第1話 「漂流」
意識無きまま、見えざる手に導かれ、木の良く茂った山に横たわっていた。起き上がると蝉の鳴き声が響き渡る。夏だろうか? 蒸し風呂のような暑さだ。服のかくしを漁れば、財布とフルーツ包丁、おむすび、手帳、万年筆、ボールペン、そして携帯電話が出てくる。財布には学生証と三六〇〇円、通学定期券、あとはポイントカードの類が収納されている。足しげく通った喫茶店のそれは朱印がぎっしり押されていた。自主休講して珈琲一杯とチーズケーキのセットを注文し、雑誌片手にせわしなく行き交う群衆を眺めるのが何よりも幸せなことであった。
一通り回想すると、目下の状況の不明なることが恐ろしくなった。とりあえず携帯電話を起動させ、通話を試みる。だが、画面は無情にも圏外と表示する。まさか、ここは現世ではないのか。いや、単に山奥ゆえの通信障害だろう、私は己が一度斃れた身であることを信じたくなかった。単なる遭難だと思いたかった。
日が丁度まっすぐになる。腹が減ったのでおむすびを食う。うむ、うまい。腹も落ちつかせたので山を下る。少し歩くとまちが見えてきた。瓦屋根が軒を連ねているようだ。なにかのテーマパークかと勘違いしそうになるが、まちから煙がたっているのがわかると、修正を迫られた。煙は天空に至り、炎もここからでも確認できるほど大きい。
三〇分ほどかけてようやく山を下り、まちに着いた。
「すみません、あれはなんですか?」
近くで眺めていた男に話しかける。身なりからしてここの人だろう。衣服は立派だが、煤けていてところどころ破けている。
「ん、旅の者か、せっかく訪れていただいたのに、この騒ぎで申し訳ない。あれは大塩某が公儀に刃を向け、民をけしかけ、荒らし回っているゆえ」
町人のひとりは親切にもそう返してくれた。大塩というと大塩平八郎のことであろうか。天保の飢饉の折、大坂町人の救済を唱えて江戸幕府に反乱を起こした人物で、幕府崩壊の要因であったと記憶している。別に史学科ではないが、たとえ経営学専攻だとしてもこれくらいは教養の範疇であろう。歴史の話は商談の際に役立つ知識だ。最近は雑学本の形で元社長や外交官が小銭稼ぎに著しているのもその証であろう。ゼミの大田先生が学堂に入るなといっていたが、別に学術書でもなく、ただの一般書、啓蒙書にすぎぬので、気にすることはないと思う。
まちの様子、町人の恰好、そして通信圏外であることなどから察するに、ここが現代でないことは確実なようだ。江戸時代末期ぐらいだろう。黒船も来ていないのに難儀なことだ。すでに封建制度の破綻が露見しているのか。そりゃ米で経済を回すのは無理がある。実際には金銀による取引が主流なのに。時代に適合しない者は滅びる、典型的な社会進化論で人種差別の理屈づけの利用されたが、根本的なところはあっていると個人的には思う。ソ連も大英帝国も滅びたわけで。
ここが「過去」である、ということならば「現在」に私はいない、つまり死んでいるということだ。信じたくはないが、そうなのだろう。しかし、どうしてだろう、現世? への執着心が湧かないのである。私には大切な家族も恋人も友人もいる。彼らを助けるためならばこの身を捧げても差し支えはない。だが関係が絶たれる恐怖は皆無だ。しっかりとした意識のうえに私が立っているとは思えない。どうも白昼夢を見ているようだ。こんなことは望んでいないのだけれでも。
ともあれ、今この町に入ることは避けたほうがよさそうだ。なんら武器を携行していないこの身では容易に腹を刺され、首を斬られることだろう。しかし、飯もないし、電話も繋がらない。私は自らに記憶なきことを述べたのち、
「いま一銭もなくて……。どこか寝れるところに案内していただけたら嬉しいのですが」
といい、こい願うと、町人はしばし思案したのち、
「それでは、近くの寺に行きましょう。こちらから話せば貴殿のお泊りもできるはず」
と返した。私はかたじけない、といい深々と頭を下げる。どうやら野宿からの餓死だけは避けられそうだ。野宿でも生存できる奴、体育会系の連中などはそうだが、私はそうではないのでな。体育の成績は小学から一貫して「3」より上はとったことはない。運動音痴というわけではないのだが、失敗時の友人からの糾弾と圧力が当時、とても恐ろしく感じられ、夜も震えていた。社会、いや、ムラといったほうがよいか、に適合できない自分が悪いのだが。
宿を求め、町人についてゆく。田はまだ収穫には早いが、なかなか成熟している。あぜ道より土のかおりが感じられる。ああ、田舎だ。生まれも育ちも東京だが、一度埼玉は熊谷まで行ったことがある。上野駅から国電に揺られて荒川を越えるとだんだんと田畠も増え、人家もまばらとなる。それでも大宮はそれなりに栄えていたが、熊谷行きの急行に乗り、車窓を見ると、電柱が連なり道が舗装されているほかは江戸時代そのものであった。熊谷は人口二十万程度のまちであるが、それでも「文明」があると感じてしまった。もっともこれは小学生の頃の話で、いまではベッドタウンとしてそれなりに発展しているのだろうとは思う。都心と直結している浦和美園も廃墟であるので、そこからさらに遠い熊谷一帯が発展しているかは甚だ疑問だけれども。
風景にも飽きてきたので町人に質問することにした。まあ、身分とか仕事とか家族とかのささいな話である。町人は名を彦屋権兵衛といい、ここら辺で行商をしているそうな。いまは妻と別居していて月に何度か3人の子と会えるのを楽しみしているとのこと。妻子は大丈夫なのかと尋ねると、権兵衛は、山中の小村に避難させていると返した。そうならば安全なのだろう。軍隊もわざわざ小さな村は後回しにするだろうし。襲ってきたら、また逃げればよい。地勢に詳しくないのだから、どうとでもなるのだろうか。当時の思考回路が不明である以上、なにが妥当で、そうでないのかさっぱりわからぬ。
さて、そうこうしていると、寺に着いた。気づけば日は落ち、夜になっていた。比叡山延暦寺などの僧伽藍とはほど遠いが、それなりに整った外観をしている。南無妙法蓮華経のご題目が境内に響き渡る。権兵衛は法華経の信じてこり、この寺の檀家であるそうな。宿泊できるのもその縁とのことである。線香の独特な薫りを嗅ぎながら、庫院の一室の戸を叩く。中は典型的な書院造で、すでに布団がこしらえてあった。
「あの……」
私はそういい、今後の家と職を求めようとした。別に雇えと驕慢な態度ではない。適当なところを紹介してくれさえしてもらえば、ありがたいことであった。しかし、権兵衛は、
「すみませんが、また明日、話しましょう。これ、夕餉にでも」
といい、握り飯を渡すと、さっさと辞去してしまった。これはさっさと寝ろということか。時間も不明であるが、疲れていることは確かなので、体と脳を休めるべきなのだろう。私はもらった握り飯を一口で食べ、寝床についた。
布団に入り、目を閉じたとしてもしばらく意識はある。誰かがそれは睡眠ではなく失神だといっていたが。あれ、睡眠と失神はなにが違うのだろうか。この携帯で検索すればよいのだろうか、あいにく圏外だ。そして、この世界? にいる限りそうであろう。電信技術を開発する手もあるのだうか、あいにく文系なのでそういった高度なことはできないだろう。
明日からどうしようか。本当に白昼夢ならば、適当にやっても構わないだろうか。いや、これは「過去」で現実かもしれない。実存主義が云々という仏哲学の講義が脳裏に浮かび、頭が痛くなってきたところで、思考がとまってゆく。考えてもどうしようもないので、ひとまずは流されるままに行動しようと思う。