その日、勇者は魔王城に来なかった。
お父様、お母様、お姉様、お元気でしょうか。
私は疲れ切っています。
前回までのあらすじを説明いたしますと……。
私は何故か魔王として暮らしており、勇者を倒さなければならない回数というものが決まっています。
勇者は一日に一回、私に戦いを挑みにくるのですが、彼はとてつもなく弱く、もろく、進歩している気配がまるでありません。なお、進歩と書いてレベルアップと読みます。
勇者側の作戦は大抵がゴリ押しで、たまに「ポーションを最大数持って魔王に挑む」といったくだらない作戦もとってきます。最近ではおっさんのかわりに美人なお姉さんが戦闘に加わっているのですが、彼女が回復魔法を覚えているのをいいことに、「回復専門である魔法使いを回復させるための魔法要員」という、文章にしたらものすごくややこしいポジションに回されつつあります。
楽勝とはいえ、日々繰り返される戦闘に、私もそろそろ疲れてきました。
しかし。
私の【勇者を倒すべき回数】も、ついに残り2回となりました。
ようやく、ここまできました。
あと2回勇者を倒したら、私はそちらに戻れるやもしれません。ふふ。そう考えるととても楽しみです。日本に戻ったら何をするか、今から考えておきますね。
あと2回で私が勇者に負かされるなんてこと、あるはずがないのですから。
*
我ながら、巨大かつ壮大なフラグを立ててしまった気がする……。
パンダ柄の封筒に手紙を入れて、ソイラテ(デカフェ)を飲む。ううむ、美味なり。
時計を見れば、午後五時を過ぎていた。いつもならとっくに勇者がきている時間だ。なのに今日は来る気配すらない。
……うーん。別にさー、私の営業時間が午後五時までとか決まってるわけじゃないんだけどさー、なるべく夜までに来てもらえるとありがたいんだよね。これまで真夜中に奇襲されたことも三回くらいあるけどさ、不規則な生活とか寝不足とか、本当にお肌に悪いしー。
私はソイラテを飲み干すと立ち上がり、中庭へと歩き始めた。先日植えたばかりの、薔薇の手入れをしようと考えたからだ。
魔王城で引きこもり生活を送り続けている私は、城の外がどうなっているのかは知らない。しかしこの魔王城が、枯れた木で構成された森林の中にあるのは知っている。森林の中に、たくさんのモンスターがいることだって把握済だ。まあ、そのモンスターと私は一切関係ないんだけどな。私、常に単独行動だし。手下とかいないし。
勇者側は四人組なのに私はぼっちとか理不尽すぎんだろ!(憤慨)
中庭へ向かう道中、私はふと魔王城の外に目を向けた。森に棲むモンスターの中でも一番弱いスライムが、慌てて走っている……というかはずんでいる。
――ああ、相変わらずあのモンスターはかわいいな。癒しだな。怖いことしないから、魔王城で一緒に住んでくれないかなあ。
私はでれでれしながら、中庭で薔薇の世話をした。
その日、勇者は魔王城に来なかった。
*
翌日もその翌日も、勇者は魔王城に来なかった。
「この愚鈍めが。私を待たせようとはなんたる無礼!」
中庭で一人、魔王語で悪態をつく。
いやほんと何してんの? いつも毎日欠かさず来てたのに、なんでここにきてまったく来なくなっちゃったの? これじゃ何も進まないじゃん! 魔王城の温室と中庭だけがどんどん綺麗になってるよ!
腹が立ってきたので、やけ食いすることにした。高級食材をフルコースでいただく。デザートだってもちろん食べた。ケーキ、プリン、わらび餅!
……前から思ってたけど、誰がいるわけでも私が調理したわけでもないのに、ちょっと念じれば美味しい料理がぽんっと出てくるこのシステム、本当に素敵だな。掃除しなくても部屋は常にきれいだし、浴場には私の希望で打たせ湯まで設けた。明日も勇者が来なかったら、城の中に温水プールを作ってやってもいい。
ああ。日本に帰った時、ワンルームマンションでのコンビニ弁当生活に私は耐えられるのだろうか。
*
翌日も勇者が来なかったので、城内温水プールを作った。
翌日も勇者が来なかったので、温水プールの隣にジムを作った。
翌日も勇者が来なかったので、ジムの近くにサウナまで作った。
だけどその翌日も、勇者はやっぱり来なかった。
「遅い! 遅すぎるッ!!」
私の咆哮が魔王城に響き渡り、天井からパラパラとなにかの欠片が降ってきた。見上げれば、天井の隅にひびが入っている。それもこれもすべて勇者のせいだ。ああ、憎々しい!
私は温水プールでバタフライしながら、勇者の来訪を待った。だが来ない。待てど暮らせど勇者は来ない。
「まだか、まだなのかぁっ!」
プールから出て、ランニングマシンで五十キロ走り、勇者の形をしたサンドバッグを散々殴った。勇者は来なかった。温泉で汗を流し、水風呂で身体を冷やし、風呂上がりにフルーツ牛乳を飲んだ。勇者はやっぱり来なかった。
私のはらわたは煮えくり返っていた。
――もう待てない。こうなったら私が魔王城から出てやろうか。私がどこかの村を襲っていたら、勇者が止めに入る……そういうイベントでも発生しているのか!?
フワフワだけど水を吸わない高級タオルで身体を拭き、私は勢いよく城外に出た。
……あたり一面、枯れた木しか見えない。どっちに歩けば村とか城下町といった人気のある場所にたどり着くのか、皆目見当もつかなかった。私は途方に暮れた。
その時だった。
「あっ!」
勇者が、いた。
彼らは何日も風呂に入っていないような酷い姿で、魔王城の近くを歩いていた。
私の(怒りの)オーラに気付いた勇者がこちらを向き、しまったと言わんばかりの顔をした。会いたくなかった、みたいなその顔に尚更腹が立つ。私が何日待ったと思ってるんだ!
「貴様、そこで何をしている……」
思いのほか冷静な声が出たが、怒りは頂点に達していた。しかも勇者は私と戦うつもりがないらしく、じりじりと後退している。
いや何してるの。お前本当に私と戦う気、っていうか勝つつもりあるの!?
「出直してこいっ!!」
勇者が魔王城に来たわけでもないが、怒りに任せてそう怒鳴った。そうして勇者たちに、超がつくほど上級の炎魔法をあびせる。戦う気がなかったうえ、不意打ちをくらう形となった勇者はあっけなく消えた。
【あなたが勇者を倒すべき回数は、残り1回です】
――ふう。
笑顔を取り戻した私は、自分のせいで燃え盛っている木々に気付き、慌てて鎮火したのであった。