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精神病患者

 八月中旬になっても匿名掲示板のお悩み相談は止むことはなく、噂を聞きつけた男たちが楽園に引っ越したいがために、嘘の書き込みをすることが多くなった。

 たとえ罪を犯しても男性が罰を受けることはない。せいぜい厳重注意を受ける程度だ。逆に女性のアタシは毎日が綱渡り状態で、僅かでも足を滑らせたら奈落の底に真っ逆さまである。


 だがたとえ誤認だとしても救援要請を偽ったのは男性だという事実さえあれば、アタシは罪に問われることはない。

 それでも警察が押し入った先の家族は皆青ざめていた。いくら隣の芝生は青いとは言え、わがままで人に迷惑をかけるのは許されない。

 さらには逆に男だと偽り、親族が面白半分に書き込む場合があるので、頭が痛いったらない。


 なので嘘の通報案件は一度は許すが、二度は何らかの罰則を受けさせ、三度は全国古典ゲーム大会の出場資格を取り消すと、大会の決まりに付け加えた。

 これだけやっても虚偽の書き込みは完全には消えないので、嘘を嘘と見抜けないアタシでは、匿名掲示板を使うのは難しいのかも知れない。


 それでも全国古典ゲーム大会は連日連夜大盛り上がりであり、アタシは居間のソファーにもたれて隠しきれない疲労を感じながらも、ノートパソコンのキーボードを操作するのに忙しい。


「疲れた顔をしてるわね」

「そりゃまあ、色々手が足りないからね」

「悪かったわ。里奈ちゃんの夏休みの課題は免除にするから」

「ありがとう」


 正直お母さんとカノン、そして政府や企業の手を借りても大会の運営は激務だった。このような試みが初めてなのもあるが、一番の問題は男性とサブカルチャーを深く理解している人物が、アタシ一人しか居ない点だ。

 手足がたくさんあっても頭脳は一つだけなので、それら全てを自分が動かさなくてはいけないのだ。


 しかし課題が免除になったことで、少しだけ余裕が生まれる。

 そして大会の運営以外に、引き取った男子の精神安定のために、こまめに顔を見せなければいけない。ちなみに彼らは日々増加しており二十人に増えた。

 本来のアタシは母親でも運営でもない普通の女子高生なのに、やることだけは山積みである。


「そう言えば今日は、男子が送られて来る日だっけ?」

「そうよ。全国の病院の入院患者がね。…あら? 噂をすればかしら?」


 ソファーに腰かけているアタシとお母さんに、扉から静かに入って来たカノンが近づて来て、護送車が到着しましたと、報告を行う。

 女性恐怖症やストレスで精神を病んだ患者が、自分に会っただけで回復するとはとても思えない。

 しかし日本政府や医療関係者は藁にもすがる思いで、駄目で元々、やって見る価値ありますぜ! …と、自信満々に太鼓判を押してくるのだ。


「まあ試験のようなものだから、三人だけで少ないしね」

「私も流石に無理が過ぎると思うわ。もし駄目でも気にすることはないわよ」


 もし病状が軽ければ、底なし沼に沈む前に光に向かって手を伸ばし、アタシはそれを掴むことが出来る。

 だが入院患者はもはや救いを求める気力もなく、ただ死なないようにに生かされているだけだ。

 自分がどれだけ助けようとしても、相手がそれに見向きもしなければ何の意味もない。


 溜息を吐きながらも、母子は二人揃ってソファーから立ち上がり、案内役のカノンのあとを付いて行く。

 向かうのは豪邸の玄関で、既に家の中に入っているらしく大きな扉を背にして、車椅子に乗せられた男子が三人と、介護のために同行した看護師が三人ずつ、すぐ側に控えていた。

 それを見てアタシは、つい本音がポロッと口から出てしまった。


「看護師はアンドロイドじゃないんだね」

「患者は男性で看護師も女性。あとは言わなくてもわかるわね?」


 男性を甲斐甲斐しくお世話する女性看護師はとても絵になる。だが相手は体を動かすことはおろか、受け答えもろくに出来ないほどに深く心が傷ついている少年だ。

 それこそ夜中に性的なイタズラをされたとしても、悲鳴一つあげられない。彼女たちが手を出したとは言わないが、不安要素は取り除いたほうがいい。


「病気を治す気があるなら、アンドロイドに交代させたほうがいいよ」

「それは、……その通りね。今回は里奈ちゃんの意見を尊重するわ。

 回復の見込みは薄いし、どうせすぐに病院に戻ることになるわ」


 お母さんは看護師の三人を説得し、元の病院に帰ってもらう。流石に政府や企業、医療関係の偉い人がバックアップしてくれると、意見が通りやすいようだ。

 そしてただ家に引き取ることが目的ならば、看護師たちは大反対するだろうが、これは夏休み期間中だけの試験だ。

 きっと、今だけはわがままな女子高生に付き合ってやる。素人が何をしたところで、どうせ無駄に終わって恥をかくから…と、こちらを見下すようなことを考えたのだろう。


 去り際にアタシに怒りに満ちた眼差しを向けてきたことから、敵愾心がバリバリであった。こちとらやりたくてやってるわけではない。

 貴女たちよりもずっと偉い人から、どうしてもと頼まれただけだ。しかし全く伝わっていないようで、相も変わらず世の女性からの評価は底辺どころか、地に潜っているらしい。


 そんなことを考えている間にも学園長は手持ちの端末を操作し、医療用アンドロイドの手配を進める。だがそこで、アタシは待ったをかける。


「里奈ちゃん、医療用アンドロイドに交代するんじゃないの?」

「アンドロイドならカノンが居るし、まずは自分で色々試してみたいの」


 人間の女性と違って男性の患者に変なことはしないが、それでも劇的に回復するとは思えなかった。

 心を病んだ女性の治療はアンドロイドが行うことも珍しくはないが、実際の能力は人間の医者と大差がない。

 なのでまずはアタシが試そうと思った。医者やアンドロイドとは違った目線で患者を観察すれば、何か切っ掛けが掴めるかも…と、そんなことを考えていた。




 彼らを預かって一週間が経った。正直病人の介護を舐めてた。今すぐにでも投げ出したい。

 大部屋に三人分のベッドを並べてカノンに手伝ってもらいながら、体を拭いたり紙オムツを取り替えたりと、毎日がとても忙しいし体力も使うのだ。

 豪邸で生活する同じ男子も頻繁に顔を見せては、ベッドに横になっている患者に、明るい声であれこれ話しかけている。

 そして天気の良い日は車椅子を押して、屋敷の広い庭を散歩したりする。その際には男子も手伝ってくれるので、ちゃんとお礼を言っておいた。


「そして一週間が経ったけど、簡単な受け答えなら出来るようになったと」

「…うん」


 夕焼け色が空に広がる午後六時に、もっとも回復の早かった中学生の男子に質問する。他の二人も目覚ましい速度で心が癒えているようだが、まだまともに喋れないのだ。

 アタシは彼のベッドの近くに丸椅子を置いて、録音や映像の記録係としてすぐ側にカノンを立たせて、彼の答えを静かに待つ。


「意識はあったの?」

「…うん」

「回復した切っ掛けとかわかる?」


 切っ掛けさえわかれば、女性恐怖症に苦しむ他の患者たちの治療に役立てられる。

 しかし意識があったとは予想外だ。アタシがぶつくさ言いながら嫌々オムツや寝間着を変えていたところも、バッチリ見られたんだろうなと。心の中で冷や汗をかきながら、彼の答えをじっと待つ。


「ゆ…め…?」

「有名? それとも夢かな?」

「…ゆめ」

「夢のほうかぁ。内容は?」


 本人もよくわかっていなさそうだが、夢だとはっきり口に出した。しかしそれで回復するとはにわかには信じられないので、彼がそう判断した根拠を知りたいものだ。


「毎日…お…母さん…の、…夢…見た」

「母親の夢ね。まあ回復の可能性としてはあるかもね」


 入院する前に育てていた保護者の夢らしいが、現実に戻る可能性としてはありえない話ではない。きっと良い母親だったのだろう。

 女性からの性的暴行へ恐怖に怯えて、暗い闇の底で心を閉ざしている彼を癒やしたのは、慈愛に溢れた母の愛だった。

 ノンフィクションのドラマが作られて、日本全国で大ヒットするのは間違いない。それぐらい奇跡的な出来事で、いい話であった。


「ちが…う」

「でも今、お母さんって…」


 お母さんであって母親ではないとはこれいかにと思ったが、彼はまだ動かし辛いはずの手をあげて、震えながらも真っ直ぐにアタシの顔を指差す。


「……えっ? アタシ?」

「…う…ん」


 肯定の返事をしたところで、慌てて患者の腕を取って楽な姿勢へと戻す。せっかく回復の兆しが見えたのに、こんな所で無理をさせるわけにはいかない。


「アタシの夢が回復の切っ掛けかぁ。夢と現実がごっちゃになってたのかな?」

「お母…さんは、とても優しく…て、温か…かった」

「そっ…そうなんだ」


 彼の母親とアタシがごちゃ混ぜになっていたのだろうか。そう言えば自分が一生懸命介護しているとき、ベッドで横たわっている男子が突然泣き出す事件が相次いだ。

 慌ててカノンに精神分析をしてもらうと、肉体には全く異常はなく患者の感情が大きく揺さぶられたのだろうだと、そんな変な結果が出た。

 特に問題はないので、里奈様は今まで通り介護を続けてください…と言われ、首を傾げながらも男子を裸にひん剥いて、上から下まで全身を拭いてあげたのだった。


 あれは羞恥心で泣いていたのではなく、母親アタシに優しくしてもらえて嬉しかったのだと、今さらながらはっきりと理解した。


「酷いこと…しない、し…怖く…ない。優しい…お母さん…大…好き」


 いきなりの不意打ちを食らって、アタシの感情までもが大きく揺さぶられる。自分は彼をお腹を痛めて生んだわけではない。

 そして名義上の母親でもなく、ただ一時的に引き取って経過を観察しているだけだ。そんな相手に、まさか大好き宣言されるとは思わなかった。

 思わず丸椅子に腰かけたまま自分の胸を押さえて、よろめいてしまう。


「きっ聞き取り調査はここまで! はいはい! やめやめ!

 急にたくさん喋って疲れたでしょう! 今日はもう休もう!」

「平気…もっと、お母…さん…の、役に…立ちた…い」


 これ以上会話を続けると、アタシのほうが変になってしまいそうだ。何となくだが胸の奥がキュンと締めつけられて、嬉しさと切なさが混ざりあったような理解不能な感情が生まれる。

 結婚の予定はないので一生理解することはないと思っていたが、もしかしたらこれが母性愛というものだろうか。


「アタシの役に立たなくてもいいから! 病気をちゃんと治すこと!

 キミはそれだけを考えてればいいの!」

「わかっ…た。お母…さん、あ…りが…とう」


 彼はぎこちなく微笑んで目を閉じると、短い時間にたくさん喋って疲れたのか。ベッドに身を沈めたまま、すぐに安らかな寝息を立て始めた。


「はぁ…寝ちゃった。よく頑張ったね。キミは生きてるだけでも十分偉いよ。

 それじゃ、また明日ね」


 アタシも精神的な動揺が酷いので軽く溜息を吐いて、起こさないように小さく声をかけてやや乱れたシーツ整える。

 そして最後に彼の髪を軽く撫でてあげると、くすぐったそうに身動ぎして笑顔になった気がした。


 他の二人のベッドメイキングも済ませたので、扉を開けて病室から廊下に出ると、窓の外の景色はすっかり宵闇色に変わっていた。

 近くにアタシとカノン以外誰も居ないことを確認し、病室では一言も発しなかった彼女が口を開いた。


「心の傷を里奈様の母性愛が埋めて、持ち直したようですね」

「つまりアタシのことを本物の母親だと勘違いしてる男の子ほど、心の回復が早いってこと?」

「はい、他の二人も同様の夢を見ている可能性が高いです」


 アタシの後ろをトコトコ付いて来るカルガモの雛が、また増えた気分だ。多分今の自分はチベットスナギツネのような顔をしていることだろう。

 しかし彼ら三人に回復の見込みが立ったのは、純粋に嬉しい。逆に世間の自分への評価が上方修正されるのは、とても辛い。


「今まで誰からも愛されることのなかった男子に、母性愛で癒やして立ち直らせる。

 素晴らしいです。まさに愛の起こした奇跡ですね」


 カノンはにっこりと微笑みながら、小さく手を叩いてアタシを褒め称える。人間ならば軽い冗談だろうが、アンドロイドなので多分本気で喜んでいる。


「母親から愛を貰えなくても、病院でいくらでも…」

「病院は看護師や医師、患者や見舞客からも狙われて大変危険です」

「男子は最優先保護対象のはずなんだけどなぁ」


 医療が発達した現代になり、人は死ににくくなった。それでも肉体の傷は治せるが、心は簡単はいかないのは、昔と殆ど変わっていない。

 それでも万全の状態で治療を行っていれば、遅かれ早かれ退院は出来るはずだ。


 だが一年、二年と病棟に籠もったきりで、外にも顔を見せずに回復の兆しすらないのは明らかにおかしい。

 結局病院内で居てくれたほうが、女性たちにとっては都合が良いのだろう。


「うーん、真っ黒!」

「現代社会は白よりも黒のほうが強いですからね。

 ほんの一滴垂らすだけで、周囲の者までたちまち闇に飲まれてしまいます」


 もちろん女性の全てが男性を利用しようとする黒ではなく、中にはアタシのような灰色も存在する。だが彼女たちは状況次第ではどちらにも転ぶ。

 ちなみに現代は黒のほうが強く、皆すぐに堕落してしまうのだ。


「これはもう相当強い白が出てこないと、どうしようもないね」


 こういうとき二次元なら光の戦士とかが出てきてパパっと解決するのだが、世の中そう上手くはいかない。


「はい、ですので里奈様。頑張ってくださいね」

「…誰が?」

「里奈様です」

「アタシが? 何で?」


 カノンに尋ねるがとても嫌な予感がする。若干顔を引きつらせながら彼女を正面から見つめる。頼むからアタシの予想通りにならならないで欲しい。


「今の歪んだ世界を正常に戻せるのは、里奈様だけです」

「ははっ! 御冗談を!」

「私と学園長、そして政府と企業の関係者も本気ですが?」


 皆はアタシに何を期待しているのか。自分はただの女子高生であり、世界を変革する力など持ってはいない。そんなのはソレスタルビーイングにでも任せておけばいい。

 アタシは先の見えない綱渡りを、おっかなびっくり続けていくだけだ。これ以上自分に期待するのは止めてもらいたい。

 だがアタシたちの乗ってしまった列車は、途中下車が出来ないことはわかっているで、このまま突っ走るしかない現実に黒く染まりそうだ。


「嫌だー! 普通の女子高生に戻りたいー!」


 そしてとうとう我慢出来ずに大声を出してしまう。そんな魂を込めた絶叫は、夜の闇に包まれた豪邸によく響き渡った。

 騒ぎを聞きつけて何事かと集まって母さんと男子たちに事情を説明するのに、アタシはとても苦労したのだった。

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