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第2話 「過去」



 落ちた陽は再び昇る。それはここでも変わらないようだ。目覚めたときには、すでに燦々と輝いていた。日が落ち、昇るのはここでも変わらない。当然のことだが、ある意味奇妙である。自然法則に変化はなくとも、時代は異なる。まだ夢だと考えるか、否か。一旦保留だ。


 炊いた米の匂いがここまで流れてくる。私は服を部屋にあったものに変えると、厨房に向かった。住職と権兵衛がいる。台には雑穀米と大根汁がこしらえてあった。権兵衛の小袖はすっかり汚れがとれて、住職も整った恰好である。


 「そういえば、きいていなかったな。お名前は?」

権兵衛がそう尋ねてくる。昨日いったはず、いや、住職にはいっていないから、だろうか。いまさらのような気がするが、減るものではないのだから、ここはいっておいたほうがよいだろう。

「山口拓也と申します」

「そうか拓也というのか。確かいまは……先日いったような」

「ええ、ずっと洋行していたのですが、異人に拉致されて、山に放置されまして」

「ああ、そうだった、そうだった。その恰好もそれゆえのことであったな」

かなり無理のある虚構であると自分自身でも思う。虚構の創作たる小説でもこのような言い訳をきくことはまれだろう。前後関係が意味不明だし、なにより犯人の目的が謎だ。所詮、数分で考えてた空想にすぎぬのだから、仕方ない。汁を吸いながら、諸々の事情を住職と権兵衛に話す。権兵衛は道中で耳を傾けていたことであったので、適当に流している様子であったが、住職は存外真剣に傾聴していた。


 「ところで、最近、パテレンの連中が門前にいるとか。実に不埒なことで、許しがたい」

住職はそういい、拳を畳に叩きつけた。

「ええ、折伏せねばなりませぬ」

権兵衛は同調する。どうやらキリスト教の宣教師がこの寺院の周りで活動しているようだ。私の母校も一応キリスト教の学校だ。もっとも私は処女懐妊も復活も信じておらぬ。

「ところで、拓也殿の本尊は」

「無論、法華経であります」

住職の質問に、私はそう返した。本当は、実家は浄土真宗なのだが、個人的には宗教がどうのこうのという観念、いや信仰の類を持ちあわせていないので、場にあわせておく。

「そうか、そうか。それはよきかな」

権兵衛がそういい、微笑する。住職も応じるように笑った。彼らに少しだけ近づけた気がした。


 「反乱は起きるは、異人が来るわで当方としても困惑するようほかない。ご公儀はいったいなにをなさっているのでしょうか」

住職はそういい、頭を抱える。大塩の反乱軍や切支丹がここを襲うかもしれない、無論自己保身の為ではないとはいえぬが、数百年続く寺を守り、檀家の身の安全を確保しなければならなかった。住職は愚痴をこぼし、権兵衛はいちいちそれに同意する。聞くに、平素ならば京の役所までおもむけば何とかしてくれるそうだが、この乱の中で襲われて、機能不全に陥ってしまっているようだ。普段から税を納めているにもかかわらず、肝心なときは役に立たないのだからという恨み節がありそうだが、実際傾いているのだから、これは推量だが、しょうがない。


 そんなことよりも生計を立てることが先決だ。住職も権兵衛も無益な話をしているが、反乱軍がここまで来ないことを祈るしかない。そんな後のことよりも先ず、生きねばならない。権兵衛の恩幸にいつまでも乗じるわけにはゆかない。


 「一宿一飯の恩義、かたじけない。されども、ご好意にはこれ以上あまえることはできない。どこか大きな町に行き、働きたいと思っている」

私がそう宣言すると、権兵衛は、

「おお、それならばともに松山に行こう。謀叛も異人もこのままでは話にならない」

といい、肩を叩く。ああ、そこが効く。恩に恩を頂戴し、情けなくもあるが、だからといって私はこの世界に無知であり、常識くらいのことは知っておかねばならない。離れ、自立する前に同伴し、光芒を見ゆ。私はそう決意し、そのことを伝えた。


 「左様か。では今日にでも失礼しよう。なにか変事あれば、早馬にて伝えて給え」

権兵衛はそういい、私を連れて寺を出た。長月の季節になりぬれば、稲穂も黄金色に変わる頃合いである。収穫前に焼き払われなければよいが、心配する。別にここにいる人々が私の認識にない以上、それは「人間」ではなく「動物」であり(人間も動物だというのは勘弁願いたい。構造主義者はそのようにいうだろうし、私も彼らのいうことは分からなくもないが、人間には他の種族を超越するものがあると信じているからだ)、すなわち同情をもたらさない存在であるのだが、どうしてか、「人間」に対する情と同義の心配をしてしまう。この風景と寺に思考を変えさせられているのかもしれない。


 寺を出ると、私たちは一路堺に向かう。権兵衛曰く、彼の地は一応畿内一帯の交通の要衝であり、港湾の栄し都市だそうだが、どうも京や奈良には劣るらしい。江戸以降、堺が半ば廃墟と化して一漁村に過ぎなくなってしまったと教授された私からすれば奇妙な……ん? そういえば、ここにきてから奇妙なことばかりだ。いくら世界史履修とはいえ、ここまで露骨に差異を見せつけられると、なにか、ここまでに歴史的特異点があったのではないか。そう、天下を取ったのが徳川でなくて、たとえば織田とか豊臣が継続したとか。


 「失礼、ところでこの国を治めている方は誰でございましょうか」

私は権兵衛にそのような質問をした。実は、この質問は昨日のうちにすべきだったのだ。瑣末な個人情報のみに汲々し、大事を忘却していたのである。この時代、個人というのは存在せず、ただ人あるのみであるから、さらに無意味な問いを重ねていたのだ。ああ、なんという失敗。かかる行為によって失ったものはなにか。時間はもちろんのことだが、なにより無意味な思考である。これまで徳川幕府末期を前提にしていた想定は価値をなさない。であるならば、問わねばならぬ。何者がルーラーであるかを。


 権兵衛は怪訝な顔つきをし、めくらを見るような態度である。

「無論、畏き内裏の……」

違う。この世界でも大君のおわすことを知り、安堵はするが、私が聞きたいのはそうではない。第一日本は天皇があってこそ存在し、なければそれは日本とは呼べぬではないか。

「そのことは承知している。今の……その……」

私が尋ねたいのは権威者ではなく権力者である。だが、なかなか適切な用語が思い浮かばない。将軍といえばよいのだろうが、もしかしたら公家や僧侶が支配しているかもしれぬ。前者はともかく後者は住職を見るに可能性は限りなく低いけれども。そうしていると、権兵衛は、

「もしかして、河野関白殿であるか。松山にいるゆえ」

という。河野? 談話しか連語関係を想起せぬ……いや、たしか元寇の折、蒙古高麗連合軍を倒した河野通有がいた。たしか彼は伊予国、今の愛媛県を守護であったような、そうでなかったような。とりあえず、通有の子孫が天下を統一したという認識でよいのだろうか。あんな矮小な島で覇を唱えるというのも滑稽な話。だが、権兵衛のことを信ずれば、そう解釈するよりほかないのだろう。この世界は私のいた「現在」も我が先祖の「過去」とも断絶しているということだ。ならば、私のつまらぬ国史の知識は役に立たない。少なくとも応仁の乱以降のことについては、そう断言できる。


 ともあれ、権力者さえわかれば、あとは関係する事項を尋ねればよい。私は堺到着までの一週間、権兵衛に矢継ぎ早に質問するのであった。

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