もかからないだろう。
だがカノンは呆れたような顔をしたまま小さく息を吐いて、答えを口に出す。
「里奈様が私に命じて収集しているデータが、一体どれだけの量になるか知っていますか?」
「カノンは今まで食べたパンの枚数を覚えているの?」
子供の頃に旧ネットの海で昔の娯楽に触れてから、カノンに頼んでサブカルチャーに関するあらゆるデータを、収拾及び整理整頓してもらっていたことを思い出した。
携帯ゲーム機に入っているのはアタシが特に気に入っている物で、残りは家のサーバーで厳重に管理している。
「里奈様、アンドロイドの私はパンは食べませんよ」
「だよねー。知ってた」
「ちなみにそれは、吸血鬼の台詞ですよね」
「流石はカノン! わかってるねー!」
生真面目なカノンに一瞬ネタをスルーされたのかと思ったが、やはりアンドロイドらしく、頭の弱いアタシとは違い、集めたデータはしっかり記録していた。
シングルマザー役の彼女との関係は、母でもあり気安い友人でもあるという感じだ。そして殆どの人は機械として扱うが、稀にどっぷりと依存して離れられなくなってしまう者もいる。
アタシはどちらかと言えば後者だが、適度な距離感を保てているので今のままの関係でいたいものだ。
「ひょっとして家のデータからも引き出してるの?」
「はい、まずは全てをまとめて、各々が使いやすいように整理整頓から始めなければいけないので。私一人では時間がかかりそうです」
男子生徒も同じアンドロイドを持っていればデータのやり取りは楽だが、所持しているのは女性だけだ。
これには色んな理由があり、まずアンドロイドは女性タイプしか存在しない。そしてその殆どがブラックボックスの塊であり、複製こそ出来るが変更を加えると不具合が起こるか自壊する。
それでも現代社会を維持するためには、彼女たちの協力が必要不可欠だ。
だが見目麗しく何でもそつなくこなす自動人形が男の側に居ると、人間の女性に興味を失う可能性が高い。つまり結婚率が低下することを恐れたのだ。
なのでアンドロイドとの接触は必要最低限に留め、厳しい審査を通過した人間の女性を複数人で母親として付き添わせ、男児の管理を徹底して極力ストレスを与えないよう、蝶よ花よと大切に育てられる。
アタシのようにその辺の路上に捨てられた泥だらけのジャガイモではなく、男性は温室栽培で徹底管理された美しい薔薇の花とかそんな感じだろう。
「しかし本当に、何でアタシが共学に放り込まれたのわからないよ。
社会的地位は女子校よりも高いから、お小遣いが増えたのは嬉しいけど。…謎だね」
「里奈様は成績も容姿も体力も並以下ですからね。
携帯ゲーム機を購入するのに苦労していた頃が懐かしいです」
子供の頃は良い成績を取ったり偏差値の高い学校に入学するか、容姿や体力や女子力が等優れていれば、国から支給される月々の補助金が増える。
しかしアタシはあまりそういった努力をする女性ではなかった。なので無料のネットサーフィンを楽しんでいるとき、大災厄以前のサブカルチャーを見つけたのだ。
結果的にそちらに夢中になり、学校の成績が中の下まで落ち込んだり、支給されたお金の殆どを女子力磨きではなく、オタク系の趣味に回していた。
なので男を落とそうと切磋琢磨している女子生徒たちとは馬が合わなかったが、アタシは別に自分が不幸だとは思っていない。
そんなモブの中のモブの自分が、日本国屈指の難関である共学に通っているのだ。しかも試験を受けていないにも関わらず、何故か合格通知だけがアタシ宛に送られてきた。
「こういうのは大体黒幕がいるんだけど、アタシは学園長が怪しいと思うんだよね」
「政府が裏で糸を引いていると、俺はそう考えるぞ」
「僕は外国の組織が先導しているほうに一票かな」
上映会が終わって暇だったのか、すっかり明るくなったシアタールームで、隣の席に座っていた犬塚君と宮田君が会話に混ざってきた。
入学前は男子と話す機会が来るとは思わなかった。当初は話すときには極度な緊張状態になると予想していたが、アタシにとっては女子も男子も殆ど変わらなかった。
そして銀色の髪のクラスメイトが、親しそうに微笑みながら自分を食事に誘ってきた。
「それより久野さん、そろそろ日が暮れるし男子寮で晩御飯食べていかない?」
「いいの? 男の子が普段どんなのを食べてるのか、気になってたんだよ!」
「僕も久野さんが普段何食べてのか気になるよ」
普段の食生活はカノンにお任せでオタク趣味が第一だったので、宮田君に聞かれるまでは気にしたことはなかった。
自分には答えられないので頼りになるアンドロイドに顔を向けると、彼女は静かに口を開く。
「里奈様は政府からの支給品で済ませています。
そして社会的ランクが高いほど、品目が増えて味も良くなります。
しかし残念ながら成績は中の下で、女性としての努力もしませんでしたので」
そうカノンに聞かされてもさっぱりわからないだろう。アタシも頭の中にハテナマークがたくさんなのだ。
そこまで話した優秀なアンドロイドは、もう少しだけわかりやすく答えてくれた。
「男子生徒の皆さんが、毎日食べている料理の品数と食材を半分以下にした食事。
それが普段の里奈様が食べている物です」
つまり逆にアタシの好物のアジフライ定食を数倍にグレードアップさせたものが、普段の男子生徒が食べている料理だということだ。
流石蝶よ花よと甘やかして育てられてきたことだけはある。最優先保護対象は伊達ではない。
「ええと、くっ…久野さん。何かごめんね」
「気にしなくていいよ。アタシは自分の身の丈ぐらいわかってるからね」
「里奈様には高級な食事よりも、ゲームや漫画やアニメのほうに興味を惹かれています」
宮田君が謝ってくれたが、カノンの言った通りだ。男子生徒が普段から食べている料理には興味があるが、アタシにとってはサブカルチャーのほうが大切だ。
旧ネットの海から引っ張り上げるだけで、通信費と電気代だけで遊べてしまうのだ。社会的地位が低い自分にとっては、これで十分に幸せだ。
「ふははっ! 今は悪魔が微笑む時代なのだ!」
「里奈様は逞しいですね。きっと核の炎で文明が崩壊しても生きていけますよ」
「その時はカノンも道連れだからね!」
「はい、お供します」
カノンとの茶番が終わったのでよっこいしょっと席を立つ。犬塚君と宮田君だけでなく、周囲からも興味津々な視線が送られてくるが、アタシを注目しても何も出てこない。中身の女子力はスッカスカだ。
「皆の迷惑だろうし、食堂に着いたらなるべく隅っこの席に座りたいんだけど」
上映会はアタシが開いたので一番良い席に座らせてもらった。しかし食事を御馳走になるのは二人の善意であり自分はお客さんなので、他の男子生徒に迷惑をかけないように隅っこに寄るべきだろう。
「迷惑ではなく大歓迎だが、久野さんが気になるならそうしよう。
ところで、さっきの悪魔が微笑む時代って」
「うん、ある漫画のね。多分普段から体を鍛えてる犬塚君には、ピッタリじゃないかな?」
短い黒髪でガタイも良い犬塚君には、世紀末を拳一つで乗り越えていく漫画は合っていると思う。本人が気に入るかどうかは別だが、ジャケットと肩当てを装備した彼を想像して、アタシは自然と小さく吹き出す。
「久野さん、そっ…その笑顔…」
「えっ? 何?」
「あー! 早く行かないと寮の食堂が混むかも! ほらっ、久野さん! 早く!」
「えっ? あっ…うん、そうだね」
犬塚君が何か言いかけた気がするが、焦った宮田君に強引に手を引かれてシアタールームの出入り口に向かう。
やがて取り残された彼は一瞬戸惑ったものの、頭をかいて大きく溜息を吐き、カノンより少し遅れて早足で歩き出すのだった。