第一章 1.夕暮れの奇跡
昼休みは誠と今週の分のアニメについて散々というほど議論した。というよりも、颯馬が一方的に誠の意見を聞かされた、と言ったほうが適切だろう。昼休みが終わり、午後の授業を受け、掃除をし、帰宅準備をする。リュックを背負い、教室を出ようとすると、
「五十嵐くん、待って」
繭香が颯馬を呼び止めた。
「ど、どしたの夢野さん?何か用事?」
颯馬は間近にいる繭香を見てドキドキしながら、返事をする。
「あ、えーっと、五十嵐くん、今から帰るの?」
「そうだよ」
「だ、だったら、一緒に帰ってもいいかな?麻奈ちゃんもいるけど」
麻奈とは、繭香の幼馴染の、片桐 麻奈のことである。彼女たちは小学校のころから一緒である。故に、二人は互いのことをよく理解している。もちろん、麻奈は繭香の気持ちに気づいてはいる。それなのに一緒に帰るのは、彼女が好きであって、譲れないところがあるのだろう。先から遠くから颯馬を細い目で見ている。颯馬にとって、それは睨んでいるようにも見えた。
「え!?べ、別にいいけど…」
突然の誘いに困惑する颯馬。クラスの女神ともあろう繭香からの誘いを断って、翌日からの男子からの扱いを想像すると、とても断る気にはなれず、颯馬は一緒に帰ることを選んだ。さらに、先の麻奈の視線が気になってもいた。あれはもしかすると、繭香から誘われてんだから一緒に帰りなさいよ、と訴えていたのかもしれない。
日常の中に紛れ込んだ非日常。それは颯馬が常日頃から望んでいることであった。この時点で颯馬は喜びを感じていた。
「そっか、ありがと!」
笑顔で颯馬に感謝する。颯馬は少しの間、彼女の笑顔に見惚れる。
「…五十嵐くん?」
「…あっ、ごめん。それじゃ、行こうか」
繭香に呼ばれ、颯馬ははっとして我を取り戻す。そして、三人は教室を出た。
昇降口前の廊下に着くと、廊下の反対側から一人の男子生徒が向かってきていた。颯馬は彼をまじまじと見つめると彼は同じクラスメイトの三宅 雄矢であった。
「やあ、雄矢、今から帰るのか?」
「…ん、颯馬か。ああ、今から帰ろうとしていたところだ。それで、何か用か?」
雄矢に声をかけると、彼も颯馬に応える。
「そうか…。なら、一緒に帰らないか?ほら、帰りは賑やかなほうがいいだろ?」
颯馬は自分らしくないことを言ったな、と思った。颯馬は一人で帰ろうが多人数で帰ろうが、つまらないと感じて呆けているのだから、そんなことはどうでもいい、と思っていた。しかし、今日に限っては、このままだとまずいと感じたため、こんな誘い方をしたのだった。
「む、まぁたまにはこういうのも悪くないか。じゃあ、ご一緒させてもらおうか」
雄矢は颯馬たちに加わることに決めた。
「お、ありがとう。俺一人じゃ、間がもたないからさ」
「だろうな。それに、夢野さんもいるんだ。断らないわけがないだろう」
颯馬は、やっぱりそうか、というような表情を浮かべる。
「ねぇ、私は?」
と、麻奈が怒り気味な声音で雄矢に言い放つ。
「ああ、すまない。もちろん、君といることも嬉しく思っている」
あとから付け加えた感じのする言い方だ。
「お前、嘘だろ…」
颯馬は雄矢がうわべで言ったのだと判断した。
しかし、雄矢は、
「それはない。本当に心から嬉しく感じているんだ。適当なことを言わないでほしいな」
と、少し怒り気味に颯馬を叱る。
「そ、そうか…。すまん」
雄矢の言葉の力強さから颯馬は尻込みをした。そして雄矢は麻奈のほうを向き、
「片桐さん、本当にすまない」
と謝罪した。そんな雄矢を見て、麻奈は慌てながら、
「い、いいよ、そんな謝ることのほどじゃないって」
と言って雄矢を許した。
「それじゃ、帰ろっか」
繭香がそう告げ、四人は学校から出る。
帰り道、颯馬たちは絶え間なく話しながら歩いていた。一週間後に迫った中間テストについてや、最近の話題になっていることなど、颯馬にとって、この時間が人生で最高に嬉しく感じていた。この時間がずっと続いていて欲しい、というよりも、繭香とずっといたいと思っていた。しかし、現実はそう甘くない。颯馬に三人と別れる時が来てしまった。
「あ、俺こっちの道だから。また明日」
「うん、またね。今日はありがとう」
「そうか。では、また明日」
「ふーん、そっか。じゃね、五十嵐」
そうして、交差点を颯馬は右、三人は左へ曲がっていく。
その瞬間だった。
颯馬の左手から、車が止まる気配なく、それなりの速度で颯馬の方に突っ込んできた。
「あ…」
颯馬は思わず声を漏らす。
「あ、そうだ、颯馬───」
雄矢が颯馬の方を振り返る。彼が目の当たりにしたのは、颯馬の呆然と立ち尽くしている姿だった。雄矢はそれを怪しく思い、颯馬に駆け寄る。
「颯馬、どうしたんだ──危ない!!颯馬!!」
雄矢は颯馬の置かれた状況に気づき、必死で颯馬の方に飛ぶ。颯馬ごと道路の反対の方へ。
健闘虚しく、雄矢の飛び込みは、車と直撃した。
と、思われた。
雄矢たちが衝突する直前に、彼を中心に、まばゆい光が輝きだした。
それは、颯馬はもちろん、繭香や麻奈までも包み込んでしまうくらいの光だった。
『───────っっ!!!!!』
その場にいた全ての人が、あまりの眩しさに目を閉じた。
「…………」
あまりの眩しさに、颯馬たちは気絶している。
そこに、一つの影が迫っていた。
「ねぇ、起きてよ、ねぇ」
その影の主の姿は、小学生くらいの女の子で、背中に羽をはやしている。
「ん…。ここ…は、どこだ…?」
颯馬が朧げに声を上げる。
「…っ!?なんだ、ここ!?俺たち、道路にいたはずなのに、なんで…!?」
颯馬が周りを見渡すと、辺りは木々に覆われ、うっそうとした森林が広がっていたのだ。颯馬は焦り、他の三人を起こす。すると、先ほどの女の子が、空を悠々と飛びながら、颯馬の頭上にやってきた。
「やぁ、目覚めたようだね」
颯馬たちは声のする方を向いた。
「お前は…誰だ?」
恐る恐る、その子に尋ねた。
「私?私はスエラって言うの。君たちの、この世界における、"案内人"といったところかな」
その女の子──スエラはそう答える。
「『この世界』…?どういうことだ?」
「ええっと、今から説明するね」
スエラは間髪入れずに颯馬の疑問に答えようとする。
内容はこうだ。
颯馬たち四人は、とあることが引き金となり、異世界──つまり颯馬たちの知る世界ではない──に召喚されてしまった。その理由はスエラにはわからないらしい。
この異世界【ラハット】には主に四つの種族が存在している。
まずは、颯馬たちと同じ人間族。彼らは四種族の中で最も弱く、最も数が多い種族である。そんな人間種がこの世界で生きていられる理由として、「剣術」と「魔法」からなる、他の種族と渡り合うための手段である、「天恵」と呼ばれる能力が備わっているから、というのが大きな根拠なのだ。人間は必ず、「剣術」もしくは「魔法」のどちらかに才能を授かる。無論、颯馬たちも例外ではない。だが、今ここで、「天恵」を授かることはできないようで、教会に行かなければならないそうだ。さらに、四人には「天恵」を授かるための基礎が備わっていない可能性があるかもしれない、とスエラは言う。
そんな「天恵」に恵まれた人間たちだが、その中には"亜人"と呼ばれる者たちがいる。彼らは「天恵」を授かることができない。ただし、その代わりに、強靭な肉体や魔力を秘めている。
ここまでの説明を聞き、颯馬たちは口が開いたままになっていた。ただ一人、麻奈を除いて。
彼女は目を輝かせていた。「『天恵』、亜人…最高じゃん…」と独り言をこぼしていた。
何を隠そう、彼女は、颯馬以上、誠未満のオタクなのである。異世界転移モノのアニメやラノベにはもしかすると誠を凌駕するくらいの知識を有していると言っても過言ではない。
もちろん、この状況については十分に理解しており、三人とは違い、むしろ喜々としている。
そんな彼女を尻目に、スエラは説明を続ける。
次は、人間族に次いで数の多い、妖精族だ。実を言うと、スエラは妖精族の一人なのである。
妖精族は、人間族の占める大陸【スニミア大陸】の東端の国、【ヴァストーク王国】のさらに東に位置する、妖精族のための大陸、【キュチュク大陸】で暮らしている。颯馬たちは今、この大陸にいる。
彼らは特別戦闘能力があるわけでもなく、戦う意志ですら持っていない。それなのに彼らが生存していられる理由は、主に二つだ。
一つは、彼らの大陸は広い海に囲まれているから。あまりの広さに、人間たちは大陸に行こうという気になれない。過去数回、人間たちが侵攻してきたことがあったらしいが、防衛設備は整っているので、人間たちはあっさりとやられた、ということらしい。
そしてもう一つは、彼らの王─つまりは妖精王─である、イスタナの存在である。彼は大陸にある神樹"エスピリト"によって選ばれし由緒正しき王である。そしてイスタナは神樹から作られし伝説の剣、"フォルテ"を扱うことができる唯一の存在で、このことも大陸を脅威から守っている一つの要因といえる。また"エスピリト"は自然を司るとも言われ、妖精族の心の拠り所となっている。
さて、先も述べた通り、颯馬たちは今キュチュク大陸にいる。基本的に人間はこの大陸にはいられない。というのも、侵攻されかけたきたとき以来、妖精たちは人間を忌み嫌っている。もちろん中にはスエラのように、人に懐っこい妖精もいるがその数はわずかである。故に今はここにいられるのだが、そうは長くいられないのかもしれない。スエラは口早に次の説明に移る。
続いては、天使族についてだ。
天使族とは、約二千年前にラハット全域で起こった魔神族との大戦争、『聖戦』を終結させた種族である。そもそも、『聖戦』というのは、天使族率いる人間族、妖精族(妖精族はイスタナのみであるが)の連合軍と、魔神族との間に引き起こされた戦争のことである。連合軍は相当な損害を受けながらも、魔神たちの鎮圧、封印に成功したのだった。その代償として、天使族は力をほとんど失い、ラハットに姿を見せることはなくなったという。今は宝物や石碑の中で眠っているとされているとのことだ。
そして最後に、先ほどから何度か聞いた、魔神族だ。
彼らの個々の力は非常に強く、人間の四、五倍はあるとされている。さらに厄介なことに、個体数もそこそこある、というのだ。そして、彼らの王、魔神王の直属の精鋭、<四大魔神>と呼ばれる魔神は、とてつもなく強力である。彼らによって天使族が疲弊したという。今彼らが封印から解放されてしまえば、間違いなくラハットは魔神たちの手に堕ちてしまうだろう、と言われるほどである。
「…これで説明は終わり。そろそろ、ここを出た方がいいかもしれないね」
スエラの説明は終わり、大陸から出るように促す。
「そうだな。もう、出た方がいいだろう。スエラ、といったか。色々と説明ありがとう」
雄矢がスエラにお礼を言う。
「そ、そんな、お礼を言われるほどのことじゃないよ。私はただ、案内人としての役目を果たしただけ。このあとのこの世界の命運は、君たちにかかっているんだ」
「そうか…。なら、頑張らないとな」
「そうだね。スエラちゃん、ありがとう。長居しちゃってごめんね。私たち、頑張るよ」
雄矢に加え、繭香もお礼をする。そして、スエラの気持ちに応えるべく、世界を救う努力をしていく旨を伝える。
「うん、頑張って、ソウマ、ユウヤ、マユカ、マナ。私はここからでしか応援できないけど…」
「任せてくれ。この世界、ラハットは、俺たちが救ってみせる」
颯馬はスエラにそう告げる。
「よし、みんな、出発だっ!」
「「「おう!!!」」」
掛け声をして、四人は妖精たちが作ってくれた船に乗る。目指すはスニミア大陸の東端の国、【ヴァストーク王国】。
今、彼らの旅が、ラハットを救う物語が、始まる。