男子と生まれて初めて遭遇する
さっくり進んで、さっくり終わる予定です。
今から百年以上も昔に、人類は一度滅びかけた。男性のみに感染する致死性の病気が世界中に蔓延して、男女比はたったの一年足らずで1対99という酷い状態になってしまった。
しかし人間は生き残ることに貪欲で案外しぶといらしく、歴史的な大災厄に叩きのめされてもへこたれずに、文明を維持するために法律を変えたり、人工授精や試験管ベビーで人口を補ったり、それでも足りない労働力をアンドロイドに任せたり、生命を守るために不要だと判断したモノを切り捨てたりと、崩れかけた世界を守るために必死に頑張った。
それでも人間の数は年々減り続け、一度たりとも好転したという報告は聞かない。
しかし人間が生きていくための必要最低限の復興は、辛うじて果たすことが出来た。大災厄以前に人類が築いてきた、とある文化を置き去りにしてだが。
そんな終末感漂う現代の日本で、狭き門である男女共学の学園に向かうため、久野里奈は自家用車の助手席に腰を下ろしていた。
ちなみに愛用のノートパソコンで日課のネットサーフィン中でもあった。
「あのさ、カノン。本当に学園に行かないと駄目なの?」
そして隣の運転席に身を沈めてハンドルを手にしているが、オートモードで車を操作しているメイド服を着た美女に尋ねる。
彼女は人と瓜二つのアンドロイド、カノンK-0083だ。そんな見目麗しい自動人形は表情を殆ど変えずに、アタシに絶望の答えを返す。
「はい、里奈様は見事に狭き門を通過して学園に通う権利を得ました。
これはとても誇らしいことです」
アタシは茶髪癖っ毛メガネ系女子で、女子力の欠片もない控えめな体型だ。おまけに今は死語になっているがオタク趣味で、成績が中の下で平凡である。
そんな自分が男性が通うという共学、その最難関の試験をパスできるとは思えない。これは何かの間違いだ。
「アタシは地方の女子校でいいよ」
「現代では男と結婚出来ない女は最低のクズ…とまでは言いませんが、社会的な地位はかなり低いです」
「結婚願望はないし、そもそも女子力が最底辺の自分にまともな出会いがあるとは思えないんだけど」
これから向かう学園のパンフレットには耳障りの良いことしか書かれていないが、ネット上で調べた限り、裏では女子生徒同士の争いや男子生徒の奪い合い、または入学後の男子の自殺や、妬みにより刃物を振り回す事件など、火種は事欠かない。
特に貴重な保護対象を刺し殺したり、絶望の未来に耐えきれずに自殺するまで男子生徒たちを精神的に追い詰めるのは、非常に深刻な問題である。
そんな世界の闇を煮詰めた蠱毒のような学園には行きたくないが、一度入ってしまえば全寮制で授業料免除、社会に出ればたとえ結婚していなくても共学卒だと一目置かれるようになる。
でも男と付き合ったり結婚生活を過ごすのは大変だし、それより気ままな独り身でテレビゲームを遊んだり、漫画やアニメを見てるほうが絶対に楽しい。
そもそも見た目も中身もモブの自分では、絶対にこの先生き残れない。早々に他の女子の恨みを買って、包丁で刺されることになるんだろうなぁ…と心の中で嘆いていると、車は無慈悲にも駐車場に到着して、ゆっくりと停車してしまう。
四月の入学式で、窓の外には桜の花びらが舞い散っており、とても綺麗な風景が見えるが、アタシの気分は全然晴れやかではない。
「私もシングルマザーとして今日まで里奈様を育てましたが、まさか共学の女子生徒に選ばれるとは思いませんでした」
「だよねー! アタシもそう思うよ! 共学の入試なんて受けてないのにさ!」
進路希望の一番から三番まで地元の女子校をしっかり記載したのだ。それが原因は不明だが、日本有数の共学の高等科に放り込まれてしまった。
冗談ではない。自分はテレビコマーシャルに出てくるモデルのように、女神もかくやという抜群のスタイルを誇っているわけではなく、洗濯板よりも少しだけマシな胸とお尻だ。
さらに髪もあまり手入れはしてないので茶色い癖っ毛のボブカットで、別にお姫様のようにキラキラとは光り輝いてない。
しかも今どき珍しくコンタクトレンズではなく、地味なメガネをかけている。
成績も中の下なので普通レベルの女子校でさえ、進学出来るかさえ怪しい。だが共学は入学審査こそ難関だが、一度入ってしまえば男子生徒がストレスなく学園生活を送れるようにと、授業そのものは割と簡単らしい。そう考えればこんな自分でも卒業は出来るかも知れない。
車の中で入学したくないなー…と、往生際が悪く留まっていると、カノンがドアを開けてしまったのでアタシは溜息を吐きながら、勇気を持って一歩外に踏み出す。
「では私は荷物を持って一足先に女子寮に向かいます。里奈様の健闘を祈ります」
「そうだね。ここまで来たら仕方ないし、平穏無事な学園生活を送れることを切に願うよ」
カノンが一礼して去って行ったので、アタシも他の女子生徒と同じように駐車場から離れて、あちこちに点灯している立体映像の掲示板を見ながら、指示されている体育館を目指して足取り重く歩いて向かう。
「ええと、体育館で新入生を集めて入学式。そのあとは各自の教室に向かう。
ん? ……あれ?」
掲示板と紙のパンフレットを交互に見ながら、これからの段取りと小さく口に出していると、大通りの前方に女子生徒たちの人集りが出来ていることに気づく。
「君子危うきに近寄らずかな」
しかし大通りを塞ぐように円形に女子生徒が固まっているので、はっきり言ってとても邪魔だ。
そして気にならないと言えば嘘になるので、近くを通り過ぎるときに横目で様子を伺うことに決める。
距離が近くなったので中心を観察すると、一人の屈強な男子生徒が大勢の女子生徒に取り囲まれて、顔を青くしたまま小さくなって震えていることに気づく。
「うわぁ、男子怯えてるじゃん」
もちろん女子生徒たちには男子生徒を怖がらせたいわけではなく、純粋な親切心から心配そうな表情で声をかけている。
しかし現在の男女比率は1対99であり、しかも共学を目指す者ほど結婚願望が高く、肉食系女子ばかりとなる。
逆に蝶よ花よと無菌室で甘やかされて育った男性は心身共に脆く、殆どが草食系に偏ってしまった。つまりオスのウサギは、メスのライオンが溢れる外の世界が怖くて仕方がないのだ。
そんな救いを求める男子生徒にアタシの呟きが聞こえたのか、何故かこちらに真っ直ぐ視線を向けてきた。
「たっ…助けてくれ!」
「……へっ?」
さらには彼は視線だけではなく手まで伸ばすので、男子生徒とお近づきになろうと集まった女子生徒は、間抜けな声を漏らすアタシに一体何者なのかと注目する。
助けを求めた相手がまさか自分のはずはないと、右を見て左を見て、もう一度右を見て、最後に自分自身の顔を指差す。
「もしかして、アタシに言ってるの?」
男子生徒からの返事はないが、青い顔のままでコクコクと首を縦に振るので、どうやら本当に助けを求めているらしい。
しかしアタシは彼が困っている理由を知らないし、それを尋ねると十中八九ややこしい事態になる。だが今ここで伸ばされた手を振り払うと、さらなる面倒事に発展してしまう。
ならばと腹をくくり、アタシは人集りをかき分け男子生徒に駆け寄る。そして驚いたフリをして大声をあげた。
「大変だー! 顔色が凄く悪いよ! 急いで保健室に連れて行かないと!」
彼の意思を無視して強引に手を掴んで立たせようとする。遠くからではわからなかったが、この男子生徒は全身に筋肉がついており逞しく、綺麗な黒色の短髪をしているようだ。
そんな屈強な男子はインドア派で非力な女子が両手で一生懸命引っ張っても、立たせるどころか微動だにさせられない。
しばらく一人で大きなカブを引っ張っているような気分を味わわされたが、これでは埒が明かないと考えて、ゼエゼエと息を切らせながら両手を離す。
「あっあのさ! 引っ張ってるアタシが間抜けだから、そろそろ自分で動いてくれない?」
周囲の女子生徒からも一人でパントマイムをしているアタシに、哀れみの視線が向けられるがアタシは悪くない。全ては目の前の男子生徒のせいだ。
「すっ…すまない!」
「謝罪とかいらないから! さっさと保健室行くよ!」
この言葉を受けて彼は慌てて立ち上がり、アタシを見下ろす形で頭を下げる。しかし本当に謝罪は求めていない。
そして一度手を貸してしまった以上は最後まで面倒を見るべきだと考え、後ろを振り返らずに歩みを進めると、人集りが自然に分かれて道が出来る。
「そう言えば保健室の場所は知っているのか?」
「えっ? そんなの知らないけど?」
女子生徒たちの人集りに見送られたあと学園の校庭を適当に歩いていると、体格のいい男子生徒が後ろから話しかけてきたので、アタシは立ち止まって面倒そうに振り向く。
近くで見るとやっぱり大きく感じる。自分が小さいだけかも知れないが、それでも威圧感が凄い。
「しっ…知らない? 嘘だろ?」
「だってあの場から離れる理由が、それ以外思いつかなかったし。
それに貴方が女子生徒を怖がってるなら、とにかく女性が少ない場所に行かなきゃ駄目でしょ」
肉食系女子に襲われる男子は珍しくない。性的暴行を受けても怖くて言い出せない男子もかなりの数が存在するらしく、事件になっているのは氷山の一角という話だ。
もし彼が被害者ではなくても、小さな頃からそんな猛獣のような視線に晒され続ければ、女性が苦手になって当然だ。
アタシの考えを察したのか彼は静かに頷くと、真っ直ぐな答えを返す。
「確かに俺は女子に恐怖している。そして遅くなったが、あの場から連れ出してくれて、ありがとう」
「どういたしましてー」
人が少なくてもまだ女子生徒は近くに居て、こちらの様子を伺っている。しかし彼の顔色はかなり良くなっており、震えはすっかり止まったようだ。目の前の自分に笑いかけるぐらい余裕があるのは良いことだ。
お礼を言われ慣れていないのでアタシは少し照れながら、手をひらひらと振って適当に受け流す。
「しかし不思議なのは君は全く怖くないということだ。他の女子生徒と何が違うんだ?」
「結婚に消極的だからじゃない?
助けてくれって手を伸ばしたから連れ出しただけだし。そうじゃなきゃ、アタシは完全にスルーしてたよ」
直接の指名がなければ彼のことは他の女子生徒に任せて、アタシは素知らぬ顔で入学式に向かっていた。
だが関わって面倒に巻き込まれたと感じるものの、今は直接感謝の気持ちを告げられたので、そこまで悪い気はせずに手を貸して良かったと想っている。
「しかし自分のことながら情けなく思う。
俺は女子を跳ね除けるために体を鍛えてきたのだがな」
「そうなの? でも凄く強そうだよ?
両手で引っ張ってもびくともしなかったし、対面すると威圧感凄いし」
今もアタシを見下ろしながら話しかけて来ているが、彼が本気になれば非力な自分なんて一捻りだ。
もちろんそんな乱暴なことはしないだろうが、男子生徒は異性の目線から褒められて気を良くしたらしく、顔を綻ばせる。
「例えばだが、どんなことをされると女子生徒は怖がるんだ?」
「んー…古典的だけど、強引に壁に押しつけられたり…かな?
押さえ込まれたら身動きが取れなくなるし、威圧感が相当酷いことになるよ」
旧ネットの海で拾ってきたゲームにそんなシーンがあった。ヒロインに言うことを聞かせようと、強引に壁に押しつけるのだ。
手に汗握る迫真の場面で、プレイしているアタシの心臓もドキドキしたものだ。
「それはこんな感じか?」
「そうそう、そんな感じ…って、顔が近い! 近いから!?」
彼はいきなりアタシを校舎の壁に追い詰め、両手を顔の両側に押し当てて、さらに距離を縮めてくる。
突然の予想外の事態にみっともなく取り乱すアタシを眺めて、小さな声を漏らして笑う。周囲で様子を窺っている女子生徒たちが、大きくざわめいていることがわかる。
「君の名前を教えてくれないか?」
「えっ? あっ…アタシは、久野里奈だよ!」
「そうか。俺は犬塚信也だ。よろしく」
「よよよっ…! よろしく!」
先ほど女子生徒に囲まれていたときとは真逆で、今の犬塚君は自信に満ちあふれている。そんな彼の顔が徐々にアタシに近づいてくる。恋愛はゲームの中だけでしか体験したことのない自分は、あっさりと脳内キャパを越えて耳まで真っ赤になってしまう。
「久野さんは可愛いな。里奈さんって呼んでいいかな?」
「いやいやいや! 出会ったばかりでいきなり下の名前とか! 踏み込み過ぎでしょう!?」
「そうかな? 久野さんは魅力的だから、きっと他の男子生徒が放っておかないと思うぞ」
誰がこんな地味系メガネ女子と付き合いたいと思うものか。犬塚君が特殊なのだ。あとは危ないところを助けたので、きっとそのせいだ。
「そっ…そう! 吊橋効果だよ! 絶対そのせい! つまりは錯覚! ノーカン! ノーカン!」
「あははっ、久野さんは面白いね。ますます気に入ったよ」
明るくにこやかに笑う犬塚君は体に触れているわけではないが、お互いの距離は変わらずに近いままだ。正直ドキドキが止まらないので、両目を開けて視線を合わせるだけでもかなり辛い。
恥ずかしくてどうにかなってしまいそうなので、赤面したままそっぽを向いているのが今のアタシだ。
「久野さん、俺と結婚して欲しい」
「……へ?」
言っていることはわかる。今の時代は世界中の人口は減る一方なので、生めや増やせやが推奨されている。
特に男性は優遇されており、複数の女性と関係を持つことができる。結婚の年齢も大幅に引き下げられている。
しかしその反面で、二十歳までには必ず女性の結婚相手に選ばなければいけない。童貞のまま三十を迎えて魔法使いになることは、今の時代では不可能なのだ。
「久野さんと結婚すれば、きっと毎日が楽しいと思うんだ」
「待って! ちょっと待って! アタシに結婚願望はないって言ったよね!
それにほら! まだ会ったばかりだよ!
犬塚君を好きになる女子はたくさん居るから!」
大災厄以降は女子から男子に告白するのが一般的だが、中には二十歳直前に仕方なく書類上から結婚相手を選ぶのが普通だ。
男子生徒のほうから熱烈な告白をして、しかも恋人ではなくいきなり結婚を迫るのはフィクションの中だけであり、現実ではありえない。
ついでに言えば男子生徒の告白をお断りするほうが、もっとありえないのだ。
「それでも俺は、久野さんが欲しい」
「えっ…あっ…うぅ…! お断りだよ!」
結局アタシは犬塚君の告白を断ることを選んだ。顔は耳まで茹でダコのように真っ赤になって、誰がどう見ても彼のことを意識してる感バリバリだが、結婚はこれから先の人生を左右する重大なことだ。
自分は男性を手に入れるために躍起になっている女性とは違う。せめてもっとお互いのことを知ってから、事を進めるべきだろう。社会的地位が上がり、国から多額の補助金が出るにしても、そう簡単に首を縦に振る気は起きなかった。
なので一言断りを入れてから、恥も外聞もなく全力で走り去ったのだった。