第3話 「堺」
生駒山、淀川を過ぎ、ようやく堺のまちに着いた。日は傾き、烏がよく鳴いていた。幾万艘の小舟が縦横無尽に走る運河に浮かび、宏大な平野には商家や伽藍が林立する。これでも権兵衛曰く、松山には劣るそうだから、私も認識を改めなければならない。前提は通用しない。ここは「過去」ではない、異なる次元にあるのだ。
権兵衛の案内のままに、人混みに紛れながら、歩行する。大塩一派の反乱で焦土と化していると聞いていたが、思ったよりは酷くない。たしかに城らしきものはその周囲は焼け野原だが、ほかはいたって平常通り。権兵衛曰く、
「公儀殿の兵のほか、われわれが護身のために兵を雇うときがある。堺の町人は関白自らよりお許しを頂戴し、平素より警邏隊を置いておる」
とのことで、町人地区の安全は保たれているそうな。暴徒にそんな傭兵の集まり、大抵は金だけで人道も忠誠心にも欠けた連中、で対抗できるか甚だ疑問だが、実際撃退できたのだから、何もいえぬ。観念をもって現実を否定しては主義者ではないか。
肩をぶつけぶつけられ、小僧の喧しい声をいらつきながら前に進むと、瓦葺屋根の大家を見ゆ。前には米俵や豆、木綿が積まれている。物産品を凝視していると、奥から身なりはそれほど悪くはない男が出てきた。権兵衛は男に挨拶すると早速、
「関白の御兵はまだいらっしゃらぬのか。松山にはまだこの件が伝わっていないのか」
と単刀直入にいう。男は目配せしながら、
「これは会合衆の集まりに折に小耳に挟んだことだが、なんとか評定にて派兵を決めたようで。一ヶ月もすれば難波津に上陸できるとのことで」
と返す。会合衆? どうやら堺の町は神聖ローマ帝国の自由都市よろしく自治権が認められているらしい。だからこそ燃えずに済んだのだろうが。しかし、決定が遅い。独裁者を認めず、合議を重んじるのはわが国の美徳でもあり、悪癖でもあるが、今回は、それが悪い方向に作用してしまったようだ。私は松山の政府の無能さに呆れ果てるべきだろうか、それとも組織劣化の必然に拝し、次善策を講ずるべきだろうか。しかし、この二元論は意味をなさない。これらの行為は寝ると起きるの二択とは違い、同時にできるものであるから。
「そうこうしている間に百姓どもが暴れ回っているではないか。ただでさえ奥州の飢饉もある、失礼ながら関白殿は天より……」
権兵衛は前者をとったようだ。おそらく権兵衛に政権中枢に関われる権利がないので、このように言い放っても仕方ない。不満からか吹きこぼれてしまう。
「間諜がどこにいるかもわからぬ、表で余計なことをいうのはよろしくない」
男はそういい、権兵衛の不適切な言動を諌めた。だが、権兵衛の口は止まらず、
「もしいるのならば、さっさと苦情を伝えて欲しいものですが」
と言い放つ。商人にしてはずいぶん不用心な言動であった。そして、男はなにかを察したように、
「京も奈良も面倒なことになっている。内裏も近江に避難あそばされているようで」
と話を変える。はあ、帝はこの世でも京都にあらせられたのか。近江といえば大津京、皇統の危機でしたな。しかし、奈良か。昔はともかく、幕末には寺社しかないという記憶があるが、ここでは違うのか。それとも単なる認識の差異か。神仏分離以前の興福寺や東大寺のごとき大伽藍を見れば、宗教都市としては一定の地位はあるのかもしれない。
「ともかく、これでは埒があきませんな。どうでしょう、松山まで参りなさって陳情申し上げるのは」
男はそういい、砂埃を払った。権兵衛は
「名案だが、会合衆の同意は得られたのか」
という。男は、屈託のない顔つきで、
「ええ、もちろん。明日にも舟を出すこととなっております」
と返すと、潮風が強くなり始め、私のほうに顔を向け、
「ところで、あなたは何者でございましょうか」
といった。私は名は求める前に伝えるものだという趣旨とことをいうと、男は、頭を下げ、
「いや、これは失礼した。私は、名は慶三、姓は越智、ここらではそれなりに顔は知られた者であります。最近まで、紀伊で木材やみかんを仕入れるほかに摂津にも出かけていたのですが、大塩率いる暴徒が騒ぎを起こしておりましてな……いや、実に厄介で」
といい、自分語りをし始めた。特にたいしたことではない。ここで大商人として成功し、町人からも尊敬されているというくだらない話だ。
慶三の話が終わると、私も自らの名前をいい、略歴を述べた。とはいえ、あくまで記憶喪失の体である。そうすると、慶三はいぶかることもなく、大いなる同情心をもって、わが境遇をあわれんでくれた。商人にしては不用心だが、権兵衛が連れてきているのでそこら辺は信用しているのだろう。私は彼と権兵衛との関係の仔細を承知していないが、同業者としてそれなりに親しい付き合いをしているのはわかった。私がこれ以上しゃべりたくはなくなったころ、権兵衛が私に代わり慶三との話をまとめてくれた。うむ、ありがたい。
一通り話が終わると、私は慶三の家の一室に一晩泊まることとなった。夕餉を頂戴し、風呂に入り、着替えを拝借し、空き部屋に入ってゆく。ちょうど布団が用意されているので、あとは寝るのみである。油ももったいないので、他人の家なのでどうでもよいのかもしれないが、さっさと火を消して寝床につく。
目を閉じ、しばらくすると、黒い、奇妙な、形容しがたいものが塵のように漂っている。目を開けようとするも、開けられない。どうしようかと思案していると、そのものが私に向かって、
「さあ、はよ起きよ。さらば、道は開かれん」
という。はて、どういうことであろうか。思案する間も無く、物体は、
「松山に、ゆけ。さすれば道は開けん」
とだけ言い残して、その場を去る。はて、まあ、もともと松山にゆく由はあったのだから、従うもなにもあったものではないが、このような奇特なる事象の発生する次第では、まったく不安である。突如、異次元の先に置いて行かれ、かくのごとき意味深長なる言葉を授け、私を、このような状況に至らしめた、神、神ではないかもしれぬが、に恨み言ひとついいたくなる。だが、なぜか思考が妨げられる。神経がうまく繋がらない。こういうとき、私は諦めることにする。体を浮かせ、記憶を消すのである。
翌朝、日ものぼらぬうちに目が覚めた。外をみると瓦葺きの家々が軒を連ねる。藁葺きは堺城の跡地らしきところにちらほらと見えるだけであった。私は時計を一瞥し、階段を降りる。なにせ天が民草に光を与え給う前のことであるので、暗い。この屋敷は闇に包まれている。だが、起きてしまったものは仕方ない。私はただ待つことにした。
一刻ののち、ようやく太陽を垣間見ることができ、慶三も権兵衛も起きた。さっさと朝餉を済ませ、ここを出なければならない。慶三は結構な数の使用人を雇っているようで、彼らがせわしなく働く様子がわかる。私も身辺の整理をしつつ、権兵衛に慶三のことを聞く。彼は大商人の次男坊で、十二のときにすでに自立したらしい。その後、自らの努力により道を切り開き、いまでは長男が継いだ本家と匹敵するほどまでになったそうな。もっとも最近は大塩の乱で所有している田畠が焼け、苦労しているとのこと。難儀な話である。
準備が終わった。慶三の家を出る。馬に乗り、港に向かい、そして、一路松山にゆく。馬は全速力で走る。人がいろうといなかろうとお構いなしに。
さらば、堺。また会おう。もう会わない可能性の方が高いのだけれども。