楽園
お悩み相談に、『助けて』と書き込んだ少年は無事だった。その男子は高校三年生で、母親たちから毎日のように性的暴行を受けていた。
警察が男性の住む家を強制捜査に踏み切ったのは、大災厄後に初めてだった。大抵は未然ではなく不幸な事件が起こってから、現行犯で逮捕するらしい。
つまり彼らが死亡するか肉体や精神が壊れてから、然るべき手続きを取り捜査が開始される。そして証拠隠滅に失敗した者のみ、表に出てくるのだ。
本当の母親から男児を買い取り、別の母親たちが徹底管理で育てあげる光源氏計画など、余程社会的な地位が高くて、金と権力を持っている者しか実行には移せない。
全てがそうだとは言わないが、邪な情欲に駆られた母親も相当な数が存在するらしい。
「良かったわね」
「そうだね」
昼食後の居間にアタシとお母さんが二人でソファーに腰かけて、テレビのニュースを何となく眺める。
画面の向こうでは、息子に性的暴行を行った母親たちが逮捕されて、警察の車に乗せられる映像が流れ続けている。
しかもそれだけではなく、他の男子たちの書き込みにより、それ以外の事件も明るみに出ることになり、母親や妻たちが逮捕される映像が、続々とテレビに映し出される。
これまで表に出ていた事件は、ほんの氷山の一角だという噂は本当だったらしい。
「性的暴行が本当なら、科学調査を行えばすぐ明らかになるわ。
言い逃れは見苦しいだけよ」
「せやかて工藤!」
「でも完璧ではないから、探偵の出番もちゃんと残ってるわよ」
アタシはノートパソコンを開いて大会の経過を見ながら、お母さんの言葉に適当に相槌を打つ。娘を持つ母親としてアタシの好きなサブカルチャーを理解しようとしてくれた。なのである程度はネタが通じるようになった。
ちなみにお母さんのお気に入りは3年B組のドラマで、熱血教師に憧れているらしい。明らかに時代の流れに逆行しているが、自分も大災厄以前の娯楽が大好きなので、ツッコミは野暮というものだ。
「あのさ、お母さん」
「何かしら?」
大会の進行に問題が起きていないことを確認できたので、一息ついて今度はこちらからお母さんに話を振る。
「本当に家で引き取るの?」
「ええ、そのつもりよ。里奈ちゃんは彼らを助けたいのでしょう?」
「それはー…そうなんだけどさ」
肉食系の母親や妻が逮捕される中で、成人男子はともかくとして、まだ保護者が必要な男子の面倒を誰が見るかで、日本全国で仁義なき女の争いが勃発中である。
自分ならもっと上手く光源氏計画を行う。純粋に息子が欲しい。身寄りのない子供を可哀想に感じた。…等と理由は様々だが、相手は精神も肉体も限界寸前にまですり減らされた男子たちだ。
ほんの些細な切っ掛けで、彼らは今度こそ壊れてしまう。ガラスのハートというやつだ。しかもカバーガラス並の薄さと耐久力しかない。
「それとも彼らのことは嫌い?」
「そうじゃないよ。ただ、アタシの後を付いて来るんだよ。
カルガモの雛じゃないんだからさ」
男子の引取先が決まるまでの間、取りあえず受け入れ先としてアタシの家、つまりこの豪邸が選ばれた。
女の子を育てるアンドロイドは居ても、男の子は彼らを育てたいと申し出る人間の女性から選ばれる。不平等で歪な社会構造だが仕方ない。
せめて次こそは金や地位ではなく彼らを息子として接してくれる、良い母親に引き取られることを願うまでだ。
そして七月が終わって八月に入ったばかりだが、現在この家には十人の男子が暮らしている。
まだ日本全国から続々集まって来ているので、だだっ広い豪邸に母と娘とカノンの三人と、管理人たちだけよりはマシだが、男子は皆元気いっぱいのようで毎日騒がしい。
「百歩譲って家が受け皿になるのはいい…いや、全然良くないけどさ。
主にアタシのプライバシー的に」
掲示板で助けを求めた後、難を逃れて家で引き取った男子は、アタシとお母さんのプライベートエリアへの侵入を禁止にした。
そうでなければ自室は言うに及ばず、風呂やトイレまで遠慮なしに踏み込んでくるのだ。
初めての犯行現場はお風呂場だった。しかも男子がではなくアタシが標的になったのだ。二十四時間自分を監視している母とカノンが駆けつけて、怪我をさせないように引き剥がしたので、純潔が散らなかったのが幸いだった。
しかしあの時はちょっとだけ怖かったなと、浴室での出来事を思い出す。
「今までよく頑張ったね。もう大丈夫だから、我慢せずに泣いてもいいんだよ」
「うぅ…おっ…お母さん! うわああああん!」
ほんの少し怖かったで済んだのは、高校生の彼がアタシとニャンニャンする前に、突然大泣きしたからだ。
結局流れ続けるシャワーを放置してしばらくの間、お互い裸のままで抱き合うことになった。だがそこ止まりである。
多分生まれて初めて心を許せる存在を見つけ、感極まって泣き出してしまったのだろう。
そんな小さな子供のように泣きじゃくる彼の背中を、アタシは優しく撫でてあげた。最後には安心したのか心地良さそうな顔で寝入ってしまった。
なお、抱きついた瞬間に暴発したのか、アタシの太股がヌルヌルになっていた。これでは採取は無理なので、相変わらず大きなコアラのように抱きついている彼を引き剥がしたあとに、シャワーと石鹸で念入りに洗い落としたのは言うまでもない。
そのような事情もあり、豪邸を移動するときは純潔を守るためにもカノンを連れ歩くようになった。
彼らは廊下ですれ違うたびに元気よく挨拶をして、屋敷の敷地内を仲良く駆け回っているので、触れれば割れるカバーガラスのハートにはとても見えない。
引き取った男子たちとは、談話室で仲良くゲームをしたり、アニメや漫画の話で盛りあがったりと、年の差や性別は関係なく良いお友達だ。
それが行き過ぎて恋人や結婚相手に立候補する男子も居るが、自分にその気はないため、きっぱりと断っている。
外に出れば放っておいても寄ってくるので、これから先の人生では、女性との出会いには事欠かないだろう。
ちなみに夏休みが終わったら、アタシの在校している学園に転校、もしくは自宅から通える範囲の小中学校に通う予定で、他の母親に引き取られて他所に引っ越す気は全くないらしい。
アタシとしては勢い任せだったが、犬や猫を拾って家に持ち帰ったようなものなので、もし里親が見つからない場合は、仕方ないので最後まで面倒を見ようと考えている。
しかしそれでは納得しない女性は大勢居るので、恐怖症が治って心身共に回復したら、里親候補と会うために他県に出張するのが望ましい。
「男子の仮宿として仕方ないと思ってるけど、入院患者までこっちに送るのっておかしくない?」
アタシが家の中のことを振り返った後、お母さんがそう言えば…と、入院患者の件を切り出してきたので、至極当然の疑問を口にする。
「病院でカウンセリングを受けるより、里奈ちゃんに預けるほうが回復が早いだろうと、政府や医療の関係者はそう判断したのよ」
「でもさぁ、いくら何でも…」
「一時的に引き取った子たちも、最近は目に見えて明るくなったでしょう?」
辛い過去はなかったことには出来ないが、限りなく薄めることが出来る。それはアタシの家で楽しい思い出をたくさん作ることだ。
毎日が楽しければ、自室に引き篭もって暗く沈んでいるのが馬鹿らしくなる。しかしそれには大きな問題があった。
「でも依存症が酷いんだよね」
「それは私も頭が痛いわ。本当にどうしたものかしらね」
この依存症とは、彼らをカルガモの雛に例えた場合、母親はアタシになる。
今は一緒に暮らしているので心身共に安定して元気いっぱいだが、もし離れ離れになったらどうなるか。好き好んで実験する気はないが、どう考えてもろくな結末にならない。
久野里奈は男子にとっては特効薬だが、依存性が高く、定期的に摂取しないと不具合が起こるのだ。
「里奈ちゃん、私の家が世の男性から何と呼ばれているか、知っているかしら?」
「んー……エデンだっけ?」
「そう、この家は男性にとっての楽園なのよ。外は地獄とも言うわね」
自分はその地獄で十五年間暮らしてきたが、何とも思わなかった。だが男性にとっては別で、身内すら信用できない性犯罪者予備軍が闊歩する地獄なのだ。
「古来より地獄には悪魔が住んでいるわ。その者たちは楽園に破滅や支配をもたらそうと画策するのよ」
お母さんの言葉を聞いて、アタシは猛烈に嫌な予感がしてきた。
「そろそろ女性の不満が溜まってきたから、何とかしろって?」
「それもあるけど外の男性の不満もね? ほら、里奈ちゃんとお近づきになりたい子は多いじゃない」
またもや頭痛の種が増えただけではなく、仮想敵としての女性だけでなく、今まで大人しくしていた男性まで敵に回る四面楚歌ぶりに、アタシは思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。
これではもし自分が結婚したら、男女関係なく刺されてナイスボートする事件が起こるかも知れない。
アタシはサブカルチャーを楽しめさえすれば、それだけで幸せだったのだ。
「どうしてこうなった!」
女子校を卒業したら地元の会社に就職して、雀の涙ほどのお給料でも生活必需品ぐらいしか使う予定がない。あとは大災厄以前のサブカルチャーを自室でゆったりと楽しむ、独身貴族生活が定年まで続くはずだったのだ。
「…と言うか、全部お母さんのせいだよね!」
「そっ…そうだったかしら?」
それがお母さんが特別枠として共学に入学させたせいで、自分とその周囲だけで完結する生活が、男子と女子、学園、県外、日本全国と、物凄く広がってしまった。もうアタシ個人が背負える規模ではない。
「普通に地元の女子校に進学してれば、こんなブレーキの壊れたトロッコに乗らなくて済んだのに!」
アタシが天寿を全うするまでは、少なくとも人類が滅びることはない。人口は減り続けているので多少の混乱はするだろうが、労働力はアンドロイドが補ってくれる。
未来のことは自分以外の誰かに任せて、アタシはのんびりと余生を過ごそう。…そう考えていた。
「でも今さら見捨てられないし!ううー……ああもう!」
「あっ…あの、里奈ちゃん。落ち着いて…ね?」
「だらっしゃー! オタク系女子舐めんなよ!」
お母さんが何とか落ち着かせようとしているが、全く効果がない。既に日本中を巻き込んでいるので、もし失敗すれば学園だけでなくこの国にも居場所がなくなるのは間違いない。
もはや形振り構ってはいられない。どうせならやれることは全てやったうえで、三河武士のように前のめりで誇り高く倒れてやろうではないか。
「お母さんにも手伝ってもらうからね!」
「はいっ! 喜んで!」
大災厄前に存在していた居酒屋のように、大声で承諾してくれたお母さんを満足そうに見つめて、これからの計画を頭の中で一生懸命考える。
ただの女子高生が思いつくことなど、たかが知れている。だが世の男性を味方に付けたアタシは、そう簡単には止まらない。
たとえ前例のなくても、彼らが強く希望するのならゴリ押しも可能なのだ。
「家の男子を留学させるよ」
「……えっ?」
「休日には家に帰っていいから。その際にはアタシもここ居れば問題ないでしょ」
「それを実現出来れば、他県からの文句は出ないでしょうね」
男子は国の宝であり、それは都道府県にとっても同じだ。だからこそ遠方には行かせずに、自らの懐の奥深くに留めておくのだ。
つまり現在では留学制度は残ってはいても、男性など利用しないし、させないのが普通だ。
「週末と長期休みに帰って来る実家はここだから、うちの県にはそれで納得してもらう。
あとは男子を日本全国に散らして、少しでも味方を増やすの。……出来る?」
「休日毎の送迎が面倒だけど、何とかしてみるわ。学校関係者を説き伏せるのも問題なしよ。
それに男子という極上の餌に、食いつかない女はいな……ここに居たわね」
マジマジとアタシを見つめるお母さんに対して、不満気に頬を膨らませる。人を珍獣みたいに、自分以外にも百合も腐女子も世の中には居るのだ。
それと比べればアタシの性癖はノーマルでまだ可愛いほうで、ただ結婚願望がないだけだ。
それに学園長も自分と同じように、男性を見ても何とも思っていなさそうだ。アタシの視線に気づいたのか、彼女はにこやかな笑顔を浮かべて口を開く。
「私は愛娘の里奈ちゃんが居れば他には何もいらないわ。
それより問題は…」
「まあ、楽園から追放しないといけないからね」
せっかく見つけた楽園を追われる気分とは、どんな感じなのだろうか。そして家に集まっている男子を説得するのはアタシの役目であり、これは自分にしか出来ない。
留学を切り出すのは早いうちが良いということで、アタシは気が重いが席を立つ。お母さんに行ってきますと一言告げて、この時間なら皆が集まっているであろう、談話室に向かうのだった。




